第67話 蟲毒のダンジョン

 三日後。


 それぞれの準備を終えた僕たちは、冒険者ギルドに集合し、例の屋敷へと向かった。


「では、皆さん、ダンジョンに潜る前にこちらをつけてくださいまし」


 中庭を前にして、ナージャが僕たちにマスクを配る。


 僕たちは頭の後ろで紐を縛り、化学繊維にも似た、ツルツルした触感のマスクを装着した。


 良い素材を使っているのだろう。


 呼吸が阻害される感じはほとんどない。


 肌の露出を極力抑えた、端から見たらちょっと怪しげな格好で、僕たちは穴の入り口へと向かう。


「では、プリファイベールいきます!」


 ミリアの詠唱で、僕たちの周りにキラキラとした光の粒子が展開される。


 これで一定時間、周囲の地形から受ける悪影響を軽減できるらしい。


「蓋が開いたら、僕が魔法で露払いをするよ」


「吾は援護するでござる」


 確認のために、僕とレンは声を出し合って頷き合う。


「――準備はよろしいですわね? では、兵士の方々。蓋をずらしてくださる?」


 僕たちの様子を確認したナージャが、警備の兵士の人たちに声をかける。


「はい! では、行きますよ! せーの!」


 兵士の人たちが声を合わせて、重い金属の蓋を動かす。


 ブウウウウン――と、虫たちが地上に飛び出てくる前に


「メイクファイア 《ウインド》」


 僕はまず熱風で手近な敵を焼き払った。


「エクスプロージョン!」


 それから、さらにもう一発穴の奥にぶちこんで、降りた先にいるであろうモンスターを一掃する。


「近場のモンスターの反応は消えましたわ。降りますわよ」


 ご丁寧なことに、穴には階段が敷設ふせつされているので、ロープを使う必要はない。


 ナージャが一歩一歩階段を降りていく。


「――問題ありませんわ!」


 先行したナージャの呼びかけに従って、僕たちも後に続く。


 踏みしめた床は、とりあえず毒沼などではなく、まともな床だった。


「あれ? なんだか、いつもダンジョンに潜った時と違いませんか?」


「分かる。なんか、ピリっとした感じがないんだよね」


 マニスのダンジョンに潜った時は、『空気が変わった感』があるのだが、ここにはそれがない。


「ええ。正確に言うと、ここはまだダンジョンではなく、人工物ですから。おそらく、サルーン一家が商品の保管や後ろ暗い取引に利用していたのでしょう」


 つまり、ダンジョンの一部ではなく、屋敷の地下室的な位置づけということか。


 確かに、周りを見渡しても、ダンジョンのように入り組んだ通路はないし、所々に、棚や瓶などの道具が散見される。


「じゃあ、さっき出てこようとしたモンスターは下のダンジョンから溢れてきたやつ?」


「そうなりますわね。先を急ぎますわよ」


 ナージャが頷いて言う。


 と、なると、本当のダンジョンに入ったら、あれ以上の数のモンスターが出現するということか。


 正直、ちょっとうんざりする。


 部屋の隅の方に、本当のダンジョンの入り口となる穴があった。


 こちらも木製の蓋がしてあったようなのだが、モンスターが壊したのか、冒険者が壊したのか、今は真っ二つの残骸となって、床に転がっている。


「さ、降りる準備ができましたわ」


 ナージャが床にロープ用の杭を立てて言う。


「エクスプロージョン!」


 もう一度、先ほどと同じ作業を繰り返し、僕たちは今度こそ本当にダンジョンへと降りた。


 ジュクっと、柔らかい嫌な感触が足に伝わる。


「地図によれば、1階層~10階層までは、地形がもたらす状態異常は大したことがありませんわ」


「油断めされるな。このモンスターの吐く毒は、金属を溶かしまする。戦う際は、毒液の詰まった胴体の袋を傷つけず、羽を落として、頭を踏みつぶすがよろしい」


 レンが、足下のモンスターの死骸を一瞥して言った。


 僕の魔法で爆殺されたやつだ。


「できるだけ留意しますわ。虫の体液をかぶるなんて死んでもごめんですもの――その前に、そもそもモンスターを近づけないことを期待したいですけれど」


 ナージャはちらっと僕を見て言う。


「頑張るよ。精神力を節約しながらだから、中々難しいけど」


 オーバーキルすれば敵を近づけないのは余裕だが、先は長い。


 調子に乗らない方がいいだろう。


 僕たちは、ナージャのナビゲートに従って、先に進んでいく。


 基本的に先達が作成してくれた地図があるので、行軍は順調だった。


 10階層まで来たところで、一端小休止を挟む。


 直に床に座る訳にはいかないので、ソイルの魔法で盛り土をして、セーフスペースを作った。


「ナージャさん。ナージャさん。今日は紅茶とクッキーはないんですか?」


 ミリアがうきうきしたように尋ねた。


「今回はさすがにスペースに余裕がありませんでしたわ。代わりに、これをもって参りました」


 ナージャがポーチから、小袋を取り出す。


 中には、パサパサした小さな塊がいくつも入っている。


「それは?」


「香ですわ。このダンジョンは臭いがきついので、定期的に嗅覚をリセットしないと、勘が鈍りますの――火をつけてくださる?」


 ナージャは、香を地面にパラパラと撒いて、僕にそう催促した。


「メイクファイア――いい匂いだね」


 蚊取り線香を高級にしたようなどこか懐かしい匂いに、僕は気持ちをリラックスさせる。


「ふふ。そうでしょう。虫除けの効果もありますのよ」


 ナージャが身体の中の空気をリセットするように大きく深呼吸する。


「いい匂いですけど……、お腹は膨れません!」


「ならば、そこに転がっている酸蟻サンギを食べられてはどうか。独特の酸味があって、慣れれば悪くない味でござるよ」


 レンが、さきほど討伐した緑色の蟻を顎でしゃくっていう。


 彼女は休憩せず、周りに転がったモンスターの死体から、何かを採取していた。


「さ、さすがの私でも、それはちょっと……」


 ミリアは一瞬躊躇するように蟻を見つめてから、ぎゅっと目を瞑った。


「左様か」


 レンは頷いて、作業に戻る。


 針のような細い管で、モンスターの胴体から液体を採取して、ポーション用のガラス管に流し込んでいく。


「レンは、何をやってるの?」


「解毒薬の確保でござる。このダンジョンの多くのモンスターは酸を使ってきまするが、一口に酸と申しましても、陽の酸と陰の酸がござって、陽の酸は陰の酸で、陰の酸は陽の酸で、相殺することができるのでござる」


 地球風に言うと、アルカリ性と酸性を混ぜて、中和するということだろうか?


 レンの言うところの酸は、『人体を溶かすもの』の総称らしい。


「もしかして、陽の酸って、すごく燃えやすかったりする?」


「なんと。主はこちらの方面にも詳しうござるか? 仰せの通り、陽の酸は、はなはだ燃えやすい故、油を満たした器に保管してやらねばなりませぬ。されど、それ故に、爆破の工作などには大いに役立ちまする。また陰の酸にも、蒸発するものとしないものがありまする」


「奥が深いね」


「然り」


 レンは頷いて、黙々と作業に戻り、液体、固体、様々なモンスター由来の薬品を分類し、保存していった。


「……そろそろ行こうか」


 身体が冷えない程度の時間で休憩を切り上げ、また行軍に戻る。


 今度は、5階層くらい進んだところで小休止。


 さらに5階層進んだところで、風通しがよく、死角の少ない比較的安全な区画を見つけ、僕たちは交替で仮眠を取った。


 そこからさらに5階層の行軍。


 モンスターも地形もいやらしいダンジョンなので、いつものマニスのダンジョンよりは進むのに時間がかかったが、それでも二日に満たないくらいで、噂の25階層まで到達することができた。


「はえー。綺麗な湖ですねー」


 遠目に湖を眺め、ミリアが呟く。


「うん。予想外にね」


 僕はすっと目を細めた。


 澄んだエメラルドグリーンの湖面が、毒々しい紫色の天井の色を反射して、どこか幻想的な雰囲気を作り出している。


 ヘドロ色した毒沼みたいなものを想像していただけに、ちょっと面食らう。


 でも、この美しさが、僕にはかえって不気味に思われた。


 湖の中で蠢く無数の影は、いずれも即時に死に繋がりかねない劇毒を隠し持っているはずなのだから。


「……死毒ガエルに、麻痺甲虫に、注酸ワーム――勢ぞろいでござるな」


 相当目がいいらしいレンが、僕の内心の懸念を肯定するように呟いた。


「それで? タクマは任せて欲しいとおっしゃってましたけど、当然、この湖を攻略できる方法を用意していらっしゃったんですわよね?」


「うん。といっても、もったいぶるほどのことでもないんだけどね」


 僕はそう前置きしてから、バックパックを下ろす。


 中から取り出したのは、スマホと、先日加工した木材だ。


「宝具と――そっちの木の箱みたいなのはなんですか?」


 ミリアが首を傾げる。


「……拡声するための道具だよ」


 木材をH型に削り出し、両端の筒の部分を空洞にした、いわゆるスタンド型のスマホスピーカーだ。


 僕は中心にスマホをセットして、紐で両者を念入りに固定する。


 さらに、スピーカーにけておいた穴に、ロープを通した。


「吾の聞き及ぶところでは、主の宝具は姿形を切り取って時間ごと写し取るものと聞き及んでおりまするが、それをどう活用されるのでござるか?」


「うん。そういう機能もあるんだけど、実はこれ、楽器でもあるんだよね――ウインド」


 僕は音楽のアプリを起動して、投げ縄の要領で湖の中にスマホを投げ込んだ。


 もちろん、周りを魔法の空気塊で覆ってるので、浸水はない。


 まあ、万が一浸水しても、一応防水仕様なので、即壊れることはないと思うが。


 ちなみに、曲は恨み節バリバリの演歌だ。


 僕の趣味ではないが、地球の入院時代に同室のおじいさんが聞きたがったので、ダウンロードしてあったものである。


 早速、音を聞きつけた敵がワラワラと集まってくる。


「『響』、『怨曲』」


 僕は楽神マーレのスキルを発動した。


 指でタップするの行為が演奏のカテゴリに入るのか不安だったが、すでに海で魚相手に何度か実験してあるので、効果は実証済みである。


 まあ、聞く者にとっては、僕が直にリュートを奏でた音楽も、スマホから流れる音楽も関係ない。


(というか、僕が歌うよりはプロの録音の再生の方が上手いに決まってるし)


 スピーカーに加え、スキルの力で強化された音が、湖中に伝播していく。


 ちなみに、音の伝導率は空気中より水中の方が高いため、むしろ地上で使うよりも効果が高いはずだ。


 ギギギギギギギギ


 キキキキキキキキキキキキ


 キュキュキュキュキュゥー


 恐ろし気な鳴き声を上げていた虫モンスターたちが、どんどん弱弱しくなり、やがて子猫のような可愛らしい悲鳴を上げ始めた。


 泳ぐ速度も、お風呂に浮かべたおもちゃのアヒル並の鈍足である。


 さすがは大晦日の定番歌番組に出るくらいの歌手の演歌だけある。


 弱体化の効果は抜群のようだ。


 闇雲に突っ込んできた虫モンスターたちが、ウインドに触れた瞬間にズタズタになって、勝手に死んでいく。


 もはや防御力も紙装甲になり果てた。


 飛んで火に入る夏の虫ならぬ、泳いで風に入る湖の虫たち。


 切り刻まれた死骸が、湖面に浮かび上がる。


 このまま適当にウインドの魔法を維持してるだけで、やがて、湖中のモンスターは絶滅するだろう。


「うわー。すごい。まるで虫がゴミのようですねー」


 ミリアが感嘆の溜息を洩らした。


「――これは驚き申した。まこと主は傑物にござる」


 レンが頭を垂れた。


「余裕じゃありませんの! これは豪邸を貰ったも同然ですわね!」


 ナージャが快哉を叫んだ。


 とりあえず、目の前の障害をクリアできたのは良かった。


 だけど、僕はナージャほど楽観的な気分にはなれない。


 この先には、まだ誰も足を踏み入れたことがない未知の階層が、僕たちを待ち構えているのだから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る