第62話 帰還

 それからのカリギュラでの日々は平穏なものだった。


 三日後くらいには、スマホは返却され、楽器も運び屋さんの手によって回収され、冒険者ギルドに運び込まれていたので、僕の所有物は全て戻ってきた。


 ダンジョンは身体がなまらない程度に、簡単な依頼を受けるにとどめ、レンとの連携を確認することを主眼にした。


 といっても、レンはさすがプロのエージェントとして活動しただけあって、他人の行動を先読みする力に優れており、僕たちに行動に上手く合わせてくれるので、何の問題もなかった。


 都内での自由時間も、フロルさんが許可してくれたおかげで、貴族街の観光も許されたし、情報通のレンが案内してくれたので、カリギュラの穴場的なスポットも思う存分満喫できたように思う。


 そして、あっという間に時は過ぎ、シャーレたちミルト商会の商隊が、マニスに帰る日がやってきた。


 当然、護衛を担当する僕たちも、今日でカリギュラとはお別れだ。


 出発を数時間後に控え、僕たちは冒険者ギルドに挨拶に出向いた。


「それでは、ルカさん。色々とお世話になりました。それと、改めてご迷惑かけてすみません」


 僕はカウンターで受付しているルカさんにそう言って頭を下げた。


 フロルさんの所から帰ってきた日に、すでに一回挨拶は済ませてあったのだが、やはり言わずにはいられない。


「いえいえ。とにかく、みんな無事で良かったわ。もしあなたたちに何かあったら、テルマに顔向けできないもの。――でも、結果としては、いい出張になったんじゃないかしら。仲間も増えたみたいだし」


 ルカさんはちらりとレンを一瞥して、和やかに言う。


「はい。そう思います」


 僕は頷く。


「かたじけない」


 レンがかしこまって一礼した。


「大変なこともありましたけど、おいしいものも、おいしくないものも、色んな味を体験できて楽しかったです」


 ミリアが満足げに言った。


「まあ、悪くはありませんでしたわね」


 ナージャは人目の気にするように、周囲を見渡しながら呟く。


 おしゃれなスカーフを頭に巻いて、ベリーショートを誤魔化している。


 まあ、フロルさんから毛生え薬を貰ったらしいし、マニスにつくまでには元に戻るだろう。


「おはようっすー。おっ、タクマさんじゃないっすか。今日帰るってマジっすかー?」


 ふらりと冒険者ギルドに入ってきた運び屋のリーダーが、気楽に挨拶してきた。


「ええ。お世話になりました。また機会があればよろしくお願いします」


「こちらこそっす。なんだったら、ずっとカリギュラで仕事して欲しいくらいっすよー」


 そう言ってカラカラと笑う。


 それから小一時間ほど冒険者ギルドで知り合いになった人たちと、言葉を交わしていく。


「――じゃあ、僕たちはそろそろ」


 頃合いを見計らって僕はそう切り出した。


「ええ。気を付けて帰ってね」


 ルカさんたちと別れの挨拶を交わし、商会に戻る。


「おっ。来たな! そろそろ荷積みをするからお前らも手伝えよ!」


 入り口付近で積み込む荷物の手配をしていたシャーレが僕たちを見つけて叫ぶ。


「あら。悪徳貴族を成敗したこの国の英雄たちに雑務をさせようとおっしゃいますの?」


 ナージャがたるそうに答える。


「うっせー。仕事は仕事だ」


「ワタクシたちのおかげで通行税が安くなったでしょう? それにも関わらずまだこき使おうなんて強欲じゃなくて?」


「ああん? そんなことほざくならオレたちには報告義務を怠ったお前らに違約金を請求する権利があるぞ。そっちの新入りの分の運賃を要求する権利もな。がっつりぶん取って欲しいか?」


 ナージャとシャーレが軽口を叩き合う。


 相変わらず全く仲がいいのか悪いのか分からない。


「運ぼうか」


「はい!」


「御意に」


 僕も含め、ナージャ以外の全員は素直に商会の人を手伝った。


 やがて、それも終わり、出発の時がやってくる。


 僕たちはいそいそと荷車に乗り込んだ。


 配置は行きと同じ。


 レンは幌の上に乗っかっていた。


 ちょっと慣れ始めたカリギュラの街とも、これで当分はお別れだ。


「ミルト商会の方々ですね? 大変お手数ですか、違法な品の持ち出しがないか荷を改めてもよろしいでしょうか」


 検問の兵士が、ニコニコ顔でやってきた。


「ああ」


 入都した時とは大違いの慇懃な対応に、シャーレが複雑な表情で頷く。


 おそらく、フロルさんが『失礼がないように』とか、何某なにがしかの通達を出しているのだろう。


 僕たちは兵士たちのために、一端荷車から降りる。


「ご協力ありがとうございました。問題ありません……あの、不躾ですが、もしかしてあなたがタクマさんたちご一行ですか」


「はい。そうです」


 やおら話しかけてきた兵士に僕はそう答えて頷く。


「やはりそうでしたか! 俺の故郷は、サルーン家の領地だったんです! 皆さんのおかげで救われました」


 兵士が目を輝かせて握手を求めてくる。


「どうも。でも、僕たちは手伝っただけですから、大したことは……。ご立派な王族の方々がなさったことです」


 僕はそれに応じながら、はにかんだ。


「ええ。それでも、この国に対して責任のない冒険者の方々がよくしてくださったことに感謝しなければ、カリギュラの民の名が廃りますから! ――お引止めして失礼しました。それでは、良い旅を」


「ありがとうございます」


 再び荷車に乗り込んだ僕たちは、兵士たちに見送られてカリギュラを出た。


集り屋たかりやどもが来ますわよ」


「タクマ、やることは分かってるな?」


「うん」


 僕たちは正しいことをしたと、確かにそう思う。


 でも、今こうやって、群がってくるスラムの人たちを追い払っている僕がいるのもまた現実で、そのことを想うと何となく素直に喜ぶことはできない。


 理不尽は世界のどこにでも転がっていて、それが世の中だと諦めてしまうには、まだ僕は若すぎた。


 だからといって、自分の全財産を投げ打つマザーテレサのような覚悟がある訳ではないのだけれど。


「主。一つよろしいか」


 カリギュラが遠く点のように見えるくらいの距離になってからのこと。


 レンが曲芸のように幌に足の甲をかけ、こうもりのような逆さまの格好で僕の顔を覗き込んでくる。


「どうしたの?」


「吾の懐には、今、両替で余った銅貨が三枚ありまする。これをあの貧しき者たちに与えてもよろしうござるか?」


 カリギュラで得た収入は、すでにミルト商会でマニスでも使える都市同盟の通貨に両替してもらっているが、それでも端数は余る。


 レンはそのことを言っているのだ。


「僕はいいけど……、シャーレ、やっぱりダメかな?」


「この距離ならもうスラムのもう奴らから見えねえから、ダメとは言わないが、届くのか?」


 シャーレが後ろを振り返っていった。


「届かないやもしれませぬ。されど、弱き者に情けをかけるのが、吾の侠道故」 


「届くよ。僕が風の魔法で手伝うから。あと、これも一緒に投げて」


 僕も、革袋から両替で余った銅貨を取り出して、レンへと渡す。


「あっ! じゃあ、私も出します! 食べる物がないのって、とてもみじめで、寂しいことですから」


 ミリアがしみじみと言って、僕と同じように銅貨をレンに投げ渡した。


「ワタクシは一銭たりとも払いませんわよ。あなた方が恵んだ金で、貧民がパンではなく、ナイフを買って、新らたな惨劇を生み出さないとも限りませんから」


 ナージャは達観したように言って目を瞑る。


 彼女の言うことにも、一理ある。


 これは、どちらが正しくて、どちらが間違っているという話ではない。


 人間観の問題だ。


「では、いきまする――はっ!」


 レンが、幌の上に立ち、銅貨を全力で投げる。


「ウインド 《ウインド》」


 豪速で飛んで行った銅貨は、風に乗り、宙を舞い、やがて見えなくなった。


 スラムの誰かの手に渡ったのかは分からない。


 でも、それでいい。


 だって、このような端金を与えても現実が変わる訳ではなく、所詮は自己満足なのだから。


 寒々しい秋の風が、僕たちを撫でる。


 ホーシィは歩き、荷車は揺れる。


 20日の旅を経て、夕刻に僕たちは無事マニスに帰り着いた。


 同じ秋でも、カリギュラよりは少し暖かい街の空気が、僕たちを出迎えた。

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