第60話 心地の良い目覚め
「ん……」
ゆっくりと意識が覚醒する。
まず目に入るのは、タイルを組み合わせた、幾何学的な模様の天井。
上体を起こせば、壁には神話っぽい壮大な雰囲気のタペストリー。
ここ、王宮にある客室の広さは、下手すれば100畳くらいはあるのではないだろうか。
「結構寝坊しちゃったかな」
ひとりごちる。
ふかふかのベッドで眠るなんて、異世界はおろか、地球でもあまりなかったことなので、つい気持ちよくて長寝してしまったかもしれない。
さすがに時計はないから詳しい時間は分からないが、カーテンを開けば、日は中天を過ぎていた。
これなら、昼食より、夕食に近い方の時間帯だろう。
(身支度しとくか)
名残惜しくベッドを一撫でして、部屋に備え付けられているシャワールームに入る。
天井に空いた穴から、僕の存在を感知して、自動で適温なお湯が出てくる。
しかも、石鹸まで備え付けられていた。
昨日も寝る前に汚れを落としたが、偉い人に会う前だし、念入りに綺麗にしておいた方が良いだろう。
シャワールームを出て、クローゼットを開けると、そこにはジャケットが一式揃えられていた。
ネクタイなどはないため、あまり堅苦しい感じはなく、ラフな礼服といった風情だ。
(うわっ。すごいぴったりだ)
備え付けられた姿見で着こなしをチェックする。
この服は明らかに僕専用に作られているようだ。
いつの間に採寸したのだろうか。
いや、その前にいつ縫ったのか。
至る所でさりげなく見せつけられる財力と権力に、庶民の僕は驚きっぱなしだ。
コンコンコン。
と全て終わった所で、タイミングを見計らったように、丁寧な三回ノックが聞こえてきた。
「はい」
「タクマ殿。レンでござる」
「どうぞ。入ってください」
「御免」
レンがしずしずと中に入ってきた。
彼女も、今日は武装モードの服ではなく、黒のイブニングドレスを着ている。
「レンのご主人さまのおもてなしのおかげで、よく眠れました」
「それはなによりでござる」
レンが微笑を浮かべて頷く。
「ナージャとミリアはどうしてますか?」
「お二人はすでにお目覚めで、お食事をされておられまする」
「そうなんですか。では、僕もご相伴に預かっても大丈夫ですか?」
「無論にござる。吾がご案内致そう」
「助かります」
レンの先導に従い、部屋を出て、角を何度か曲がる。
まるでダンジョンのように、王宮は広い。
やがてレンは一つの部屋の前で立ち止まった。
「ここにございまする」
レンがそう言って、僕のために扉を開けてくれる。
「どうも」
僕はレンに軽く頭を下げて、部屋に入った。
王宮で人が集まる場所にしては、割とこじんまりした一室だ。
おそらく、公ではなく、私的な会合で使う部屋なのだろう。
ゴテゴテした装飾はなく、シンプルで品の良い調度品が揃えられている。
レンの主の趣味なのだろうか。
先客のナージャとミリアがいるテーブルには、白パンや、スープ、ソーセージやハムといった食事に加え、一口サイズのケーキなどのデザートが並んでいる。
いずれも作法などを特に気にせず食べられるような気楽な料理ばっかりで、庶民の僕たちへの配慮が感じられた。
「あら、ネボスケさんがようやくいらっしゃいましたわ」
ナージャが、僕をからかうように言った。
すでに食事を済ませたらしく、カップから優雅に紅茶っぽい液体をすすっている。
ちなみに、ナージャの衣装は紫のカクテルドレスだ。
「タクみゃさん! タクみゃさん! 食べにゃいと損ですよ! すっごくおいひいです!」
ミリアが、頬いっぱいに食べ物を詰め込みながら言った。
ミリアの衣装はシンプルな白のローブだが、いつもの綿っぽい材質ではなく、シルクのような光沢があることから、質の高さをうかがわせる。
「それは楽しみだな――いただきます」
僕はナージャの向かいの席について、食事を始めた。
「お飲み物はジュースでよろしうござるか?」
「あ、はい。ジュースで大丈夫です」
いつの間にか隣にきていたレンが、僕に給仕をしてくれる。
(うまっ!)
パンは柔らかいし、ハムやソーセージの油は上質で、口に入れた瞬間から溶けていくようだ。
スープには出汁――というよりは西洋風だからフォンドボーだろうか――が効いて深みがある。
デザートは……、僕的にはちょっと甘すぎるのだが、砂糖をふんだんに使っているという意味では贅沢には違いない。
前の食事がゲロまずな鉄角イノシシの肉だったので、久方ぶりのまともな食べ物を前に食欲が抑えきれない。
ミリアほどではないが、僕も若干早食いみたいなあまり品の良くない形で、食事を腹いっぱい詰め込んだ。
「あー、おいしかった」
誰に聞かせるでもなく、素直にそういう感想が漏れた。
「ふふー。ご満足して頂けましたー?」
と、僕の背中に話しかけてくる誰かの甘ったるい声。
「あっ、あなたは、玉石の宴の」
振り返った僕は、思わずそう声を上げる。
僕たちとは違う入り口――つまり、王宮の奥まった所から登場した女性に、僕は見覚えがあった。
先日のパーティで僕が貴族だと勘違いされて困っていた時に助けてくれた人だ。
名前は……、確かフロルさんだったか。
「はいー。お久しぶりですねー。吟遊詩人さん」
フロルさんはにこやかに手を振って応える。
「なんと。主とタクマ殿は面識がおありでござったか」
膝立ちの姿勢になったレンが驚いたように言う。
「はい。先日は大変お世話になりました。フロル様のおかげで大事なく切り抜けることができました」
僕は椅子から立ち上がって、フロルさんに深く頭を下げた。
「タクマ! 王族の方々の名前を直接口にするのは無礼ですわよ。殿下とお呼びなさい!」
ミリアも、同じような姿勢になって、ガチガチに緊張していた。
「そうなんだ。すみません。殿下。何分、卑しい庶民なもので」
とりあえず、ナージャたちと同じような格好で謝っておく。
「いえー。構いませんよー。なんだったら、気軽にフロルちゃん、とでもお呼びくださいー。あ、でも、姓の方の『カリギュラ』は響きがかわいくないのでダメですー」
フロルさんは、お茶目にそう言って僕を許した。
彼女は、本当に貴族なのか、と疑いたくなるほど親しみやすい雰囲気を放っている。
でも、その言葉を額面通りに受け取るのは怖すぎた。
少なくとも彼女は大貴族すら取り潰せる権力を持っているのだから、庶民の僕など息をするように殺せるだろう。
「主、お三方もお忙しい身の上故、そろそろ」
レンが控えめに口を挟んだ。
「そうでしたねー。では、皆さん、まずは楽にしてくださいー。お茶でも飲みながらお話しましょうー」
フロルさんが手振りで着席を勧める。
僕たちはそれに従って、席についた。
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