第59話 決着

 カリギュラの街中。


 僕たちは物陰に身を潜めていた。


 時間は夜。


 空には三日月が昇ってる。


 冬の気配を感じさせる涼風が、じんわりと僕の身体に浸透してくる。


 視線の先にあるのは、『止まり木のユーベル』という名の一見普通の宿屋だ。


 客引きなどもおらず、そうと言われなければ、娼館だと分からないような品のある佇まいをしている。


「見張りは三人、か」


 僕は小声で呟く。


 僕は男たちを見遣る。


 娼館の入り口から少し離れた所で建物に寄りかかる彼らは、手持無沙汰に酒を回し飲みしていた。


「探索者が一人。戦士が一人。魔法使いが一人。オーソドックスな編成ですわ。いずれもレベルは20前後といったところですわね」


 ナージャが僕に耳打ちした。


「あっ。レンさんが来ましたよ」


 ミリアが指さす。


 街灯の光が作り出す影を縫うように、レンが男たちに接近していく。


「ナージャ。この距離でもレンの会話を聞き取れる?」


「当然、できますわよ」


 ナージャが頷く。


 僕たちではさすがに聞き取れない距離だが、探索者の彼女ならば可能らしい。


「じゃあ、会話を実況してよ。状況を把握しないといけないから」


「仕方ないですわね」


 ナージャが渋々頷く。


「御免。クロービ様は中におられるか」


 レンが男たちにそう話かける。


「あんたか。ああ。vipルームで今頃ばっちりお楽しみ中だろうぜ」


「なるほど。vipルームでござるな」


 レンが娼館の一部屋をじっと見つめる。


 視線で僕たちにクロービの居所を示しているのだ。


「おうよ。なんだったら、お前も俺と遊ぶか?」


「へへっ。ロリコンかよ」


 男たちがレンに対して下世話な冗談を飛ばす。


 ちなみに、ナージャの演技が中々上手い。


 っていうか、主が主だけあって、部下の質もアレだな。


「職務中でござる故、遠慮し申す。それよりも、クロービ様の御身に危険が迫っているとの情報を入手した故、是非ご協力願いたい」


 レンは生真面目にそう答えて頭を下げた。


「危険だあ? 何絡みだ。政治系のは御免だぞ」


 魔法使い風の男がうっとうしそうに呟いた。


「政治絡みではござらん。クロービ様と昵懇になられた女性が、私怨で危害を加えんと、暴漢を雇ったようでござる。娼館を襲撃するとの話もある故、吾としては未然に防ぎたくござる」


 レンがもっともらしく言う。


「おいおい。またかよ」


 戦士らしき男が、うんざりしたように言った。


「最近で大将がしたおイタっつうと、なんだ。あの飯屋の娘か?」


「いや、床屋の若女将かもしれねえな」


 探索者と魔法使いの男がそう囁き合う。


 男たちは全く疑う様子もなく、レンの話を信じたようだ。


 全く日頃の行いって重要だな。


「急ぎ故、依頼者までは分かり申さぬ」


「んで、お前は俺たちにどうして欲しいって言うんだ?」


「暴漢を捜索するため、探索者のカイル殿をお貸し願いたい。残りのお二人は、入れ違いで襲撃に遭った場合に備え、そのまま待機を」


「ちっ。あと少しで見張りの交替だってのについてないぜ。しゃあねえな。お楽しみ中を邪魔されると、大将はめちゃくちゃ機嫌悪くなって俺たちにあたるしな」


 レンに呼びかけられた探索者の男が、渋々といった様子でレンに従って、その場を離脱する。


 これで襲撃を察知される可能性がなくなり、だいぶ僕たちが動きやすくなった。


「では、いきますわよ」


 ナージャが、闇夜に紛れて、足下にあった細いワイヤーを引く。


 ドンガラガッシャン!


 瞬間、娼館から通り一つ挟んだ裏路地から、大きな音が立つ。


 ナージャが事前に仕掛けておいた、物置用の箱を積み崩すトラップだ。


「お、おい! 何の音だ!?」


「まさか襲撃者か!?」


「なあ、お前見てこいよ!」


「いや! お前が行けよ!」


「嫌だよ! もし相手が戦士系だったら、俺が不利だろうが!」


「んなこと言ったら、相手が魔法使い系だったら、俺が危ねえだろうが!」


「はあ……。二人でいくか」


「……そうだな」


 二人はそう頷き合うと、小走りで状況を確認に向かう。


「今ですわ! 行きますわよ!」


「ミリア。僕が抱きかかえてもいい?」


「す、すみません! ご迷惑おかけします!」


 僕たちはその隙を逃さず、娼館の裏手に回り込む。


 探索者でレベル30のナージャとレベル40を超えている僕の速さは、警備についている二人よりはかなり上だ。


 鉤縄を引っ掛けて、ナージャがするすると娼館の屋根へ登っていく。


 僕たちもその後に続いた。


 ダンジョン探索でこの手の上り下りには慣れているので、ここら辺は手慣れたものだ。


「ええっと、入り口は――」


 屋根に耳をぴったりとくっつけたナージャが、拳でノックしながら音を探っていく。


「ありましたわ!」


 ナージャはそう言ってほほ笑むと、レイピアを屋根の隙間に挿しこむ。


 そのまま、テコの原理でレイピアの柄を押すと、屋根が45度くらいの角度で開いた。


「潜ろう! 見張りが戻ってくるといけないから!」


「はい!」


 僕たちは、天井裏に身体を滑り込ませて、屋根を閉じる。


 確かにそこには、四つん這いになってようやく進めるくらいの高さの通路があった。


 どこからか、たかれた香の甘ったるい匂いが漂ってくる。


「先ほどのレンが示していた位置を考えると……、ここですわね」


 ナージャはそう言うと、僕たちが入ってきた所から、匍匐前進ほふくぜんしんで数歩の位置で止まる。


 やはり、vipルームだけあって、一番逃げやすい位置に配置されているらしい。


「あのお。今更なんですけど、私って必要ありましたか? 皆さんにご迷惑かけただけじゃ……」


 ミリアが言いづらそうに口を開いた。


「必要ありますわよ。そのままvipルームの脱出用の天井扉を開けたらバレますから、この各部屋に通じている排気口に潜らなければなりません。それができるのは、小柄なミリアだけですわ。クロービの所在を確認するのも、vipルームにタクマの持っているホースを配置するのも、あなたの手にかかっているのですから」


 ナージャは、ピッキングツールを使って、天井下の板を外しながら言う。


 確かに座布団一枚ほどの広さもないその空間に、僕かナージャが入るのは厳しそうだ。


「そうなんですか! 頑張ります!」


 ミリアが小さくガッツポーズして意気込む。


「その意気ですわ。大丈夫だとは思いますけど、ホースから魔法が漏れてもいけませんから、一応、これをつけておきなさいな」


 ナージャはそう言って、ポーチから取り出したハンカチを三角に折り、マスクの様にミリアの頭の後ろで結んだ。


「ありがとうございます」


「効果あるの?」


「ありますわよ。ダンジョンでは煙系のトラップがある所も多いんですから、常に対策は心がけてますわ」


「さすがだね。じゃあ、片っぽの端は僕が持っているから、お願いできるかな? 中にちゃんとクロービがいて、僕が魔法を使っても大丈夫そうな準備ができたら、ホースを二回引っ張って知らせて。ちゃんと魔法の効果があって、クロービが眠ったら、四回引っ張って欲しい。何かトラブルがあったら、三回で」


「任せてください! 狭い所は故郷の坑道で慣れてますから!」


 ミリアはホースを持って、排気口に突入していく。


 その言葉通り、さすがドワーフだけあって、巧みに身体をねじ込んで、通路の奥へと姿を消した。


 二、三分もしない内に、ホースに二回、反応があった。


「じゃあ、始めようか。『スリープクラウド』」


 僕はホースに睡眠効果のある霧を流し込む。


 あまり急に噴射するとバレるかもしれないので、勢いは控えめだ。


 ……。


 ……。


 十分ほど経って、今度は四回、ホースに反応があった。


「ふう。これで一安心ですわね」


 ナージャが小さく息を吐き出す。


「そうだね。後は持久戦か」


「レンが言うところの『高貴な御方』がクロービ一族の不正の証拠を精査して、逮捕の確証を得るまで、まだ半日くらいかかるんでしたわね」


「うん。頑張ろう」


 国の正式な人間がクロービを捕まえにくるまで、僕は彼の睡眠状態を維持しなければならない。


 魔法自体の精神力の消費は大したことはないが、ダンジョンでちょっと仮眠をとったくらいでろくに休んでないので、疲労は蓄積している。


「まあ、ダンジョンと違ってモンスターに襲われる心配もないし、気楽なものです――」


 呑気に欠伸をしかけたナージャがぴたりと固まる。


「どうしたの?」


「や、やつが近づいて来ますわ!」


 ナージャが唐突に声を震わせて、僕の背中にぎゅっと抱き着いてくる。


「奴!? なにそれ。敵!? まさか僕たちの存在がバレた?」


「ち、違いますわよ! ア、アレですわよ! 口にするのもおぞましい、茶色かったり、黒かったり、生ごみを大好物にしてる、あの悪魔ですわよ!」


「もしかして、キーゴリ?」


 僕は推測を口にした。


 キーゴリとは、異世界版のゴキブリである。


 基本的なフォルムは地球のものと同じだが、触覚が4本、足は16本あり、グロさは若干、増している。


 テルマさんの家は清潔にしているから出ないが、道中の水路近くでは二日に一回くらいの頻度で見る。


「その名前を口に出さないでくださいまし! 肌がぞわっとしますわ!」


 ナージャが僕をさらに強く抱きしめる。


「怖いの? 意外だな。ダンジョンには虫型のモンスターもいるし、あれに比べればキーゴリなんてかわいいものじゃない」


「それとこれとは話が別ですのよ!」


「そういうものかなあ」


 基準がよく分からない。


 少なくとも僕はダンジョンのモンスターの方がずっと怖い。


「いいから、早く何とかしてくださいまし! このままミリアの所にまで行ったら、彼女がびっくりして暴れて作戦が台無しになってしまうかもしれませんわよ!」


 ナージャが必死な様子でそう訴えてくる。


 ミリアはああ見えて、生活力という意味ではしぶといので、キーゴリは平気だと思う。


 でもまあ、かわいそうなので対処しよう。


「わかったわかった。『ポイズン』」


 僕たちの周りの空間をバリアのように毒で囲う。


 残留型の魔法なので、一定時間効果を維持できるから便利だ。


 今のだと、一時間くらいはもつだろうか。


 カサカサカサ。


 カサカサカサ。


 ポトッ。


 無謀にも突っ込んできたキーゴリがひっくり返って絶命する。


 あっ。置き土産に赤ちゃん的なアレが――。


「ぬっひいっ!」


 その光景を目撃してしまったナージャはこの世のものとは思えない奇怪な声を漏らす。


「『ウインド』。ほら、もう大丈夫ですよ」


 僕はキーゴリを遠くに吹き飛ばす。


「ふう。今ほどタクマに感謝したことはありませんわ。一家に一人欲しいところですわね」


「はいはい。それより、離れてよ。娼館で女の人に抱き着かれていると、なんかいかがわしい感じになっちゃうから」


 僕は間近にナージャの吐息と体温を感じながら呟く。


「あら。ワタクシを意識してますの? お可愛らしい」


 ナージャが調子に乗って、指で僕の顎をなぞってくる。


「ウインドでキーゴリの死骸を呼び戻してもいい?」


 大事な任務中に悪ふざけするナージャにちょっとイラっとした僕は、ついそんなことを言ってしまう。


「少々お遊びが過ぎましたわ。反省しております」


 ナージャがさっと離れていく。


 そんなこんなで、キーゴリが出たこと以外はさしたる大きな問題もなく、ただ時は過ぎていく。


 そして、何時間経っただろう。


 排気口からもぞもぞとミリアが這い出してくる。


「タクマさん! やりました!」


 ミリアが声を抑えるのも忘れて、嬉しそうに叫ぶ。


「本当!? じゃあ、クロービは――」


「はい! 眠ったまま国の兵士の人に連行されていきました! あっ――その前に、ちゃんと契約書も何か魔法使いみたいな人が真っ白に戻してましたから、レンさんももう大丈夫だと思います!」


 ミリアが興奮したようにまくしたてる。


「結局、契約書はどこに隠してあったんですの?」


「ふふっ。そ、それがですね。カツラの下に縫い付けてあったみたいです!」


 ナージャの質問に、ミリアが笑いをこらえながら答えた。


「ぷっ。くく! それは傑作ですわね!」


 ナージャが眠たげな目を擦って失笑する。


 確かに、クロービにとっては一番、肌身離さず、しかも忘れることもない隠し場所だっただろう。


「ふう。とにかく、これで一件落着かな?」


「そのようですわね! レンがこちらに近づいてきてますわ!」


 ナージャがそう言った直後、僕たちが入ってきた屋根がパカりと開く。


「皆様方! 全て、無事に終わり申した! まことに今の吾の感謝の心は、言葉では言い表せませぬ!」


 レンが平身低頭して言った。


「うん。無事終わったみたいで良かったよ」


「さあ。さっさとこの狭苦しいところから出ますわよ」


「お腹空きましたー」


 僕たちは脱出路を這って、屋根へと出る。


 昇り始めた朝日が目に染みる。


 でも、綺麗だ。


「吾の主が、是非、居宅に皆様方をお招きしてこの度の件のお礼を直接申し上げたいと仰せでござる。お車の方を用意してござるので、そちらにお乗りくだされ。居宅の方には、客室も用意致しました故、まずはゆっくりお休みになり、疲れを癒やされよ」


 レンは矢継ぎ早に言って、下を指さした。


 通り道に、立派な客車が待機している。


 それを引いてるのは、角の生えたサラブレットのような馬。


 まさか、本物のユニコーンだろうか。


「あの客車の紋章。あなたの主はやはり王家に連なる者でしたのね」


 ナージャが得心がいったという顔で頷く。


「お、王家ですか!? だ、大丈夫なんですか? そんなすごい人に私たちみたいな庶民が会って」


 ミリアがびくびくして言った。


「良いに決まってるでしょう。信賞必罰を明らかにするのは王の仕事ですもの。ワタクシたちの行動は当然称えられてしかるべきですわ」


 ナージャはそう言って胸を張る。


「あの、その前に、冒険者ギルドの人たちや、ミルト商会の人たちに迷惑をかけたので、そういった関係者の人に事情を説明をしたいんですけど」


「関係各所へはすでに手を回しておりますので、その点はご心配めされるな」


 僕の懸念に、レンが一礼して言った。


「そうですか。ご配慮くださりありがとうございます」


「とんでもない。では、早速、参るでござる」


 レンが先導する形で屋根から降りていく。


 いつの間にか、ちゃんとした梯子が設置されていた。


 僕たちも梯子を下りて、客車に乗り込む。


 座席にはふかふかの毛皮が敷かれていた。


「では、出発致す」


 御者になったレンが、ユニコーンの腹を軽く蹴ると、客車が動き出した。


 さすがに地球の自動車ほどではないが、今まで乗ってきたバッロやホーシィーの車に比べると、揺れがかなり少ない。


 もしかしたら、魔法がかかってるか、この客車自体がマジックアイテムかもしれない。


 身体を揺するゆりかごのような心地よいリズムに眠くなってくる。


 それでも僕はなんとか意識を維持しながら、貴族街へと向かっていく車窓からの景色を、達成感と共に眺め続けた。

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