第58話 恩讐

 それから、一日半。


 僕たちは、生存を秘匿するため、誰とも会わないようにダンジョン中を逃げ回った。


 一番大変だったのは、おそらく運び屋さんの報告を受けてルカさんが派遣してくれたであろう、僕たちの捜索隊との遭遇を回避することだった。


 でも、髪を切ったナージャは『このような恥ずかしい頭、誰にも見せられませんわ!』といつも以上に気合を入れて察知しまくったので、ことなきを得た。


 その山を越えれば、後は大したトラブルもなく、時間が過ぎていく。


「うーん。やっぱり、カリギュラのダンジョンのモンスターはおいしくないね」


 魔法の火で焼いた鉄角イノシシの肉を、僕は無理矢理呑み込む。


 金属を含んだ体を持つカリギュラのモンスターは有毒なものが多く、ほとんどが食用に適さない。


 辛うじて食べられるものも、総じて味が苦くて硬くてどうしようもない。調味料もないからなおさらだ。


「後で食べようと思ってベッドの下に入れておいたらいつの間にか忘れてカビてしまった堅パンのような味がします!」


 食いしん坊のミリアも顔をしかめている。


「金貨300枚。金貨300枚。金貨300枚――来ましたわ!」


 不遇の理由を自身に言い聞かせるようにぶつぶつと呟いていたナージャが、ふと顔を上げた。


「来たって、レンが?」


「ええ! この気配、彼女のもので間違いありませんわ!」


 ナージャが手にしていた鉄角イノシシの骨を投げ捨てて立ち上がる。


「わかるの?」


 僕は食事を中断して尋ねた。


「もちろん。彼女、わざとワタクシが識別できるように気配を出しておりますから」


 ナージャがはやる気を抑えるように、脚をパタパタさせながら答える。


「お待たせ申した」


 やがて、音もなくレンが現れる。


「ワタクシのお金は!?」


 ナージャが食い気味に叫んだ。


「こちらでござる。数える時間がなく、正確な枚数は分かりかねるでござるが、少なくとも300枚以上はあることは請け負うでござる。お確かめあれ」


 レンは懐から取り出した革袋をナージャに投げ渡して言う。


「ひい、ふう、みい。……これ、14枚多いですわよ?」


 瞬速で金勘定を終えたナージャが、顔を上げる。


「では、差分はそのままお納めくだされ」


 レンはあっさりと答える。


「よろしいんですの!? 髪を差し上げた甲斐がありましたわ!」


 ナージャは顔全面に喜色を浮かべ、愛おしそうに革袋に頬ずりした。


「それで、肝心のクロービの方は?」


「無事、証拠を発見することができたでござる。タクマ殿たちのおかげで、主命を果たすことができ申した。サルーン家のお取り潰しと、クロービも含めた悪事に加担した者どもに死罪の沙汰が下るのは間違いなきことと思いまする」


 僕の問いに、レンが満足そうに呟く。


「と、いうことは、もう私たち安全ってことですよね? 良かったあ」


 ミリアがほっと胸を撫で下ろす。


「然り。タクマ殿、これだけ世話になっていながら、大変申し上げにくいのでござるが、宝物は今、クロービの手にあるのでござる。それ故、彼の者の身柄が拘束され、財産が没収された後に返却されることとなりまする。今しばらくお待ち頂けませぬか」


「分かりました。特に問題ないんで気にしないでください」


 すまなそうに言うレンに、僕は頷く。


 スマホはあればいいが、絶対なくちゃ困るといったほどでもない。


「寛容なお言葉、痛み入るでござる。代わりといってはなんでござるが、タクマ殿に此度こたびのお礼がしとうござる。と申しても、吾は非力故、大したことはできぬのが心苦しいのでござるが、どうかこれをお納めあれ。吾の愛刀は武器屋に売れば、金貨300枚はくだらぬ代物でござる。」


 レンはそう言って、腰に挿した双剣を鞘ごと僕に差し出してきた。


「いやいや、受け取れませんよ! そんな大切そうな物。そこまでして頂かなくても大丈夫ですよ。クロービからこれ以上因縁をつけられなくなるなら、僕にとってはそれが報酬みたいなものですし」


 僕は手を振って、レンの提案を固辞した。


 彼女がそうか分からないけど、地球の侍的な基準で言うと、刀って命と同じくらい大切なものなのではないだろうか。


「そうおっしゃらずに受け取ってくだされ! 恩に報いることができぬは侠者の恥でございます故」


 レンがそう言って食い下がる。


「やけに必死ですわね。……あなた、もしかして、死ぬつもりですの?」


 ポーチに金貨を詰め込んだナージャがすっと目を細める。


「ナージャ。どういうこと!?」


 穏やかじゃない話に、僕は目を見開いた。


「考えてもみなさいな。いくらクロービが間抜けの無能とは言っても、何の縛りもなしにレンを宝物庫に入れる訳ないでしょう。おそらく、レンが宝物庫の中身を持ち出したら殺すくらいの契約は結んでいるはずですわ」


 ナージャが確信に満ちた口調で言う。


「……これは異なことを。吾は見ての通り、まだ生きているではござらんか」


 レンがその場でジャンプをして、壮健をアピールする。


「契約にもいくつか種類がありますのよ。あなたが結んだのは、契約の相手が認識してから発動を選択できるタイプではなくて? 下衆なクロービのことですから、契約を即時発動させて殺すよりも、『命』を引き換えにあなたを脅して、利益を得る方を好むはずですもの。つまり、今はまだクロービが宝物庫からの持ち出しに気付いていないだけで、バレた瞬間に死よりもひどい目に遭うことは自明ですわ」


 ナージャが、『お見通しだ』といわんばかりに微笑む。


「ふう……。さすがミルト商会のご令嬢。契約には詳しうござるな――左様。確かに、クロービとはそのような契約を結んでござる」


 レンが渋々頷いた。


「ええ!? 大変じゃないですか! その証拠と一緒に契約書も盗み出せなかったんですか?」


「契約書は生命線故、クロービが肌身離さず持っているのでござる」


 レンが首を横に振る。


「うーん。クロービが気付かなかければ契約が発動しないんですよね? なら、あの、こう言っちゃなんですけど、どうせクロービが死刑になるのなら、レンさん自身で殺っちゃおうとは思わなかったんですか? レンさんなら、気付かない内にクロービを殺せるのでは?」


 僕は首を傾げる。


 ナージャの感知をすり抜けられるほどの隠密技術があるのだ。


 クロービの寝首を掻くくらい造作もないだろう。


「法を犯した者は、法によって裁かれるのが常道でござる。国を治むるにはきれいごとばかりでは立ち行かぬとはいえ、闇討ちなどの後ろ暗い手段はやむを得ぬ時のみに用いねば、政道が乱れまする。法を破るは罪であり、罪には罰が下ると、太陽の下に明らかにすることこそ高貴なる方々の務め故」


「えっと、要するに正式な手順を踏んでクロービを裁くことに意味があると?」


「左様」


 レンが頷く。


「はあ。あなたもめんどくさい性格してますわねえ」


 ナージャが呆れたように肩をすくめた。


「ど、ど、どうしましょう! このままじゃ、レンさんが死んじゃいます! どうしたら助けられますか?」


 ミリアがレンを心配そうに見遣る。


「お心遣い感謝致しまする。されど、皆様方には関係なき儀故、どうかお気に召されますな」


 レンは落ち着き払って言った。


 もう覚悟を決めているのだろうか。


 散り際の美学というやつなのかもしれないが、『生きているだけで丸儲け』を信条とする僕にはどうにも納得できない。


「そう言われても、もう関わっちゃったんですから、気になりますよ! 生きられるかもしれないなら、最後まで頑張りましょう! 僕もお手伝いしますから!」


 もちろん、彼女が死んでも、僕たちに責任はないけれど、後味の悪さは絶対に残る。


 人から言わせれば偽善なのかもしれないけど、それでもやっぱり、僕はレンを助けたい。


「ふふ。まあ、このような窮地にある女性を見捨てるような男は、興ざめですわね。ま、ワタクシはタダ働きはしない主義ですけど、少々報酬を多めに貰ってしまいましたし、その分くらいは協力して差し上げてもよろしくてよ?」


 ナージャがどこか愉快そうに言う。


 やっぱり、本質的には彼女はいい人だと思う。


「私も腐ってもヒーラーですから! 一つでも多くの命を救うことが使命です!」


 ミリアが杖をきつく握りしめて叫ぶ。


「皆様方の情け、まことに心に染みわたりまする。されど、このようなご厚情に、どう報いたら良いか――」


 レンは感動の面持ちで瞳に涙を浮かべながらも、まだ逡巡しているようだ。


「ああもう! お礼がどうとかいう話は後でいいじゃないですか! それより、行動です! レンさんはクロービの居場所は把握していますか?」


 僕は少々強引に話を進めた。


 一秒ごとに、レンが死ぬ可能性は高くなっていくのだ。


 今は少しでも時間が惜しい。


「も、もちろんでござる。今頃、クロービは、継承の儀が無事完了した祝いに、市中の娼館で遊興にふけっているはずでござる。今宵はそのままそこに逗留するものかと」


 レンは目を拭い、スイッチを切り替えたようにしっかりと答えた。


「なら、ちょうど都合がいいですわね。貴族街ではなく、市中ならば、タクマの魔法が使えますわ。ああいった店は、いざという時の抜け道が天井裏に用意してありますから、そこから侵入して、睡眠魔法の霧をクロービが滞在している部屋に流し込むのです。後は、クロービを逮捕して、契約書を取り上げて、眠っている内に破棄すれば良いだけです」


 ナージャがテキパキと作戦を立案する。


「うん。僕もナージャの案に賛成。どうですか? レンさん。殺すのではなく、眠らせるのなら問題ありませんよね?」


「無論、問題はござらん。では、吾には、娼館の周りを警護しておるクロービの取り巻きどもの注意を引く役目を仰せつかりたい。タクマ殿とナージャ嬢の姿を見つかっては元も子もない故」


 レンが頷く。


「わかりました。よろしくお願いします」


「タクマ。クロービの部屋に睡眠魔法の霧を流し込むのに、中が空洞になったホースが必要ですわよ」


「あ! さっき食べるために鉄角イノシシを解体しましたよね。あの時に捨てた、腸、洗って使えませんか? モンスターの腸なら、頑丈で長さもあると思うんです!」


 ナージャのアドバイスに、ミリアが思い出したように手を叩く。


「ナイスアイデアだよミリア!」


 僕は先ほど捨てた鉄角イノシシの残骸の中から、腸を引っ張り出す。


 血と排泄物でグロいことになっているそれを、水魔法で念入りに洗浄し、風と火魔法を組み合わせたドライヤーのような風で一気に乾かす。


 やがて、直径5cm、長さ10メートルくらいの立派なホースができた。べちゃっとはしてなくて、ゴムみたいに弾力がある。


 僕は、それをロープのように腰に巻き付ける。


 地球にいた頃なら、色々躊躇していた行動だが、今はあまり抵抗がない。


 僕も随分と異世界の流儀に染まってきた。


「これでよし。さあ、早くダンジョンを出よう!」


「「「はい!」」」


 僕たちは急いでダンジョンを駆け上る。


 ナージャの感知に加え、レンがスキルで僕たちの気配を消しているのか、ほとんどモンスターと遭遇することはなかった。


 こうしてダンジョンから抜け出した僕たちは、クロービが滞在しているという娼館に直行するのだった。


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