第57話 任侠娘

「さあ、起きてくださいまし」


 ナージャが軽く頬を叩いて、少女の覚醒を促す。


「う……む……」


 ゆっくりと少女が目を覚ます。


「お目覚めですの?」


「生きて虜囚の辱めを受けず――」


「どうせそうくるだろうと思いましたわ」


 舌を噛み切ろうとした少女の口に、ナージャはハンカチを突っ込んだ。


「とりあえず、僕たちはあなたを拷問するつもりはないので、安心してください。お互いの未来のために腹を割って、建設的な話をしましょう。あなたの目的が本当に僕たちを殺すことだけなら、どうしようもないですけど、場合によっては協力できるかもしれないですから」


「……」


 少女が頷く。


 ナージャがハンカチを抜いた。 


「……うかがおう」


 少女が小声で呟く。


「では、まずは自己紹介を。ご存じかと思いますが、僕はタクマ=サトウと申します。あなたのお名前を伺っても?」


 僕はしゃがみ込み、少女に視線を合わせて言った。


「……吾はレンと申す。姓はない」


 少女――レンは、そう言って、半信半疑な様子で僕を見る。


「じゃあ、レンさん。まず問いますが、なぜ僕たちを襲ったんですか?」


 一応、確認する。


 ほぼ、99.99%クロービの命令で間違いないが、万が一別件という可能性もある。


主命しゅめい故」


 レンは短く答えた。


「そうですか。……では、僕たちを殺すのに、手段を選んだのは何でですか? 例えば、商会の人を買収して食事に毒を混ぜるとか、運び屋さんの人を人質に取って僕たちが攻撃しにくくするとか、もっと有利にことを運ぶ方法はいくらでもあったはずです」


「吾の侠の道に反するが故」


「侠?」


「弛まず、まつろわず、されど驕らず、弱きを助け、強気を挫き、礼に生き、報恩のために死するも厭わず、ただひたすらに己の武技を極めんとする至誠の生き方にござる。任務と無関係の民草を巻き込むは外道なり」


 レンが強い口調でハキハキと答える。


 ヤクザの言うところの仁義とかのイメージが近だろうか。


 いや、それよりは中国の武侠的な価値観と言った方が正確かもしれない。


「おっしゃる通りなら、その侠の価値観から言って、クロービは到底仕えるに足る主とは思えないんですけど」


「……」


 僕の問いに、レンは無言で答えた。


「もしかして、レンさんの言う『主』はクロービではなく、別にいるのではないですか?」


 僕は疑問形ながら、確信に近い口調で言った。


 クロービの周りを取り巻いていた兵士は、はっきり言って弱そうだった。


 そんな中で、レンの存在は異質だ。


「……お見通しでござったか」


 レンが観念したように瞑目めいもくする。


「やっぱりそうでしたか。……守秘義務とか色々あるとは思いますが、詳しい事情を話して貰えませんか」


「……」


 レンは逡巡するように、僕の顔をじっと見つめる。


「このままだと、僕たちはレンさんを殺すしかなくなります。どのみちこの場で死ねば、主命を果たせなくなるのではないですか?」


 僕は追い打ちをかけた。


 脅したくはないけど、事実そうするしかない。


 兵士の人にレンを突き出しても、貴族がバックにいるんじゃ、すぐ解放されてもおかしくないし。


「ふう。是非もなし、でござるか。……よかろう。恥を忍んでお話し致そう。吾はさる御方の命を受け、サルーン家に潜入する任務を仰せつかった」


 レンは大きく深呼吸一つしてから、やおら口を開いた。


「サルーン家?」


「クロービの本名は、クロービ=サルーン。サルーン家の長男ですわね。サルーン家は最近は勢いがないとはいえ、この国においては七公の内の一つ数えられるくらいの大貴族ですわ」


 ナージャが僕の疑問に答える。


「いかにも。くだんのサルーン家は、その領地にて国法に定められている税率を超え、過剰な負担を民草に押し付けて苦しめているよし。その他にも、不入権を良いことに、禁制の品の交易で得た所得を誤魔化し、私腹を肥やしているとの疑義あり」


「つまり、その疑惑の証拠を掴むため、レンさんはクロービの下に潜入したということですか?」


しかり」


 レンが頷く。


「あ、あの、その貴族さんが悪いっていう証拠を掴むのと、私たちを襲うことと、どう関係があるんですか?」


 ミリアが遠慮がちに尋ねる。


「タクマ殿とナージャ嬢を逆恨みしたクロービは、復讐せんと望んだが、元より吝嗇ケチの上、人望もない故、奴の下にはろくな食客がおらぬ。殺人の法を犯してまで手練れのそなたらを始末しようという気概のある輩となればなおさらでござる。新参者の吾としては、クロービの信を得る貴重な機会故、殺しの頼みを受けざるを得なかったのでござる。本意ではないが、刻限が差し迫っておった故」


 レンはそう言って頭を下げた。


「刻限とは?」


「継承の儀が明日に迫っておるのでござる。クロービがその父より、正式に後継者として認められ、一族の秘密の一切合切も教えられる時が。おそらく、その中には、宝物庫へと入る呪文も含まれているはずでござる」


 レンが神妙な顔で呟いた。


「その中に、不正の証拠があるという訳ですわね。まあ、最低でも裏帳簿くらいはあるでしょう。あのクロービに金の流れを全て頭に入れるほどの知能があるとは思えませんし」


 ナージャが得心したように頷く。


「左様。されど、先日の玉石の宴での一連の不手際により、クロービは父より、大いに不興を買ったのでござる。せめて自分で恥辱の後始末をつけよとどやされて、そなたらを殺して侮られた雪辱を果たすまでは、継承の儀を受けさせぬときつく申し渡されている次第」


 レンが補足するように言った。


 僕らを殺してクロービ一家の名誉は回復するのか?


 まあ、侮られるよりは恐れられる方がマシという考えだろうか。


「つまり、僕たちを殺せば、レンさんはクロービの不正の証拠を手に入れられて、目的を果たせるってことですね」


「然り。そなたらを殺せば、吾は褒美として、宝物庫の守り人となれる契約をクロービと交わしてござる」


 僕のまとめにレンが深く頷いた。


「ふう。事情は分かりましたけど、どうしますの? まさか、ワタクシたちがレンのために殺されてやる訳にもいかないでしょう」


 ナージャが眉間にしわを寄せ、肩をすくめる。


「うーん。そりゃ無理だよね……。そういえば、僕たちを殺した証拠ってどうするんですか。死体でも持っていくんです?」


「いくら貴族とはいえども、死体を二つダンジョンから運び出して、貴族街まで運ぶのは隠すのが難しううござる。発見される危険性を考えれば、それは無用な冒険。死体の代わりに吾が申しつけられているのは、タクマ殿とナージャ嬢の大切なものを奪ってくることでござる」


 レンはそう言って、僕とナージャに視線を遣る。


「僕の大切なもの?」


 僕が考える大切なものといえば、現状だと自分の命と、テルマさんとミリアとナージャといった仲間ということになるだろうが、どうやらそういうことではなさそうだ。


「例のマジックアイテムの宝物でござる」


「ああ。これのことですか?」


 僕はスマホを取り出した。


「まさしく」


「なんだ。それなら何も問題もないですね。僕がこれをレンさんに貸せばいいだけです」


 僕は拍子抜けして言った。


 指とか舌とか言われたら断るが、スマホなら許容範囲だ。


「まことでござるか!?」


 レンが瞳を輝かせて、興奮気味に尋ねてくる。


「はい。だって、僕たちが儀式が終わる明日までダンジョンに潜伏していれば、バレようがないですから。その間にレンさんが宝物庫に侵入する機会を得て、証拠を押さえれば万事解決です。もちろん、僕たちに累が及ばないように後処理はしてもらえることが前提ですけど」


 仮にここでレンを殺したとしても、クロービの僕たちに対する恨みが消える訳ではないので、第二、第三の刺客がやってくる可能性は否定できない。


 それならば、レンに協力して、クロービ一家そのものを何とかしてもらった方がいいはずだ。


「もちろんでござる! 吾の主人は気配りの行き届いたお人故! されど、よろしいのでござるか? 宝物でござろう?」


 レンは信じられないのか、何度も念を押してくる。


「まあ、貴重は貴重ですけど、人命に換えられるほどではないので」


 僕はきっぱりと言った。


「タクマ殿は大物でござるな……」


 レンは感心したように言った。


「そうなんです! タクマさんはすごいんです!」


 なぜかミリアが嬉しそうな声を上げる。


 もちろん、僕は全く大物ではなく、むしろ小物だ。


 少なくともスマホの件に関しては、単純に異世界と地球の価値ギャップに過ぎないが、それは説明できない。


「ミリア、お世辞はいいから……。それより、僕はいいとして、ナージャにも大切な物を貸してもらえるか交渉したらどうですか?」


 僕はレンにそう促す。


「はあ。まあ、場合によっては協力して差し上げなくもないですわよ。それで、ワタクシの大切な物とはなんですの?」


御髪おぐしでござる」


「は? 今何とおっしゃいまして?」


 ナージャが固まる。


「ナージャ嬢のその美しい金髪を頂戴仕りたい」


 レンが厳かに繰り返した。


「ダメ! ダメ! ダメ! ダメに決まってるでしょう! 絶対に嫌ですわ! 髪は女の命ですのよ!」


 ナージャはきつく腕組みして、首を全力で横に振る。


「そこを何とかお頼み申す! 吾の主人と天下万民のために、何卒! 何卒!」


 レンが何度も床に額を擦り付けて、ナージャに頼みまくる。


「嫌ったら嫌ですわ! 大してよく知りもしないあなたと、見たこともない誰かさんのために何でワタクシが大切な髪を捧げなくてはいけませんの!」


 それでもナージャは頑なだった。


 僕からすれば『髪くらいいいじゃん』と思ってしまうけど、美しいことはナージャが彼女自身に課した存在理由そのものなところがあるからなあ。


 ナージャにとっては、命と同じくらい大切なのかもしれない。


「まあまあ。ナージャさん。髪ならまた生えてくるし、いいじゃないですか」


 って、ミリア、言っちゃったよ。


「もしショートにしたら、今の長さになるまで三年はかかりますのよ!? ワタクシの気持ちが分からないなんて、あなたそれでも女ですの!?」


 ナージャが激怒してミリアを難詰する。


「その点は心配には及びませぬ、ナージャ嬢ならば、魔法の毛生え薬があることをご存じでありましょう。あれを使えば、一か月程度で元通りになりまする」


 レンがフォローするように言った。


「かなり貴重な薬でしょう! だから、現にあの豚貴族ですら入手できずに、かつらをつけていたではありませんか!」


 ナージャが反駁する。


「詳しくは申し上げられませぬが、吾の主はクロービとは比較にならぬほど高貴な御方。貴重な薬も手に入りまする」


 レンが自信ありげにそう断言する。


「本当ですの? だとしても、ワタクシの髪は安くありませんわよ」


「いかほどをお望みか?」


「そうですわね。ワタクシの最大の魅力の一つを奪うのですから、金貨1000枚は頂きませんと」


 ナージャが気取った様子で言い放った。


 いやいや、いくら交渉術とはいえ吹っ掛けすぎじゃない?


「ぐっ、さすがにそれは約束できかねまする。……金貨300枚までなら確約できるのでござるが」


 レンが苦しげに言った。


「は? できるんですの? 300枚」


 日頃はポーカーフェイスのナージャがポカンと口を開ける。


「吾の活動資金の範囲内でござるから、間違いなく」


 レンが即答する。


「仕方ないですわね! 人助けです! 涙を呑んで、この髪、お譲りしますわ!」


 ナージャがわざとらし泣き真似をして言う。


「ナージャ……」


「ナージャさん」


「何ですの!?  何か文句ありますの!?」


 僕たちの物言いたげな視線を、ナージャは腰に手を当ててはね返す。


「いえ。感謝しかござらぬ。本当に譲って頂けるのござるか?」


「ええ。女に二言はございませんわ。ですが、今までの話は全てあなたを信用できる前提で話しております。解き放った途端、あなたが裏切って、仲間を引き連れてワタクシたちを殺しにこないと、どうして保証できて? そこまで悪質ではなくとも、報酬はその場しのぎの口約束で実際に支払われないという可能性は十分にありますわ」


 ナージャは慎重に言った。


 確かに、最悪の状況を想定すれば、ナージャの懸念は正しい。


「もっともなご心配でござる。しからば、吾を契約で縛られよ。約束を違えれば、死する約定で構いませぬ。商会出のナージャ嬢ならば容易きことかと存じまするが」


 レンは真剣な表情でそう申し出た。


「よろしいですわ。契約致しましょう。盟約の神ガルナタスよ――」


 ナージャは、先ほどレンの口に突っ込んでいたハンカチを広げる。


 それから、前にテルマさんがしていたのと同じような呪文唱えながら、レイピアの先端で親指をチクリと刺し、ハンカチに血文字を書く。


 さらに、ナージャは縛られてるレンの親指も同様にレイピアで刺した。


「盟約の神ガルナタスと至誠の侠神に誓って、約定を守ろう」


 レンは縛られたままでも、器用に親指を動かして血文字を書く。


「ふう。ようやく話がまとまったね」


 契約が無事終わるのを見届けてから、僕はレンの縛めを解くのだった。

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