第52話 星空の下で

「……ふう。疲れた」


 貴族街の外に出て、ようやく僕は一息つくことができた。


 やっぱり僕は根っからの庶民のようだ。


「ふふふ、うふふふふ! あははははは!」


 ナージャが星の瞬く夜空を見上げて、唐突に笑いだす。


「どうしたんですか、急に」


「だって、これが笑わずにいられますか!? あの時のクロービの顔! 全身汗まみれで、死にかけの豚みたいな声をあげて! 惨めったらしくて、最高の見世物でしたわ!」


 ナージャは興奮が収まらないのが、腹を抱えて笑い続けた。


「ひどいなあ。僕は必死で頑張ったのに、ナージャさんは高みの見物でお楽しみなんて」


「ええ。正直、驚きましたわ。タクマが暴力に頼らず、教養とユーモアであんなに上手いこと貴族を打ちのめすなんて思ってもみませんでしたもの! 本当に痛快でした! 感謝して差し上げます!」


 ナージャは尊大に言って、僕の肩を叩いた。


「打ちのめす? 僕としては平和的に解決したつもりだったんですが……」


 僕としては日本人らしい玉虫色の解決で、上手いことうやむやにしたつもりだったのに。


「何を言ってるんですの! タクマはあの豚を没落した名家の役をやらさせて、音楽と歌で煽り倒していたではありませんか!」


「いや、あれは成り行きっていうか、わざとじゃなくて……。もしかして、僕、あの人を侮辱した感じになってます?」


 僕は即興で一応、筋の通る物語を作ることに集中していただけで、特にクロービを貶めたい訳ではなかったのだが。


「侮辱どころか、顔に排泄物を塗りたくって、股間に蹴りを入れた上で、淡を吐きかけたような感じですわね」


 ナージャが真顔に戻って言った。


「ま、まあ、でも、宴会でのことですし、そんなに大したことじゃないですよね?」


 僕は希望を込めてナージャにそう問いかける。


「大したことありますわよ。貴族は評判で生きているんですのよ? 庶民のタクマにいいようにあしらわれて、あのような醜態をさらせば、悪評は瞬く間に広まります。ろくな縁談もこないでしょうし、廃嫡もあり得るでしょう。貴族にとっては死んだも同然ですわ!」


 ナージャが道端の石ころを思いっきり蹴飛ばして言う。


「……もしかして僕が普通に決闘を受けていた方がよかったんでしょうか?」


「それはないですわね。あの場で決闘してクロービを傷つけていたら、ワタクシたちは貴族有利の不当な裁判にかけられていた可能性が高いですわ。架空の物語で揶揄して口撃するタクマのやり方が意趣返しとしてはベストな選択ですわよ。クロービを直接侮辱したのでなければ、罪には問われませんもの」


 ナージャは首を横に振って、僕の懸念をきっぱりと否定する。


「そうですか……。なら、あれで良かったんですかね」


 僕はクロービを殺そうとまでは思わないが、それでもあの態度を快く思っていた訳ではない。


 横暴な振る舞いに対して仕返しができたのなら、それはそれでよかったと思うことにしよう。


 もう終わったことだし、今からあれこれ考えても仕方ない。


「でも、せっかくの玉石の宴でしたのに、早めに切り上げることになって不完全燃焼です! 全然、遊び足りませんわ! タクマ、踊りましょう!」


 ナージャが興奮冷めやらぬ様子で、優雅に手を差し出してきた。


「ええ!? 天下の往来でですか!? そもそも僕、踊りなんてできませんよ!」


 僕の踊りの経験といえば、学校のダンスの授業でフォークダンスをちょろっと習ったことがあるくらい。


 しかも、あの時は僕は身体が弱かったので、ろくに参加できなかった。


 いくら『生きているだけで丸儲け』のおかげで身体能力は上昇しているといっても、ダンスのセンスが一朝一夕に身に着くはずもない。


「そんなこと言って。音楽に対する造形の深さといい、即興であれだけの物語を捻りだす教養といい、タクマ、あなた本当はいい所の生まれじゃないですの? なら、踊りくらいはお手のものでしょう」


「いえいえ! ナージャさんまで根も葉もない噂を信じないでくださいよ! 僕は生まれも育ちもド庶民ですよ!」


 僕は首をぶんぶん横に振って言った。


「本当ですの? なら、しょうがないですわね――」


 瞬間、目を見開いたナージャが、回避不能な素早さで僕の腕を引き寄せる。


「んむっ!?」


 甘い香りと共に唇に押し付けられる柔らかい感触に、僕は目を見開いた。


「こう見えて、唇同士の口づけは初めてですのよ。責任とってくださいますわよね。あなた・・・?」


 ナージャは僕からそっと顔を離すと、おどけた様子で言って、可愛らしく小首を傾げる。


「け、『傾国』の言葉をそのまま信用しろっていうんですか?」


 僕は内心の動揺を押し隠して、そう反論する。


「あら、先ほど、『噂を信じないでください』とおっしゃったのはどなたですの? 『女殺』さん」


 余裕の微笑みを浮かべ、切り返してくるナージャ。


「うぐっ。そう言われると返す言葉がないです」


 僕は敗北を認めて頭を垂れた。


 僕の『女殺』の二つ名が必ずしも実態を反映していないように、少なくとも『傾国』と評判されるほど、ナージャがひどい人間ではないことは、これまででの付き合いでも明らかだ。


 彼女が外見に反して貞淑だという主張も、明確に否定する根拠はない。


「ふふふ。年下はないと思っておりましたけれど、理想の男性を自分で育てるというのも悪くはありませんわね。ワタクシが教えて差し上げますわ。踊りも恋も。手取り足取り」


「お手柔らかにお願いします」


 僕はナージャから学ぶことが多い。


 刺激的、と表現すればいいのだろうか。


 日本にいた時は、堅実に生きている人々に囲まれていて、彼女みたいなタイプの女性は周りにいなかった。もちろん、母も、優しくしてくれた看護師さんたちも裏では色々あったのかもしれないけど、少なくても表面上は、僕に接してくれた女性たちは色んな意味で『正しい』人たちだった。


 でも、この異世界ではそうもいかないだろう。世間を上手く渡っていく上では、ナージャのようないい意味で曲者くせものな人たちとの付き合い方も、学んでいかなくてはいけない。


「では、まずはその堅苦しい言葉遣いから直してくださいまし。レッスンその1です」


 ナージャはそう言って、僕の上顎うわあごに人差し指を押し付けてきた。


「ナージャさんの方がきちんとした話し方をされているのにですか?」


「ワタクシはどなたに対しても同じ言葉遣いでしょう。でも、あなたはミリアにも受付の娘にももっとフランクな言葉遣いで話しかけているではないですか。それは不公平というものではなくて?」


 ナージャはそう言って、可愛らしく唇を尖らせる。


「……ふう。わかったよ。ナージャ」


 僕は観念してそう呟く。


 ナージャの方が年上っぽいので敬語を使っていたが、確かに距離を縮めるには仲間内で対応に差があるのはよくないかもしれない。


「よろしいですわ。さあ、踊りましょう」


 右足を一歩引き、気取った様子で一礼するナージャ。


「足を踏んでも怒らないでね」


 僕はそう前置きしてから、彼女の手を取る。


 星明りの下、ぎこちないステップを刻む僕たち。


 上手く言葉にはできないけれど、この晩、僕はナージャと本当の意味でのパーティになれた気がした。



==============あとがき================

拙作をお読みくださり、まことにありがとうございます。

ナージャちゃんと距離が縮まりました。

もし「続きが読みたい」、「やっぱりお嬢様キャラは最高だぜ」などと思って頂けましたら、★やお気に入り登録などの形で応援して頂けると嬉しいです。

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