第51話 フーガ

「庶民の分際で、我をたばかるとはいい度胸だ。娘」


 クロービがこめかみに青筋を浮かべながら、ナージャの腕をきつく掴む。


「そういうつもりではございませんでしたけれど、誤解を与えたようならごめんあそばせ」


 ナージャが瞳に涙を浮かべ、掠れた声で呟く。


 100%と演技だ。


 本気を出せば、ナージャの素早さなら余裕でクロービをいなせるはずだし、そもそも彼女はこの程度でびびるような柔な根性はしていない。


 では、何故、抵抗しないかといえば、身分差があるからだろう。


 庶民のナージャが、貴族のクロービを傷つける訳にはいかないのだ。


「誤解、誤解か。ならば、今度は誤解のないようにYESかNOで答えろ! 我と一夜を共にするか否か!」


 クロービが大声で喚く。


 ナージャのことが好きというよりは、自身のプライドを守るために意固地になってるという感じだ。


「お戯れを。今日はお家の行く末を占う、重要な出会いの宴ではございませんか。どうかワタクシのような端女に構われず、もっと高貴な方々をお誘いくださいますよう」


 ナージャがもっともらしく言う。


「ふん。庶民風情が余計な、気を回すんじゃない! 我ほどの身分になれば、側室の一人や二人、いて当たり前なのだ! だから、大人しく我のモノになるが良い!」


 クロービがいやらしい笑みを浮かべて、ナージャを引き寄せる。


 明らかにマナー違反どころの騒ぎじゃないと思うが、周辺に侍っている警備の衛士たちは動かない。


 他の貴族っぽい人たちも、誰もナージャを庇おうとしないところをみると、クロービはそれなりに名のある家柄なのだろうか。


 それとも、庶民の娘などは庇う価値がないと考えているのだろうか。


 どちらにしろ、理不尽な話だ。


「お待たせしました、マイレディ、ご注文の飲み物をお持ちしました――おや、どうか致しましたか?」


 僕は会話に乱入する口実代わりのグラスをメイドから受け取って、ナージャとクロービの間に割って入る。


「ああ、あなた・・・!」


 ナージャがひまわりのような笑顔を浮かべ、明らかにただの二人称ではない親しげなニュアンスで僕を呼んだ。


 飲み物を受け取った彼女は、尋常じゃない素早さで僕の後ろに隠れて盾にする。


 そういえば、ナージャとの出会いは始めからこんな感じだった。


(オンラインゲームでいえば、完全にMPKだよな。これ)


 心の中で苦笑するが、今回ばかりは僕に不満はない。


 そもそも今ナージャがクロービに絡まれているのは、彼女がダンジョンの一件でパーティ全体を守るために頑張ってくれたせいだ。


 ならば、僕にも責任の一端はあるし、今度はパーティの一員として、僕が彼女を助ける番だろう。


「なんのつもりだ! すっこんでいろ! ハリネズミ男! 我はそこの女に用があるのだ!」


 クロービが目を血走らせて僕を睨む。


「そういう訳には参りません。僕とて愛のうたを紡いで、糧を得る吟遊詩人。他のあらゆることで貴族様に敵わないまでも、恋の鞘当てだけは敗れる訳にはいかないのです。同伴の女性を取られたとあっては、明日からどんな顔をして愛を歌えばよいか分からなくなってしまいます!」


 僕は大仰に芝居がかった口調で言って、深々と腰を折って一礼する。


「ほう。それはつまり、我と決闘したいということか。ハリネズミ男」


 クロービが嗜虐的な笑みを浮かべて呟く。


 というか、本気か?


 クロービのレベルはせいぜい10代の後半、それに対して、僕は40を超えているのに、なんでこんなに自信満々なんだ。


「そんな滅相もない。決闘とは名誉ある貴族の方々同士でなさるもの。僕のような名もなき卑しい身と決闘をなさっても、クロービ様の御名みなが汚れるだけです」


 僕はかしこまって言った。


「男と男の争いには、貴族も平民もないのだ。ましてや今日は、王より貴種と雑種が入り混じることを許された玉石の宴! 無礼講と行こうではないか!」


 クロービは、手近にあった酒の入ったガラスの瓶を割って、即席の武器を作る。


 周囲の空気が凍り付く。


 クロービ様ルールでは、都合のいい時だけ身分差が無効になるらしいが、さすがにそれは貴族一般の常識だという訳ではないらしい。


 っていうか、本当にヤバい人だな。


 こんなに状況把握能力がなくても、貴族という稼業は成り立つのか?


「ふふ、魔法には覚えがあるようだが、この王宮では無意味なことよ。その付け焼刃の鎧で、どこまで我の攻撃に耐えきれるかな?」


 クロービはドヤ顔のキメ顔でそう言った。


(ああ! これ、あれだ! 僕が魔法特化型で近接戦闘が苦手だと勘違いしてるパターンだ)


 このぽっちゃり貴族様の自信の原因を悟る。


 まあ、僕がこれまで敵を屠ってきたのは、圧倒的に武力よりも魔法の力に依ることは事実だ。


 クロービには、僕が『生きているだけで丸儲け』の力によって、平均的にステータスが底上げされているなんて分かるはずがないから、仕方がない面もないではない。


 それでも、普通、冒険者は最悪の状況を想定して動くものだが、クロービは全く逆で、何でも楽観的――というより、自分に都合よく物事が動くと思っているのは頂けない。


(でも、これでもクロービを傷つける訳にはいかないんだろうなあ……やっぱり)


 もし傷つけていいなら、ナージャ自身がとっくにそうしているだろう。


 と、なると、僕に取れる対応策は一つだ。


「なるほど! クロービ様は、僕の余興に協力してくださるおつもりなのですね!」


 僕はすっとぼけてそう言い切った。


「なに? 貴様! 何を訳の分からないことを言っている!」


「さあ! ご観覧の皆様! 高貴な御方が協力してくださる、滅多に見られぬ至高の遁走曲フーガをどうかお楽しみください!」


 僕はクロービが突き出してきたガラス片をさらりとかわして、リュートを抱えて走り出す。


「貴様あ! 馬鹿にしおってええええええ!」


 ブチ切れて追いかけてくるクロービ。


「『貴様あ! 馬鹿にしおってえええええ!』。男の咆哮が茨しがらむ古城に木霊する! 忘れられた旧き王が、罪人の供物を糧に目を覚ます!」


 クロービの声に僕の声を被せ、輪唱っぽくする。


「逃げるか! この卑怯者が!」


「『逃げるか! この卑怯者が!』 王は自身を罵った! 敵は強大! 味方は仮暮らしの蝙蝠とかつて栄光のみ! それでも戦わぬ訳にはいかぬ!」


 語りを交えながら、クロービの罵声を曲に取り込んで、即席でおとぎ話を編み上げる。


 語る言葉とは裏腹に、僕はクロービからつかず離れずの距離で逃げ続ける。


 体力勝負なら、レベル差的に僕がクロービに負けるはずはない。


 会場は広い。


 僕とクロービの一連のやりとりを近くで見ていた人たちは静観を決め込んでいたが、事情を知らない遠くのテーブルの人たちは、本当にそういう出し物だと思ってくれたらしく、陽気に手拍子を始めた。


 聴衆の反応を探りつつ、クロービを舞台装置の一つとみなし、僕はエンターテイメントに徹する。


 さすがに走りながらではろくな曲は弾けないので、披露するレパートリーは単純な童謡の類だ。歌詞はオリジナルである。


 まあ、替え歌みたいな感じだ。


 クロービ自身は鈍重で脅威にはならなかったが、それでも、常に曲を途切れさせることなく、やっつけのストーリーと演出を考えながら、動き回るのは結構きつい。


 時折、魔法の演出も加えるからなおさらだ。


「はっ! はっ! はっ! はっ!」


 ついにクロービが息を切らして、床に手をついてへたりこむ。


 それは、ちょうど会場を四周して、元のナージャたちのいる所に戻ってきたタイミングだった。


「『はっ! はっ! はっ! はっ!』。力を使い果たした男の吐息が、かつて城だった廃墟に立ち上る。ああ王よ! 誇り高き旧き者よ! 汝の志を知るは、今はただ夏草の露のみ!」


 僕はそう慨嘆し、展開した話をまとめてシメる。


「素晴らしい即興劇でしたー! 吟遊詩人さんの儚くも美しい物語と、お二人の迫真の演技に、フロル感動いたしましたー!」


「中々どうして斬新な催しでしたね!」


「さすが玉石の宴はレベルが違いますな!」


 フロルさんが拍手をすると、それに釣られたように周りの人々も僕たちを称える。


「ではー、そろそろ盛り上がって参りましたし、踊りの時間にしましょうかー」


 フロルさんが手を挙げて合図をすると、控えていた宮仕えの楽団が、明るい曲を奏でだす。


 男たちがそれぞれ思い思いの女性を誘って、社交ダンスのような踊りを始めた。


「ご協力ありがとうございました。おかげで素晴らしい演奏ができました」


 僕はうずくまるクロービの前で一礼し、慇懃に言う。


 社交界の初心者の僕にしては、我ながら頑張った方だと思う。


 何とか血を見ずに済んだ。


「けっ、けっとう!」


 クロービは口から醜く唾を飛ばしながら、ようやくその単語だけを喉から捻りだす。


「決闘? 僕としては、決闘を致していたつもりは全くございませんが、どうやらもうダンスの時間のようです。どうしてもとおっしゃるなら、ここは引き分けと致しましょう。――となると、後は当の彼女本人の意思次第だと思います」


 僕は全力でとぼけてそう答えた。


「あなた。ワタクシを一人にしないでくださいまし」


 僕の目の前にそっと手を差し出してくるナージャ。


「どうやら答えは出たようです。……では、失礼」


 僕はその手を取り、踊るふりをしながらその場を離れ、ナージャと一緒に玉石の宴の会場から抜け出した。


 こうして束の間の夢の時間は終わり、僕たちは来た時と同じように、衛士と兵士たちの連携プレーで、貴族街の外へと導かれるのだった。

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