第50話 玉石の宴

 玉石の宴が行われる広間に足を踏み入れた僕は、その豪華さに圧倒される。


 天井には惜しげなく宝石の使われたシャンデリアが吊るされ、丸テーブルの上の四海から集められた美食を照らしている。


 床から壁に至るまでには、精緻な彫金がくまなく施されていた。彫られた人物の人生まで想像できるような技巧。


 娘と談笑する貴族の男が訳知り顔で、床に息づく豪傑無双の英雄に一滴のワインを垂らせば、それは血肉を得たかのように走り出して、壁の怪物と決闘を始めた。


 彫金には魔法が仕込まれているらしい。


 もし地球にこんな施設があったなら、間違いなく世界遺産に認定されているだろう。


 いや、たとえ世界遺産でも、これほどの物は見られないに違いない。


「お飲み物はいかがですか?」


 僕がボーっと突っ立っていると、メイド服を着た給仕の人が飲み物を勧めてくれる。


 彼女の手にしたお盆には高そうな金属の杯がいくつものっていた。


「ノンアルコールのがあればもらえるかな」


 ナージャ曰く、給仕の人に敬語を使うのは逆にマナー違反らしいので、僕はため口でそう言った。


「かしこまりました。こちらをどうぞ」


「ありがとう」


 僕は給仕の人かっら受け取った杯に口をつける。


(! おいしい!)


 僕の知っている飲み物で一番近いのはミックスジュースだが、それ以上の深みがある。


 舌に絡みつくような濃厚さとのど越しの爽やかさを両立した味。


 およそ液体の量に比したら不可能と思えるほどのうま味が凝縮されている。


 おそらく、普通に果物を絞っただけではなく、なんらかのスキルの手が加わっているのは間違いなさそうだ。


(これは料理も期待できそうだな)


 がっつきたくなる気持ちを抑えて、僕はリュートをテーブルに立てかけて、下品にならない程度に、料理を摘まんでいく。


 それらは全て、期待通りの味だった。


 野菜は香高く、肉も魚は熟成されている。


 料理にかかっているソースもすごく手が込んでるが、日本人の僕としては醤油が欲しいなんて贅沢なことを思ってしまった。


「こんばんは。吟遊詩人さん」


「素敵なお衣装ですわね」


 近くで談笑していた貴婦人二人組が僕に話しかけてきた。


「こんばんは。玉石の宴は恋の戦場だと聞き及んでいますので、僕のような初心者は重装備で臨まねば怪我をしてしまいます」


 僕はぎこちなくそう答えて一礼した。


 本当はここら辺の作法をナージャにもうちょっと教えて欲しかった。


 けど結局、彼女は「タクマの場合、適当に丁寧語でキザに振る舞ってれば、『ウブなボウヤが背伸びして頑張っちゃってかわいい!』ってなるから大丈夫ですわよ」と、適当なアドバイスしかしてくれなかった。


 実際、短時間で社交術を身に着けることはできないのだから、仕方のないことではあると思うが。


(っていうか、会場に来ている人たちの平均年齢は僕とそんなに変わらなくない?)


 さすが異世界だけあって、婚姻の平均年齢も低いらしい。


 参加者の中で最も年嵩の者でも、20歳を過ぎるか過ぎないかといった所だ。


 どうやら僕は、黄色人種であることに加えて童顔だからか、年齢よりも若く見られるようだ。


「うふふふふ。おもしろい御方」


「よろしければ、一曲お聞かせ願えませんこと?」


 貴婦人方が上品に笑って言う。


「はい喜んで。どのような曲がよろしいですか?」


 僕はリュートを構え、尋ねる。


 そもそも僕はここに演奏に来たのだ。


 責務を果たさなければ。


「では、恋の歌をお願い致します」


「まあ、楽しみ!」


 貴婦人方が僕を品定めするように見つめてくる。


「分かりました――」


 僕は緊張しながらも、とりあえず、結婚式の入場で良く使われるハッピーでおめでたい系の恋愛曲を演奏し終える。


 最初だから様子見で演出も控えめにして、ギャザーウォターの水で擬似的な蝶を作って飛ばすくらいに留めておいた。


「古典的な典雅さを踏まえつつ、意欲的な挑戦をした素晴らしい曲でしたわ」


 貴婦人の一人が大仰に拍手をする。


 普通のJ―POPだし、論評は適当だと思う。


「どうも。ご清聴くださりありがとうございました」


「このような曲、初めて拝聴しましたわ。吟遊詩人さんの故郷おくにに伝わるお歌でしょうか」


「ええまあ」


 僕は曖昧に笑って誤魔化す。


「まあ! こちらの方からなにやら素敵なお歌が聞こえてまいりましたわ!」


「私たちにも是非、なにか聞かせてくださいまし!」


 別の女性二人が僕の周りに集まってきた。


 彼女たちに求められるがまま、僕は新たに曲を演奏する。


 そんなことを繰り返している内に、さらに僕を取り囲む女性の数が増えていく。


 純粋に演奏の内容が評価されたのだ――と思えるほど、僕は楽天的にはなれなかった。


 だって、取り巻きの中には一人も男性がいないから。


 それどころか、むしろ、男の参加者からは『獲物を取りやがって』的な敵意の視線を向けられている気がする。


(まさか、この人たちは、僕との出会いを求めてるというのか? でも、なぜ?)


 僕はしがない冒険者の一人に過ぎない。


 レベル的には平均より上とはいえ、所詮は不安定なならず者がやる職業に身を置く人間だ。


 他にもっと立場が確実で安定した収入を持つ、大商人や貴族の縁者がいるなか、僕を選ぶメリットはないはずなのに。


「それにしても、吟遊詩人さんは歌のレパートリーが豊富でいらっしゃるのね」


「本当ですわね。ところで、吟遊詩人さんは迷宮での荒事でも大活躍なさったとか」


「私も聞き及んでおりますわ! 是非、その時のお話をうかがいたいものですわね!」


 この口ぶり。


 僕をただの飛び入りの吟遊詩人ではなく、冒険者のタクマだと知った上で話しかけてきているのか?


「……活躍ですか? 僕はそんな大したことはしておりませんよ。ダンジョンの低層でネズミ狩りに勤しむだけの、しがない食い詰め者です。ハリネズミの娘を王女様に変えたソフォス神のような偉業を期待なさっては困ります」


 僕ははにかんで答えた。


「ご謙遜を。なんでも、巷にはびこる人さらいを征伐し、その悪事を暴いたのは、全て吟遊詩人さんのお手柄だとか」


「――確かに、そのようなこともありました。悪事を暴けたのは冒険者ギルドとミルト商会の方々の協力があってこそですが」


 僕は頷いた。


 グースを捕らえたことは事実なので、否定はできない。


「まあ! やはり、本当でしたのね! それでは、悪漢を捕縛した際に振るわれたというマジックアイテムも、実在するのですか!?」


「マジックアイテム?」


 僕は首を傾げた。


 そんな物を所持している覚えはない。


「ええ! 何でも、時と空間をあますことなく写し取ることができる宝具だとか」


「もしかして……これのことをおっしゃっているのですか?」


 僕はポケットからスマホを取り出した。


 充電器の残量も切れ、あれから、毎回恐々、極小威力のライトニングボルトで充電して、どうにかこうにかまだ使えている。


「まあ! まあ! それは何度も使えるマジックアイテムなのですか?」


「ええ。まあ。試しにお撮りしましょうか?」


 興味津々で尋ねてくる女性に僕はそう提案する。


「よろしいんですか? 危険はございませんの?」


「ありませんよ。ほら」


 僕はムービーで取った映像を再生し、話しかけてきた女性に見せる。


「ああ! 本当に私が動いていますわ!」


「記憶を再現する投影魔法は存じ上げてましたけど、人物だけでなく、背景や音までここまで正確に写し取るなんて……。一体、どのような職人の手によるものなのでしょう」


「タクマ様! よろしければ私のことも映して頂けませんか?」


「いえ! それでしたら、私に!」


「騒々しいですわよ! これだから下賤の娘たちは。私、少々この王宮には詳しいんですのよ。よろしければもう少し静かなところで、ゆっくりお話し致しませんこと?」


 みんなの目の色が急に変わった。


 身体を僕の方に乗り出して、露骨にアピールしてくる。


「えっと、あの、皆さん、ちょっと落ち着いてください!」


 僕は困惑気味に両手を広げて彼女たちを制する。


(もしかして、この人たちは僕を高名な貴族の子孫なんじゃないかと勘違いしているのか!?)


 そこで、ようやく僕は、彼女たちが集まってきた訳を把握する。


 なるほど。彼女たちからすれば、異世界人の僕の経歴はいくら探らせても出てこない。


 それなのに、僕は彼女たちが存在すら知らなかったような宝具を所持している。


 しかも、冒険者としてレベル40を超える力を有している。


 この三つの情報を総合し、納得のいく結論を導くと、『タクマ=サトウは高貴な存在の落胤であり、世間の目から隔絶した場所で秘匿されながら高等教育を受けた』ということになるのだろう。


 そういえば、前もマニスの巷で僕が貴族の出なんじゃないかという風の噂を耳にしたが、それも同じような理由で発生したのか。


(それにしてもすごい情報網だな)


 おそらく、ミューレの神官さんか演奏会の参加者経由で出席がバレたのだろうが、昨日の今日でよく僕の存在を嗅ぎつけたものだ。


 それも当然か。


 彼女たちにとって、玉石の宴は、一生を左右する戦場なのだから。


(だけど、困ったな)


 彼女たちが僕が貴族であることを期待しているのだとすれば、それはとんだ見当違いだ。


 僕は、正真正銘のド庶民で、貴族の家柄などではない。


 一生懸命出会いを求めている彼女たちが僕に無駄な時間を割いて、玉石の宴というせっかくの機会を無為にするのは心苦しい。


 かといって、僕を庶民だと証明する方法はない。


 僕が否定すればするほど、彼女たちは逆に本物っぽいと思ってしまうに違いないのだから。


「あらー。皆さん、とっても楽しそうになにを話していらっしゃるんですかー? フロルも混ぜてくださいませー」


 途方に暮れる僕を救ったのは、脳髄がとろけそうなほどに甘い、舌ったらずボイスだった。


「ふ、フロル様。今、こちらの吟遊詩人様に武勇伝をうかがっていたところです」


「は、はい。曲も大変すばらしいので、フロル様も是非、ご一曲リクエストされたらいかがでしょう」


 それまで一切お互いに譲らず、互いに張り合っていた女性たちが、モーセの海割りのごとく道を開ける。


 その彼女たちの行動だけで、今、フロル様と呼ばれている目の前の女性が、別格なのだと悟る。


 その顔は、一言で表現するなら、肉感的な美人といった感じだ。


 はっきりとした目鼻立ちに、葡萄の小粒が載りそうなほどの長いまつ毛、厚みのある唇、口元には小さなほくろが一つ、チャームポイントのように付属している。


 髪はアニメキャラクターのような幻想的な薄い桃色。まるでドレスの一部であるかのように長くサラサラした髪は、床につきそうなほど長い。


 さらに非現実的なのは、その胸だった。


 今まで僕が出会った女性の誰よりも大きい。


 あんまり見ないようにしようと思っても、思わず目がいってしまうような大きさだ。


 着ているドレスも、その場にいる誰よりも豪勢で、裾はおつきの人が持ち上げなければいけないほど長い。


「あらー。それは素敵ですねー。では、吟遊詩人さんー、フロルのために、何か一曲弾いてくださいませんかー?」


「はい。どのような曲にいたしましょう」


「ふふー。それは吟遊詩人さんにお任せしますー。フロルのイメージにぴったりなお歌だと嬉しいですー」


 フロルさんは考え込むように一瞬、唇に人差し指を当てた後、さらっと無茶ぶりしてくる。


「かしこまりました」


 リクエストされるままに一曲弾く。


 チャリティーソングとして作られた、清純で美しく、それでいて切なさも含有している感じの歌だ。


 あまりネタにできるようなタイプの曲ではないので、真面目に歌い上げる。


「――以上です」


「まあー。とっても叙情的なお歌でしたー。ちなみに、曲の中で歌っていらっしゃた『花』とはどのようなお花なのですかー?」


 フロルさんは両手を口の前で合わせて、自然な拍手を送ってくれた。


「それは、人それぞれの解釈があっていいものだと思います」


「なるほどー。なら、フロルの思い浮かべるお花は――」


「フロル様自らお声かけになるなんて、やはりあの御方は相当な身分なのでは」


「私たちでは手が届かないほどの方かもしれませんわね……」


 曲が終わった後、フロルさんと僕がしばらく会話を続けている内に、群れていた女性が自然とはけて行った。


「ふう。ありがとうございました。おかげさまでとても助かりました」


 猛禽のような女性の群れから解放された僕は、フロルさんに深く頭を下げた。


「うふふー。どういたしましてー。ところでー、そろそろお連れの方の所に行って差し上げた方がよろしいかもしれませんねー。あちらも面倒事に巻き込まれていらっしゃるみたいですからー」


 フロルさんは、ちらっと右方を一瞥した後、それだけ言い残し、ふらふらと別の集まりに足を向ける。


「お連れの方って――。あっ!」


 彼女が示した方向に視線を遣った僕は、思わず小さな声を漏らした。


「貴様! 何故、我との約束を無視した!」


「ですから、あの時は、私にはもったいないと申し上げたではありませんの」


 かなり見覚えのある小太りに、ナージャが絡まれている。


 前にダンジョンの内部で遭遇した時よりもかつらが5割増しになってはいるが、あれは間違いなくクロービだ。


 っていうか、彼この宴に参加できるくらい若かったのか。


 てっきり30代後半くらいだと思っていた。


 そのままにしておく訳にもいかず、僕は、早足で彼女の下に向かった。

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