第49話 貴族街

 翌日。


 僕は朝からナージャに社交界でも通用する一通りの礼儀作法を習った。


 といってもにわか仕込みで隅々までフォローできるはずもなく、お辞儀の仕方とか、状況に合った相槌とか挨拶とかを覚えただけだ。


 幸い言葉は幼女神様のご加護のおかげか、敬意をもって話せば自然といい感じに翻訳されてるっぽいので、問題なし。


 ナージャによれば、混み入った社交術は、そもそも僕はバックグラウンドミュージック要員なので、自分から無理して貴族に絡んでいかなければそこまで気にしなくて良いと言う。


「では、そろそろ玉石の宴に出かけますわよ」


 昼と夕方の中間くらいの時間帯に、ナージャは僕にそう呼びかけてきた。


 チケットには開始時刻は『夕暮れ時』と漫然としか記されていないが、それでもだいぶ余裕をみた感じだ。


「うん。でも、本当にこんな格好でいいの? てっきりもっとおしゃれをするものだと思っていたけど」


 僕は、自分とナージャの格好を見遣って言う。


 てっきりスーツかタキシードのレンタルでもするのかと思いきや、僕の格好は、ダンジョンに潜る時の装備、ほぼそのままだった。


 武器と盾をリュートに持ち替え、ヘルムを脱いでいる点は違うが、鎧も靴はまるっきり同じだ。


「貴族も庶民も、この日のために一世一代を賭けて自慢の衣装を大金を叩いて仕立ててくるんですのよ? 何か月も前から美容に、髪型に気を遣って、全力で臨んでくるのです。そんな彼女たちに、急遽参加する私たちが、正攻法て勝負しても勝てませんわ」


 同じく、冒険者の装いをしたナージャが自信ありげに言った。


 いつもより化粧は念入りだし、装飾品も多めだが、革鎧の装備は同じである。


 レイピアを日傘に持ち替え、わざと革鎧を緩く着て、胸元が見えるように工夫してある。


 さらに脚甲も外して、みずみずしい太ももを露わにしていた。


「そうかもしれないけど、TPOをわきまえてない扱いされないかなって心配でさ」


「本気で配偶者を探しに行くなら、もちろんふさわしくないですわよ。でも、遊びにいくならこれがベストです。貴族の中には冒険者の貞操観念が低いという偏見をもってるやからも多いですから、それを逆手に取って、手玉に取ってやりますわ。貴賤に関係なく、別世界の住人に、人は幻想を抱くのです」


 ナージャが、はきはきと答える。


 初めから騙しに行く前提というのもすごいなあ。


「なんか、ナージャの相手をする男の人がかわいそうに思えてきたよ」


 『傾国』の本領発揮というわけか。


「この状況でワタクシを口説きにくるのは、どうせ一晩のアバンチュールを求めるろくでもない遊び人ですわ。そういう人間との駆け引きを楽しむのが、ワタクシにとってのパーティの醍醐味ですの」


 ナージャが悪代官のような顔で笑う。


「まあ、ほどほどにね」


 僕は苦笑して言った。


「あなたも他人事ではありませんわよ。腕の立つ吟遊詩人はご婦人方からモテますから、変な女に引っかからないようにした方がよろしくてよ」


「うーん。まあ、僕は吟遊詩人というより芸人枠だから大丈夫じゃないかな」


 ナージャの忠告に、僕は呑気に答える。


 僕は他の演奏家みたいに、オシャレでかっこいい演奏ができる訳でもない。


 おどけた道化を口説こうと思う人間は少ないだろう。


「ま、そうだといいですけれど」


 僕とナージャは連れ立って商会を出る。


 貴族街の周りは、都市全体を囲む城壁には及ばないが、やはり高めの塀に囲まれていた。


 典型的なゲーティッドコミュニティという奴だ。


「僕はタクマ=サトウ。こちらの連れはナージャ=ミルト。二人で玉石の宴に参加したいのですが」


 貴族街の入り口にある門までやってきた僕たちは、門兵もんぺいに神官さんから貰ったチケットを提示する。


「これはこれは! ようこそおいでくださいました。玉石の宴には武器などの危険物の持ち込みが禁止されておりまして、大変失礼なお願いなのですが、安全確認のために身体検査にご協力頂いてもよろしいでしょうか」


 チケットを確認した門兵が、深く頭を下げて頼み込んでくる。


 僕たちがカリギュラに入都した時と違って、兵士たちもさすがに下手である。


「かまいません。調べてください」


 僕は両腕を広げて言う。


「ありがとうございます」


 兵士が僕の身体をまさぐる。


 ナージャの検査の方には女性兵士がついた。


 こういう所も明らかに配慮が違う。


「問題ありません。ご協力ありがとうございました。担当の者がご案内します」


 念入りに検査の後、僕とナージャはようやく貴族街へ入ることが許された。


 時間があれば周辺を観光したかったのだが、同行の兵士が僕たちを案内しつつ、同時に監視しているので勝手なことはできない。


 僕は少しでも目に入る光景を焼きつけようと、周囲をしきりに見回した。


 まず、建物が高い。


 最低六階、高い物は10階建てくらいのもある。


 しかも魔法の技術が組み込まれているのか、それぞれの建物に個性がある。


 家紋がイルミネーションのように明滅していたり、夕陽の影を利用して昼間は優勢だったであろう猫が巨大化したネズミに追いかけられるアートにしたてられていたり、とにかく見ていて飽きない。


「あまりキョロキョロしていると怪しまれますわよ」


 ナージャが僕に耳打ちで忠告してくれる。


「ごめん。せっかくの機会だったから」


 僕ははしたない行為を諦め、素直に兵士の誘導に従う。


 やがて、僕たちは、王城の正面へとやってきた。


「おお……」


 僕は思わず感嘆のため息を漏らす。


「壮観ですわね」


 ナージャも感動を露わにした声で呟いた。


 見上げるばかりの白亜の城はただ悠然とそびえている。


 小細工は必要ないとばかりに、貴族の居宅のような演出はない。


 かえってそれが、ド庶民の僕に威厳を感じさせる。


「私のような卑しい者は、ここまでしかご案内することができません。階段の先では、王宮の警護の者が引き継ぎますので」


 ここまで案内してくれた兵士の人がそう言って、僕たちから離れていく。


「さあ、早く会場に参りましょう。庶民は階段の端を歩かなくてはいけませんわよ。中心を通って良いのは王だけです」


「わかりました」


 僕はナージャの言葉に頷いて、300段を優に超える階段のはるか上を見遣った。


 階段には、一段一段色がついている。


 階段は一番下の段がどす黒い茶色で、上に行くに従って、色が鮮やかで綺麗になっていく。


 最上段は一点の曇りもない純白で、それはまるで王権が神聖だとでもいうように陽光を受けてきらめいていた。


 僕たちは一歩一歩、踏みしめるようにその段を上がっていく。


「……なんか、圧力を感じません? いや、心理的なそれじゃなくて、もっと実際的なやりにくさというか……」


 僕はなんとも言えない息苦しさを覚えて、ナージャに囁いた。


「それは、アンチディスペルの結界のせいじゃありませんこと? セキュリティのために、王城一帯には、宮廷の手練れが常時、魔法による攻撃に備えておりますもの」


 ナージャが呟く。


「えっ。そうなんですか? 僕これから演奏で魔法を使うつもりなんですけど」


 もし魔法が使えなかったら非常に困る。


「日常生活で使う程度の魔力消費なら大丈夫ですわよ。封じられてるのは一定以上の破壊力と殺傷力を有するような魔法です。そうしないと王城の生活が立ち行かないでしょう」


 ナージャが補足してくれる。


「なるほど」


 そりゃそうか。


 ギャザーウォーターとかメイクファイアレベルの魔法まで使えなければ不便だし。


 なら、僕が演出で使う魔法は、本来の殺傷目的のそれに比べれば、見た目は派手でも実際の威力は抑えめの魔法なので問題ないだろう。


「ご足労くださいまして、まことにありがとうございます。ようこそ玉石の宴へ。私が会場までご案内致します」


 階段を登った先で待ち構えていた兵士――というより衛士が、僕たちを見つけるやいなや、歩み寄ってきて優雅に一礼した。


 明らかに先ほど案内してくれた兵士よりも装備が豪華である。


 もしすると、彼自体が貴族の一員なのかもしれない。


「ご苦労様。さ、参りますわよ。タクマ」


 ナージャが僕に向かって、気取った様子で手を差し出す。


「はい。マイレディ」


 僕はリュートを小脇に抱え、その手を取って、ナージャをエスコートしながら王城の中に入っていく。


 歯の浮くようなセリフと行動だが、それがマナーだというのだから仕方がない。


 衛士が王城の中をすいすいと歩いていく。


 右に曲がって、左に曲がって、左に曲がって、まっすぐ、まっすぐ、右、右、左。


 ダンジョン並に覚えにくい道を辿って、僕たちはようやく目的地にたどり着いた。


「それでは、どうぞ一夜の宴をお楽しみください」


 案内の役目を終えた衛士が、再び華麗な身のこなしで去って行った。


 会場へと続く扉はすでに開け放たれており、客も半分程度は集まっているようだ。


 壁際に一休みできるような椅子はあるが、各自に割り当てられた席はなく、基本的に立食形式のようである。


「ふ、ふ、ふ、ついにやってきましたわ!」


 ナージャがお宝を見つけた時のようなギラついた瞳を輝かせ、会場に突入していく。


「楽しい夜になればいいな」


 僕が今までに経験したパーティといえば、病院で、看護師さんと同室のおじいさんが祝ってくれたささやかな誕生会くらいのものだ。


 否が応にでもテンションは上がる。


 僕はリュートを構えて、いさんでナージャの後に続いた。

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