第36話 芯
シャーレの前ではわざとらしく不機嫌な顔を見せていたが、お互いの悪口を言い合うのはいつものことなのか、すぐに機嫌を直して鼻歌を歌いだした。
石畳の線を平均台に見立て、バレリーナのように優雅に市場へと歩みを進める。
「あの、ナージャさん。一つ質問いいですか?」
「ふん♪ ふん♪ ふん♪ なんですの?」
ナージャは器用にバックステップを踏んで再び僕の隣に並んだ。
「大きな商会のお嬢様なんだったら、わざわざ冒険者なんて危険なことをしなくても、贅沢な暮らしができるんじゃないですか?」
「ふう……タクマ。あなた、商人という職業を誤解していらっしゃるようですわね。豪華に着飾って、毎日世界の美食を取り寄せて優雅にパーティ三昧。そういうのが大商人だと思っていらっしゃる?」
ナージャが呆れたように肩をすくめる。
「違うんですか?」
「違いますわよ。商人が稼いだ金のほとんどは、次の商売への投資に回されます。もし、商人が贅沢しているように見えるとしたら、それは贅沢ができるということを見せる必要がある時だけですわ。プライベートにおいては、質素なものですわよ。まあ食事は世間一般よりはましかもしれませんけど、健康を損なうような暴飲暴食も無駄遣いも許されません。洋服だって、娯楽だって、仕事に必要な範囲でしか認められません。そういうところをおろそかにしているにわか成金の商会は、大抵、初代かその次くらいですぐに身代を持ち崩します」
そういうものなのか。
一般常識なのかもしれないけど、地球では社会に出て働いたこともない僕には、とても勉強になる。
「じゃあ、例えば、僕が最近信仰し始めた楽神ミューレ様の神殿に対する援助とかは、無駄遣いにならないんですか?」
「そういうのは権威づけですわよ。偉そうな貴族と対等に渡り合うために、文化で武装しているんですの。ま、音楽とか踊りはワタクシも好きなので良いですけれど。とにかく、商人の消費は全て計算づく。自分で稼いだお金を自分の好きなように使えないなんて馬鹿らしいと思いませんこと? ワタクシは絶対いやですわ」
ナージャはそう言って身震いする。
「なるほど。だから冒険者になったと」
「ええ。それに、あのまま家にいたら、政略結婚の道具に使われたかもしれませんし。ワタクシの人生はワタクシだけのものです」
ナージャは決然とそう言い放った。
自由を愛する冒険者は多いとは言っても、彼女のように確固たる信念をもって選択した人間は少ないのではないだろうか。
「なるほど。よくわかりました。色々教えて頂いてありがとうございます」
「ワタクシからも一つ質問よろしいかしら?」
「なんですか?」
「そういうタクマこそ、なぜ冒険者になったんですの?」
「ありがちな話ですよ。手っ取り早く日々の糧を得られる職業がこれしかなかったからです。まあ、シャーレに教えてもらったんですけど」
僕は正直に白状する。
「いえ、それはそうでしょうけど、そうじゃなくて――正直、タクマが何を欲しているか、ワタクシには全然分からないんですの。ワタクシがこれだけ誘惑しても、無反応ですし?」
そう言うと、ナージャは僕に顔をぐっと近づけてくる。
「いえ。人並みにはドキドキしてますよ。ただ瞳の奥に金貨が見えるので怖気づいているだけです」
僕は一歩下がって答える。
「あなたそれでも本当に年頃の男子ですの? まあ、色欲は置いておいて、あっさりワタクシの報酬の配分の提案を呑んだところからいって金銭欲も薄そうですし、今日パーティを組んだ限りでは、ワタクシにあっさり仕切らせるところを見ると、権力欲や名誉欲がある様子でもない。タクマ。あなた、一体、何を楽しくて毎日、生きていらっしゃるの?」
ナージャが宇宙人でも見つけたかのような怪訝な視線を僕に向けてくる。
僕がナージャを観察していたように、彼女も僕を観察していたらしい。
「そうですね。嘘くさく聞こえるかもしれませんが、毎日生きていることそのものが楽しいんですよ。昨日より一階層でも深くダンジョンに潜れた。強いモンスターを倒せた。新しい料理に出会った。新しい知識を手に入れた。そういう経験全てが、僕にとっては嬉しいことです。……でも、言われてみれば、明確な人生の目標みたいなのはまだないですね。ただ、毎日を精一杯生きたいと漠然と思っているだけで」
明確な目標を持って頑張っている人をすごいなとは思うけれど、かといって僕自身は焦ってそれを見つけるつもりもない。
これは異世界人である僕にしか分からない感覚かもしれないけど、まだまだこの世界には僕の知らないことが多すぎて、遠い将来のことまで考える段階じゃないのだ。
「ふう。そういう綺麗ごとを言う人種は、本来ならワタクシの最も嫌いなタイプなのですけれど、タクマが言うと嘘に聞こえないのがすごいですわ。本当、不思議な人ですわね」
こつんと、人差し指で僕の額を突くと、ナージャは前方の進路に向き直る。
「そうですか? 僕自身は至って平凡な人間だと自負していますが」
でも、どんな形であれ、ナージャが僕に興味を持ってくれたのはありがたいことだ。
無関心な『その他大勢』から、『不思議な人』になったのは、彼女を仲間にする上で一歩前進といって良いだろう。
「出身地も不明。経歴も不明。数ヵ月の間に瞬く間にレベル40に上りつめたスーパールーキー。そんなあなたが『平凡』を語りますの? 謙遜も行き過ぎれば嫌味ですわよ」
「どんなにレベルが上がろうと、人の本質はそう簡単に変わらないと思います」
そんな風に他愛もない会話をしていると、やがて、僕たちは市場に辿り着つく。
服飾品を扱った店が多い一画だ。
露店から、店舗形式のブティックまで、様々な形式のショップが揃っている。
「それは確かに――あっ。あのブローチ、素敵ですわ!」
次の瞬間にはもう、ナージャの興味は、僕からドワーフらしき男性の商う装飾品へと移っていた。
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