第32話 評判
「テルマ。ただいま」
家に帰ってきた僕は、土間で料理をしているテルマにそう挨拶する。
「お帰りなさい――それは?」
僕の手にしたリュートを見たテルマが呟く。
「今日、楽神ミューレの神殿に行ってきたんだ。そろそろ、新しい神様を信仰してみてもいい頃かと思って。本当に僕の天分の効果が善神様にも及ぶのかも確かめたいし」
僕はそう言って、リュートを壁にたてかけた。
「そう。悪くない判断だと思う。楽神ミューレのスキルは、ダンジョンでは危険だから使いにくいけど、地上での討伐や護衛のミッションでは役に立つこともある。また、冒険者として旅をするなら、即席のパーティに加わったり、情報収集する時のコミュニケーションツールとしても有効」
テルマさんが納得したように頷く。
「うん。まあ、そこまで難しく考えてなくて、趣味の一つでも持とうかと思っただけなんだけどね」
僕は照れ笑いを浮かべて言った。
神官さんは感動してくれていたようだが、人様に堂々と聞かせられるほど、腕に自信はない。
「そう。冒険者にとっては息抜きをして明日にストレスを持ち込まないことも大切。――そろそろ、食事ができるけど食べる?」
「うん。頂くよ」
僕は軽く手洗いとうがいだけして食卓につく。
「今日は、この前タクマが汐流亭でおいしいと言ってたやつを試しに作ってみた」
食卓には、リゾットとサラダと牛っぽい薄切り肉が並んでいる。
「へえ――おいしいね。前にお店で食べたやつよりも僕好みかもしれない」
「そう。よかった」
テルマさんが満足げにほほ笑む。
彼女が僕の味覚に合わせてくれているからか、僕の食料事情は日に日に好転していた。
「僕にばっかり気を遣わないで、テルマが好きな材料で作ってくれていいんだよ。よっぽど癖のあるゲテモノでもない限り、僕には好き嫌いもないし」
「私も肉類が苦手なことを除けば、食事にこだわりはないから。気にしないで」
「うん。それならいいんだけど」
不満がないなら良いのだが、僕としては、テルマさんにもできれば最大限においしく食事を楽しんで欲しい。
今度は異世界モノで定番のマヨネーズでも作ってみようかな。この世界に存在するのかは分からないけど、少なくとも汐流亭で出てきた料理にはそれらしきものはなかった。
「タクマ、それより一つお願いがある」
食事が終わった頃合いを見計らって、テルマさんがそう切り出してきた。
「なに?」
「せっかく楽器を買ってきたのだから、一曲聞かせて欲しい」
テルマさんが目を輝かせて言う。
彼女が僕に頼み事をするなんて、とても珍しいことだ。
それだけ音楽が好きなのだろうか。
「う、うん。いいけど、下手でも笑わないでね」
僕はそう予防線を張ってから、リュートを取りに行った。
椅子をちょっと引いて、リュートを構えて座る。
曲は――もう夜だし、しっとりした曲がいいだろう。
(『スカボローフェア』にしようかな)
僕は穏やかに弦を爪弾く。
元が民謡なだけあって、リュートの音色にもよく合う。
気分だけは吟遊詩人のつもりで、僕は一曲を歌い上げた。
「……どうだった?」
僕はおずおずテルマさんに問いかける。
「素敵。――故郷で奏でられていた歌を思い出した」
テルマさんが瞳を潤ませながら、しみじみと呟く。
彼女の故郷というからにはエルフの里だろうか?
それとも、人間の集落なのか。
まだそこまで立ち入ったことを尋ねる勇気はない。
「テルマも何か楽器はできるの?」
だから代わりに僕は無難な質問でごまかす。
「笛なら、縦笛でも横笛でも一通り」
「じゃあ、これ使ってよ」
僕はホルダーから縦笛を取り出して、テルマさんに手渡す。
「いいの?」
「うん。二人でやった方が楽しいよ。あ、でも神殿で僕がちょっと吹いたから、嫌だったら水で流して――」
ハムッ。
テルマさんが僕が忠告する前に、縦笛に口をつけた。
本人が気にしてないならまあいいか。
僕はもう一度同じ曲を弾き始める。
テルマさんが上手く合わせてくれて、一応セッションが形になった。
テルマさんの腕は、素人の僕が聞いてもかなりのものだった。
少なくとも、僕が神殿で捧げたものよりは数段巧手だ。
その後も二、三曲を一緒に奏でて、誰に聞かせる訳でもない僕たちだけのミニコンサートは和やかに終わった。
「ああ! 楽しかった。やっぱり音楽っていいね」
「私も楽しかった」
「テルマさえよければ、時々、こうして一緒に演奏しようよ。がっつり戦闘で使うつもりはないけど、一応、楽神ミューレを信仰した以上は練習もしておいた方がいいと思うし。もちろん、その縦笛は譲るから」
「喜んで」
テルマさんが深く頷く。
僕たちの生活に新たな習慣が加わった所で、余暇的な時間は終わりを告げた。
入浴や歯磨きなど身の回りのことを済ませてから、僕たちさっさと床につく。
冒険者の朝は早い。
冒険者を手助けするテルマさんの朝も早い。
(うーん。いい加減、僕が自分で布団を買ってきちゃった方が早いのかなあ)
いつものようにそんなことを考えながら、今日もテルマさんと並んで寝転がる。
いまだにテルマさんは追加の布団を買ってこない。
基本的に日用品の購入のことは、僕よりもこの世界に詳しいテルマさんに任せた方が上手くいくと思っているので、任せっぱなしにしてしまっている。
しかし、他の家事に関してはとても手際の良い彼女も、なぜかこの件だけは後回しにしているようだ。
そのうち布団のセールでもあったりするのだろうか。
(――っと。いけない。いけない。そんなことよりも、今日はテルマさんに相談しておかなければならないことがあった)
「……そういえば、冒険に関することでテルマに相談したいことがあるんだけど」
天井を漫然と眺めながら、僕はそう呟いた。
「なに?」
「ミリアとも話し合ったんだけど、そろそろもうちょっと下層に進出したいと思うんだ。それで、探索者が欲しいんだけど、何とかならないかな?」
「私としても、あまり安穏とした環境に慣れすぎるのはよくないと思うから、探索者を求めてはいる。だけど、一般論として、そもそも探索者は一つのパーティや、特定の担当官に縛られることを嫌う人種が多い」
「だよね。そもそも探索者にスキルを与える戯神アネムリオン自体が、自由人を善しとする神様みたいだし」
戯神アネムリオンの信仰の条件は、
・是とされる行動:『遊び』全般。自らの好奇心に従った行動。財物の発見。
・否とされる行動:自らの心に従わない。
だった。
つまり、自分の好き勝手に生きれば生きるほど、スキルを習得しやすくなるということである。
「そう。探索者は自由を愛し、欲望のままに動く。必然的に金銭欲も旺盛だから、多少危険を冒してでも、ダンジョンに深く潜り、稼ごうとするパーティに加わりたがる」
まさに博打うちのような生き方だ。
探索者はある意味で一番冒険者っぽい人たちといえるのかもしれない。
「つまり、僕たちのような安全を重視する冒険者パーティはお呼びじゃない?」
「端的にいえばそういうことになる」
「うーんでもそうなると、他の担当官はどうやって探索者を確保しているの?」
「中級クラスのパーティだと、なるべくたくさんの探索者と契約し、その都度条件に合った者をあてがう。探索者自身も、複数の担当官と契約を結んでいることも珍しくない。上級クラスのパーティになれば、継続的な固定メンバーとなることが、探索者にとっても最大限の利益となるので、特定のパーティの専属となることもあるけど……」
「んー、どのみち、僕とミリアだけの小規模なパーティじゃ、期待はできないか」
僕は大きく伸びをして、眉をひそめた。
「かなり難しい。質を選ばなければ見つけられるけど、それだとタクマとミリアの収入が減って危険を増すだけの結果にしかならない」
「うーん。困ったなあ。じゃあ、例えば、担当官のいない、フリーの冒険者の中に逸材がいたりしないかな。束縛を嫌うなら、そういう人材もいなくはないんじゃない?」
確か、初日に受付の人に聞いた話では、九割の冒険者が担当官を利用しているという話だった。逆に言えば、一割は利用していないということだ。
「さっきも言った通り、束縛を嫌う探索者でもまともな者は複数の担当官と契約するなどして対処している。フリーの探索者は、盗癖があったり、パーティを途中で放棄したりした前歴がある、『いわくつき』が多い」
テルマさんが言葉を選ぶように言った。
この口ぶりだと、盗癖程度じゃ済まず、もっとエグい犯罪をした者も混ざっているのだろう。
「なるほど。犯罪とか途中でパーティを抜けたりとかはさすがに困るなあ。でも、本当に全員が全員そうなの? 性格とか団体行動をする面ではすこぶる問題があるけど、犯罪者というほどには悪くなくて、実力はそこそこみたいな人も一人、二人はいるんじゃないかな」
僕は食い下がった。
盗癖があるようなのは論外だとしても、ミリアみたいに僕たちの方の対応次第で磨けば光る人材もいると信じたい。
「……タクマの言う条件に合う探索者が、一人だけ、いるにはいる」
よく耳をすませていなければ聞き取れないほどの小声で、テルマさんが呟く。
「へー! どんな人!?」
僕は興奮気味に尋ねた。
「タクマも会ったことがある。『傾国』のナージャ」
「ああ……。あの人か」
一気にテンションが下がる。
もちろん覚えていた。
というか、あれだけ印象的な行動を取られたら、忘れられるはずがない。
「彼女は探索者。レベルは28。タクマほどではないけど、あの年でレベル28まで到達しているのはすごい。今までのレポートを確認する限り、腕も確か」
テルマさんはそう言って、率直にナージャの実力を評価した。
色々調べていてくれたのだろう。
「でも、かなりの問題がある?」
「その二つ名の通り、彼女は『傾国』だから」
「具体的にはどんなところがまずいの?」
何となく察せられるところもあるのだが、一応聞いておこう。
「まず、金銭的に貪欲。常識に照らしてみると、かなり法外な報酬の配分を要求することが多い」
「それは、実際に会って向こうがどんな提案をしてくるか確かめてみないと何ともいえないな。他には?」
「のべつまくなしに色目をつかい、男性の冒険者同士に不和を起こす。今までに何組ものパーティが、ナージャが原因で解散している」
それって地球でいうところの、サークルクラッシャー的なやつなのだろうか。
まあいかにもそれっぽいな。
「その点は問題ないかな。今のパーティには僕しか男がいないから」
僕が聖人君子だという訳ではなく、物理的にクラッシュしようがない。
「でも、女性メンバーが男にちやほやされるナージャに嫉妬して、自らパーティを離脱した例もある」
テルマさんが不信感をにじませて呟く。
「僕は彼女をちやほやするつもりはないよ。ミリアが抜ける……のは考えにくいけど、もし彼女がそう望むなら、それはミリアの自由だよ」
冒険者は最終的には自己責任の自営業だ。
僕はミリアを仲間だと思っているし、できればこれからも一緒にやっていきたいけど、それは強制できることじゃない。
「でも、彼女にたかられて破滅した男性も多い」
「それは僕の心の持ちようだよね。仮にナージャが僕を誘惑してきたとして、それに負けるような人間だと思う?」
『女殺』という不本意な二つ名を与えられてしまったが、僕には恋愛経験がない。
そもそも、恋愛的な意味で人を好きになったことがあるかすら怪しいのだ。
幼稚園児が保育士の女性に憧れるような感覚で、看護師さんを素敵だと思ったことはあったが、あれを恋というにはあまりにも幼稚すぎるだろう。
「……確かに、タクマなら大丈夫かもしれない。私がこんなに近くにいても手を出してこないし」
「ごめん。後半、声が小さすぎてよく聞き取れなかったんだけど」
消え入りそうな声で言うテルマさんに聞き返す。
「大した情報じゃないから問題ない。ともかく、タクマがそこまで言うなら分かった。ナージャと面会できるように努力する。おそらく、気分屋の彼女がマニスに滞在している時間は長くないだろうから、急いだ方がいい」
テルマさんが若干早口でそう言って、僕に背中を向ける。
何となくすねてるっぽい雰囲気なのだが、僕の考えすぎだろうか。
「ありがとう。よろしく頼むよ」
「任せて。でも、彼女がタクマのパーティに加わる保証はできない。むしろ、私はその確率は低いと思っている」
「うん。まあダメで元々だからね。――おやすみ」
「おやすみなさい」
こうして一日が終わる。
幸運の女神を信じていると言っていたナージャは、僕に微笑むだろうか。
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