第29話 たけなわ
乾杯から二時間も経つと、僕たちに挨拶に来る冒険者もほとんどいなくなり、汐流亭はただの酔っ払いたちの宴会場と化す。
誰かが呼んだらしい踊り子が妖艶に舞い、騒ぎを聞きつけて店にやってきた
あの時ダンジョンにいたのかいなかったのかもよく分からないような冒険者もいつの間にか混じっていて、現場はカオスの様相を呈する。
(まあ、結局、この人たちは飲む口実が欲しかっただけなんだろうな)
そう悟る。
でも、僕はこの雰囲気が嫌いじゃなかった。
大して親しくはない人たちと、ただ同じ冒険者であるという繋がりの一点だけでもって、時間と空間を共有している。
その事実が嬉しい。
僕もようやくこの世界の住人になれた。
そんな気がするから。
「てめえ! こら! 散々飲み食いしておいて、俺様と付き合わねえとはどういうことだ!」
僕が雰囲気に浸っていると、向こうのカウンター席から男の怒声が聞えてくる。
「どういうこともなにも、あなたが『へへへ、奢ってやろうか。姉ちゃん』とおっしゃるから、ワタクシは『ありがとうございます』と答えて注文した。どこか問題がありまして?」
飄々と答えたのは、人間の女性だった。
年齢は僕よりは間違いなく年上だが、二十歳はいってないだろうという所。まつ毛は長く、瞳は青く、鼻梁は整っている。
つまるところ美人だが、テルマさんのような天然ではなく、『自分が美人だと自覚している』タイプに見受けられる。
薄く紅のひかれた唇に、ケバくはなりすぎない程度のメイクがその証拠だ。
少女と大人の中間にある危うい女性の魅力を最大限に活かす術を知っている。
そんな雰囲気である。
(冒険者……なのかな?)
判断に迷ったのは、女性の格好が特殊だったからだ。
装備は革鎧にレイピアっぽいフォルムの武器を挿している。
これだけなら、冒険者っぽい。
だけど、意図的にカールを入れた、腰まで伸ばした金髪。
宝石のついた指輪、ネックレスに髪飾りといった華美な装飾。
これは冒険者っぽくない。
長い髪は、ダンジョンに潜るにおいては、リスクである。
敵に掴まれたり、トラップに引っかかったりする確率が高まるからだ。
宝飾品も同様で、華美に着飾って『自分は金を持っています』と見せびらかす行為は、強盗やスリなどに遭うリスクを上げることになる。
「問題大有りだろうが! 好きなだけ飲み食いしておいて、一晩も付き合わずに、はいさよなら、なんて許せる訳ねえだろう!」
「それとこれとは話が別でしょう。代償を求めるなら初めにおっしゃってくださいませんと。契約というのはそういうものじゃありませんこと?」
女性は挑発的な口調でそう言って、男を睨む。
「クソっ。なめやがってこのアマァ! その酒なんて俺の稼ぎの二週間分だぞ!」
声を荒らげた男が、カウンターを叩いて立ち上がる。
「そうですの。なら良い勉強代になりましたわね。これに懲りたら、ろくに金ももってないのにイイ女を口説こうなんて考えないことですわ」
女性は小馬鹿にしたように言って、涼しい顔で食事を続けた。
「けっ! 俺様は冒険者だ! 欲しい物は力づくで手にいれてやる!」
男が乱暴に女性へと手を伸ばす。
「その考えには賛成ですわね」
いつの間に立ち上がっていた女性は、男の手を後ろ手に捻り、背中を足蹴にして床へと押さえつけている。
力が強い――というよりは、合気道のような相手の力を利用するタイプの体術だ。
「ぐああああああ!」
痛みからか、男がくぐもったうめき声を漏らした。
「おっ。またおのぼりさんが『傾国』のナージャに引っかかったぞ」
「いいぞ! もっとやれ!」
喧嘩は部外者にとっては酒の
「くそおおおお! お前ら! 囲んでやっちまえ!」
男が床に唾をまき散らしながら呼びかけると、カウンター近くのテーブル席に座っていた三人の男がガタっと立ち上がり、女性――ナージャを取り囲む。
構成は、前衛タイプ二人に、魔法使いが一人。
「あら。かよわいレディに三人がかりなんて、あなたたちに男としてのプライドはありませんの?」
ナージャが呆れたように肩をすくめる。
「けっ。女らしくしねえ女を、レディ扱いしてやる義理はねえ!」
「せっかくの酒がまずくならあ!」
「『メイクファイア!』」
前衛が武器を振り上げ、後衛が魔法を詠唱する。
「まあ! これは困りましたわ――ね!」
女性は足蹴にしていた男の延髄に、レイピアの柄を叩き込み昏倒させる。
それから宙返りして、サーカスの曲芸のごとく丸テーブルの上に降り立った。
――僕たちの丸テーブルに。
巧妙に料理を汚さずに皿と皿の間に降り立ったナージャは、まっすぐに僕を見つめてきた。
「そこのあなた。ワタクシを助けてくださいませんこと?」
「えっと。何で僕?」
「あら。この盛り場の中で女性に対して一番紳士的な殿方かと思いまして」
ナージャは僕の両隣で引っ付いているテルマさんとミリアを一瞥して言う。
「ええ……」
「ざっと鑑定してみたけど、三人ともタクマのレベルの半分程度。問題なく勝てるはず」
テルマさんが僕の耳元で囁く。
あの激戦を経て、今や僕のレベルは40となっていた。
ということは、相手は全員20前後か。
「え、えっと、プロテクト!」
さらにはミリアが僕に強化魔法を施す。
何となく戦いから逃げられない空気だ。
「――まあまあ皆さん。せっかくの酒宴なんですから楽しくいきましょうよ。一杯くらいなら僕がおごりますから」
(『身体強化』)
とりあえず、テルマさんとミリアに危険が及ばないように、僕は席を立って男たちに近づいていった。
いざという時のためにこっそり身体能力を強化しておくのも忘れない。
「うるせえ! 部外者はすっこんでろ!」
「どきやがれ!」
頭に血が昇った男たちは、聞く耳をもたずに僕に武器を振るってきた。
「もう危ないなあ」
余裕でかわす。
「あなた。中々やるようですわね。では、二人任せましたわよ」
(ずるくない?)
そう思うも、完全に僕を敵認定した男たちが攻撃してくるので、抗議する暇もない。
「おらあああああああ!」
「ライトニングボルト」
僕は剣を振るってきた男の腕を右手で掴み、威力抑えめの電撃を流した。
男は身体をビクビクさせながら、地面に口づけする。
「メイクファイア!」
「《ギャザーウォーター》」
余った左手で筆記詠唱し、敵の火魔法を相殺する。
それから、飲み終わったミードのジョッキを右手で拾い上げ、魔法使いの顔面に投げつけた。
「ヘブッ」
鼻血を出しながら魔法使いは仰向けに昏倒した。
「ヒュー!」
「さすがだな!」
冒険者たちから歓声が上がった。
「おいお前ら! ――畜生!」
「遅いですわね」
「ぐあああああ」
やられた仲間を見てやぶれかぶれに斧を振りかぶった男は、レイピアで手を貫かれ、スネを斬られてうずくまる。
「くそっ! てめえら! ぶっ殺してやる!」
血走った目で僕とナージャを睨みつけてくる男。
「おいおい。俺の命の恩人にその言い草は聞き捨てなんねえな」
「私たち全員で相手になりましょうか?」
男のぶっそうな物言いに、僕たちにおごってくれた冒険者の人たちが立ち上がり、男を取り囲む。
「くっ……覚えてろ――」
「はーい。お客さんこそ自分のやったことを忘れないでくださいねー。お店へのおイタは弁償して頂きまーす」
獣人の店員さんが、逃げ出そうとした男を含む、暴漢四人を奥へと引き摺っていく。
かなりの筋力だ。
彼女も元冒険者だったりするのだろうか。
「「「ギャハハハハハハハハハハ! おのぼりさんに、乾杯!」」」
冒険者たちがテーブルを叩いて哄笑し、ジョッキを掲げた。
「助かりましたわ。タクマ」
爆笑の渦の中、ナージャがレイピアを鞘に収めて僕に歩み寄ってくる。
「僕のことをご存じですか?」
「ええ。有名人ですもの。ワタクシだって頼る人は選びます」
ということは、もしかして、最初から僕を戦力として使うことを当て込んで男を挑発したのだろうか。だとすれば、あまり気持ちはよくないな。
「はあ……。ともかく、あまり、挑発的な言動はしない方がいいですよ。危ないですし」
「いやですわ。スリルと美食と財宝のない冒険者生活なんて楽しくありませんもの!」
ナージャはきっぱりと僕の忠告を拒絶した。
あ、ダメだ。
彼女、人の話を聞かないタイプだ。
「そうですか。じゃあ僕はこれで失礼します」
これ以上何を言っても無駄そうなので、僕はテーブルへと踵を返す。
「お待ちなさい」
「はい――」
チュッ。
呼び止められた僕の振り向きざま。
ナージャは僕の頬にキスをした。
ふわりと甘い香水の匂いが鼻腔を刺激する。
「あの――」
「さっきのお礼ですわ。ワタクシ、幸運の女神エバンシルを信仰しておりますから。『女神のキス』のスキルを受けたあなたは、明日一日、きっとハッピーですわよ」
ナージャは僕の口を人差し指で塞ぐと、妖艶な笑みだけを残して、颯爽と店を後にする。
「……酒と女と博打は、冒険者が身を持ち崩す主要な三原因。慎むべき」
「むうー。タクマさんはああいう女性が好みなんですか?」
テルマさんとミリアが、不満げに僕の腕を引く。
「『
「『女殺』ね」
「『女殺』しかない」
誰かがぽつりと漏らした呟きが、野火のように酒場中に広がる。
こうして、僕にとっては非常に不本意な満場一致により、タクマ=サトウの二つ名が決定した。
==============あとがき================
拙作をお読みくださり、まことにありがとうございます。
あだ名が決まりました。たっくんは真面目にやってるのにどうして……。
もし「続きが読みたい」、「よっ、女殺」などと思って頂けましたら、★やお気に入り登録などの形で応援して頂けると嬉しいです。
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