第17話 激動の一日の終わり
「お帰りなさい。食事にする? それとも先に身体を洗う?」
僕がテルマさんの家の扉を開けると、彼女はそう言って僕の方を振り向いた。
新妻みたいな――と一瞬不埒なことを考えてしまったが、テルマさんは奴隷としての責務だと思っているだけだろう。多分。
部屋は相変わらず物が少なかったが、前はなかったテーブルと二脚の椅子が設置されている。
そのテーブルの上には、例の山盛りの野草サラダの他に、黒みがかったパンとスープ。さらには鶏っぽい焼肉まで用意されている。
食欲を誘う香ばしい匂いが僕の鼻腔をくすぐった。
「じゃあ、食事で。あ、この食費も借金から棒引いておいて」
僕は土間の部分で『ギャザーウォーター』を使い、軽く手の汚れだけ洗い落としてから、椅子に座る。
「わかった」
そう頷いたテルマさんだったが、そのまま突っ立ったまま、一向に席に着こうとはしない。
「どうしたの? 早く食べようよ」
「奴隷は主人と食事を共にしない」
僕が促すと、テルマさんは首を横に振った。
「いや、そんなこと言わずに一緒に食べようよ。人がいるところならともかく、今は僕とテルマの二人しかいないんだし」
「でも……」
「一々食事を分けるなんて非効率的だし、僕も食べづらいから、お願い」
渋るテルマさんに僕は手を合わせた。
「わかった。じゃあ、代わりにご奉仕する。――はい。あーん」
席についたテルマさんは、そう言って鳥の焼肉をフォークで刺し、僕の口元に近づけてくる。
「あの、僕も子どもじゃないし、自分で食べられるんだけど……」
「いや?」
やんわりと断ると、テルマさんはそう言って上目遣いで僕を見つめてきた。
かわいい。
「いや、じゃない、よ? ングング。――おいしい」
僕が口を開くと、すかさずテルマさんが口に肉を放り込んでくる。
みたまんま塩味がきいた鶏肉のステーキだ。
地球の肉よりは固いのだが、その代わり変な臭みがなくて、なんとなく身体によさそうな感じがする。
「そう。よかった。私は基本的に肉を食べないから味付けが心配だった」
テルマさんが顔をほころばせる。
すでにその手には、次弾のサラダを載せたフォークが準備されている。
そのまま僕は、鳥のヒナのように彼女の奉仕を受け入れた。
テルマさんは結局、彼女自身の食事には手をつけず、僕が食べる様子を楽しそうにじっと見つめている。
テルマさんは職業に関係なく、性格的に人の世話をするのが好きなんだろうなあ、と何となく分かってきた。
失礼な言い方をすれば、生来のM気質というか……。
「もういいよ。ありがとう。後は自分でやるから」
何度かテルマさんの手が器と僕の口の間を往復するのを見届けてから、僕は自分でパンを手に取って口に入れた。
「そう……」
テルマさんは少し残念そうに頷いて、サラダをもしゃもしゃ頬張り始める。
ちなみにフォークは交換してないので、間接キスになるが、テルマさんが気にする様子はない。
無防備なのか、それとも僕が男として意識されてないのか。
――だめだ。だめだ。
何考えてるんだ。僕は。
「……そういえば、今日ちょっと気になることがあったんだけど、担当官として相談に乗って貰えるかな?」
思考を切り替え、真面目に冒険者としての本分に立ち返った僕はそう話を切り出した。
「なに?」
「今日神殿に行って信仰を確かめてきたんだけど――」
僕はさっき二つの神殿で体験した、二つの信仰の蓄積具合の対比について説明する。
当然、僕の『生きているだけで丸儲け』なスキルについても触れなければいけなくなるが、詳細はぼかして『創造神の加護』が関係している、とだけテルマさんに伝えた。
「……タクマの天分がどのようなものか確定できない以上断言はできないけど、タクマの天分が創造神に関わるというなら、思い当たることはある」
テルマさんは食事の手を休め、しばし考えた後、そう呟いた。
「本当? 是非教えて欲しいな」
「おそらく、闘神オルデンの信仰が溜まっていなかったのは、オルデンが創造神や私たちのような人族に対して中立な神だから。そして、叡智神ソフォスの信仰が溜まっていたのは、ソフォスが創造神や私たちのような人族に対して好意的な善神だから」
確かに、前にもらったレポートの神のリストの最後には必ず人類(おそらく、エルフやドワーフなどの亜人も含む)に対して、どういう態度かが記されていた。
「ああ、確かにレポートにそんなことも書いてあったね。つまり、創造神に対して協力的な神の信仰には僕の天分がプラスに影響する。だけど、中立的な神は、創造神の協力者じゃないから、スキルの影響は及ばない」
僕はテルマさんの意見を自分の中で噛み砕いて言う。
「その可能性がある」
テルマさんが我が意を得たりとばかりに頷いた。
要するにあの幼女神様と仲良しの神様は僕に協力してくれるけど、他の神々は知ったことじゃないといった感じか。
この感じだと、邪神と呼ばれるような神様を信仰すると、スキルが逆効果に働く可能性すらある。
「と、なると、僕はいわゆる『善神』と呼ばれる神々を信仰していけば効率的ってことか」
「そうかもしれない。けれど、神々を私たちの尺度で軽々しく試すのは危険。まずは、叡智神ソフォスを極めてからにした方がいい」
「そうだね。もし僕たちの推測が外れていたらまずいし、着実にいこう」
今までの推測はあくまで推測であって、真実とは限らない。
複数の神を同時に信仰すると効率が下がるとテルマさんは言っていたし、『善神』だからといって、調子に乗って信仰しまくったら、手痛いしっぺ返しを食らうかもしれない。
敢えてリスクを冒す必要は、現時点では薄いだろう。
「タクマの話が終わったなら、私も一つ質問していい?」
「ああ。うん。もちろん」
テルマさんの問いに、僕は首肯した。
「タクマは、貸し付けたお金の回収に、私をどう使うつもり?」
「え? だから、今まで通り担当官を続けて貰えればそれでいいけど」
意図の分からない質問に、僕は首を傾げた。
「でも、今、私の担当者はタクマしかいない状態だし、冒険者ギルドの基本給は安い。このままだと返済に時間がかかりすぎる。早期に回収したいなら、ちゃんと夜に副業をさせるべき」
「うーん。兼業って具体的に何するの?」
僕としては別にそこまで早く回収したいとも思っていないのだが、テルマさんが無理しない程度の仕事で、彼女が満足するなら、それもアリかと思う。
「日中は頭脳労働をしてるから、体力は比較的余っている。となると、夜は肉体労働をすることになる。翌日のことも考えて最低限の睡眠時間は取るとして、短時間で効率的に稼ぐとなると、やっぱり娼館?」
「いやいや。そんなのダメに決まってるでしょ!」
とんでもないことを言い出すテルマさんに、僕はテーブルを叩いて立ち上がった。
「どうして?」
「どうしてって――僕がテルマのそんな姿を見たくないから! もしどうしてもって言うなら、娼館の相場は知らないけれど、僕がテルマの夜の時間を相応の額で買うよ!」
「……わかった。経験がないから、上手く奉仕できるかわからないけど、精一杯頑張る」
そういうとテルマさんは顔を真っ赤にしながら、身体をプルプル震わせて、ブラウスのボタンを外しはじめた。
「いや、服を脱ぎ出さないで! そういう意味じゃないから! 今のは言葉のあやだよ! ――とにかく、テルマさんは担当官の仕事に集中してくれればいいから」
僕は自分の顔を両手で覆いながら叫んだ。
「タクマがそう言うなら」
「……じゃ、じゃあ、僕、ちょっと身体を洗うから」
僕は火照った身体をもてあますように土間へ移動する。
「わかった」
「あの、なんでついてくるの?」
首をギギギと動かして、息遣いが聞こえる距離で背中に密着してくるテルマさんを横目で見る。
「背中を流す」
「だからそんなに気を遣わなくてもいいって」
「冒険者の身体を衛生的に保つのも担当官の務め」
「え、じゃあ、他の冒険者にもこういうことしてるの?」
「……」
テルマさんは僕のツッコミを強引に無視し、服を脱がし始めた。
結局、なし崩し的に、テルマさんに身体を洗ってもらうことになってしまった。
「タクマの肌、きれい。すべすべ」
タオルも使わず、直手で、テルマさんは僕の背中をなぞっていく。
その温もりは、優しく、どこか懐かしい感じがした。
これが母性を感じるということなのだろうか。
僕の母親はどちらかと言うと自立を促す感じの教育方針だったので、こうして甘やかされるのには慣れていない。
心地よくはあるけれど、これに慣れてしまうと怖いな、と思う自分もいる。
「次は、前」
「いや、さすがに前は自分でやります」
当たり前のように言うテルマさんに、僕はきっぱりとそう言った。
その後、テルマさんも入浴を終え、一日も終わりに差しかかる。
「敷布団を買っておいた。使って」
テルマさんが床に焦げ茶色の布団を敷く。
畳一畳分くらいで明らかに一人分しかない。
「テルマの分は?」
「節約しなきゃいけないから、私はいらない。固い床でも寝られる」
テルマさんはそう言って、床に身体を横たえる。
「そう言われても、僕だけ使うのはやっぱり心苦しいんだけど」
「気にしないで。楽できる時に楽するのも冒険者の仕事の内」
テルマさんはそう言って瞼を閉じる。
「うーん、でもなあ……。その、テルマさえよければ半分使う――」
ゴロゴロゴロ。
僕が言い終わらない内に、テルマさんが横にローリングして敷布団に体の左半分を収めた。
(まさかわざと僕が一緒に寝ようと言い出すように誘導を――いや、テルマさんに限ってそんなことするはずないよな。第一彼女にメリットがないし)
テルマさんのあまりの対応の速さに抱いた疑念を、脳内で打ち消す。
僕も彼女の隣に体を横たえ、天井を仰いだ。
目を閉じる。
「……リロエ」
テルマさんが寂しげに誰かの名前を口にした。
独り言なのか、それとも寝言なのか。
どちらにしろその呟きは、僕の返答を求めているような類のものではない。
だから僕は何も聞かなかったふりをして、そっと彼女の左手の甲に右手を重ねた。
手つなぎとはとてもいえない、辛うじて体温が伝わる程度の接触。
テルマさんはそれをほどくこともなく、やがて静かに寝息を立て始める。
規則的なその息遣いを子守歌のように聞きながら、僕もやがて眠りの底へと沈んでいった。
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