第15話 貧すれども

 息がきれるのも構わず街中を走り抜け、冒険者ギルドの扉を押し開く。


「はあ。はあ。はあ……」


 はたして、テルマさんはそこにいた。


 私物の入っているらしい木箱を抱えて、今にもギルドから出て行きそうな格好で。


「――タクマ? 商会の方は?」


「じ、事件の事後処理が終わったので」


 僕はそう答えると、呼吸を整えながらテルマさんの方に歩み寄っていく。


「そう。ちょうどいい。今晩にも私の方から出向こうと思っていた」


 テルマさんは箱をカウンターの隅に置く。


「出向く? 借金のことなら――」


「ちょっと待ってて」


 テルマさんは僕が言い終える前にカウンターの奥に引っ込んでいった。


 やがて、カウンターの奥から出てきたのはテルマさん――ではなかった。


 一人、二人、三人、冒険者ギルドの関係者らしい男女がぞろぞろと僕の周りに集まってくる。


「私はエミル=ソーラスと申します。安全第一をモットーに、継続的に雇用を期待できる依頼の斡旋を得意としております。他の契約者の皆様も穏やかな方々ばかりなので、パーティーを組む際には、初心者の方も馴染みやすいかと。安定した冒険者生活をお望みならば、是非」


「俺はダリル! 俺の契約者には武ばった奴が多いから、ツエーパーティーが組める。だからダンジョンでがっつり儲けたいなら、俺と契約しなきゃ損だぜ!」


「ボクはエンリ。ハーフリングだから幼く見えるかもしれないが、こうみえて昔は冒険者もやってたから、いろんなとこに顔が効くんだ。だからマニスだけじゃなく他の都市の依頼も斡旋できるよ。『冒険』者の名にふさわしく、色々な世界を渡り歩いて見聞を広げたいなら、契約しよう」


 三人が、聞いてもないのにペラペラとセールストークを開陳してくる。


「さあ。タクマ。選んで。みんな信用できる人たちだから。条件も私と結んだものと同等でいいように交渉してある」


 テルマさんが、まるで『もう終わった』かのように満足げな表情を浮かべる。


「……テルマさん。なんですか? これは」


 僕は声を震わせてテルマさんを睨む。


「だから、担当者の引継ぎ。これが私の最後の仕事」


「僕は引継ぎなんて望んでません。このままテルマさんに担当してもらいたいです!」


 僕がきっぱりとそう宣言する。


 勧誘してきた三人は、ばつが悪そうに苦笑した。


 別に彼らに対して隔意かくいがあるわけじゃないけれど、僕が困っていた時に助けてくれたのは、この人たちじゃない。


 テルマさんだ。


「……タクマもシャーレから聞いてるかもしれないけど、私は今日でこの冒険者ギルドを辞める。明日が借金の返済期限だから、私は最後の担保である私自身を、冒険者ギルドに収める」


 テルマさんは申し訳なさを滲ませながら呟く。


「お金ならありますよ! ここに金貨508枚! これで払えるでしょう! 全部テルマさんに譲ります! 使ってください!」


 僕は持ってきた革袋を、カウンターに叩きつけた。


「マジかよ……。あれ、グース関連の報奨金全額か?」


「ああ。一生遊んで暮らせるとは言わねえが、あれだけの金、俺だったらすぐに冒険者なんて辞めるね」


「テルマは確かに見てくれはいいけどよお。これが、魔に魅入られるって奴か?」


「そんな言い方するもんじゃないわ。……若いって素敵ね」


 冒険者ギルド内がざわめきに包まれる。


「それは受け取れない」


 一瞬目を見開いたテルマさんだったが、即座にそう答えて首を横に振る。


「「「なにいいいいいいいいい!」」」


 テルマさんの返答に、ギルドはさらに喧騒を増す。


「なんでですか!? なんで受け取ってくれないんですか!」


 僕はテルマさんにさらに一歩詰め寄る。


「私にはタクマにそこまでしてもらう理由がない」


 テルマさんはそう言って、唇を真一文字に引き結ぶ。


「理由なら、ありますよ! 誰がみても怪しい僕を、テルマさんは受け入れてくれたじゃないですか! 冒険者にして、装備をくれて、家に泊めてくれたじゃないですか!」


「それらは全て、タクマと契約は私の担当者としての業務の範疇。そして、私とあなたの契約は対等で、どちらが恩を感じる必要もない」


 僕の必死の訴えを、テルマさんは冷静に否定した。


「ああ! 頑固な人だなあ!」


 僕は思わずじれったくなって叫んだ。


「頑固なのはタクマの方。私財を投じて、私を助けてもあなたには何のメリットもない。他に所属冒険者がいない私よりも、他の担当者に鞍替えした方がよほど冒険者としての未来は明るい。なのに、なんで私にお金をくれようとするの?」


 テルマさんもムっとしたように首を傾げる。


(そういえば、なんでなんだろう。僕はテルマさんを何でここまで助けたいと思ってるんだ?)


 個人的に恩はある。


 テルマさんが職務だなんだと主張しても、少なくとも一宿一飯の恩義はある。


 だとしても、確かにテルマさんの言う通り、今後数十年の人生を安定させられるような金額を彼女に施すほどの恩があるか、といわれれば、それは違うだろう。


(じゃあなぜだ? テルマさんが綺麗で女性として魅力的だから? ……いや違う)


 僕は恋をしたことはないから分からないけれど、少なくともこんなイライラする胸のむかつきを、恋とは呼ばないはずだ。


 色欲でもない。


 もし色欲なら、今すぐ金を持って娼館にでも駆け込めばいい。いくらかかるかしらないが、金貨500枚を使えばとびきりの美女を何人も侍らせることができるだろう。


 だけど、そういう欲求は一向に沸いてこない。


 ならなんだ?


 僕は内省する。


 心の深く深くを探っていく。


 答えはすぐに見つかった。


 そもそも、僕の人生経験は、そう多くはない。


(――ああ、そうか! テルマさんは、僕の母親に似ているんだ)


 もちろん、見た目は全然違う。


 僕の母親はテルマさんみたいに美しい容姿はしていなかったし、普通のおばさんだった。


 似てるのは生き方だ。


 僕の父親は、難病の僕を見限り、母親と離婚して別の女に走った。


 それでも、母は僕を恨むことなく、僕の治療費を稼ぐためだけに生きて、死んだ。


 ただ生きたんじゃない。


『正しく』生きた。


 教養は大切だからと、僕が読みたいといえば、マニアックな本でも図書館を回って探してきてくれた。


 お見舞いの花には、身よりのない同室のおじいさんの分を忘れなかった。


 貧しくても、卑屈にならなかったのだ。


 貧しくても、優しさを忘れなかったのだ。


 きっと、働くことを放棄して、全部公的扶助に頼った方が楽だっただろうけど、母親はそうしなかった。


 働いて貧しい人よりも、働かずに貧しい人の方に優しい世界だと知っていたけれど、それでもなお、世間にすり潰されるように生き抜くことを選んだんだ。


 そんな母親に、僕は何の恩返しもできなかった。


 だから、僕は許せなかったのだ。


 正しく生きれば生きるほど生き辛くなる世間の理不尽と、僕自身の無力さが。


 だから、今、目の前で起きてる再現を、僕は看過できない。


(自分勝手だな……。ほんと)


 でも、ストンと腑に落ちた。


 僕は、僕のために、テルマさんを助ける。


 彼女の意思に関係なく、僕が後悔なく生きるために。


「――わかりました。じゃあ、お金はあげません」


 僕は出した革袋を一旦、引っ込めた。


「それでいい」


 テルマさんがほっと息を吐き出す。


「代わりに、買います」


 そしてまた出した。


「え?」


「僕が、テルマさんの借金を買い取ります。別に冒険者ギルドが借金を肩代わりするのと、僕が肩代わりするので大した違いはないですよね?」


「つまり、タクマが私の奴隷主になるということ? ……そんなことをしてタクマに何の得があるの?」


「オークションで買うよりは安いじゃないですか。もしテルマさんが借金を返せなくなってオークションで売られるとすれば、最低金貨493枚スタートになるわけですよね?」


 僕は飄々と答えた。


「……商会や冒険者ギルドなどの団体ならともかく、個人のタクマが私を使っても利益はあげにくいと思うけど。私をどう使うつもり?」


「それはテルマさんが知る必要はないことです。でも、これから見ず知らずの人間に買われてこき使われるリスクをとるより、一応はテルマさん本人が人柄を面接した僕に買われる方が安心じゃないですか? それに、団体よりは個人で、しかも世間知らずな僕の方が、扱いやすいはずですよ。もし僕が死ねば、借金もチャラですし」


 テルマさんが感情論で助けられるのを拒否するなら、理詰めでいく。


 僕は元来諦めが悪い。


 十年近く闘い続けた病と比べれば、この程度の粘りは苦でもなかった。


「……確かにタクマの言うことは筋が通ってる。でも――」


「まさか、僕に迷惑をかけるのが嫌だとか、感情論で拒否しないでくださいね。――これは僕とテルマさん双方にメリットがある、対等な交渉です。どちらが負い目を感じる必要もありません」


 僕は、先ほどテルマさんが僕のお金を拒否したロジックを援用する。


 自ら吐いた言葉は、取り消すことはできない。


「タクマは……ずるい」


 テルマさんは、拗ねたような、同時にとても嬉しそうな上目遣いで僕を見上げる。


「ええ。だって、テルマさんから教わりましたから。『冒険者は自己中心的でズル賢いくらいでちょうどいい』って」


 僕は意地悪く笑い返した。


「……絶対に返す。タクマが死んだら、冥府の神を信仰してあの世まで追いかけて返す」


「はい」


 重々しいテルマさんの宣言に、僕は深く頷く。


「だから、私に金貨をお貸しください。ご主人様」


 テルマさんは膝を折ると、まじめ腐った様子で両手を掲げた。


「では、これからもよろしくお願いします。担当官さん」


 僕も床に膝をつき、彼女と目線を合わせて、革袋を手渡す。


 ヒュー。


 ヒュー。


 ヒュー。


 冒険者たちの容赦ない冷やかしと。


「ようやく、テルマも『大当たり』を引いたか! 熱いぜ!」


「あらあら。そんなことありませんよ。テルマさんの見る目はいつも『当たり』でした。それは彼女の育てた冒険者を引き受けた私たちが一番よく知っていることじゃないですか」


「そうだね。リスクのある担当者選びをするという意味では、テルマは『冒険者』だよ。僕たちのギルドの中の誰よりも」


 同僚の祝福と共に。


『死神テルマ』の悪評は終幕した。




==============あとがき================

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