第9話 夕食と同衾

 テルマさんの家は、川のほとりにあった。


 そう表現するとなんとなく素敵な感じだが、川といっても支流の方で、生活排水を流す用途で使われているらしく、ぶっちゃけかなり好ましくない臭いがする。


 少なくとも高級な住宅街とは到底いえない。


「中は魔法で浄化してるから臭くない」


「え? あ、は、はい」


 僕の思考を読んだかのように、テルマさんが呟いた。


 彼女の言う通り、部屋に入って戸を閉めると、臭いは全く気にならなくなる。


 部屋は木造の八畳間くらいの広さで、書類らしき紙束が散らばってる他は一切の家具が見当たらない。


 彼女の嗜好なのか、それとも経済的な理由によるものなのか。おそらく、後者だろう。


「今、晩御飯を作る」


 テルマさんはそう宣言して台所――昔の日本家屋の土間みたいな所に立った。


 壁のフックにかけてあったズダ袋の中から山盛りの草を取り出して、銅製の鍋にぶちまける。


「ギャザーウォーター。メイクファイア」


 僕も今日習ったお馴染みの魔法で、鍋に水を入れて火を起こし、ぐつぐつ煮たらそれで完成。


 やがて、出てきたのは、木のボウルに盛られた山盛りの野草だった。


「どうぞ。好きなだけ食べて。もっとも、私はハーフエルフだから野草だけでも満足できるけど、純粋な人間のタクマには物足りないかもしれない」


 テルマさんはそう言って、野菜をもしゃもしゃ手づかみで食べ始めた。


 つまりこの世界のエルフは草食設定ということだろうか。


 ファンタジー作品によってはガンガン獣を狩って肉を食うエルフもいるが、どうやらそっちではないようだ。


「いえ。いただきます」


 本音をいえば、病院暮らしとはいえ飽食の日本で生きてきた僕にとって、味もないただの草で腹を満たすのはかなりきつい。


 でも、タダで食事を与えてくれるというのだから、感謝しないとバチがあたるだろう。


 うさぎになったような気分で、僕は野草を食べられるだけ食べた。


「もういい?」


「はい。ごちそうさまでした」


 やがて、質素な晩餐が終わる。


「そう。じゃあ私はちょっと鍋で沸かしたお湯で身体洗うから、こっちを見ないでいてくれると嬉しい」


 そう言って、ボウルを土間に戻したテルマさんが、スルスルと服を脱ぎ始める。


「え、え? いや、僕、外に出てますよ」


 僕は慌ててテルマさんに背中を向けつつ、そう提案する。


「そこまでしなくても構わない」


 ファサっと衣が完全に下に落ちる音がした。


 今から外に出ようとすると、テルマさんの全裸を覗くことになる。


 結局、僕は彼女に背中を向けたまま、何となく正座の姿勢になった。


 時折ピチャピチャと聞こえる水音にドキドキする。


「……それで、明日からのことだけど」


「は、はい」


 僕は若干上ずった声で答えた。


「あなたには、二つの選択肢がある。一つは冒険者ギルドと提携している訓練所で、一定の武技の訓練を受ける道。もう一つは、簡単な依頼をしながら実地で戦闘と仕事を覚えていく道。私としては前者を勧める」


「……訓練ですか。確かにそうした方が確実でしょうけど、当然有料ですよね?」


「もちろんそう。だけど、私が立て替えるから問題ない」


「あの、そうはおっしゃいますけど、テルマさんには借金があって、しかも期限が間近に迫ってるんですよね。悠長に僕を育てている暇はないでしょう」


 僕個人の趣向としては、当然じっくり訓練を積んでから現場に臨む方が好みだ。


 だけど、今のテルマさんに悠長に僕に訓練をしている時間があるとは思えない。


「私のことは気にしなくていい」


「無理ですよ。気になるに決まってるじゃないですか。――あの、こんな言い方したら失礼ですけど、テルマさん、もしかしてもう諦めてるんですか? 自力で借金を返すこと」


 何となく、テルマさんの今日の言動からは積極的に借金を返そうとする意思が薄い気がした。


 もしかして、彼女は自分の意思で自分の行動を決定できる最後の置き土産に、僕を冒険者にしてくれたんじゃないか。そんな気さえする。


「……」


 テルマさんは沈黙する。


 それは、僕には肯定に思えた。


「まだ諦めるのは早いですよ。一緒に頑張りましょう。僕、一生懸命働きますから」


「……私の累積した借金額は駆け出しの冒険者が一~二ヵ月働いたところでどうにかできるような金額じゃない。前向きなのは冒険者にとって必要な資質だけれど、優しすぎると早死にする。冒険者は自己中心的でズル賢いくらいでちょうどいい」


「たとえそうだとしても、僕は後悔して生きるくらいなら、満足して死んだ方がマシです。仕事をさせてください」


 僕は、この世界に『生きる』ためにやってきた。


『生きる』というのは、きっとただ心臓を動かしていればいいという訳ではない。


 生きるということは、リスクをとって選択することだ。


 地球での僕には、そんな機会はなかった。


 心臓を動かし続けるために、病と闘う以外の選択肢は用意されてなかった。


 だから、僕はこの異世界では、積極的に『選択』したいと思う。


「ふう――タクマがこんなわがままな人間だとは思わなかった。わかった。でも、いくらタクマに仕事をする意思があったとしても、無理な依頼は振れない。それは、私の冒険者ギルド職員としての職業倫理に反するから」


 テルマさんは呆れたような口調で言う。


 その言葉の端に、どこか嬉しそうなニュアンスが含まれているように感じるのは、僕の気のせいだろうか。


「わかりました。それで今の僕にできる仕事はなんですか?」


「冒険者ギルドが常時請け負っている依頼として、『ビッグマッシュルームの採集』がある。ダンジョンの初期層に出現するこの魔物は、食用からポーションの材料まで幅広い用途があるために買い取り価格が安定して、値崩れすることがない。駆け出しの冒険者が安定して稼ぐには、このビッグマッシュルームを狩るのが一番」


「その魔物はどのくらい強いんですか?」


「足が生えて動き回るけど、レベル20のタクマならかなり遅く感じるはず。攻撃は噛みつきと胞子をまき散らしての目くらまし。胞子はメイクファイアで焼き払えるし、万が一吸い込んでしまったとしても、下層のマッシュルーム種のように胞子に毒性はないから、そこまで警戒する必要はない。よっぽど運が悪ければ、肺に胞子が寄生することがあるけど、一般的に最弱のモンスターと言われている」


「分かりました。狩って狩って狩りまくります!」


「頑張って。しばらくビッグマッシュルームと闘えば、魔法の使い方と、モンスターと直接戦闘するいい訓練にもなると思うから」


「はい」


「――それと、もう一つ気をつけて欲しいことがある」


 テルマさんがトーンを一つ落として、深刻な口調になる。


「なんですか?」


「タクマも聞いての通り、私が最近担当した初級冒険者はみんな死んでいる。もちろん、冒険には危険はつきもの。とはいえ、こんな異常な死亡率はありえない」


「……つまり、誰かが意図的にテルマさんが担当した冒険者を狙っているということですよね?」


 僕は彼女の意図を汲み、先を告げる。


「そう。しかも、死亡扱いされている冒険者の死体がほとんど見つかっていない。もしモンスターに殺されたなら、死体はともかく、ギルドカードや衣服や装備の一部は残るのが普通。もちろん、何件かはモンスターの襲撃っぽく殺されている例もあるけれど、おそらくそれは偽装」


「えっと、その警察のような人たちに被害の届け出は?」


「もちろんしている。だけど、商業都市であるここでは、低税率の代償にそういう公的な治安維持機構への支出が少なく、活動は最低限に留められている。自分の身は自分で守るというのが基本で、よっぽどの証拠を揃えて犯人を直接捕縛しない限り、対応はしてくれない」


 なるほど。シャーレは商人だから税率のことしか言わなかったけれど、当然メリットがあればデメリットもあるのだ。


 完璧な理想郷などありえない。


「それで、犯人の目ぼしはついているんですか?」


「わからない。けど、冒険者の当日の行動が把握されていることから考えて、おそらく、冒険者ギルド内部に私を陥れようとしている者がいる。冒険者が依頼を受けるには、必ず行動表を提出しなければいけないから、それを閲覧できる立場の者が関与しているはず」


「その失礼ですが、狙われる心当たりはあるんですか?」


「……それもわからない。私自身は誰かに何か恨まれるようなことをした覚えはないのだけれど、敵が多いから。ハーフエルフは、生まれつき普通の人間や獣人よりも魔力が強いから、他の人よりも上手く魔法が使える。そのことをずるいと思う人間もいるし、その、そもそも私もあまり人付き合いが得意な方ではないから」


 何となく分かる。


 話してみればすごくいい人だと分かるけれど、一見、無表情でつっけんどんで、テルマさんは誤解を受けやすそうな性格をしているから。


 しかも美人となれば、嫉妬や反感を買いやすいのだろう。


「――とりあえずは、モンスターより人間に注意といったところですかね?」


 僕は端的に今までの話をまとめる。


 敵の詳細が分からない以上、現時点でできることは少ない。


「そうして欲しい。なるべく多くの冒険者の目がある広いところで活動すれば、敵もそうそう仕掛けてこれないはず」


「わかりました。留意します」


「……終わった。タクマも身体を洗ったら?」


「はい。洗いま――」


 テルマさんの言葉に振り向いた僕は固まった。


「? 何か変?」


 変ではない。


 変ではないが、肌着らしい今のテルマさんの服は麻のような荒い材質でできており、隙間から地肌が見えて、色々とギリギリな感じである。もちろん、ちゃんと隠れるところは隠れているのだが。


「い、いえ。変じゃないです。むしろ、お綺麗です」


 僕はそそくさと土間に移動して、服を脱ぐ。


 そして、覚えたばかりの魔法でお湯を沸かして身体の汚れを流した。


 身体の水を払ってから、メイクファイアを調節しつつ、火傷しないように身体を乾かす。


 気持ち悪いけど、替えの下着も服もないから、元のやつを着るしかない。


「終わりました」


「そう。特に用事がなければ私はもう寝る」


 そう言うと、テルマさんは床にダイレクトに寝転がって毛布を被った。


「あ、はい。わかりました。お休みなさい」


「? 隣にこないの?」


「え?」


「毛布の丈は余ってる。二人並んで寝た方が合理的」


「いや、でも、男女で同衾どうきんは色々と問題が」


「冒険者でパーティを組めば、男女で身体を寄せ合って眠ることもある。慣れておいた方がいい」


 テルマさんから素の顔でそう言われてしまえば、僕は従うしかない。


 男として見られてないのはちょっと悲しくもあるが、善意で言ってくれているのだから断るのも失礼だろう。


「お、お邪魔します」


 おずおずとテルマさんの横に寝転がった。


 石鹸とかは使ってないはずなのに、テルマさんからはいい匂いがする。


 例えるなら、高級な蘭の花みたいな。


「じゃあ、おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 ドキドキして寝られるか心配だったが、やがて旅の疲れが恥ずかしさを上回り、僕の意識はゆっくりとまどろみの中に沈んでいった。

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