フライング・ウィッチーズ5

「あたし、井原君がホンマは好きやったんです」

取調室で不意に千船が松屋に言った。

「でも、今の3人の関係性も壊したくない」

ぽつりぽつりと、葉に溜まった露が縁から漏れるように、千船は感情を吐き出していく。

千船が被疑者である可能性が否定しきれていない場合は、今の供述は参考事項としての聴取に留めるべきだが、共犯でない事実が井原の供述から得られている現時点ではまた違った意味合いを孕んでくる。

記録係を務める天満が記録用紙の片隅にメモを走らせる一方で、千船に向かい合った松屋は、ただ静かに頷く。

「で、悩んだ末に和田君に相談したんです」

井原がどのような供述をしたのかを千船が知っているはずはない。しかし、淡々と千船は松屋に経緯を話す。

どうすれば好意を持ってもらえるのか、どうすれば振り向いてもらえるのか、どうすればいいのか。


「すみません。こんな話・・・・・・」

事故の話の続きでしたね、と千船は作り笑いのような、誤魔化すような笑顔を浮かべて話題を戻す。

「あのときは、和田君も井原君もいつになく必死やったんです。再生数が、とか。あたしは、いつものみんなと仲良くしてたかったんです。いつまでも、こんな感じで友達の関係が続くって思ってたんです。

事実、高校出てからも続いてたんで・・・・・・」

この関係性を壊したくなかった、と千船は続けた。

そこからの話の概要は既に供述を得たところと変わらない。

「あたし、不法侵入なるから止めようって言おうとしたんです」

「うん、言うてたな」

「あん時止めてたら、こんなことなれへんかった」

早かれ遅かれ君たちの仲は破綻していた可能性がある、とは言わなかった。


千船は重力操作系が使えないが、井原は非精密ながら使える。なので、千船は何も知らずに誘導、井原が実行犯、というのがどうもこの事件の筋書きらしい。

ただ、魔力の精密誘導を依頼されたのでやった。自殺幇助でもなんでもなく、そこに害意はないと見るべきか。

井原だけは犯意を取れるが、千船は供述を得る限りでは被害者の望み通りのことしかしてない。精々、動画撮影を建造物侵入で取れるかもしれない程度である。

「あたしは、何の十字架を背負って生きればいいんですか?」

事実を告げるのはいつになるか。伝えるにしても、どこから話せばいいのか。

独り言のようなこの質問への答えはない。


その言葉を聞いた松屋が、ああ、と同意にも似た相槌を打つ。

「アレ、不意に来るもんな。あたしも経験あるわ」

小さく松屋が頷く。

「魔力切れなあ」

噛み締めるように松屋が言う。

「男には分からん問題やからな」

記録机で少し気まずそうにしながら天満が調書を仕上げていく。

「その、恥ずかしくて言われへんかったんですけど、これも、その・・・・・・やめようってった理由の一つなんです」

「体調不良、になるんかな?」

静かに千船が頷く。

「ほんで、アシストが止まってしもて・・・・・・それも原因かなと思って、言えんかったんです」

「魔力切れなあ」

「そ、そないに連呼せんでください・・・・・・」

気恥ずかしそうに伏し目がちにしていた顔を更に真下に向ける。

「ええで、そこの兄やんはその辺わきまえたある、分別のあるナイスガイやさかいに」

松屋が千船と天満を同時にフォローする。

「なあ、かっつ・・・・・・天満ぁ、アンタ魔力切れ起こしたことある?」

不意に松屋が天満に話題を振る。

「えー、くしゃみしたタイミングとかで不意になったやつも含みますやんね?ありますけど」

「誰がそないな話せえ言うたねん」

「ええぇ・・・・・・今言いましたやん」

2人なりのフォローだろうと受け取った千船が小さく笑う。

そこからはどこか和気藹々とした、取調べというよりかは事実確認のような空気に変わり、そのまま話は進んでいった。


「ところでやあ」

「はい」

そんな取調べの最中、松屋が千船に質問を投げた。

「自分、「魔力切れ起こした」って言うとったっけ?」

ええ、と千船が控え目に肯定する。

「ちょお見て欲しいんやんか」

綺麗に魔力痕マリコが写った、橋下と天満が当日現場で採証した現場写真を差し出す。

「なんですかこれ」

魔力痕マリコって聞いたことある?」

首を捻って千船が誰ですかと返す。

魔力も指紋や下足痕のように、痕跡が残ること、そしてそれがマリコと呼ばれていることを松屋が説明する。

魔力痕そのものは知っていたようだが、それがそう呼ばれていることを知らなかった千船がそうなんですかと感心したような表情で、話を聞く。

「これが件の現場で撮られたマリコの写真なんやわ」

「・・・・・・初めて見ます」

「まあ、こないなことでもないと見ることあれへんしな」

まじまじと写真を見つめ、これがどうかしたんですかと千船が聞く。

「こっちの、この四角い感じに写ってるのあるやん?これ、千船ちゃんのやっちゃわ」

いわゆる蜘蛛の巣型が連続して続き、やや四角い痕跡になったマリコを指し示す。

「こんな風に写るんですね」

感心したように、興味深く写真を見る。


「こっから下に、地面側に見ていってほしいんやんか」

そして示される写真のマリコはある一点で不自然に途切れていた。

「これが、あの、魔力切れ起こしたときのところ、ですか?」

「まあ、痕跡がそもそも残ってへんからな」

でもやあ、と松屋が千船に向き直る。

「魔力切れ起こしたときのマリコってやあ、こんなんなれへんのよ」

補足された説明を聞いた途端に千船が微かに表情を硬くする。

「もっとな、一瞬で減衰するような、急角度の付いた逆三角形というか、漏斗みたいな形なるねん」

千船は黙って写真を見る。

もう一方の異なる色で写った、下向きに強い力のかかった井原のマリコは見方が分からないのか、疑問にすら挙げようとしない。

「なあ」

松屋が一呼吸。

「虚偽の供述は・・・・・・重いで?」

何がとは言わなかった。

少しだけ視線を泳がせたが、沈黙することの意味に気付いた千船は唾を飲んだ。殊更に取調室にその音が響いたような錯覚を松屋は覚える。

突如として変わった異様な雰囲気に天満は何も言えずにいたが、一方で千船は、すっと目つきを変えた。


「あーあ、バレたか」

今までと態度を大きく変えて千船が顔を上げる。

「変わりのないあいつらにうんざりしたんです、あたし」

小さく、えっ、と声を上げかけた天満とは対照に、松屋は姿勢も表情も変えずに千船に向き合い続ける。

「大学行って色んな人と、その人の・・・・・・背景、とでも言うんですかね?どう解釈してええんか分かりませんけど・・・・・・」

色々ありますわねえ、と語る千船の言葉を松屋はただただ聞いている。

「色んな、その、環境?背景?まあ、どっちでもええんですけど、それに触れて、気ぃ付いたんです。外の世界をマトモに見てない、いつまでも古い内輪の中で留まってることに」

千船が頭を左右に振る。

「そんなん、何がオモロいんですか。繰り返しのボケ老人やないんですから」

事態がよく飲み込めないままの天満を他所に、千船は喋り続ける。

「やから、ちょっとだけ」

千船が親指と人差し指でサインを作る。

「ちょっとだけ関係が悪化するように振る舞って、最終的に仲違い起こしてお互い気まずなって連絡取らんくなるような、そんな落とし所へ持っていこうって」

自分の手は汚したくない、という態度が見て取れた。

「効果的面、見て分かるくらいに2人仲悪なって・・・・・・まあ、井原君が勘違いして勝手に離れていってんけど」

はあ、と心底呆れのようなため息と共に千船が天を仰いだ。

「ホンマに殺すとは思ってませんでした」


調書作成用のノートパソコンのキーボードを叩く音はいつの間にかまばらになっていた。

情報の精査のため、用紙への鉛筆書きに切り替えた天満が内容を書取るのを尻目に、松屋は質問を投げる。

「魔法、途中で切ったんは、なんでなん?」

「そんなん、井原君と協力した証拠かなんかにされたらかなわんからですよ」

魔力切れを起こしたことにして、あわよくば事故、露見しても井原の単独の犯行として取り扱われることを咄嗟に判断した、ということかと真意を読み取る。


「井原君が「落ちてみた」動画を企画で持ち込んだとき、どない思った?」

うーん、と少しだけ千船が考える。

「危ない企画考えるなあって思いました」

松屋は考える。聴取の上で、誘導尋問と取られる質問は後々不利に働く。その上で今聞き出すに最も効果的な質問はなんだろうか。

「話戻すんやけど」

すう、と今度は松屋が息を吸う。

「人間関係の悪化を狙った行動を起こしたってさっき言ってたやんか」

自分が働きかけをした、という自覚は多少なりともあるだろう、と思い松屋は質問を飛ばす。

「危険性の認識はあったん?」

千船は答えない。少し用語の特殊性が高かったかと反省した松屋が千船に投げかける。

「「井原君が和田君になんか仕掛ける」という可能性は考慮してたん?」

1秒、2秒、3秒。誘導尋問になってしまっただろうかと懸念する松屋を他所に千船が語る。

「その「なんか」の定義によるんですが・・・・・・ただまあ、殺すとはあんま思ってませんでした」

ゆっくりとした口調で返ってきた答えは犯意の否定とも取れるが、おそらくそこまでは考えてないであろう、素の感想が返ってくる。

そこから、あのう、と呼びかけた千船に松屋がなんやな、と答える。

「ほんで、あたしはなんかの罪に問われるんですか?」

少しだけ悩むような顔をしてから松屋が口を開く。

「未必の故意、とまでは言えんね」

「・・・・・・「ミヒツノコイ」?」

最早慣れたものだと言わんばかりに松屋が未必の故意を説明する。

曰く、飲み会に連れて行ったはいいものの、吐いてぶっ倒れている知り合いの酔っ払いを、家に引き上げたりせず、あるいは警察消防等に通報せず冬の屋外に放置し救護を怠る行為等、放っておけば死ぬ可能性を認識しながら事態に関与しないこと等の具体例を交えながら。

「まあ、これからは外れてるわ」

「あたしは、無罪、になるんです?」

表情は特に変えず松屋は告げる。

「まあ、そうなるわ」

どこか安堵したような千船を天満は見遣る。

腹の底から言いようのない怒りが湧いてくるような心持ちだった。

しかし、それを知ってか知らいでか、松屋は言葉を紡ぐ。

「ただ・・・・・・」

「ただ?」

「裁判ではこれも証言をせなあかんね」

「・・・・・・えっ?」

「ああ、君が言う必要はあれへんよ」

調書を元にこっちでやるからと松屋が補足する。

「形はどうあれ、事実を井原君に告げやなあかんな。好意を逆手に取った結果として、致死的暴行を行わせましたと言うことをやね」

「これって・・・・・・もしかしたら、井原君に情状酌量の余地が生まれるかも分からんのすよね?」

ようやく事態が飲み込めた天満が発言する。

「そうとは言い切られへんねやけど、いくらなんでもこのパターンで執行猶予はないわ」

操られたような状態にあったとはいえ、身勝手な理由で殺人を実行した以上、実刑は免れられない。そこを踏まえ天満の発言を否定した上で松屋が続ける。

「でも殺人はやね、過去に少ないながらも確かに情状酌量の判例あんねん」

それがどうかしたのか、という顔を浮かべ、千船は困惑気味のまま黙っている。

頭を掻きながら言い淀むようにして松屋が告げる。

「比較的短期で出所できる可能性が高い」

殺人は最低でも5年以上の懲役となる。余程の事情がない限りこの最低限の判決が降りることはない。あくまでも、もしかしたら、万が一、天文学的確率で、という前提が付いた上ではある。しかし、事情をそこまで把握していない千船は「自分が陥れた相手が短期で出所できる」という事実が意味するところを悟り表情が一変する。


「あんた、さっきからコロコロ表情変えてせわしないやっちゃなあ」

若干呆れを含んだ顔をしながら松屋が千船に向き合う。

「あの、あの、事件被害者のケアみたいなんって・・・・・・」

「被害者?」

その千船の言葉に松屋は、本格的に呆れた顔に変える。

「何を自分寝ボケたあるねん」

すん、と鼻から息を吐き顔の前で手を組む。

「あんた、被害者でも加害者でもあれへんのやろ?そんなもんあるかいや」

自分でそないに供述したやんか、と冷たく事実を告げる。

「でも、あたしが別に言った訳でも、やれとも・・・・・・」

「何も命令もしてへんのやろ?何をビクビクしとんねんな」

あんたは何も怯えることはあれへん。

態度はどうあれ、言葉だけはそう吐いた松屋にいよいよ千船は事態の深刻さを認識する。

「自分で蒔いた種や。自分で何とかしい」

それだけ言って今日の聴取を打ち切ろうとする松屋に机越しに千船はしがみつく。

取調室における公妨(公務執行妨害)かと身構えた天満を松屋は手で制する。

事実、分類上の被疑者にあたる千船は、話を続けようとしたところで話題がないことに気付き、ただ裾を握るに留まった。それ以上の行動は見られなかった。


沈黙する千船を見兼ねてか、松屋は向き直る。

「大学デビュー、言うんか?自分変えたい、そんな風に思たん違う?」

千船は答えない。

「多分間違うた方向に君は進んでもうたんやね」

それだけ言うと、松屋は「聴取、終わるで」と言って千船が握る裾を払うと席を立った。裾を握る手は驚くほど抵抗なく、するりという音が聞こえるかのように抜けていった。千船は何も言わなかった。

そのまま、魂が抜けたような千船を無理やり立ち上がらせ、取調室から引き摺り出す。

去り際に思い出したように松屋が言った。

「自分とこの大学の大津によろしく言うとき。悪いようにはなれへんやろ」


公廨ロビーに連れ出し、どこか心ここに在らずな千船を一通り見送ると、そのまま玄関から2人は署内の事務室に戻る。

そして、耐え切れなかったかのように松屋は天満に、あるいは大きな独り言のように口を開いた。

「あたしやあ」

「はい」

「ああいう、女前面に押し出した感じでやってくる奴一番いっちゃん嫌いやねん」

必ず返せと裏に書かれた総務のバインダーを、必要以上の握力で握り締めた松屋の後に続く天満は、経験の浅さからどうにも返す言葉が見つからない。

「あーゆうのが女性の社会進出とかいうのんを遅らせとんねん、よう知らんけどやあ」

世の真面目な女がただただ損するやん、あんなん。

それだけ言うと息を吸う。

「みんな死んだらええねん」

発言してから、天満を従えた松屋が、いや、あかんなと訂正する。

「今回はホンマに和田君死んでもうたから、それは言うたらあかんな」

通路を歩きながら、天満が恐る恐る尋ねる。

「あの、松屋さん」

「なんやねん」

「なんで分かったんですか?」

「なにが?」

「動機ですよ」

簡単なことやと松屋は言った。

「千船ちゃん、仕事何してる言うてた?」

「え?大学生、です?」

「どこ大学の何学部やねんて」

供述通りの内容を松屋に告げると、はん、と鼻を鳴らし、そうやんなと松屋は答えた。

「千船ちゃんの行ったある大学と学部はやな、あたしの出身校で出身学部やで」

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