Case2 フライング・ウィッチーズ

フライング・ウィッチーズ 1

「昔、今くらいの季節の頃にさあ」と、窓の外を見ていた橋下が何かを思い出したかのように語り始めた。

会話の宛先指定は無かったものの、その語りの行き先におそらく指定されているであろう、薬物1000回分のオーバードーズからなんとか奇跡的に回復し職場復帰を果たした高砂は、入院期間中に溜まった業務処理に追われていた。

当の高砂は、また変な思い出を語り始めたな、と思うと同時に無視するか相槌を打つかを悩み、その真ん中くらいの半分聞き流しという選択肢を取ることにした。2週間に及び溜まり続けた業務の内容は、所謂「ちりつも仕事」と呼ばれる、一つあたりの量は大したものではないがなぜか大量に残りやすい面倒な書類仕事と資料整理であり、ほったらかしたらそれはそれで後々まで不幸が付きまとうタイプの業務でもあった。


「トップガンに憧れた時期があってさあ」

「おお?」

「あの冒頭のタッチアンドゴーめっちゃカッコええやん?」

「ああ、確かに」

あの圧巻の発着艦シーンが嫌いな地球人類はいない。その感想は高砂も同じである。

少しだけ相槌、というより耳の意識配分を増やす。

「んで高校の頃に、見よう見まねで自転車用蒸気カタパルト装置を作ってみたんやわ」

「ふんふん・・・・・・は?」

橋下の口から出てきた言葉が理解できなかった。

「蒸気カタパルト?」

「蒸気カタパルト」

橋下の説明によると、前進側、つまり射出する側に一定の力、要は少しばかり自転車のペダルに力をかけると、勢いよく蒸気圧力がシューターにかかり、空母からの発艦よろしく猛スピードで射出される、というカタパルトらしい。構造としては金属タンク内の水を周囲を覆う電熱線で加熱し沸騰させ、その蒸気を配管用鉄パイプでシリンダー部に送り込むことでシューターの作動圧力とし、圧力過多でパイプが破断しないように、一定の圧を超えると逆流防止弁経由で余剰蒸気タンクに一時的に溜めて再利用もしくはベントするという手の込んだものだった。


「でなあ、時間短縮のために水タンクのやつ全部熱湯でやろうと思ってんけど、肝心のお湯がうてや。同級生に協力してもらって当日、可能な限りの人数で水筒に目一杯熱湯持って来て貰ったんやわ」

「・・・・・・水筒のお湯?」

思わず高砂の書類作成の手が止まる。

水筒に詰めたお湯程度で自転車を射出できるだけの蒸気圧力に変換する。どんな摩訶不思議な機構を使えばそんなことが出来るのかは分からなかったが、やたらと大掛かりかつ複雑なことはさっきの構造の説明で概ね理解している。

「お前もうノーベル物理学賞取れるよそれ」

「よせや、照れる」

お世辞ではなく高砂の本心なのだが、当の橋下はそんなにすごいことをしたとは微塵も思っていなさそうな口振りである。


「CDラジカセも持って来て「トップガン・アンセム」を流してセッティング作業を始めたんやわ」

オープニングを再現したかったんや、と更に説明を補足する。

「後輪のハブにフックを掛けるとこもちゃんと誘導員役の奴にやってもろてな」

高砂の脳裏にオープニングシーンが浮かぶ。飛行甲板上の艦上作業員による発艦準備や、準備位置までタクシーするF-14、起き上がるジェット・ブラスト・ディフレクターは昨今の映画史上で類を見ない格好良さであることは疑う余地がないが、それらが全て無駄にスタイリッシュなママチャリに置き換わる。


「いざ射出、のタイミングや。「デンジャー・ゾーン」もかけて準備万端、というとこで事故が起きてん」

「事故?」

爆発でもしたのかと高砂は思ったが、そんな高圧の蒸気で金属パイプ類が爆発していればおそらく目の前のアホは既にこの世に居ない可能性が高い、という事実に気が付く。

後遺症があるわけでもないし、陸上自衛隊に入隊したことまであるくせに、フィジカルクソザコモンスターの二つ名と大阪府警最弱魔法使いの肩書きを欲しいままにしている同僚にして同期、という橋下のスペックは不変のままだ。


「チャリのタイヤってアホみたいに細いやんか?」

「まあ、そらカブとかに比べたら・・・・・・」

交番配備の警ら用カブを思い浮かべる。最近ではスクーターも増えてきているが、それ抜きにそもそも時速30km以上を通常速力とする警ら用バイクでは安定性も含めて自転車用の数倍は太く作られている。

「あんな細いタイヤは、超高速回転に当然耐えられへん」

急な坂を自転車で降ったときに、速度が増加するにつれて制御が難しくなっていった子供時代の記憶を高砂は思い出す。

「発射圧力に対して車体重量が軽すぎたんやと思う。射出と同時に思っきしタイヤが空転してや、なんとか速度ついたけど、制御失って柵に激突して、そんまま11月の浜寺水路に墜落したわ」

先程までの高砂の脳裏に浮かんでいた無駄に格好よかった絵面が、いきなりハプニング大賞に変わる。

「背中一面の打撲を負って力入らんくてさ、そんで溺れかけて死にそうになるわ、チャリンコ全損さしたんをオカンに死ぬほど怒られるわ、風邪ひくわ、おまけにこじらせて肺炎化してまたオカンに怒られるわで危うく死ぬとこやったわ」

「・・・・・・ノーベル賞どころかもう少しでダーウィン賞やったな」

技術力に対して、あまりの結果のアホさ加減に高砂がコメントに困る。そんな高砂の様子に気付いているのかいないのか、橋下は話を続ける。

「でも今の俺の魔法使いとしての力使たらいけるんちゃうかって思うんやわ。リベンジ出来そうやん?」

むしろそれでは絵面がトップガンではなくETになるのでは、と高砂は思うがそれ以前の懸念をまずは口にする。

「九死に一生の割合を10:0じゅうゼロにしたいんか?」

「言うて、魔法使いが空を飛ぶのは古式ゆかしい伝統やろ」

珍しく天満がツッコミを入れないな、と思って高砂が部屋を見渡すと、あまりのアホエピソードぶりに必死に笑いを堪えている天満が目に止まった。

「ダーウィン賞に日本警察堂々のエントリーとか堪忍せえよ」

お笑い大阪府警ネタのレパートリーを勝手に増やすなと高砂が続けたその時、係長卓の電話が鳴った。

2コール目を待たずに津久野係長が電話を取る。つい先日、係長卓の電話が交換され、強制スピーカーモードが改善された。そのきっかけは、それより数日前に交通課に予算が付いて電話が更新され、それに伴ってお下がりを貰えたからだ。高砂が退院後に一番驚いた出来事がこれである。

ふんふんと相槌を打ち、何事かをメモに控えると、係長はすぐに受話器を置いた。

「人の転落死、現場からマリコ」

係長の言葉に高砂が盛大な溜息を吐いた。

「・・・・・・空を飛ぶのは古式ゆかしい、なんてや?」

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