Drug and tattooing 5
「捜査打ち切り?」
春秋亭の担々麺と回鍋肉で各々の腹を満たし、グリ下で流通する杉本会系列の薬物とグリ下の魔法使いの話を係長に報告した橋下と天満が、捜査会議に掛け合うので少し待てと言われたのが、昨日の16時頃。
会議後になると、明日には様子伺いの結果が返ってくるからもう少し待てと言われ、その日は定時で解散した。
そしてその翌日、つまり今日の朝になって、魔取による捜査の打ち切りが津久野係長から宣告された。
「どういうことですか」
「どっかから圧力でもかかったんですか」
いや、と津久野係長がその質問に対して否定で答える。
「担当部署が決まってんや」
「なんやねん、「いつものやつ」かいな」
「でも言うて、
大抵、魔取における事件取り扱いは、ある程度のところまで調べが進むと、魔法抜きで考えた場合にどの法律を適用するかを検討し、そこから担当部署が決まる。
初動捜査よりは深いところまで捜査を行うが、解決まで魔取が担当するのは、軽微な犯罪の場合を除き非常にまれな事例である。
それだけに、今回の事件は魔法犯がかなりのところまで関与していそうな分、解決に至る一歩どころか半歩手前くらいまでは捜査が割り振られるのではないかと、誰も口には出さなかったが、ぼんやりと考えていた。
となると、一体どこが担当になったかが次の関心ごとになる。
「担当、生安ですか?」
津久野係長がかぶりを振る。
「本部の捜査四課や」
「「「四課?」」」
天満と橋下だけでなく、その場に居合わせた松屋まで聞き返す。
その質問に対し、実はなと津久野が説明を始めた。
「この事件に関して、全く別方向で杉本会を捜査をしとったら、今のシノギの薬物関連でどうも、今回のと捜査線が交差したらしくてな」
はあ、と気の抜けた相槌を誰ともなく打つ。
「こないだ、うちの管内でとっ捕まえた、今回の端緒になった売人おったやろ?決め手なったんは、その売人やねんや」
「あの売人が?」
そう天満が返すが、天満に限らず3人の頭の中で、どうにもそれぞれの線が繋がりそうで交差しない。
「そいつと連絡が取れんことを不審がって逃亡を企図した奴がおったんやけど、そいつが丁度別件の恐喝事案の参考人でな。ほんで、暴対法関連で張り込んどって、取っ捕まえてみたら薬物側で捕まったと思ったんか、その方面の供述をベラベラ喋りおってな。蓋を開けてみたらそいつが件の「グリ下の魔法使い」やったってわけや」
「ああ、あの」
何のことはない、先日の職務質問からの検挙事案でとっ捕まえた売人がそこで繋がっていたのだ。
そして、その売人と連絡が取れなくなり逃げようとして捕まった。それだけの話なのだが、捕まった人間の構築していたネットワークが南港署の案件に見事に覆いかぶさった形になる。
「ヤクザ未満の半端者が貴重なシノギのネタ適当にカサ増しして上前ハネるわ、シノギのネタの一部に魔法かけて足りひんくなった分、効果をブーストさしてごまかすわ、そないなことしとったから、なんや杉本会内部の制裁リストに名前出てたらしいんやわ」
どうやら事情は内部制裁の名を借りた、リンチ事案に発展しかけていたらしいことをここで天満たちは悟る。
「見せしめ制裁がもう少しで起こるところやってんや。時代遅れの指詰めか、グリ下で血の海に沈められるか、そのどっちかは分からんけど、なんぼ組員未満の構成員とはいえ、暴力事案に巻き込まれる訳にはいかんからな。結果として、反社の構成員による暴力事案を未然防止した格好になる」
「じゃあ何すか、ただ俺ら振り回されただけなんです?」
「組対がスピード勝負の方針に舵切ったやろ。ほんで、捜四も必然的に速攻勝負をせなアカンくなってんや」
事件の方向性が違うと、担当部署以外への情報の共有は通常行われない。そのため、こうしてお互いに関与がないと思われた事件が交差した時にとてつもなく厄介なことが起きる。
限りなく、風が吹けば桶屋が儲かるの玉突き理論でどこからともなく生えてきた捜査四課が手柄を横から掠め取っていった形になる。
大方、組織犯罪対策本部もいい顔をしなかっただろうが、薬物が関与した時点で暴力団がバックに控えていることが容易に想像できた分、渋々承知した絵面が橋下には想像できた。
「「ただ中抜きしたがった下っ端構成員が適当なことやってただけや言うんが分かった。ご苦労、後は任せろ」というのが組対本部様のお言葉や」
「実質半グレ未満でしょうが、元からこの事案取り扱ってたんですから身柄はうちの生安で取るもんやないんですか?」
「「反社構成員の保護」に事象が変わったから、捜査四課でやることになったんや。どのみち、危うく半殺しか死ぬ一歩手前まで歩かれそうになっとったからな」
はあ、と今度はため息に近い相槌が橋下の口から漏れる。
「ケジメ以上に、自分に危害を及ぼそうとしてきた組織に忠誠を誓えるほどの仁義は持ち合わせてへんやろ、というのが四課の考えや。ただまあ、これで杉本会に大きな打撃を与えられる。いよいよ解散も秒読み、と言うとこでもあんねん。「助かるわ。自分らのお陰やで、感謝するわ」ってさっき四課長から直々に電話があってんや」
本部の捜査四課長から直々に感謝の言葉を賜る。これは、魔法取締係始まって以来の快挙なのだが、一向の腹の中は同じだった。
「はー、クソが、結局ただ働きかいな」
松屋の愚痴の傍らで、天満がため息をつく。
「ちょお、トイレ行きますわ」
どことなく肩を落として天満が事務室を出て行く。
取調べが進んでも、おそらく魔法取締法違反は本部の魔取が担当することは想像に難くない。この時点で所轄署の魔取は、お役御免を宣告されたも同然なのだ。
もしかすると裏付け捜査で関わりを持つかも知れないが、それはごく一部に過ぎない。徹頭徹尾関与できるかも知れない期待があっただけに、天満の落胆ぶりは、この係にいる誰もが痛いくらいに理解できるのだった。
「気ぃ落とすなやー、我々の仕事の本質は治安の維持やでぇー」
「でも言うて、こんな感じの中継ぎの捜査ばっかですやん、うちら」
「そのクセやることだけは多いし、やったらやったで今回みたくオチの手柄はお召し上げやし・・・・・・あっ」
大事なことを忘れていた、とばかりに橋下が津久野係長に質問を飛ばす。
「その、「グリ下の魔法使い」は何歳やったんです?」
「被疑者の年齢?」
訝しがりながらも、津久野係長が手元のメモ紙を漁り読み上げる。
「石津秀雄、31歳。グリ下のガキどもを食い物にしてた悪い大人だ」
ここまでは教えてもらえた、と微妙な顔をした津久野係長の意図するところとは違う部分で橋下はがっかりする。
「30過ぎの魔法使い」。天満がこの場にいなかったのは幸いか、と思った橋下は昨日の賭けもうやむやにしてしまおうと同時に思う一方、不満がやはり口から溢れる。
「全く、こないコキ使うんやったら待遇改善の1つや2つでも・・・・・・」
そのとき、事務室の戸口が空いて、隣の警備課の2年目巡査、田辺が顔を覗かせた。
「署内回覧でーす」
「ん、おお、ありがと」
田辺が持ってきたバインダーを松屋が受け取る。
魔法取締係は本来は組織編成上、刑事課の下に位置する係なのだが、刑事課の事務室に空きが無かったため、魔法取締係だけ部屋が別立てになっている。
事務室と称している部屋は、元は第二証拠品保管庫という名称こそ付いていたものの、単なる物置として使われていただけの小さな空間があてがわれたに過ぎない。
たまたまスピーカーが壁に取り付けられているから事件事故への即応体制こそ維持できているものの、掘っ建て小屋が建物に組み込まれている、と言われ続けていた物置が昨日今日で綺麗になるはずもなく、ほんの数年前に新編されたばかりの係の割に、事務室だけはやたらと年季が入っている。
おまけに署内の隅の部屋なので、署内回覧文書の最後の行き先で、後はバインダーを総務課の巣箱に戻さなければならないのだが、その総務課はまた署の構造上、この物置事務室とは対極の位置に部屋がある。
毎回毎回バインダーを返すのが面倒でほったらかしにして事務室の一角でバインダー貯金をしていたら、2ヶ月前に総務課から直々のお叱り電話をスピーカーモードで聞かされる羽目になって以降、しっかり返却しているのだが、今日に限ってはそのままこの事務室のバインダー置き場に放り込んでしまおうかと松屋は考える。
しかし、バインダーに貼られたテプラの「必ず返せ!総務」の文字が目に止まり、後で天満に渡そう、と思考を切り替えた。
回ってきた文書を挟んだ、天満行きの予定のバインダーを片手に松屋が中身を読み上げ始める。
「えーと、「署内のウォーターサーバー設置に伴う臨時厚生費徴収の案内」?」
「なんぼや?」
「1人2000円出せて」
ふむ、と少しだけ考えて津久野係長が口を開く。
「軽めに一杯行ける額やな」
「待遇改善の1つや2つでもとは言うたけどやな・・・・・・設置場所は?」
「当直室と交通課に1台、刑事課事務室に2台やって」
「刑事課って、うちの事務室は?」
んん、と松屋が文字を二度三度睨む。
「載ってへんな」
係長卓の前からつかつかと松屋に近付き、回覧のバインダーから案内を引っぺがすと、橋下はそのまま丸めて事務室戸口横のゴミ箱に投げる。
そのタイミングで帰ってきた天満が、丸めた紙が飛んできたのを見るや、戸口の近くに置いてあったバインダーを咄嗟に手に取り、右打ちで打ち返した。
丸まった、ウォーターサーバー代金のカツアゲ文書は橋下の頭上を通り越すと、見事に橋下の机に着地し、一連の動きを見ていた松屋が「フィフティーン・ラブ」とジャッジを下す。
今日も預かり知らないところで、担当したはずの事件が解決していく。「刑事未満の何でも屋」の誤解が解消されるのは、まだまだ未来の話である。
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