Drug and tattooing 4

「外傷と魔力自傷はすぐに分かります!」と大書きされた、やや年季の入った注意喚起のポスターが受付カウンターの下に貼られていた。厚生労働省のロゴの入ったA1大の紙面には、大きく掌をこちらに向けた、渋い顔をしたベテラン俳優が映し出されている。

魔法が世間に認知された当初、魔法で自傷し保険金を受給する事例や、その外傷で得た処方箋を不正に転売する事例が多発したため、予防の一環として作成されたポスターである。

魔法を使えば、自分で物理的に傷付けられないような部位でも傷を付けることが出来るし、なんなら加減なくダメージを与えられる。流石に瀕死の重傷を負うレベルの自傷事例は少なかったものの、不正受給を目的とした、魔法で自傷に及ぶ事例が多発した時期が少し前まであったのだ。


魔法外傷で処方される薬自体も結局、通常外傷、要は擦り傷、切り傷、火傷の薬と変わりはないのだが、そこが問題であり、特にあいりん地区では、路上で非正規に開催されるブルーシートの個人商店、所謂「泥棒市」で国民健康保険への不加入者に対して処方箋が転売されていたことが判明している。

元よりあいりん地区ではそうした泥棒市での処方箋転売自体は昔から散見される上に、検挙事例の中にも実例がある。

あいりん地区の抱える病理の深さは、労働者センターが小綺麗な建物に移転し、世界中を謎の流行病が席捲し、それから魔法という摩訶不思議な力が跳梁跋扈するようになった現在でも、残念なことに変わりはない。


しかしながら、自傷であれば通常の魔力外傷に対して強い魔力が残る傾向がある。至近で魔法を放つので、魔力の大小によらず濃い魔力反応が出るのだ。本来の外傷と釣り合わない魔力反応が出るので、それで分かるという算段である。

そんな傷を海外の法執行機関の関係者の間では「マジカル・タトゥーイング」と呼んでいるらしい、ということを天満が知ったのは、生安時代に知り合った萩ノ茶屋の薬局の主、薬剤師の福島との会話の中でのことである。


「なんですのん、今日は休みですよ」

では何故休みのはずのここにお前はいるのか、という疑問はすっ飛ばし、天満はポスターの俳優が睨みを効かせる前で橋下と共に、福島に質問を飛ばす。

「質の悪い安価な、チンケな薬が出てへんかなと思って」


若年層で魔力の過剰摂取が流行っている。これは、天満がコスモスクエア駅での何回目かの張り込みのときに長居から雑談のように聞いた話である。

なんでも、魔力がフローオーバーした状態の高揚感というか、浮遊感が何とも言えず心地いいのが流行りの理由らしい。ごく稀にそうした施術を行う整骨院やマッサージ店があることにはあるが、基本的に微量な魔力注入しか行わないこととされている。

人体に不可欠の水であっても、摂ればいずれ不要な分は体外に排出される上、摂り過ぎれば最悪水中毒を起こす。

魔力にしても、限度を超えて摂取して良いことがあるはずもない。そこにただでさえ違法な薬物の効用が加われば、最早言わずもがなである。

単なるこぼれ話同士が繋がり、点と点の間に線が結ばれようとしてた。


「思い当たる節ですか」

「あるやろ」

ええと、と福島が逡巡する様子を見せる。記憶を探っている様子ではあるが、どちらかと言えば、心当たりはあるものの、求められているたった一つの正解がどれか分からない、といった有様だ。

「ええねん、魔法の粉に魔法をかけたやつを探してんねん」

その一つだけでええ、と天満は続ける。しかし福島は答えあぐねている。


「お前、「汚れたオムツゲーム」やらすぞ」

煮え切らない様子の福島に若干しびれを切らしつつ天満が迫る。

「勘弁してくれや、アレだけは嫌やで」

心底慈悲を願うような表情を浮かべ、福島は「思い当たる節」とやらを一つだけ挙げた。

「実を言うとですよ、最近なんか、杉本会系列の末端から出る薬物から変なキマり方をするのが出始めてるという真偽の分からん噂がありますねん」

「杉本会?」

杉本会は反社の中でも、主流の会派から見ると下部組織も下部組織、昨今では不動産投資に失敗した上、資金洗浄容疑で幹部が1人逮捕されたことで、崩壊しかけのところを下手なシノギでなんとか存続させている風前の灯団体である。


「グリ下付近、黒みのかかった短い金髪の、洗濯してない、よれた黒いセーターを着た奴から流通したあるんが確かそれですわ」

「・・・・・・随分詳しいな」

「グリ下か。舐められたもんやな」

橋下が心底腹立たしげに呟く。

グリ下。道頓堀のグリコ看板下の略称であり、昨今は東のトー横と双璧を成す、家出した青少年の溜まり場という側面を持っている。また、トー横同様に若年層を中心とした薬物の流通、売春行為等の犯罪の温床と化しており、管轄する南警察署と本部生活安全課の頭痛の種となっているのもまた事実である。


「まあ、そんなチンケな粗悪品は頼まれても買わんやろ?」

「当たり前やないですか!」

反射的に発言し、福島は一瞬しまったという表情を浮かべる。字面だけを辿ると「薬物を買わないのは当たり前」とも取れるが、福島の発言には「そんな質の悪いものは使いたくない」という意図がある。すぐに「買わないのは当たり前」という意味の発言もあることに気付き、福島は1人で勝手にドツボにハマる。

そんな福島の様子を敢えて2人は無視する。

「そいつの名前は?」

今度は橋下が詰め寄る。

「そこまでは知りまへん、けど・・・・・・」

「けど、なんや?」

緊張で福島が唾を飲み込む。ただでさえ乾き気味の口から唾液が引き、唾液量の少なさに由来する特有の臭気を放つ福島の口臭が少しだけ濃くなる。

「どうも「グリ下の魔法使い」と呼ばれてるみたいですわ」

その通り名を2人はメモに控える。貰えそうなヒントはここまでだろうと判断し、2人は退くことにした。


「毎度。ところでさ」

「へえ、なんでっしゃろ」

「瞳孔、開いたあるで」

すう、と息を吸い込む音が聞こえた。

「堪忍、堪忍や」

「今日のところは見逃したるわ」

けど、と更に天満は続ける。

「次会うたときに目ぇキマっとったら市中引き回しの末に留置場放り込んだるからな」

それだけ吐き捨てると、2人は薬剤師の元を去った。


「あのよお」

「はい」

「昼、どないする?」

時計を見ると14時を回っていた。昼飯時と呼ぶにはやや遅い時間帯である。春木の取調べの後、天満の思い付きで萩ノ茶屋まで出てきたので、すっかり飯の食い時を逃していたのだ。

「この辺やったら富士屋あるけど」

「んー、春秋亭でええんとちゃいます?」

「あ、南港戻る?」

南港署の近くにある春秋亭は、やや油が強いが、安く食える中華料理店であり、半ば南港署員御用達の店となっている。

「まあ、でもいっぺん戻ろか」

「今日はレバニラですか?」

「担々麺の気分やな」

グリ下付近の現状を南警察署に聞きに行くか、はたまた現地に行くか。どのみち、南署を訪問するにしても係長に電話して指示受けするよりかは、一度帰署して報告する方が良さそうではあった。


「ところでさ」

「なんです?」

「なんなんあのゲーム」

「あのゲーム?」

「ほれ、汚れたオムツがどうたら」

ああ、と天満が納得する。

「まず紙おむつに電子レンジで熱したチョコレートバーを」

「「まず」のレベル高ない?」

分かったからそれ以上言うな、と橋下が手を振る。


一先ず手掛かりは掴めた。帰署後は津久野係長に報告して、それから捜査方針の検討か指示受けとなるだろうが、南署生安の協力を仰ぐことになるのか、はたまた組織犯罪対策本部の指揮下か、それとも南港署単体での捜査継続になるのか。そもそも杉本会系の、「グリ下魔法使い」から出る薬物の現物を一度調べた方がいいんだろうか。

「ほんでさ」

天満のその考えは橋下からの会話で中断されることとなった。

「はい?」

「「グリ下の魔法使い」やけどさ」

やや深刻そうな顔をして橋下が天満に聞く。

「30過ぎやったらどないする?」

天満は、0.5秒の呆れを含めた2秒ほどの沈黙を挟んで「過ぎてる方に春秋亭一回分」と返した。

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