Drug and tattooing 3
厚生労働省の麻薬取締部と略称の読みを同じくする「魔取」は「麻取」とそこまで仲が良くない。とはいえ、不仲という意味ではない。この「仲が良くない」というのは、畑が違いすぎるので関わりを持つ場面が少なく、お互いの業務と性質を理解するのがまだまだ先になりそうであるということを意味しており、実際、理解の延長線がお互いに交差するのがいつになるのかは全国の魔法取締係刑事にも麻薬取締官にも、ましてや全国の警察官の誰にも分からないのが現実であった。
この事件はどこまで組織犯罪対策本部が担当するんだろう、という疑問を持ちながら橋下は留置場への通路を歩く。
そもそも魔法取締係は薬物関連にそこまで明るくない。名前繋がりのゲン担ぎと暇そうという偏見から組対本部や生安からの薬物事犯関連の応援には頻繁に呼ばれるものの、知識に関してはせいぜい交番の地域警察官の、つまり一般的な教養を受けた警察官の知識と同じくらいである。あるいは場数を踏んだ刑事ならば多少は詳しいかも知れないが、少なくとも南港署の魔法取締係の刑事は生安出身の天満が他よりも少し詳しい程度で、それでもやはり薬物の細かい現状にはあまり詳しくない。
留置係の執務机に置かれた書類に、取調べ目的で留置場から被疑者を出す旨を記載すると、色白な顔をした留置係の巡査が当該被疑者に腰縄を掛ける。
日の当たらないところで勤務するせいで留置係は色白になっていく。アメリカの警察では内勤警察官を「ハウスマン」と揶揄することがあると橋下は聞いたことがある。しかしながら、日本の警察において留置係は刑事候補生という側面を持っている。
「もうじきなんやっけ?頑張りや」
「ええ、はあ・・・・・・」
もうじき刑事になれるんだな、頑張れよ。そう言った橋下の言葉に留置係がどこか曖昧な返事を返す。激励の言葉を受けても、魔法取締係の刑事に対しての消しきれない偏見を抱いているような雰囲気が彼からは出ていた。
「よし、ちょお来てや」
そんな警察内での空気感が分からないパーカー男は、留置場の規則に従い、パーカーからグレーのスウェットに着替えていた。
春木彰宏、20歳、大学生。それがパーカー男の素性だった。
第2取調室と書いたプレートの吊るされた部屋まで橋下たちは連れ立って歩き、元パーカー男こと、春木に入室を促す。
年季の入った小傷の目立つ古い取調室の机に着席させると、傷だらけの顔を引っ提げた橋下は可能な限り柔和な表情を浮かべ、努めて優しい語調で話し始める。
「春木君やね。よろしく、今日の取調べ担当の橋下です。橋下恭一。都知事とおんなじ名前の」
「・・・・・・大阪都構想が実現した世界から来たんですか?」
「ええやんけ、
早速橋下がボケを挟むが、今一つ春木には通じていない。
「・・・・・・君、「踊る」知らんのか?」
「ええ、と」
話題について行けていない春木が助けを求める視線を書記係の天満に投げる。
「先輩、多分ドラマ版のネタは今通じませんよ」
気付いた天満が助け舟を出した。
「ええ、嘘やん」
一人で勝手にショックを受ける橋下にどう声をかけるべきか悩んだ春木が口を開く。
「えー、と、あの」
「ん?」
「殴ってすんませんでした」
「おお?」
かなり素直に公務執行妨害について謝罪が来たことに橋下も天満も意外さを感じた。昨日の猛抵抗から、てっきり取調べが難航するとばかり思っていただけに、これは快調な兆候ではないかと橋下だけでなく天満も期待を抱く。
少し考えて橋下が取り調べを始めた。
「あの動き、パルクールでもやっとったんか?」
「いえ、ただ、身体が昔からよく動くんです」
はにかみながら、使う局面が今まで無かったんですがと春木は答えた。
「勿体ないなー、体操でもやればよかったのに」
「うちの高校、無かったんですよ体操部」
少し世間話をしたところで、本題だと橋下は切り出す。
「真面目に行くで。覚醒剤取締法違反と公務執行妨害に器物損壊、それと魔法取締法違反についてお話を伺います。まずこの事実に間違いはないね?」
罪状認否と事実確認を行うと、少し躊躇ったものの、これもやはり素直にはいと春木は答える。
「まず、運び屋についてやけども、何でやったん?」
「なんか、先輩から割のいい仕事があるからって聞いて・・・・・・」
「その先輩は?」
「一緒に捕まった・・・・・・」
「ああ、あの」
何のことはない。あの茶髪こそが春木をこの道に引き摺り込んだ張本人だったのだ。
「なんて名前なん?」
基本情報を聞き出す。実のところ、例の茶髪の素性は春木共々もうとっくに裏付けが取れているが、相違がないかを共犯者からも聴取することでより確実な裏付けとすることができる。この手続きで、実は全然違う身分を共犯者に騙っていたりするとまた隠れた意図の存在を知ることができる。これは、事実以外の可能性を排除するためのものでもある。
そして、その目論見は本人の自供内容と春木からの供述内容の一致によって満足することとなった。
「なんか荷物を運ぶだけっていう風に聞いてたんです。
で、荷物はたまに警察を騙る奴が奪いに来ることがあるので死守しろ、たまに本物の警察が来ることがあるが、1回目の仕事で来ることはないから安心しろ、と言われてたんです」
黙って天満は調書に筆を落とす。
「ニセ警官なら殴っても大丈夫やと思って、逃げようとして殴りました。逮捕されて警察署まで連れて行かれて初めて本物やと・・・・・・」
うーん、と橋下が頭を掻く。
「内容聞いて非合法な仕事やとは思わんかったん?」
「なんとなくは・・・・・・」
察しはつくのに勿体ない、と橋下が心底残念そうに感想を述べる一方で、天満が調書に書き込みを続ける。
「1回目で警察が来たときのパターンは説明無かったん?」
「その時は「俺が引きつけるからお前はブツ持って逃げろ」って言われてました」
「・・・・・・春木君さ、人に騙されやすいって言われたことは?」
「・・・・・・たまにあります」
たまに、じゃなくてお前は騙されやすいんだよと橋下は言ってやりたい気分になったが、残念なことに目の前にいるのは既に身分が被疑者となった後の人間である。
ただ素直なだけの若者であるが故に起きた悲劇、もしくは指示待ち世代が起こした薬物事案。単純に見るとそれで片付いてしまうが、その結果が公妨に始まる一連の複合犯に付随した、薬物犯プラス魔法犯の重要参考人、という目も当てられないものになっている。
「勿体ないなあ、君は」
「・・・・・・すんません」
ある程度の供述を得たところで、一通りの動機や公妨の供述はもう固まっただろうと判断し、橋下は魔法犯としての供述を得るべく、二の矢を放つための作戦を頭で練り始める。
勿論、魔法犯として聞きたい話は器物損壊の方ではなく薬物関連の方である。
とはいえ、春木が薬に魔法をかけたとしたら、わざわざ受け取り作業をあんなに目立つところでやる必要性はない。
つまり、誰か魔法をかけた実行犯が他にいることになる。
「そう言えばさ、魔法使えんねやったら、仲間内に誰か他にもおれへんか?」
「・・・・・・何の話ですか?」
橋下は直球勝負に出ることにした。
「君以外の魔法使いや。薬に魔法かける、という話聞いたことない?」
春木が怪訝な顔をする。
「魔法もなにも、アレ自体魔法みたいな薬ちゃいます?」
「んー、とな、そこで口硬くならんでええんやで」
義理堅くなる必要はないんや、と諭すような口調になるが、当の春木は少し困ったような顔をしている。
「なんか、僕が思ってんのと違う話してます?」
どうにも合ってるようで話が噛み合わない。
沈黙が数秒、何かを促されていると感じた春木が先陣を切って口を開く。
「あの、僕はただの運び屋、って言うんですか・・・・・・まあ、それであって、売人やないんです。そもそもアレが薬物やと思ったんは、あのロッカーの中見た時が初めてなんです」
意図しない方向に話が展開し始めるが、橋下は黙って首を縦に振る。それが答えだと感じた春木が更に続ける。
「モノは運ぶだけ、手え付けたら殺される、て聞きました」
「ほな、誰か知ったあるやろ?心当たりは?ん?」
「・・・・・・一体何の話ですか?」
2人の、勾留中の春木を含めるとこの場に居合わせた3人の頭に形は異なるが、疑問符が浮かんだ。
「・・・・・・いや、悪かった。取り敢えず、君の魔法使いとしての話を聞きたいんやわ」
取調べとはいえ、自分で振った話題で最悪の空気を生み出したという事実にいたたまれなくなり、橋下が供述の続きという名目で話題転換を図った。
そして一通り、公務執行妨害、器物損壊、魔法取締法違反についての調書が完成したところで春木の取り調べを終えた。
協力的だったこともあり、すんなりと作成が進んだが、肝心の薬物の出どころだけは判明しなかった。それどころか、魔法犯が裏に潜んでいる事実すら春木はどうやら知らない様子であることが逆に判明する始末だった。
留置場に戻ると、組対本部への身柄の移送のための護送手続きを取られている最中の茶髪と入れ違いに、春木の再留置手続きを取る。
そしてその足で2人はそのまま事務室に引き上げる。
調書を挟んだバインダーを机に置くと橋下は係長の元に赴く。
「係長」
「おお、どないやった?」
期待する津久野係長に橋下は言った。
「行き詰まりましたわ」
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