Drug and tattooing 2

黄色いMの文字をモチーフにした企業ロゴの入った紙袋が、机の上でいくつかクシャクシャに丸まって散乱している。

「砂糖砂糖砂糖〜砂糖を吸うたら〜直で直で直で〜頭によく効く〜」

ゴミくらいさっさと捨てればいいのに、と天満は少し上の先輩のデスクを見て思うが、当の先輩こと橋下は少し外れた調子を付けた即興の謎の歌と共に、机の上にひいた持ち帰りコーヒー付属のスティックシュガーを付属の紙ストローで鼻から吸い始めており、そんな余裕はもう残っていなさそうだった。

標準サイズの持ち帰りコーヒーは、蓋を外した状態で中身を空にして丸まったいくつかの内の紙袋の手前で佇んでおり、紙製ストローという液体と相性の極めて悪い代物がこのコーヒー相手に使われなかったことだけは説明されずとも分かる。


「もうこんなんでもせなシンドいねん」

天満の視線に気付いた橋下が絆創膏と包帯だらけの、目の下にクマの浮かんだ疲れ切ったダメージ加工済みの顔を向けて言い訳を始める。

「糖分足りひんねん!」

「ブドウ糖でも舐めたええんちゃいます?」

事務室の出入り口付近には、電気ポットを置くための台があり、その横には各自で持ち寄ったインスタントコーヒーやら菓子類が置いてある。そしてその中には、誰のどういう趣味なのか、ブドウ糖の飴が転がっているのも事実である。

各自の持ち寄りは特に定めている訳でもなんでもなく、気付いた誰かの趣味によって煎餅やらあられ菓子やらが逐次切れる前に置かれるに至っている。

各人の趣味に依存するならばむしろいっそ月に一度数百円程度を集金して、週替わりにでも決めた担当者が何かを買って来ればいいのだろうが、年一回の会計監査に引っ掛かる可能性に気付いた係長により、「絶対に集金するな」との厳命の元、あくまでも各人の趣味の前提に従い担当者不在のまま持ち寄られている。


「もうちょい手軽で即効性のあるやつが欲しいんやわ」

じゃあ、と天満がスマホを取り出す。

「最近の僕の趣味がユーチューブ鑑賞なんです」

「ふーん?」

「最近見つけたんすけど、チ○コにアルミホイル巻いてコンセントに突っ込む動画があってですね」

「お前の精神が不安やわ」

というか、そんなんユーチューブに転がっとるんか、と疑問を口にするが、天満はことも無げに「見ますか?」と再度推すだけであった。

見ない旨を掌を振って天満に伝える。

「なんや余計に疲れたわ」

はあ、と小さなため息を吐くと、橋下は机に向き直った。


「なんで応援ごときが書類まで作らなアカンねん」

全部組対でやれよと愚痴を溢すが、一件書類は各犯罪ごとに作成することとされている。

つまり、覚醒剤取締法違反、公務執行妨害、器物損壊、魔法取締法違反の4件分の書類が必要なのである。これらの内、覚醒剤取締法違反だけは組対本部がやってくれることにはなったが、それ以外の書類は南港署、というよりかは橋下が作成しなければならない。


「そらお前、現行犯逮捕現逮してもうたからやろ」

「そこをなんとか係長」

逮捕の場面で捜査員に薬物入りのパケと火炎放射を放って逃亡を図ったのだ。単なる覚醒剤取締法違反で片付かず、公務執行妨害に魔法取締法違反の現行犯というオマケが付いた以上、最後に被害を被った捜査員が逮捕し、調書を取るより他はない。すんなり取っ捕まった茶髪は今日の昼過ぎには本部に身柄が移送されるが、現行犯で余罪が付いたパーカー男にはその分の取り調べまで控えているのだ。


「あ、せや、高砂は?」

気晴らし、と言わんばかりに更に橋下が天満に話を振る。

「高砂部長はですね・・・・・・」

あまりにぼこぼこに殴られたので、結局橋下は昨晩の捕物の後は警察署に戻らず、そのままコスモスクエア駅から高砂の付き添いという名目の下、一緒に救急車で搬送されたのだ。その一緒に行った高砂がどうなったのかを聞ける前に、軽い手当だけ受けて南港署に引き上げたので、橋下には高砂の容体が死んではないらしいこと以外まだ分かっていない。

「まだ警察病院北山町から帰って来られへんっぽいわ」

津久野係長の言葉に昨日の光景が橋下の頭に蘇る。

「やっぱしですか」

「鼻先で覚醒剤の大袋が破けてダイレクトに吸引して、今は現実と幻覚の区別が付いてへんのやと」

「医者が言うには、オーバードーズで死なんかったのが奇跡らしいですよ」

津久野の説明を天満が更に補足する。

「薬が身体から抜けきるまであと2日、復帰に経過観察含めて2週間はかかる見通しや」

暫く戦列復帰は絶望的である。今の説明で充分すぎる程に理解する。


「全く、人が足りひんからって応援に駆り出しよって。魔法使いが物理に弱いんはRPGの鉄則やろ」

愚痴を吐き出しつつ、橋下が顔の傷を痛い痛いとさする。

「怪我したんは君が単にフィジカルクソザコモンスターやからや」

「でも橋下さん、逮捕術は?」

「あんなん、よお出来た護身術やなあくらいにしか思っとらんわ」

「朝礼後の術科訓練を一体なんやと思っとるんやお前」

「いや、言うて僕もう30なりますからね」

言い訳とも取れない言い訳をする橋下が、ふと、ある事実に気付いて、ちゅうかよぉ、と更なる話題の転換を図る。

「30過ぎて魔法使いって、もはや蔑称やん」

「そら偏見やなあ」

津久野係長が橋下を軽く睨む。

「言うて係長も、もう42ですからね」

昨日の捕物でもう身体結構ガタきてるんちゃいますか、と続けた橋下に津久野係長は少し微妙な顔をする。

「実際、ちょっと足痛い」

事実として、津久野係長は本来は張り込みをするような役回りではない。そもそも昨日の張り込みは、生安の人間が1人どうしても足りなくなったことと、被疑者確保に至る公算が大きかったために現場指揮官の幹部を用意したかったという2点があったので、わざわざ係長自ら現場に出たに過ぎない。


「30歳の何が悪いのよ」

机で爪を切りながら、橋下の発言に横から口を挟む。

「おお、おったんかいな、まっつん」

まっつんこと松屋薫。先月の末で見事に30歳になったばかりのさそり座の独身女である。

この松屋は、昨日は日中のシフトだったために、夜の捕物には参加していない。

「この〜世〜を花に〜す〜るた〜めに〜」

「命を〜う〜たう〜」

「「30〜歳〜」」

どこか外れた調子の「この世を花にするために」で橋下と天満が囃し立てる。

「なんなんこの部屋」

小学生さながらの橋下と天満の様子に松屋が切った爪を捨てながら盛大にため息をつく。

ストレートではなく様々な職業を経ているために警察官としての経歴はまだ浅いが、その実、松屋は魔法取締係の中でも屈指の魔法力を有しており、各種魔法がしっかりと使えるれっきとした魔法使いの刑事である。

しかしながら、敬意の欠片もない感じの29歳巡査長とそれに付き合わされている25歳巡査長という職場の絵面に「本当にこんな連中が治安を守ってていいのか」という、巡査拝命から数える事幾星霜、魔法取締係配属から何度目になるか分からない、答えのない疑問を松屋は抱く。


「人生30過ぎてからが華よ華」

爪切りをしまうと、ふふん、と松屋が鼻を鳴らした。

「・・・・・・30過ぎの魔法使い」

「殺す」

がん、と激しい音を立てて松屋が立ち上がると同時に橋下を追いかけ始める。

「わあったって!そない怒んなや!」

「まず土魔法でお前の目に甲子園の砂をすり込む」

「あかん!マジや!逃げえ!」

付き合わされて天満も立ち上がる。

「高校球児の夢の残、欠片でなんちゅうことしますねん」

「今「残滓」って言いかけたろお前」


橋下が部屋から逃げ出そうとしたタイミングで係長の電話が鳴った。

「はい、魔法取締係、津久野警部補です」

「おお、津久野か?ちょうどええわ」

電話の主は、ついさっきまで話題に上がっていた組織犯罪対策本部の下松管理官だった。

「あんな、昨日押収したやつ、あるやんか」

「南港のですか?」

それとはちゃうんやけど、と電話の先から概ね話題が一致した旨が伝えられる。

「あれでやあ、ちょっとオモロい話があんねやわ」

下松管理官がこういうことを言うときは基本的に魔取にとって面白くない結果を引っ提げてきたことを示している。

「新種や」

「セアカゴケグモでも出ましたんか」

「やったら保健所にかけとるわ」

「ほなヒアリですか」

「そうそう噛まれてな、ヒーラーが1人必要やねんけど、ってちゃうわ!」

「早よしてくれません?時間ないんですけど」

「お前のせいや!」

どっちもどっちでは。部屋の刑事全員の意見だった。

係長卓の電話は故障しており、常にスピーカーモードになっている。それも音量調整が効かないので、他に電話が鳴っていない限りは部屋のどこにいても聞きたくなくても全てが聞こえる。

大抵の場合、誰か他の係員の卓上電話が鳴るのだが、知らずに責任者だろうと係長にかけるとこうなることがままある。

全てが筒抜けになるため、南港署の署員に限らず、事情を知っている関係者は内容の如何を問わずして係長卓にかけるのを避けている。

しかし、組織犯罪対策本部には係員の誰もこの事実を教えていないし、また、この場にいる誰もが別に教えるつもりも無かった。降りてくる厄介ごとを、係長を介せずに聞き取れるのがその理由であった。

とはいえ、高確率で係長との特に面白くもない漫才を挟むので、いい加減伝えてもいいかもしれない、と松屋は思い始めていた。

「ほんで、うちにかけてくる、いうことは魔法絡みっちゅうことです?」

それも薬物の、と補足した津久野係長の言葉にその通りと下松が続ける。

「昨日のコスモスクエアとは別件で押収したやつがあんねやけど、その押収品の一部を検査器にかけたら魔力痕マリコが出てんや」

予想はしていたが、マリコの単語が出た瞬間部屋中のあちこちからため息が漏れる。

魔法を使うとその痕跡が必ず残る。つまり、魔法取締法違反という新たな余罪が眠っていたことを発見した、という電話である。


「薬物自体の純度はそこまで高うない。大方、効果のブーストでも狙ろたんやろ」

「けど、何かしらの魔法がかかっとんのと、それが出来る奴が裏におるってことですね」

「そういうこっちゃ」

「面倒やなあー」

「ええやんけ、他に仕事もあれへんやろ」

お決まりのフレーズなのだが、その言葉にいい顔をする魔法取締係員はいない。

暇そうに見えて魔法取締係は仕事が多い。

鑑識課に限らず、どこもかしこも、それこそ交番配備のパトカーにすら今や魔力検査器を積んでいるご時世であり、一先ず一回現場を検査器でスキャンするのが通例となっている。

その過程でマリコが出ると魔法取締係の出番になる。例えば空き巣現場で解錠や窓ガラスの破壊に魔法を使ったならその反応が出るし、火災現場が火を使う魔法によって引き起こされた放火ならそれもまた反応が出る。

何をするにしても、よほど時間が経って消散しない限り魔力は残る。

特にここ数年は、科学装備研究所の開発能力の向上に伴い、魔力検知器の性能も向上しているがために魔法犯の認知件数が増加傾向にある。比例して魔法取締係の1日あたりの業務が格段に増えてきているのもまた事実なのである。

そうして、駆り出された魔法取締係は「魔力を用いて犯罪行為に及びました」以外に何の証拠になるか分からないような、ほんの僅かな魔力をバカ丁寧に採取して証拠品としてナンバリングする。地味で地道な、後ろ向きな作業である。


「自分らのとこに、昨日公妨でパクった奴、おるよな」

「あの魔法使つこてきた方ですか」

橋下の頭に昨日の、高砂共々病院送りにし、炎魔法をぶつけようとしたグレーのパーカー姿の男がよぎる。

「そうそう、ちょっとソイツな、その方向から突っついてみてほしいんやんか」

「魔法使い同士、なんか知ってる可能性に賭ける訳ですわね」

「おう、頼むで」

ほなな、と言って電話が切れる。

受話器を置くと係長は、今あった通りと口を開いた。

「悪いんやけど橋下、天満、ちょっと彼から話聞いてきてくれや」

どうせ部屋から出るところだった2人は、仕事が入って不完全燃焼状態になった、殺気立つ松屋を尻目に返事をすると、そのまま留置所方向に足を向けた。

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