ライハとリュウガと複雑な感情
「っっ……!?」
パカン! という小気味のいい音が響くと共に、自分の後頭部に衝撃が走ったことにリュウガが顔を顰める。
ゆっくりと顔を上げ、振り返った彼は、そこで見覚えがあるスリッパを手に立っているライハを目にして、不機嫌さを隠そうともしない声で彼女へと言った。
「何の真似だ? 何か、僕に言いたいことでもあるのか?」
「……!!」
「お、お兄様……! ライハさん……!」
スリッパを使い、自分の頭を引っ叩いたライハへと鋭い視線を向けながらリュウガが問いかける。
そんな彼の視線を受けたまま押し黙っているライハと、彼女のことを睨み続けるリュウガを交互に見つめるユイが慌てる中、意を決したライハが口を開いた。
「リュウガさん……! 人が、襲われています。あなたの目の前で、魔物が人に襲われています。見て、わかりませんか?」
「……それがお前の言いたいことか? なら、答えてやる」
自分の目を真っすぐに見つめながらのライハの言葉を受けたリュウガが、静かに刀を鞘から抜く。
彼女と同じく、真っすぐに自分の姿を映す左目を見つめ返しながら、彼は言った。
「僕に、質問を、するな」
「っっ……!?」
「うぁっ、ぁ、ぁぁぁ……!?」
ズシン、と空気が重くなった。リュウガが、目の前のライハに刀を向けながら殺気を放ったせいだ。
直接向けられているわけでもないユイも男も、ただ傍に居るというだけで息苦しさを覚えてしまうほどの重圧。
それを真っ向から向けられながら、刀の切っ先を突き付けられながら、リュウガの前に立つライハは、握り締めた拳を震わせながら彼へと言う。
「確かに、あの方々は罪なき人たちというわけではありません。ですが、だからといって見捨てていいわけではない……今、彼らを見捨てて、親友であるユーゴさんに胸を張れますか? リュウガさんは天国のお父様に顔向けできますか?」
「……貴様が、それを言うか? どの面下げて、貴様が父のことを話す!?」
「お、お兄様っ! 駄目っ!!」
計略によって引き起こされた事態だとはいえ、父を殺した張本人であるライハのその言葉に激高したリュウガが刀を振り上げる。
爆発した殺気を感じたユイが、兄がライハをそのまま斬ってしまうのではないかと思い大声で叫ぶ中、その声をかき消すようにしてライハも叫んだ。
「あなたはっ! リュウガさんは、私を救ってくださいました! あなたたち兄妹の父親を殺した大罪人の私を、助けてくださったではありませんか!!」
「っっ!!」
その叫びを耳にしたリュウガが動きを止める。
上段に刀を構えたまま、自分を見上げる複雑な感情を向ける相手へと忌々し気な視線を返す彼の前で、ライハは言った。
「あの人たちの行動に怒り、絶望するリュウガさんのお気持ちは理解できます。ですが……リュウガさんはあの方々のことを、私より憎んでいますか? 御父上の仇である私を許せても、あの方々のことを許すことはできませんか?」
「貴様……っ!?」
ライハの言葉は、リュウガの心を深くまで抉った。そして、憎しみに満ちていた彼の心を強く揺らした。
心の底からの怒りを覚えながらも、自分を咎める彼女の言葉にリュウガが言いようのない感情を抱える中、ライハが懇願するように言う。
「どの口がと、そう思われて当然です。この後、あなたにどれほど殴られ、斬られたとしても、私には文句一つ言う権利などないことも理解しています。ですが……どうか、お願いです。あの方々を許してあげてください。私を許してくださったリュウガさんなら、それができるはずです」
「~~~~~~~~~~ッ!!」
何かが、ブツリと切れた音がした。本気でこの女を叩き斬ってやろうかとも思った。
しかし……同時に、ライハが自分のことを本気で想っているからこそこうしているのだということも理解できている自分がいて、そんな彼女に怒り以上の強い感情を覚えている自分がいることも理解している。
珍しく逡巡し、謎の感情に刀を握る手を震わせ、息を吐いたリュウガは……目を見開くと、構えていた刀を思い切り振り下ろした。
ただし、その一閃はライハの真横に振り下ろされ、そこから発せられた飛ぶ斬撃がブルー・エヴァーの構成員を襲おうとしていたサハギンの体を綺麗に泣き別れにする。
「リュウガさん……!」
「……僕を、見るな。名前を呼ぶな……っ!!」
ブルー・エヴァーの構成員を助けるために刀を振るった自分を見つめるライハが、歓喜の表情を浮かべる。
その笑みを見ていると、喜びをにじませた声で名前を呼ばれると、形容できない感情が心の中で荒れ狂うことを感じるリュウガは、そう吐き捨てると共にライハの横を通り抜けてサハギンに襲われる暴徒たちの元へと歩み寄り、彼らへと言う。
「とっとと逃げろ。ただし、僕の妹やこの島の人々と魔物に……それと、あそこにいる女に指一本でも触れてみろ。お前たち全員の首を飛ばしてやる」
「は、はいぃっ!!」
「それと、逃げろとは言ったが、しでかしたことに対して何の償いもせずにこの島から離れろとは言っていない。万が一にもそんなことがあれば、僕は地の果てまでもお前たちを追い詰めて殺す……わかったな?」
不機嫌だった。苛立っていた。忌々しかった。殺気が抑え切れないほどに荒れていた。
それでも……どこか、これで良かったのだと思っている自分がいる。正しい道へと導いてくれたライハに感謝している自分がいることを、リュウガは確かに自覚している。
だが、しかし……それが心底、リュウガに腹立たしい気分を味わわせていた。
「……運が悪かったな。今の僕は、止まれそうにない」
「ギョッ……!?」
ライハに諭されたことも、彼女の言うことは正しいと納得していることも、怒りを向けている彼女のことを大切に思っている自分がいることも、何もかもが腹立たしかった。
しかし、戦いに臨むにあたって、刀に邪念を乗せることは剣士として許されることではない。
怒りを、憎しみを、苛立ちを、強引に押し殺したリュウガは、なおも噴き出しそうになる複雑な感情たちを振り払うようにして、サハギンたちを睨みながら叫んだ。
「少し、憂さ晴らしに付き合えよ。さあ……振り切るぜ!」
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