破: 「守ったままで死ねるかよ」


 俺がを初めて見たのは、とある春の金曜日。

 まだまだ夏も遠いそんな頃合いで、場所は今日の待ち合わせ場所と同じだった。


 この日は抱えていた資料のまとめ作業がなかなか片付かなくて、そのせいで相当に疲れていて、どうにか最寄り駅まで辿り着くことができたような感覚だった。いつものルートを通って来られたのかすらろくに覚えていないくらいだった。


 だからこそ――なのだろうか。

 どうにも目立つ顔立ちをしたが制服を着てぼんやりとした表情でたたずんでいて、俺も妙にかれたのは今でも良く覚えている。


 ロングヘアーは嫌味なくらいつやめいていて、それでいて嫌味ではないくらいの明るさのブラウンをたたえていた。一応は地毛だと言い張れなくもないくらいの色合いは、時たま構内に入り込む風になびいていた。


 こんな時間にこんなところで。門限とかはないのだろうかという心配も脳裏を過った。


 その後も何度か、この娘のことはごくまれに見かけはするというくらいになってきた。決まって終電も間もなくという時間帯。何の気なしに見回せば見かけることもあるという感じだったのが、いつしか探すようにもなってしまっていた。


 しかし、状況が変わったのは、徐々に見かける回数が増えてきた感じもしてきていた矢先のこと。


 ――ある時、一瞬だけ目が合ったような気がした。


 そのくらいの時期になれば、もはや周りを探すのが日課のようになっていて、いつも通りに改札前でふらふらとそれとなく視線を巡らせていたときのことだった。

「あ、今日も居るな」と思った瞬間に、バチッと視線が本当に一瞬だけ交錯したような気がしたのだ。


 そういうときにヘンに慌てると、見ていたことなんてあっさりバレる。挙げ句、こんな夜遅くに、たとえて言うならでもするようなものとして考えられたら、一発アウト。何にもありません感を全力で出したまま、流れるように視線を動かし続けた俺は間違いなくファインプレーだと思っていた。


 しかしあれは目が合った気がしたのではなく、紛れもなく目が合ったのだろう。


 それを確信したのは、俺が定期券の更新をしようと券売機に並ぼうとしていたところに、そいつが割り込むように入ってきて、俺の目をじっと見つめてきたからだった。


「……何」


 俺は極めて抑揚無く言った。

 あくまでも平坦に。だけれど、そこまでの拒否感はなく。俺は自然体の権化だ――とそんな雰囲気で。


 だが彼女は、それが聞こえているのかどうかわからないくらいに、俺をじっと見つめ続ける。


 遠目からでも目鼻立ちがハッキリとしていて、いわゆる美少女だということがわかるくらいだ。そんな娘に近くから見つめられれば、かなりの破壊力がある。


 もう少しで吸い込まれそうな気分になる。


 危うく呼吸が止まりそうになる。


 ――彼女は、それでも何も言わない。


 どうしたものか、と考えて。


「……何だよ」


「アンタってさ」


 一応は応えが返ってきた。しかし、思っていたより高い声。もう少し落ち着いた声を想像していたが、それは彼女の見た目に引っ張られすぎていたらしい。年相応よりもややコドモ染みた声だった。


 それにしても、いきなりにしてなかなかの言い草だった。


「口の利き方には気を付けようか」


「知らんし」


「……あ、そう」


 ダメだこいつ、言葉が通じても話は通じないタイプだ――とこの時は思った。

 こっちだって終電の時間が近い。定期は更新しないと帰れない。あいにくチャージも不充分。最悪スマホの方でどうにかなるが、できればそっちは使いたくはない。


 そっちがそう来るのだったら、こちらとしても対処法はある。めんどくさいヤツはガン無視するに限る。君子危うきに近寄らずである。さすがに弾き飛ばすなんてことはあり得ないが、それでもやんわりと、そこを無理なく避けてもらえるように踏み出した。


「……え」


 だけど、そいつは動かなかった。


 しかし、そいつは動じてはいた。


 もちろん、俺はさらに動じていた。


 たしかにそいつは俺の目の前からは半歩だけ避けた。避けたのだが――。


 ――そのまま、俺の上着の袖口を掴んで離そうとしない。


 掴んでいる手はまったく強くない。強引に腕を振り上げれば簡単に振りほどけてしまうくらいの強さだろう。


 だけど、こういうのは、がっちりと掴まれるよりも余程振りほどきにくいモノだ。それをしてきた人間のクオリティにも依るが、少なくとも今の俺について言えば悪い気はしていない。そして恐らくは、この娘はそういう力関係を知っているのだろう。


 それなのに、この娘の目は少し怯えたようなところがある。慣れているにしては不自然だった。


「どうしたんだよ」


 幾分か声色は優しく。できるだけつくろって、しっかりと向き合って訊く。さすがにこれを容赦なく払いけられるほど、俺はまだ人間が出来上がっていなかった。


「お願いがあるんだけど」


「……」


 何だ? ――とはすぐに訊けなかった。


 泊まる場所とカネを求めているだけなら、もう少し気安い感じになりそうなモノだ。があったとしても、ある程度それも折り込み済みのような。カミマチだか何だかは知らないが、そういうのにしても同じこと。


 やはり、どうにもただ事じゃないコトを、薄っぺらい感情のウラに隠しているような気がしてならなかったからだ。


「……お願いが、あるんだけど」


 春だというのに、寒さに震えていそうな雰囲気すらある。


 俺には、やっぱりその手と視線を払い除けられなかった。


 一度深呼吸をして、訊いてみることにした。


「何?」


「私を殺してくれない?」


「……っ!?」


 思わず周りを見渡す。近場には誰も居なかった。コイツが空気を読んだのか、あるいはただの偶然か。


 だがそんなことはどうでも良かった。


「何、言ってるんだ?」


「殺してほしい、って言ってるの」


 ハッキリと言い切られる。


「……何で」


「アタシとシてくれるだけでいいから」


「……は?」


 何で――というのはそういう意図で訊いたんじゃない。それに気付くには5秒ほどかかった。俺は「Whyなんで?」のつもりだったが、コイツは「Howなんで?」だと思ったようだ。


 ――いや、それでも結局話が通っていない。


「アタシを抱いてくれたら、そのまま捨ててくれればいい」


 性懲りも無く、言い放つ。


 その目は、少し泳いでいる。


「……どうする気だよ、その後」


「どっかから飛び降りるか何かする」


 とてつもなく寝覚めの悪いことを言いやがる。それをされた方の身にもなってくれ。下手すりゃ殺しの疑惑かけられておしまいだろうが。場所も場所なら強姦罪だの強制わいせつ罪だののオマケ付きでさらに一巻の終わりだろうが。


「嫌だよ。何でだよ。何でシたら死のうって考えになるんだよ」


「……」


 だんまり。どうやら触れられたくないことらしかった。


「そういう言い方するってことは、シたことないんだよな?」


「……童貞クサイ顔をしたヤツに言われたくない」


 余計なお世話だ。


 ――ああ、なるほど? だから俺に声をかけたってか?


 良い度胸してんじゃねえか。


「で? どう?」


「シねえよ」


「何でよ」


 こっちのセリフだ。


「何があったか知らんが、俺に教える気もないならこれだけ言っておく。命と処女くらいは大事にしろ」


「はっ。処女とか」


 柄にもなく説教モドキをぶつければ、予想通りに噴き出した。


「処女とかそんなクダラナイもの、守ったままで死ねるかよ」


 そしてうっすらと笑いながら、どこか諦めのようなモノを見せながら、はそう吐き捨てた。


 夏も近付いてきた、そんな頃合いだった。





        〇





「めっちゃ美味しいじゃん。さすがアタシ。やっぱ店選びのセンスあるぅ」


「……本で見たって言ってたじゃねえか、お前。俺が褒めるべきは、お前にこの店を教えたその雑誌の編集担当だろ」


「は? 何言ってんの? その雑誌の編集が選んできた雑多な中から、さらにアタシが厳選した結果なわけ。何軒も載ってた中から、最終的にココを選んだのはア・タ・シ。……お解り?」


「……へいへい」


 ――メシマズな講釈トーク、どうもありがとうよ。


 そして今俺は、満面の笑みを浮かべて舌鼓を打つを正面にしながら、余計な感謝を心の中で吐き捨てているところだった。

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