第13話
アーサシュベルト殿下の腕は一向に良くならない。
あの階段事故から1ヶ月が経ったいまでも、腕に包帯をされていて、利き手は包帯で封印されたままだ。
わたしは今日も昼休みは殿下と過ごしている。
恒例になってしまった「アーン」のごはんタイムも終わり、お茶をする準備に取り掛かる。
壁際の置かれた台で茶器を温め、茶葉の用意をしているとアーサシュベルト殿下がわたしのそばにやってきた。
さすがにこれだけの時間を一緒に過ごすと2人きりにもだいぶ慣れてきて、少しは会話が続くようになっている。
「エ、エリアーナ、次の休みはなにをしている?」
殿下が少し緊張しながら、不思議なことを聞いてくる。
作業していた手を止め、殿下の方に向きなおった。
殿下が珍しく、わたしの休日の予定を聞いてきた。恐らく、この3年間で初めてのことだ。
「なにも予定はありませんが、どうかされました?」
わたしの休日の過ごし方は至ってシンプル。ベットの上で寝食忘れて、一日中ゴロゴロしながら読書三昧。
侍女にも休んでもらいたいし、休日は世話をしないでほしいとお願いをしている。
「王都で流行っている劇団の観劇券をもらったんだがそれが次の休みの日なんだ。エリアーナさえよければ、一緒に行ってくれないか?」
劇団と聞いて思わず食いついてしまう。
「それって、もしかして「恋人達の休日」ですか?」
「よくわかったね。知っているの?」
知ってるもなにも、ずっと行きたかった劇だ。
観劇券いつも完売。徹夜して並ばないと取れないと聞く。
公爵令嬢が徹夜で並ぶのは良くないし、かと言って屋敷の者に徹夜で並んでもらうのも忍びない。
なので、観劇することはもう諦めていた。
「行きたいです!すごく行きたいです。その原作小説を全巻揃えてまして、ずっと行きたかったんです。でも、観劇券を取るのは至難の業でして…お誘いいただけるなんて、うれし過ぎて、このまま死んじゃいそうです」
もう、この小説は何度も何度も読んだ。愛読書だと言っても過言ではない。なんて、素晴らしい幸運が舞い込んできたんだろう!
興奮で思わず無我夢中で早口で話してしまった。
「エリアーナが大好きな小説が原作なんだね。このままエリアーナが死んじゃったら俺は悲しくて立ち直れなくなるのでそれはやめてね。エリアーナがこんなに饒舌に話してくれるなんて、初めてで俺はうれしいよ」
さらりと甘い毒を吐き、優しい眼差しでわたしを見つめる。
その視線からわたしは逸らせないまま、殿下の深いグリーンの瞳を見つめてしまった。
殿下の左手がそっとわたしの右頬に愛しそうに触れ、自分の頬が熱くなるのがわかる。
そのまま、ふたりに無言が続き、なんとも言えない沈黙に耐えられず、言葉を探す。
「すみません。ついうれしくて興奮してしまいました。申し訳ありません。アッシュさえ良ければ、原作小説をお貸ししましょうか?」
「俺もうれしいよ。エリアーナがこんなに喜んでくれるなんて。勇気を出して誘ってみて良かった。エリアーナの新しい一面を発見だよ。その原作小説を…」
その時だった。誰かがドアをノックし、そろりと顔を出した。
「お邪魔します。あの…事務室はこちらですか?」
綺麗なピンク色のふわふわウェーブの髪で小さくて愛くるしい女生徒が入ってきた。
「あ、違いますよ。ここは執行部ですよ」
わたしが咄嗟に答える。
「そうなんですね。わたし、今日から転校してきたキャロル・ドストンです。事務手続きをしないといけなくて、事務室を探しているんです」
小さなその可愛らしいご令嬢が声を震わせている。
「俺が事務室まで案内するよ」
殿下がツカツカと扉の方に向かわれると、キャロルと名乗ったご令嬢は、殿下の麗しい姿を見て、瞳が大きく開き、頬を染めたのがわかった。
「エリアーナ、少し待っていて。すぐに戻るから」
「はい。お待ちしています」
ふたりの背中を見送る。
さっきまでテンションの上がるような話をしていたからなのか、お祭りが終わった時のような寂しさと、胸が少しチクッとなった。
そして、頭の片隅のなにかが引っかかる。
キャロル嬢…キャロル…
小さくて庇護欲を掻き立てられる美少女。
階段事故の時に見たすごく鮮明な夢が頭の中で甦る。
そう!夢の中で借りた小説に出てきた転校生の少女キャロル。
そして、キャロルを虐める悪役令嬢のエリアーナ。
ええっ…と、悪役令嬢はつまりわたし…か。
アーサシュベルト殿下と仲睦まじい恋人だったのに、キャロルが転校してきてからは、殿下の心はキャロルに移っていった。
嫉妬から、キャロルに様々な嫌がらせをして、最後は殿下から婚約破棄をされ、絶望したエリアーナは崖から身を投げた。
キャロル嬢…
本当に転校してきた。
まさかの正夢?
ただの偶然?
でも、わたしはアーサシュベルト殿下の婚約者ではあるが、仲睦まじい恋人同士ではないのでそこは違う。
最近は少しだけ関係が改善されてきたように思うのはわたしだけかも知れないけど。
正夢なら、わたしはこれから嫉妬に狂うの?
キャロル嬢に酷い嫌がらせをするの?
夢を全て信じる訳じゃないけど、怖い。
すごく怖い。
あれからアーサシュベルト殿下の帰りを昼休み終了ギリギリまで待ったが、執行部に戻られることはなかった。
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