お屋敷はかたる

桜野うさ

お屋敷はかたる

薄暗い森の中、木々に隠れるようにして西洋風のお屋敷が建っていた。ちょっと不気味な雰囲気らしく、バンパイアの住居みたいだと言われたことがある。壁はあちこち汚れているし、蔦も絡まっているけど、百五十年も前に建てられたわりには綺麗だと思うよ。

「幽霊が住んでいる」という噂が立ち、お屋敷に近づく者はいなくなった。――生きている者に限ってはの話だけど。


 どうしてそんなことを知っているのか、だって? 僕がここの主だからだ。

 うわさ通り、お屋敷の住人は、僕をのぞいて幽霊だ。彼らはちっとも怖い存在じゃない。誰かを騙したり、おとしめたりしない。「生きている人間の方がよっぽど怖い」とはよく言ったものだ。

 幽霊たちは、生前に執着していたことだけを毎日くり返す。生前ほど流暢に喋ることもできない。まったく話さない者もいる。

僕は彼らと平和な日々を送っていた。


「これ以上食べられないよ」

 次々と豪華な料理が並べられる食堂のテーブルに辟易し、苦笑いを浮かべた。

 太刀川は僕の言葉を無視し、巨大なローストチキンが乗った皿をテーブルの真ん中に置くと、再び調理場に向かった。僕の胃袋と違い、彼はまだ満足していないようだ。

 太刀川は、一流レストランで働くシェフだった。三十代半ばという若さでグルメ雑誌に何度もインタビューが載るほどの腕を持っていた。彼の料理をひと口食べようと、大物政治家や有名歌手が連日こぞって店に押し掛けたらしい。

 他人のために料理を作り続けた太刀川の死因が食中毒っていうのは、ちょっと皮肉な話だね。

「どうしようかな、これ」

 手つかずで冷めて行く料理の処理方法について、幸せで膨らんだ腹をさすりながら考える。

 めめ子さんは幽霊だからご飯が食べられないし、来客の予定もない。運よく誰かが迷い込めばいいけど、ここに来るのは幽霊ばかりだ。

【ど……こ……あ、なた……】

 めめ子さんが、全身から水を滴らせながらやって来た。また風呂に入っていたみたいだ。

 彼女は毎日、最低五回は風呂に入る。いつ「あの人」と再会しても恥ずかしくないように、常に綺麗にしていたいそうだ。

 めめ子さんはかなりの美人だ。ロングヘアは艶のある黒髪で、肌は対照的に真っ白だ。憂いに濡れた伏し目がちな瞳は儚げで、今にも死んでしまいそうな危うい雰囲気を放っている。――実際に死んでしまった。

 腕についた無数のリストカットの跡とと、首筋にくっきりと残る縄の跡にさえ目を瞑れば、彼女ほどいい女はいない。水も滴っているし。

【あ……なた、いな……いの? ずっと探してる……のに】

 彼女は生前、婚約していた男に裏切られたらしい。男は既婚者だった。

 めめ子さんは男を恨むことなく、奥さんに怒りをぶつけるでもなく、一人でひっそりと死んだ。

 美人で奥ゆかしい性格なんだ、他にいくらでも選択肢はあっただろう。一途すぎるのも彼女の魅力だけど、相手の男にはいい感情を抱けないな。

 男はめめ子さんを追うように死んだ。死因は不明だけど、僕は他殺と睨んでいる。殺したのは奥さんか、別の浮気相手だろうな。それにしても、死んだなら一度くらいめめ子さんに会いに来てもいいのに。まさか成仏できたのかな。

 めめ子さんたちのように、成仏できずに現世に留まる幽霊を地縛霊と呼ぶ。地縛霊になるのは未練を残して死んだからだ。太刀川はもっと多くの料理を作りたかった。めめ子さんは愛する男と一緒になりたかった。二人は未練こそあれどいい幽霊たちだ。彼らが成仏できず、浮気男が成仏できるのは理不尽だよ。

 太刀川がお盆を持って戻って来た。お盆の上にはケーキとコーヒーが置かれている。食後のデザートだ。太刀川はついに満足してくれたようだ。


 その時、玄関のチャイムが鳴った。誰かが迷い込んだようだ。お客が来るのは嬉しい 浮足立つのを押えながら玄関に向かった。

 玄関のドアの小窓から外を覗くと、知らない女の子がうつむいて立っていた。十歳くらいだろうか。地面に靴の底をざりざりと擦りつけ、ドアがひらかれる時を待っている。

「どちら様ですか?」

 ドア越しに尋ねると、「わかんない」と、消え入りそうな小さな声が聞こえた。

「あたし、自分が誰だかわかんないの」

 今にも泣き出しそうな声色だった。

「気づいたら森にいて、どうしたらいいのかわかんなくて歩いていたら、ここに着いたの」

 彼女は幽霊に違いない。

 幽霊の中には生前の記憶をほとんど失くしている者もいる。脳がないから記憶を保持できないのかもしれないし、嫌な記憶を忘れることで精神を安定させているのかもしれなかった。幽霊は魂のみの存在だから、精神の安定が、生きている人間以上に大切らしい。

「空も暗くなって来たし、あたし、怖くて……」

 僕はドアをひらいた。

「きょうはここに泊ってくといいよ」

 彼女はぱっと顔を明るくさせた。

「嬉しい! ありがとう、お兄ちゃん」

 僕がうながすと、彼女は軽やかな足どりでお屋敷に入った。彼女が隣に来た時、不思議な違和感を覚えた。小さな違和感だったので無視することにした。


 お屋敷の二階には、今は使っていない部屋がたくさんある。

 ここは元々、経営で成功した男の別荘として建てられた。男は仕事の疲れを癒すため、年に二度、長期休暇を取って家族とお屋敷で過ごした。森を抜けた先にはビーチもあるそうだ。僕は見たことがないけど、ここを訪れる者たちに教えてもらった。

 お屋敷の持ち主は何度も入れ替わった。誰もかれも、得体のしれない気配を感じて精神をやられ、住んでいられなくなったそうだ。

 このお屋敷には幽霊が集う。風水的によくない立地だからとか、土地の神がいる場所に物件を建ててしまったのが悪かったとか、色んな人が色んなことを言った。

「立派なお屋敷ね。ホテルみたい」

「ホテルに改装しようとしたこともあったらしいよ。計画はなくなったけど」

「どうして?」

 幽霊が出るから。とは教えなかった。闇雲に少女を怖がらせるものじゃない。自分が既に幽霊だと彼女が気づいていないこともある。それならなおさら話せない。ある日いきなり「君は幽霊です」と言われれば、誰だってショックを受けるはずだ。

 僕は曖昧に「さぁ、気が変わったのかな?」と、答えた。

 豊かな自然に恵まれたこの場所は、幾度となくリゾート地にされかけた。その度に不可解な事故が起き、計画は白紙になった。その頃から、お屋敷には幽霊が住んでいるという噂が流れはじめた。

「君はなにも覚えてないの?」

 僕が尋ねると、少女は小さく頷いた。

「君さえよければいつまでもいてくれていいよ。僕らは迷惑じゃないから」

「お兄ちゃん以外にも誰か住んでるの?」

「あとで紹介するね。まずは君の部屋を選ぼう。好きな場所を使っていいから」

「うん!」

 少女は一部屋ずつ入って吟味し始めた。

「決まったら一階の食堂に来てね」

 そう言って、僕は一階に向かった。

 廊下の途中にめめ子さんが立っていた。なにか言いたげな様子でじっとこちらを見ている。睨みつけていると言ってもいいくらいの強い視線だ。

「どうかしたの?」

 めめ子さんは黙ったままだった。こんな様子のめめ子さんははじめてだ。

 彼女はすっと姿を消した。またお風呂に入りに行ったのかな。様子が気なるけど、さすがに女性の入浴について行くわけにもいかない。予定通り食堂向かった。

 食堂の椅子にすわり、コーヒーを飲みながら少女を待った。

 しばらく放置していたのに、コーヒーは淹れたてのように温かい。太刀川が淹れ直してくれたのだろう。一流のシェフは、いつも一番おいしく食べられるように配慮するものだ。


 十分くらいした後、二階から少女が降りて来た。

「階段から一番近い部屋にするわ。お部屋の中に可愛いぬいぐるみが置いてあるのが気に入ったの」

 彼女はテーブルの上を見て目を丸くした。

「うちのシェフが作った料理だよ」

「これ、お料理なの?」

 驚いたように彼女は言った。まだ小さい女の子だから、こんな豪華な料理ははじめて見るのだろう。

「君も食べる?」

「ううん、いらないわ。ねぇお兄ちゃん、お屋敷の中を案内して欲しいの」

 余った料理を冷蔵庫に詰め込んでいると、少女は言った。

「いいよ」

 お屋敷の案内をしながら、僕たちは色んなことを話した。と言っても、少女は記憶を失っていたから、話していたのは僕ばかりだ。太刀川とめめ子さんのことも話した。

「たくさんお部屋があるのに、三人だけで住んでいるの?」

「前はもっと居たんだよ。それにここの住人は時々入れ替わるんだ」

「どうして?」

「旅に出たんだ。お屋敷で過ごすのに飽きたんだって」

 僕は彼女を怖がらせないように、また嘘をついた。

「お兄ちゃんはずっとここにいるの?」

「そうだよ。うまれた時から、ずっと」

「お父さんとお母さんはどうなったの?」

 彼女に問われ、両親の記憶がまったくないことを思い出した。

「……わからない」

「小さい頃はなにをして遊んでいたの?」

 その記憶もない。僕はなにも答えることができなかった。

「お兄ちゃん、自分のことなにも知らないんだ。あたしとおんなじね」

 少女は僕を見上げながら、嬉しそうに笑った。


 次の日。食堂で朝食をとっていると、少女が起きて来て言った。「お庭を見てみたいの。外に行けばなにか思い出すかもしれないわ」

 ちょっと食べ過ぎたし、軽く運動するのもいいかもしれない。僕らは準備を整え、連れだって外に出た。

 お屋敷を経営者の男は、大そうな金持ちで、大そうな凝り性だった。

 男の凝り性は、お屋敷だけではなく庭にもよく現れていた。四季折々の花を楽しめるような花壇を作らせ、有名な彫刻家に掘らせた作品を飾った。庭の真ん中にある噴水も彫刻家の作品で、彼の傑作のひとつと言われているらしい。

 かつては手入れが行き届いていたけど、庭師がいなくなったせいで、草は伸び放題の木は育ち放題。森のようになっていた。

 庭を好きに散策していた少女は、走ってこちらに戻って来た。

「あっちに門が見えたわ」

「お屋敷の敷地の外に繋がる正門だよ」

「門の外に行ってみたい。お兄ちゃんも一緒に来てよ。この辺りに詳しいんでしょう?」

「いや、僕は……敷地の外に出たことがないから」

「じゃあ、門の側までついて来て」

 それならいいか。

 正門までは五分以上歩く必要があった。

 大そうな金持ちで、大そうな凝り性だった経営者の男は、大そうな心配性でもあった。お屋敷を頑丈な格子フェンスでぐるりと囲い、背の高い正門を作った。

「なにをしてるんだ?」

 少女が門柱によじ登りはじめたので、僕はぎょっとして尋ねた。

「てっぺんまで登ったら、遠くが見えそうだもの」

「危険だよ!」

「怪我をしないように気をつけるから平気よ」

 少女は見かけによらず運動神経がよく、するすると門柱に登ってしまった。

「わぁ、凄い! 木の隙間から海が見えるわ!」

 少女はひとしきり景色を楽しむと、登った時と同じ軽やかさで門柱から降りた。

「お兄ちゃんも見て!」

「そんなところ、登ったことがないよ」

「そこに足をかければ簡単に登れるわ」

 小さな女の子にこう言われれば、登らないわけにはいかない。僕は観念し、門柱に足をかけた。

 一歩進むたびに少女が導いてくれたので、なんとかてっぺんにたどり着いた。見えたのは森ばかりだった。

「海なんて見えないよ」

 僕がそう言うと、少女は不思議そうに首を傾げた。やがて納得したように「お兄ちゃんが海を見たことないからね」と、言った。

「知らないものは想像できないもの」

 意味深な言葉を吐く少女を不審に思いながら、僕は門柱から降りた。

「外の世界に行きましょう? お屋敷の中じゃ見られないものがたくさんあるはずよ」

 彼女はぐいっと僕の手を引っ張ると、正門の外に連れ出そうとした。だけど結界でもあるかのように、僕は正門から先に進むことはできなかった。

「貴方はこの門より向こうには行けないわ」

 先ほどよりも大人びた声色で、少女は言った。

「君は……誰だ……」

「貴方こそだあれ?」

 ゾッとするような冷たい声だった。

 昨晩のめめ子さんの様子を思い出した。もしかして、少女を睨みつけていたんじゃないか?

 僕は少女から逃げるように、お屋敷に向かって走り出した。

 お屋敷に戻ると、気配を一つしか感じなかった。めめ子さんも太刀川もお屋敷から外に出ることはできないのに……。

 太刀川がいるはずの調理場に向かったが、彼の姿はなかった。

「太刀川? どこに行ったんだ」

「貴方が食べたんじゃない」

 背後から声がした。ふり向くと、いつの間にか少女がいた。

「彼の残りはここよ」

 少女は冷蔵庫をひらいた。バラバラになった四肢と、切断された胴体、頭部が入っていた。頭部は恨みがましい目でこちらを見ていた。

「きのうの夜、貴方はそれを『うちのシェフが作った料理だ』と言ったわ。貴方にはどう見えていたかしら。……早く思い出して、貴方の正体を」

 彼女はなにを言っているんだ。

【嘘つき】

 めめ子さんが食堂にすっと現れ、呟いた。

【ここに……あの人がいるって、言ったのに。騙したのね】

 めめ子さんは冷蔵庫の中身を見て泣き濡れた。

【次は……私の番……食べら……れ…る】

 めめ子さんまでおかしなことを言っている。僕が二人を食べるわけないじゃないか。こんなに美味しそうなのに。

「生き物は必ず死ぬわ。だから新しい命が増えても現世が生き物で埋め尽くされることはないの」

 少女――だった者は、ぽつりぽつりと語りはじめた。

「死んだ者はどうかしら? 地縛霊になってしまえば、永遠に現世に留まったままになるわね。現世は地縛霊で埋め尽くされる。――実際そうはなっていない。どうしてだと思う?」

 お屋敷のあちこちが徐々に朽ち果てて行く。

「地縛霊の捕食者がいるのよ」

 やがて廃墟と呼んでも差支えないくらいに建物は劣化した。いや、本来の姿を取り戻したのだ。

「古い建物には霊魂が宿ることがあるの。そういった霊魂の中には、自分の力を高めるために他の霊を食べるものがいる。――貴方のように」

 僕の腹の中で、なにかが蠢いた気がした。

「貴方は、多くの霊を食ったせいで意思を持った屋敷よ。陣地に取り込んだ霊と暮らしているうちに、自分を人間だと思い込んでしまったのね」

 少女は僕に手を伸ばした。

「貴方と、貴方がこれまで食べた魂を、次の世界へと連れて行くわ」

 魂がこの世から剥がされて行くのを感じた。意識が遠くなる。

「人間ごっこは楽しかった?」


 薄暗い森の中に建っているお屋敷の正門の前で、中年女性が横たわっていた。死体のように動かない彼女の下に敷かれた布には、どこの国のものでもない文字がびっしり書かれている。

 工事関係者たちは、固唾を飲んで彼女の様子を見守っていた。

 この辺りはリゾート地になる予定だったが、工事を行うたびに不可解な事故が発生した。幽霊が住んでいるうわさもあり、霊的なものが工事を邪魔していると考えた工事責任者は、除霊を頼むことにした。やって来たのがこの中年女性だった。

「この屋敷には霊が住んでいます。ですが彼らの力は微弱で、事故を引き起こすことなどできません。――霊とは違うなにかの気配を感じます。恐らく事故の原因はそれでしょう」

 彼女は幾度かお屋敷の前に訪れ、「それ」の正体にあたりをつけた。

「事故の原因は人間を警戒しています。しかし霊は、食べるために積極的に陣地に入れているようです。霊をかたって忍び込みます」

「そんなことができるんですか?」

「ええ。精神と肉体を切り離すことで、霊に近い存在になることができます。ただ、除霊を行う間、私の体は無防備になります。どうぞ、片時も目を離さないで下さい」

 除霊を開始してからすでに半日が経過した。工事関係者は交代で女を見守っていた。誰もが不安になったころ、女は目をひらいた。

「除霊に成功しました。工事をしても平気ですよ」

 女が言うと、工事関係者は沸き立った。

 女の説明を聞き、工事関係者の一人は言った。

「お屋敷が自分を人間と思い込むこともあるんですね」

 女はお屋敷に視線を移した。

 古めかしいでは済まないほどに朽ち果てているが、大そう立派なお屋敷だ。そこにはもう、誰も住んでいない。

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