被害者
多分、これが好きだとか恋だとか言われる感情なのだろうと気付いたのはいつだったか。
覚えていなかった、きっとそう思ったきっかけはとてもくだらなくて些細なことだったんだろう。
気付いたところでなにをするつもりもないので、別にどうでもいいけど。
あっちは私のことなんか別になんとも思っていないだろうし、そもそもあいつは勇者候補、今はたまたま隣に座ることが多いだけの別世界の人間だ。
友達ですらない顔見知りで、同じ空間にいるだけの赤の他人だった。
だから、何かがどうにかなってほしいとかそういうことは一切思わなかった。
それに、私が欲しいと思うものは大抵なんか貴重な遺物とか昏夏時代に携帯されてた兵器だとか、そういう一般人に手に入らないものばかりなので、だからそういうのはなんか慣れてる。
手を伸ばしたところで無駄だし意味もないので、それなら何もしないのが無難だった。
だから、いずれこの先『欲しい』と思ってもすぐに諦めがつくだろう。
これ以上は望まない、そんなことを願っても意味がない。
そもそも、なんで好きになったのか、その理由に具体的というか、決定的なものは何もないのだ。
頭がいいけど食い意地張ってるし、優秀だけど性格悪いし、顔はいいけど猫被りで自尊心高すぎだし、こうやって色々考えてみると、なんであんなの好きになったんだろうかと思わなくもない。
けど、こんなどうしようもない私のそばに居続けた変わり者は、家族を除けばあいつくらいだったから。
それに一緒にいても苦じゃないし、気楽なのだ。
きっとその程度の思いなので、世間でいうようなまともで可愛らしい恋情なんかとは程遠い感情なんだろうな、と思っている。
だから本当に、これ以上の何かは望んでいなかった、この先望むこともないだろうと思っている。
ただ、願わくばこの希薄だけど気安く居心地の良い関係が老後あたりまで細く長く続いたらいいなと思っている。
それだけでもきっと贅沢なのだろうけど。
叶うかもしれないし叶わないかもしれない、別にどっちでもいい。
どちらに転んだところで、私はきっと特になんとも思わない。
思ったところでどうしようもない、だからどうでもいい。
そう思っていたのに、何故こんなことになったのか。
いつも通りの日常は唐突に呆気なく壊れるらしい。
そうだということは覚えていたけどわりとどうでも良かったこいつの肩書き、その優秀さが仇となり、こいつはどうも弟妹を人質に取られて大量虐殺を強要されたらしかった。
しかも、何年か後には勇者になった弟妹に殺されろとかも言われたらしい、なんだそれ。
現実味のないその話を、それでも私は本当のことなのだと納得せざるを得なかった。
あんなふうに笑うしかないような綺麗な笑顔で、時々譫言のように、自分に言い聞かせるように語られれば、信じざるを得ない。
やめたくてもやめられないのだという、やめたところでこいつは殺されるらしい、こいつを殺せるような奴なんてそうそういないだろうけど……多勢に無勢なら、確かに無理かもしれない。
どうせ憎まれるだけなのに弟妹には死んでほしくないらしい、どうなってもいいと思っていたらしいけど、お前は多分、お前の弟妹のことは結構大事にしているんだろうなってなんとなく思っていた。
死んだ方がマシなのでは、という言葉を何度聞かされただろうか、本当にやめてほしい、なんで私がそんな事を聞かされなきゃならないんだ。
死ねばやめられる、でもやらなければと、何度も何度も。
大方全てを語り終えたらしいそいつに、私は一つの問いかけをした。
「私はお前に殺される予定の百五十人のうちの一人か」
奴はすぐに首を横に振った、心外そうな、少しだけ拗ねたような顔で。
じゃあなんで私なんかに話したんだよ、お前がどうにもできない事を、こんな自分がどうにかできるわけがないのはわかっているだろうに。
一体何が望みなんだ、そう思って顔を見上げても奴は壊れたような笑みを顔面に貼り付けて私の顔を見返すだけ。
どうもこちらの反応、こちらの言葉を待っているらしかった。
何を言えというのだ、何をしろと、何ができるとでも?
嫌ならやめればいい逃げればいいだなんて言葉は無駄だろう、それができるのならこいつはこんなのに話す前にとっくに行動を始めている。
こいつはもう、詰みなのだろう。だからもう素直に命令通りに従うほかないと、何も行動を起こそうとはしていないのだ。
けれど何故私に話した? こんな無能に話したところで何かがどうにかなるとも思えない。
わからない、というかこんな無能に世間が認める天才勇者候補の考えを理解することなんて到底無理なわけで。
こいつの思考なんて菓子を前にした時以外はわかるわけがない。
では、どうすべきか。
こいつの望みなんてわからない、それなら私は、私はどうしたい?
なんと答えたいか、このどうしようもないところまで追い込まれてしまった顔見知りの少年に、何をしたい?
考える、考える、空っぽの頭でそれでも考える、どうすれば一番ましな結果になるのか、どうすればこいつがより苦しまずに済むのか。
私にできることなんてほとんどない。
例えば、こいつにそんなクソみたいな命令を下した奴らを全部なんとかできる力が私にあればそうする、けど、それは不可能だ、やろうとしてもきっと犬死にするだろうからなんの意味もない。
私がこいつの代わりに罪を被れるのならそうすればいい、けれどそんな力は私にない、何人かは殺せるかもしれないけど、どうせあっさり返り討ちにあってお陀仏だ。
暴力も権力も、とにかく私には力というものが圧倒的に欠けている、だってそんなもの、今まで必要なかったし。
なら、私にできることは?
死を望むほどの苦痛を抱え込んでいるこいつを、どうすれば……
…………ああ、そうか。
なら、私がこいつを殺せばいい。
死にたくなるほどやりたくないのに、こいつがどうしてもそれをやらなければならないと決意してしまっているのなら、誰かがそれを止めればいい。
死ぬことでしか止まれないというのなら、私が殺せばいい。
当然、今すぐに殺せるとは思えない、一般人以下にこの天才を殺せるほどの力はない。
それでもこいつが負わされた『厄災役』、それをいつか、こいつがそれを演じている真っ最中に、こいつが守ろうとしている弟妹にこいつが殺される前に私が殺せば、殺せれば、本当に少しだけ、少しだけ何かがマシになる気がした。
こいつの全てがクソどもの思い通りになるよりは、その方がまだ、多少はマシな気がするのだ。
「なら……それなら」
意を決して口を開いたつもりだった。
それなのに、その先がどうしても口にできない。
だって、私が殺すということは、こいつが死ぬということで。
死んだらもう二度と会えなくなる。
殺せるかどうか技術やら能力的な問題を差し置いても、こいつを本当に殺すことができるだろうか?
六年、六年も一緒にいた男を、話したことなんてほとんどなくて、ただ同じ場所で過ごし続けただけのこの赤の他人を、果たして自分は本当に殺せるだろうか?
こんなどうしようもないろくでなしが、それでも好きだと思える程度に入れ込んでいるこの男を、私は。
無理だ。
絶対に無理だ、そんなの無理だ、あんまりだ。
なんでこうなった、そんなに多くを望んでいたわけではない、自分の隣、そこにいてくれるのなら万々歳、そうでなくとも普通に生きててそこそこ幸せそうにしてればそれで十分だって、思ってただけなのに。
殺せない、こいつだけは殺せない、いなくなってほしくない。
望んでいいのならクソみたいな命令も弟妹のことも全部捨てて逃げてほしい、けどそれを言ったところでこいつはそうはしてくれないだろう。
「なら、なあに?」
幼児にでも問いかけるような優しげな声色だった、その顔には相変わらず笑みが張り付いている。
けれど何も答えられない、私はこいつに何も答えられない、何もできやしない、それを口にしたくない。
なんて無力、なんて無様。
やりたいことだけをやり続けて、享楽に浸り続けたそのバチが、今この瞬間になってあたるなんて。
何も答えられないでいたら彼が空を見上げた、その顔は、どう見ても失望していた。
それが痛い、どうしてこんなに無能なんだろうか、こんなことならもっと何かがどうにかできるようになる力を真っ先に身につけていればよかった。
空から視線を戻し、彼がもう一度こちらを見る。
その顔には何故か満面の笑みが、心の底からの嘘偽りのない笑顔であることが明白な、場違いな笑顔。
それを視認した直後に頬に衝撃、身体が吹っ飛んで、地面に転がった。
何が起こったのかわからなかった、馬乗りにされ襟首を乱暴に掴まれ、そこでようやく自分が彼に殴られた事を理解した。
「いたい?」
ニコニコと笑いながらそんなふうに聞いてくる。
痛いに決まっている、痛すぎて涙まで出てきた。
そう溢す前に、笑みで限界まで歪んだ奴の口元を見てしまい、何も言えずにいるうちにもう一発、殴られた。
痛い、本当に痛い、どうしよう。
混乱と困惑と、痛みは思考を邪魔して、まともなことは何一つ考えられない。
奴はいつのまにか大声で笑っていた、心底楽しそうに、嬉しそうに、子供のように無邪気に。
ああ、そうか。
憂さ晴らし。どうにもできない絶望を、少しでも紛らわすためにこいつは誰かを痛めつけずにはいられなかったのだろう。
なるほどそれなら納得だ、それならきっと、私以上の適任はいないだろう。
なんの力もない私なら、きっと何をしたところでこいつにはなんの不利益も起こらない、抵抗される心配もない。
きっと、ただそれだけの話だったのだ。
きっと本当は、誰でもよかったんだろう、ただ手頃だったから私を選んだ、きっとそれだけ。
納得したらなんだか異様に悲しくなってきた、痛いし辛いし、普通に怖い。
いつの間にか笑い止んでいた男が、こちらの顔をじいっと見つめている。
目を見開いて、何かに気付いたようなよくわからないような顔をして、そうしてうっそりと見ているだけで背筋がぞくりと震えるような、どういう意味なのかよくわからない笑みを浮かべる。
「かわいい」
それは私に向けられた言葉であっていたのだろうと思うけど、涙でぐちゃぐちゃな上におそらく頬を真っ赤に腫らした女のどこを可愛いと思ったのかは、謎だった。
本当に意味がわからない。
綺麗な紫色の目と目があった、前々から綺麗だと思っていたけど、今日は本当に美しい。
綺麗だとは思っていたけれど、実は真正面からまともに見たことはなかったのだったか。
「痛い? 怖い? やめてほしいよね? でもやめてあげない」
本当に楽しげな、歌でも歌うような声だった、本気でこちらを甚振ることが楽しいらしい。
それでも、それでお前の気が楽になるならそれでいい。
何もできないどころか何も言えない無能な私でも、それでもそんな私を殴ればお前の中で何かがどうにかなるなら、それでいい。
多少の痛みは我慢する、なんなら一生残るような傷を残されたって構わない。
「……私を殴って気が済むのなら、好きにしろ……どうせ……なんの覚悟も固められずお前になんの言葉もかけられなかった、出来損ないだ」
だから覚悟を決めてそう言った、何もできない代わりに何も拒まない事を、こうなったのなら全てを受け入れてやると、そう思った。
彼は面食らったように私の顔を見下ろした、多分意外だったのだろう。
お前は知らないだろうけど、私は結構お前のことが好きなんだ。
だから出来ることは出来る限りやる。
そんなこと、言ったところでどうにもならないから口にはしないけど。
しばらくしてその顔が怒気に変わった、何かが気に食わなかったのかもしれない。
ああ、そうか、変に覚悟を決めた奴を殴るよりも、素直に泣き叫んで苦しむような奴を殴った方が、気分がいいのかもしれない。
据わった目で見つめられるが、今更方向性を変えることはできないのでどうしたものかと思っていたら、顔が近付いてきた。
頭突きでも喰らわされるのかと思ったら、口に何か柔らかいものが。
ぬめる何かが口の中に入ってきて絡みつく、ざらりとしたそれはコーヒーの苦い味がした。
私は今、何をされている?
顔が、近い。口の中で蠢くこれは何だ? 今何が起こっている?
これと同じようなことをテレビやら何かで見たことがある、キスやら口付けやらそう言われる類の行為。
なんで??
意味がわからない、脈略が飛んでいる、何がどうしてそうなった。
キスされてる、特にそういう関係にはなろうだなんて思っちゃいなかったけど、それでも好きな男に、そういう事をされている。
悲鳴は上がらなかった、喉からくぐもった声が漏れただけ、息苦しいのと混乱で反射的に身体が動いたが、頭を掴まれ押さえ込まれた。
紫色の目が探るようにこちらの目を見ている、怖い、意味がわからなすぎて、怖い。
というか、息ができない。
舌が絡まったと思うと歯列をゆっくりとなぞられる、上顎を舐られ、再び舌が絡まる。
何がどうしてそうなっているのか、一切わからない、というか苦しい。
酸素が足りない、そうだ酸素がないから訳がわからないんだ、だから馬鹿な頭がもっと馬鹿になっているんだ。
酸欠で死ぬかもしれない、と思ったところで舌をじゅうっと吸われる。
もうおしまいだ、酸欠で死ぬんだ、と思った瞬間に解放された。
目がチカチカする、酸素を得るために大きく息を吸って、大失敗。
盛大にむせた。泣き面に蜂とはこういうことをいうのだろうか。
咳き込みながらも必死の思いで酸素を吸収する、少しして落ち着いてきたので、奴の顔を見上げる。
どういうことか聞こうとする前に、奴は怒りと歓喜がごちゃ混ぜになったような変な顔で口を開いた。
「お前、この期に及んで殴る蹴るの暴力だけで済むと思ってるのか?」
そうだと思ってた、だから意味がわからない、というか今、上手く喋れる自信がない、まだちょっと苦しい。
「なんで俺があんな話をしたかわかるか? わからないだろうねお前には……殺すためだよ、できるだけ無惨に、できるだけ痛めつけて」
苛立ちを隠す様子もなくそんな事を囁かれた、その言葉を脳内で反芻する。
ころす、殺すって言った、しかもできるだけ無惨に痛めつけて、って。
そうか、殴る蹴るだけじゃあ気が治らないのか。
なら、今のってなんだ?
「…………なぜ?」
色々と疑問はあるが、口にできたのはそれだけだった。
呼吸はだいぶ落ち着いてきた、もうそろそろまともに話せるようになりそうだった。
呼吸が整ってくると、少しだけまともに物が考えられるようになってくる。
「お前がこの先、能天気に生き続けるのが許せないから」
返ってきた返答は、そんな物だった。
ああ、そうか、誰でもよかったわけじゃないのか。
この男はどうも、自分一人が地獄の道を進んでいる間、私が普通に今まで通りに生き続けるのが嫌であるようだった。
きっとある意味、逆恨みみたいな物なんだろう。
だが、そういうふうに思われるということは、よほど嫌われていたらしい。
好かれているとは思ってもいなかったが、そこまで嫌われているとは思わなかった。
けどそういえば出会った頃は結構喧嘩腰だったし、今思うと話すようになったきっかけがアレだったので、嫌われていても何にもおかしくない。
なんだ、そんなに嫌われてたのか。
別にこいつが私のことをどう思っててもどうでもいいと思っていたのに、なんかやっぱり、ちょっと悲しい、普通に落ち込む。
悲しいと思える自分が、少し意外ではあるけれど。
けれどそうか、嫌われてるのがわかって悲しいと思う程度には、こいつのことが好きだったのか私は。
「………………そうか。はは……私、お前にそこまで嫌われていたんだな」
言った直後に衝撃が、また頬を殴られたらしい、今度は平手で、バッチーンと。
「……ああ、そうだよ……大っ嫌いだ……!! ずっとずっと、お前のそういうところが嫌いだった」
怒鳴られた、本気で憎いものを見る目で睨まれている。
「……そんなに嫌ってたのなら」
なんでずっと傍にいたんだ、と続けようと思ったら「黙れ」と言われた。
それでもう一度、口を重ねられる。
いやだから何、それ何、何がしたいのお前。
嫌いと正反対の感情で普通は行うんだろう行為を何故する、意味がわからない。
と思ってたら引き摺り出された舌を噛まれた。
痛い。
悲鳴はまた喉から漏れるだけだった。
こいつ、こっちの舌を噛み切って殺すとかそういう方法で殺すつもりなのか、と思ったら、思いの外傷は浅いようだった。
それでも口の中いっぱいに鉄の味が広がる、血が混じった唾液をわざとらしく音を立てて啜られて、なんか、すごい、なんて言えばいいんだこれ。
怖いんだか恥ずかしいんだか苦しいんだかよくわからない、訳がわからないという感情が一番強くて、強すぎてそれ以上の感情が追いつかない。
少しして奴は離れていった、さっきよりは短かったので、息は先ほどに比べると少し楽だった。
お前本当に何がしたいんだよ、そんな事を問い掛けようと奴の顔を見上げて、全身から血の気が引いたのがわかった。
奴は、笑っていた。
いつもの上辺だけの取り繕った笑みじゃない、でも本当に時折見たことがある本物の笑顔とも、また違う。
笑っている、その目は暗く澱んでいて、何を考えてるのか全くわからなくて、口元は大きく歪んでいて、笑っている、ただ笑っているだけなのに、何故か途轍もなく恐ろしい。
これは、駄目なやつだ。
何をされてもいいと思っていた理性が引っ込んで、生物としての生存本能的な物が全力で逃げろと悲鳴を上げた。
恐ろしい笑みから視線を逸らす、どうにかして逃げるか、大声で助けでも呼ぶか。
「桜」
甘ったるい猫撫で声で名前を呼ばれた。
滅多に名前は呼ばれたことがない、というか基本的に苗字でしか呼ばないのに、何故今この場でわざわざ名前を呼んだのだろう。
怖い、具体的に何がどう怖いのかわからないが、とにかくなんかすごく怖い。
そんな怯えが見透かされたのか、彼はその笑みをより一層深めて、私の頬を撫でた。
恐ろしい笑みを浮かべた男はまず、私の腹を殴った。
ぎゃ、と短い悲鳴をあげていた、痛いし苦しいし気持ち悪い、胃がぐるりとひっくり返るような感覚、吐ければ楽になったのかもしれないが、吐けなかった。
次に右の足首が捕まった、大きな手のひらは完全に私の足首を掴み込んでいる。
何をするつもりだと思っていたら、握りつぶされた。
骨が折れるどころか、砕けた、多分砕けた。
絶叫を上げていた、今まで生きてきた中で一番、断トツに、とても痛い。
「そんなに痛かった?」
ゾッとするような甘ったるい声に何度も首を縦に振る。
痛い痛いと言っていたら、奴は蜂蜜よりも甘ったるい声でこうのたまった。
「そう……じゃあ次、左ね?」
鬼か?
いや、鬼だ、鬼がここにいる。
嘘か冗談であればよかったが、どうやら本気らしい。
「やっ……やめ」
「やめない」
左も同じように握りつぶされた、鬼というか悪魔というか、どういう握力しているんだ化け物か。
痛い、凄まじく痛い、右足も左足も滅茶苦茶に痛い、これもう一生歩けないんじゃないかとも思った。
痛みにのたうち回りそうになったが馬乗りにされているのでそれも叶わない。
必死に痛みに耐えていると、今度は両手が捕まった。
まとめて片手で難なく掴み上げられた両手を、頭上に上げさせられる。
手を潰されるのは嫌だ、両足だけでもごめんなのにこれ以上痛いのは嫌だ、痛めつけることそのものが目的なんだろうけど、もう少し容赦してほしい。
「潰さないよ? 俺、これ好きなんだよね。ちっさくて柔らかくて……だから、これは最後まで形を残しておこうかなって、思ってる」
なら、よかった。
全然良くないけど、よかった。
なんて思ったらその安堵を気取られたらしく、呆れられたようだった。
「ああ、お前……本当になんというか、馬鹿で能天気でクソ馬鹿ど間抜けだよね」
ストンと奴の顔から表情が抜け落ちる。
次は何をされるのかと思ったら、襟からスカーフを抜かれて、それで手首を縛られた。
結構きつめに縛られたので痛いとかなんとか言ってみたけど、無視された。
そして奴は次に、なんかやたら切れそうなナイフを取り出した。
そのギラつく刃を見て身体が硬直する、ただ刺殺されるだけなら多分その方がまだマシなのかもしれないが、それでも怖い。
どこを切られる、どこを刺される、首か、胸か、腹か、脚か。
そう思っていたら襟首を軽く掴まれる、ギラつく刃が首元に近づいてくる。
首だった、普通に死ぬ。
と、覚悟をしても痛みはない。
代わりに妙な音が、視線を下の方に逸らすとどうも、セーラー服を切られたらしい。
ついでにキャミソールも切れたっぽかった。
何やってんだこいつ。
酷い目にあわされた。
というか、現在進行形であわされている。
足首折られた以外にも、あちこち殴られたり犯されたり、色々と。
あと右目を食われた、すごく痛い。
そういえば、なんでこんなことになったんだっけ。
ああ、そうだ、こいつが厄災に仕立て上げられたから、それで。
次は何をされるのだろうか、薄れかけた意識でそう思っていたら、首に熱いものが絡みつく。
左目でかろうじて見ると、男が私の首の両手をかけていた。
男がどんな顔をしているのかはよく見えなかった、口元は笑っていたような気がした。
ああ、これで終わりなのかと、悟った。
随分と酷い目にあった、それでも。
それでもお前の気が少しでも安らいだのなら、それでいい。
男が両手に一気に力を入れたのがわかった、あとはもう、死ぬのを待つだけ。
最後の最後で酷い目にあった。
研究者になって好きな事だけして食いぶちを稼ぐという夢も叶わず、親不孝なことに親よりも先に死んで。
六年くらい一緒にいた男に随分酷い目に遭わされて、結局は殺される。
それでも、なんだかんだ言って惚れていた男に何度も何度も犯されたのは、それだけ求められたのだと思うと悪くはない。
嫌われていたらしいけど、嫌っていた女をこんなになるまで犯してしまうほどお前は追い詰められていたんだろうか?
それとも、本当は……
なんて思っても多分違うし、勘違いも甚だしい。
そうだったらかなり嬉しいけど、違ったら本当になんというか、ただの痛々しい勘違い女だから。
だから、もういいや。
路地裏心中事件 全年齢版 朝霧 @asagiri
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます