加害者

 出会いは最悪だった、そしてどこにでもありふれた、何の特別性もないくだらない出来事だった。

 そんなわけだったので、あの女ことは多分大嫌いだったのだろう。

 いっそ憎んでいたと言ってもいい。

 とはいってもあいつにはおそらく一切そんな感情は伝わっていなかったのだろう。

 大馬鹿で阿呆でど間抜けで鈍感で、欠陥だらけの駄目人間。弱っちいくせに危機感や警戒感というものをかけら一つも持っていない大馬鹿女。

 空気も読まずに思ったことはずけずけ言う、人の心を思いやるとかそういう心遣いも一切ない、愛想も愛嬌も一切ない、本当に本当に可愛げのない女。

 それでも、あれは天才だった。

 自分の人生の中で唯一、正しく天才と称されるべき人間はあの女だけだった。

 あれは知識欲の塊だ、自身の興味、好奇心を満たすためには貪欲な獣のようになんだってやる。

 そんな怪物の前では、努力なんかで身につけた程度のものなんてゴミ屑程度の価値しかない。

 まだ幼い子供だった頃、自分は自分のことを天才だと思っていた、そうでなければならないという自尊心が、自分がそうでなくなることを許さなかった。

 けれど、本物の天才を目の当たりにすれば、自分がそんな存在なんかではないことは一目瞭然だった。

 それがどうしても許せなかったので、どうしても耐え難かったので、俺はあいつを一方的に完膚なきまでに叩き潰してやろうと思った。

 あいつ以上の知識を身につけ、あいつ以上の何かになれば、少しだけ自分のことが許せるようになる気がした。

 それ以上に、単純にあの女を負かしたかった。

 自分は自分よりもより上の存在を知って、気が狂うような屈辱を受けた。

 だからそれと同等かそれ以上の苦痛をあの女に、あのぼーっとした顔が悔しさと屈辱で歪むのを、あいつが苦しむところを、見たくて仕方がない。

 怒りに歪むだろうか、それとも泣くだろうか、泣けばいいと思った、その前で綺麗に笑ってやろうと思った。

 けれど結局、家の書庫に忍び込み禁書を漁ってまで得た知識、あいつが絶対に知り得ない知識を語ってみたところで、あの女は悔しがったりしなかった。

 むしろ逆だった、目をキラキラに輝かせて質問攻めしてきやがった、その上でありがとう、とか。

 全く悔しそうでもなんでもなかった、一番に見たかったものとは真逆の顔を見せつけられた。

 それは今思うと当然の結果だった、競争心や自尊心に関しては本当にかけらどころかチリ一つない馬鹿なのだから。

 だから、あいつを負かすことなんて永遠に不可能だと、あの日俺は悟ったのだ。

 惨めだった、一人で勝手に自棄になっていた自分がただひたすらに滑稽であまりの敗北感に死にたいとすら思った。

 それでも何故か妙に清々しくて、一人になった瞬間に馬鹿みたいに大笑いして、とまらなくなった。

 最悪な気分だった、それでもあれは多分気分のいい負け方だった。

 何もかもがおかしくて仕方なかった、自分の行動があまりにも愚かすぎて、あんまりにも報われなくて……それでも憎悪や敗北感に勝る何かを感じている自分がおかしくておかしくて。

 ……それで、生まれてから今までも自分が、死にたくなるほど馬鹿らしく思えた。

 一番であることに固執して、誰よりも優秀であるという思い込みにしがみついて、ただそれだけのために生きてきた。

 満たされるのは自尊心だけで、他人は見下すだけの存在で、見下している癖に猫をかぶって愛想の良い良い子ちゃんを演じて……

 なんて、くだらない。

 それで、それまであまり好きではなかった自分のことが大嫌いになった。

 それでも、それすらどうでもいいと、そう思った。

 自分が馬鹿らしい、こんなのにあっさりと騙される何もかもが馬鹿らしい。

 ならもう全部どうでもいいじゃないかとは思ったが、生まれた頃からの習慣と自尊心は中々強烈なものだったので、見栄を張るのも相変わらず。

 落ちぶれたと思われるのがどうしようもなく嫌だったのも変わらない。

 結局、あれだけの敗北を味わったところで、大したことは変わらなかった。

 それでも、それ以降は、少しだけ気楽に生きられるようになった。


 一生勝てないことなんてわかっていたのに、それでも俺はお前の元に通い続けた。

 あからさまに突っかかることをやめて、それでも傍に居続けた俺のことをお前がどう思っていたのは知らない、わざわざ聞こうとも思わない。

 多分、というか絶対になんとも思っていない、お前はそういう薄情な奴だから。

 きっとお前の人生において、俺はいてもいなくてもどうでもいい道端の石ころと何一つ変わらない。

 それが随分と心地よかった。

 余計なことを何も聞いてこないし、だからといって邪険にしてくることもない。

 興味の対象でないものに対しては無知で無関心、愚かで馬鹿なお前の前では俺が何者であろうと、意味がない。

 勇者候補だろうとただの子供だろうと、お前の中での俺の価値は等しく無だった。

 そういうふうにどうでもいいと思われていたから、俺はお前の前でだけは本性を晒していた。

 それだけでなく、元から自分の素を見せてしまっていたというのも理由の一つではあったけど、今思うとそういうふうに素を見せてしまったのも、お前の『昏夏以外どうでもいい』っていう雰囲気に、どうでもいいいと思われているのなら、とうっかり晒してしまったのかもしれない。

 お前だけだった、お前の前でだけ、俺は自分を偽るのをやめていた、やめられた。

 どうせお前は『お前の前だけだった』と知ったところでそんなこと気にもかけないのだろうけど。

 本当に腹が立つ。


 密命を受けた。

 密命を受けた理由は勇者候補として優秀すぎるが故とかいう馬鹿らしいものだった。

 本当に馬鹿らしい、こんな虚構で塗り固められた俺を優秀すぎるから、だって?

 能力や技術的にはまあまあいい方なのだろうが、内面というか精神面では勇者失格もいいところなのに。

 それでも逆らうことは不可能だった、逆らえばそのまま処刑、自分が受けるはずだった密命は、そのまま別人に流される。

 それだけなら別に命令に背いてもよかったけど、弟妹を人質に取られた。

 命令の内容は『本物の勇者として仕立て上げられる予定の弟妹以外の親族と国にとっての不穏分子、その他有象無象の無実の一般人を虐殺して、その後は厄災として世界中を荒らしまくり、最終的に勇者に殺され無惨に散れ』、要約するとこんな感じだった。

 命じた連中は人の人生を娯楽として弄ぶクズどもで、奴らはどうも勇者による血生臭い復讐譚をお望みらしい。

 俺が命令を蹴れば『勇者役』と『厄災役』が別人にすり替わるだけ、どっちにしろ俺も、俺の親族も不穏分子共も無辜の一般人も、殺される。

 けれど、弟妹だけは俺が『厄災役』を演じれば、面倒臭い『勇者役』を押し付けられる代わりに、死なずにすむ。

 弟妹のことは好きではなかった、大事だとも思っていない、むしろ嫌いだ。

 それでも何故か、死んでほしくはなかった。

 だからもう仕方がない、どっちにしろ死ぬのなら、死んでほしくない方が死なずに済む方を選ぶしかない。


 厄災になることは受け入れた、けれど一つだけ心残りがあった。

 親や有象無象の人間を殺すことは別にどうでもいい、殺す前に伝えるべきこともなにもない。

 基本的に有象無象の人間共がどうなろうがどうでもいい、その有象無象に自分の弟妹が含まれていないことは自分でも少し驚いてはいるけれど、それだけだ。

 その弟妹にも、地獄に叩き落とす前にせめて何かをしてやろうとは思わない。

 心当たりは一つだけ、あの愚かな天才を、どうすべきか。

 何も語らずただ傍を去るのが無難な選択なんだろう。

 きっとあいつは俺がことを起こしてから何日かしてようやくニュースか何かで俺の所業を知って、それで『あいつとうとうストレス爆発させやがったな』とかなんとか思って、それだけだ。

 それで平然と俺がいない図書館に通い続けて、俺のことなんてすっかり忘れるんだ。

 とっくに滅んだ過去の世界にしか興味のないあの女は、俺がどうなろうが何も変わらない。

 そうしていつか俺以外の誰かがあいつの傍に座ったら、そいつのこともどうでも良さそうな顔で受け入れるのだろう。

 それがどうしても許しがたい、憎らしいて、気持ち悪い。

 許さない、愚鈍で馬鹿で無情なお前は俺の事をきっと忘れて、俺以外の他人を俺と同じように受け入れる。

 ふざけるな、お前の隣は俺のもの、そこは俺が心を休められる唯一無二の狭い世界。

 それを見ず知らずの何者かに土足で踏み荒らされるのは耐え難い、そんなことは絶対に許さない。

 とはいえ、許さないと言ったところで『それがなんだ』と返ってくるのは明白だ。

 多分、かけらも気にはかけてくれないんだろう、お前はそういう奴だから、ずっと前から知ってたから、それはもういい、諦める。

 それでも許せないのはかわりない、ならどうすればいい?

 厄災をやめるつもりはない、厄災としてあの天才を攫ってやろうかとも少しは思ったが、守り通す自信がない、というか連れて行ったら多分普通に当たり前のように死ぬ。

 何より、あいつは絶対に拒絶するだろう、厄災なんかに誘拐されたら、昏夏のこと何にもできなくなるから、とかそういう理由で。

 そういうわけで別離は確定、それでも仕方がないからと放置するのはあまりにも耐え難い。

 だから、殺してしまおうと思う。

 殺してしまえば、お前の隣に俺以外の誰かが座ることはあり得ない。

 どうせ生きていようが死んでいようが一生お前と俺が出会うことはあり得ない、それならもう最初から殺してしまった方がまだマシだ。


 厄災となる日は、いつも通りに過ごした。

 仕事の時間は夜だったので、日中はいつも通りに。

 いつも通りに学校に行って、放課後には図書館に。

 三時になったら無言で立ち上がったあいつと一緒に近所の公園に行って、ベンチに座って菓子をつまむ。

 今日はクッキーだった、チーズとバジル入りの塩っけのあるクッキー、こいつも食べ納めかと思うと、とてつもなく惜しい。

 公園にはいつも通り、近所の中学生らしき少年達が駄弁っていた、ここから一番離れたベンチでは休憩中なんだろうOLがいつも通りビックるんるんを飲んでいて、その横のベンチにもこれまたよく見かける老婆が座っている。

 ブランコでは妹よりも二つ三つ年下くらいの女児達が遊んでいる、若いママ友集団が砂場で遊ぶ幼い我が子達を見守りつつ世間話に花を咲かせている。

 自分の隣ではいつも通り、小さな天才が無表情でミルクティーを飲んでいる。

 言葉はない、それすらいつも通り。

 日差しが熱い、よく冷えた缶コーヒーを一口飲んで、タッパーからクッキーをつまむ。

 蝉が鳴いていた、みんみんとやかましく鳴き叫ぶその音が、ひどく耳障りだった。


 三時休憩が終わったら、その後はいつも通り図書館に戻って、いつも通り勉強を。

 時間はあっという間に過ぎていった。

 閉館時間になって、帰る準備を始めた彼女に声をかける。

 「この後何か予定はあるか?」

 いっとう綺麗な笑みを顔に貼り付けて言ってやると、あいつは不思議そうな顔で「なんで?」と。

 「少し話したいことがあるから付き合ってくれないか?」

 ニコニコ笑ったままそう言う、どうせお前は呑気にノコノコついてくるんだろう。

 そう思っていたのに、俺の顔を見上げるその小さな顔が、何故か強張った。

 そして何か恐ろしいものを見るような顔で、ブンブンと顔を横に振る。

 「わ、悪い……遅くなると親に心配されるから話があるならまた日を改めてくれ」

 何かを誤魔化すようにそう言って、彼女は逃げるように立ち去ろうとしている。

 は?

 ふざけるな、お前、どんな変態に遭遇しても訳わかんなそうな顔で突っ立ってるだけだったお前が、よりにもよって今日、俺相手にそんなふうに危機感を働かせやがって。

 今この瞬間に殺してやろうかとすら思った。

 それでもそれは呑み込んで、彼女の腕を引っ掴んで無理矢理引きずった。

 「ちょっ!?」

 「うるさい。黙ってついてこい」

 抵抗しようとしたのでそう言うと、彼女はおとなしくなった。

 腕を掴んだまま図書館を出て、人通りの少ない路地裏まで連れて行く。

 人がいないことを確認し、誰にも邪魔されないように強力な人避けと気配消し、その他諸々の魔術をかける。

 これでもうここには誰もやってこない、何をしようがどれだけ騒ごうが、誰もここにはこられない。

 腕を離してやると、彼女は少しだけ青ざめた顔でこちらを見上げてくる。

 不安げなその顔に、そんな顔もできるのかと心がざわめく。

 「……こんなところまで連れてきて一体なんの話だ?」

 ほんの少しだけ怯えの含んだその声が、何故かとてつもなく聴き心地がいい。

 ほんの少しの高揚と興奮、今目の前にいる、ある意味では自分の人生を滅茶苦茶にしやがったこの女を、今から甚振り殺す。

 けれどそんな高揚を悟られるのは決まりが悪かったので、いつも通り綺麗な笑顔を顔に貼り付けたまま、答えてやる。

 「夜明けまでにはこの国を出て行くから、別れの挨拶を」

 彼女は俺の顔を見上げて、少し考えた後、こう聞いてきた。

 「……ただ挨拶をするためだけにここに連れてきたのか?』って。

 こいつ、なんで今日に限ってこんなに勘がいいのだろうか?

 いつもはあんなに鈍いのに、ひょっとして偽物か?

 いつものお前なら呑気に『へえ、そうなのか。それで? 餞別を寄越せということか?』とかなんとか言ってくるだろうに。

 けれど目の前にいるこいつは紛れもなく彼女だった。

 そうだな、例えどれだけ巧妙に繕われようが、俺がお前を見間違うわけがなかった。

 「なんで俺がこの国を出て行くのかは聞いてくれないの?」

 猫撫で声で問いかけると、彼女は力一杯首を縦に振りやがった。

 その顔には恐怖が、顔を見れば「何も聞きたくない」と思っているのは明白で、青ざめたその顔にひどく苛立った。

 「馬鹿のくせにこういう時だけは勘が働くんだな」

 凍りついたような顔で見上げられて、思わず舌打ちをした。

 小さな身体がびくりと震える。恐怖で引き攣った小さな顔に、何故か途轍もない優越感と高揚を感じた。

 そういえば昔、俺はこいつのこういう顔を見たくて、躍起になっていたんだったか。

 そんなことを思い出した。

 「聞きたくなくても話してやる。だから大人しく聞け」

 そう言ったら短い足が後ろに下がった。

 馬鹿な女、逃げられるわけないのに。

 細い首を片手で掴む、力を込めれば簡単に折れそうなそれは温かく、どくりどくりと脈動を感じた。

 「……大人しくしろよ、痛い目にあいたいのか?」

 彼女は抵抗を諦めたのかおとなしくなる、何故かとてつもなく気分がよくなって、笑ってしまった。

 首から手を離してやる、彼女は少しだけ体勢を崩しかけたがそれだけで逃げようとも離れようともしない。

 「いい子だ」

 そう笑ってから、俺は何故俺がこの国を出て行く羽目になったのか、その説明を始めた。

 もっと綺麗に話をまとめるつもりだったのに、何故か言葉がうまく組み立てられずに随分と手間取ってしまったが、馬鹿な女にも理解できる程度の話はできた。

 全てを語った俺の顔を彼女は見上げて、覚悟を決めたような顔でこう問いかけてきた。

 「……私はお前に殺される予定の百五十人のうちの一人か」

 すぐに首を横に振った。

 ふざけるな、俺がお前をあんな有象無象共と同等に扱うわけがないだろう。

 そう思いつつも、彼女のこれ以外の感想、言葉が聞きたかったのでただその顔を見下ろした。

 しばらく待って、ようやく彼女が口を開いた。

 「なら……それなら」

 しかし彼女はそれ以上何も言葉が出てこないようで、口を開いては閉じるのを繰り返す。

 「なら、なあに?」

 問いかけても彼女は何も答えなかった、正確にいうと答えられなかったのだろうけど。

 空を見上げる、もういい時間だった。

 そろそろ始めないと、間に合わなくなる。

 彼女の答えを聞かずに終えるのは少々惜しいけど、どうせ大した答えなんて出てこない。

 それでも何もいえずにいられる彼女の態度に少しだけ胸が弾んだ。

 こいつなら「それで?」で済ましてくる可能性もなくはなかったから。

 だから何かを悩みながら何も言えずにいる彼女に本当に少しだけ安堵を感じた。

 本当に、心の底からどうでもいい存在だったわけでないことを、やっと実感できたから。

 だから、心の底から笑みを浮かべながら、無防備な彼女の顔に拳を振るった。

 小さく弱い彼女はされるがまま、あっけなく吹っ飛んで無様に地面に転がった。

 「……っ!?」

 悲鳴すら上げられなかった彼女の身体に馬乗りになって、襟首を掴んで無理矢理視線を合わせる。

 「いたい?」

 問いかけると、痛みと困惑でごっちゃになった酷い顔が、前後に揺れた。

 よほど痛かったのか、目には涙が。

 泣いてる、泣いた、泣かせた、俺がお前を。

 もう一度、その小さな顔を殴る。

 当然手加減はしていた、簡単に死なせるつもりはなかった、だからうっかり殺してしまわないように、かなり手加減をしていた。

 それでもそんな手を抜いた拳すら避けられず、されるがままの彼女に心が躍る、楽しくて仕方がない。

 思わず大声で笑った、こんなに笑ったのはまだ幼い頃、彼女に完璧に敗北したあの日以降だった。

 ひとしきり笑った後で彼女の顔を見下ろすと、痛みか恐怖か、またはそのどちらかか、大粒の涙が彼女の目の端から溢れていた。

 綺麗だと思った。

 その美しさに、多分一瞬見惚れていた。

 涙で濡れた小さな顔、殴られ鮮やかに色付いた頬と、何をされても抵抗できないその脆弱さ。

 そのあまりの無様さにゾクゾクする。

 「かわいい」

 そんな言葉が自然と溢れていた、言葉にしてしまうとそれはあっけなく自分の中に染み込んでいった。

 小さい、弱い、脆い、かわいい、いとおしい。

 もっと殴って、もっと痛めつけて、もっと泣かせて。

 涙で濡れた目が大きく見開く、それとしっかり目を合わせてやる。

 そういえば、こいつとはまともに目線を合わせたことがなかった気がする。

 もっと見ていたいと思った、もっと見ろと思った。

 ああ、そうか。

 ずっとこれがほしかったのか。

 きっと、この感情をこの世界に存在する言葉の中で表現するとするのなら、恋だとかいう随分と美しい言葉になるのかもしれない。

 実際はただの醜い執着で、目を覆いたくなるような独占欲で、加虐欲だ。

 そうだ、ずっと前から、ずっとずっと前から、それこそ出会ったあの日から、自分はこの女を泣かせて、跪かせて、痛めつけてやりたかった。

 ほしかった、ずっとずっと欲しかった。

 これ以外に何もいらなかった、これさえあれば他はもうどうでもいいと思えるくらい、ほしかった。

 だからあんなに躍起になった、だからあんな無駄な努力を続けて、それが終わった後もまとわりついた。

 だけどやろうと思えばこんな簡単なことだった。

 だってこの女には昏夏しかない、それ以外はただの出来損ないだ。

 腕力も魔力も平均以下、頭も昏夏さえ絡まなければ悪い。

 昏夏においては、この女に俺はは一生敵わない。

 悔しさも敗北感も屈辱も絶望も植え付けることは不可能だ。

 けれど、それ以外の方法を使えばこんなにも簡単に。

 こんなことならもっと早くにこうしてしまえばよかった。

 それでも全部過ぎたこと、後はもう、残り少ない時間でどれだけこの女を貪ることができるか、ただそれだけだった。

 「痛い? 怖い? やめてほしいよね? でもやめてあげない」

 もっともっと酷い目に合わせてあげる、そう続けようとしたけど彼女が口を小さく開いたので、その声が聞きたくて黙り込む。

 「……私を殴って気が済むのなら、好きにしろ……どうせ……なんの覚悟も固められずお前になんの言葉もかけられなかった、出来損ないだ……」

 妙に覚悟の決まった声色だった。

 いつの間にか涙で濡れた瞳が、真っ直ぐ自分を見ている。

 流石に面食らった、痛くて怖くて仕方ないだろうに、なんでそんな顔で俺の顔を見上げられる?

 けれどすぐに、この女が鈍感で甘っちょろいお人よしだったことを思い出す。

 きっと、この程度で済むと思っているんだこの女は。

 こちら側どんな感情を抱えているかなんて気付かないまま、今自分が振るった暴力のこともただの腹いせだとでも思っているのだろう。

 きっとそれが正解で、なんかものすごく腹が立ってきた。

 こいつ、本当に酷い目に合わせてやる。

 睨みつけると、それでも彼女は臆さず、目を逸らそうともしない。

 その目にもその顔にもまだ恐怖の色は濃い、それでも目を逸らそうとはしない。

 ……本当に馬鹿な女。

 さて、どうしてやろうかとその顔を見下ろす。

 殴った頬は鮮やかに色づいて、痛みで流れた涙のせいで顔はぐちゃぐちゃで。

 小さい身体はそれでも柔らかくて、女の身体だった。

 気がついたら小さな唇に自分のそれを押し付けていた。

 ミルクティーの甘ったるい味のする舌をからめとって、味わう。

 柔らかくて小さい、口の中も狭い。

 悲鳴を上げようとしたらしいがそれも飲み込む、反射的なのかそうではないのかもがきながら逃げようとしたので頭を掴んで押さえ込む。

 まんまるに見開いた目を至近距離で見つめる、何が起こっているのか全くわかっていなさそうなのがなんとも間抜けで滑稽だった。

 しばらく堪能して、酸欠で向こうの意識が飛びかけていたので開放してやる。

 唾液の糸は一瞬で途切れた、酸素を取り込もうとした彼女はそれに盛大に失敗したらしく、可哀想なほど咽せている。

 咳の合間にひゅうひゅうと必死に呼吸する音が聞こえてくる、それがなんだか異常に愛らしい。

 少ししてやっと落ち着いてきた、恐怖なのかそれとも生理的なものなのか、もう一度その両目にたくさんの涙を湛えた彼女が無言で自分を見上げてくる。

 涙に濡れた、それでも恐れよりも困惑が遥かに勝る瞳に見上げられて、怒りとそれと同量の歓喜が溢れて止まらなくなる。

 なんて鈍い女なんだろうか、ここまでされて自分がどんな目にあっているのかまるで理解できていないらしい。

 それともまだこんな自分を信用しているのだろうか、こいつならそこまで酷いことはしてこないだろう、と。

 酷いことをするためにあんな話をしたのに。

 「お前、この期に及んで殴る蹴るの暴力だけで済むと思ってるのか?」

 「…………」

 彼女は何も答えなかった、というよりも答えられなかったと言うのが正確であるようだ。

 顔を見ればそう思っていたことは明白で、なんでこいつってこんなどうしようもないんだろうかと過去何度も思ったことを繰り返し考えた。

 「なんで俺があんな話をしたかわかるか? わからないだろうねお前には……殺すためだよ、できるだけ無惨に、できるだけ痛めつけて」

 そう囁くと、彼女はひどく困惑したような、困ったような顔をした。

 何もかもがわかっていない顔で、彼女はこちらを見上げている。

 「…………なぜ?」

 「お前がこの先、能天気に生き続けるのが許せないから」

 かろうじて搾り出したような小さな声にそう答えると、彼女は大きく目を見開いて、少しだけ悲しげな顔をした。

 「……そうか。はは……私、お前にそこまで嫌われていたんだな」

 衝動的に頬を平手でぶっ叩いていた。

 この女はこの期に及んで、いやこれは半分以上自分のせいではあるのだけど。

 それでも今ここでよりによってそれを言うか、とは思う。

 「……ああ、そうだよ……大っ嫌いだ……!! ずっとずっと、お前のそういうところが嫌いだった」

 「……そんなに嫌ってたのなら」

 「黙れ」

 もう一度口を塞いだ、どうせ『そんな嫌いだったんならなんでずっと傍にいたんだ』とかなんとか、そういう火に油を注ぐようなことを平然と言い放つつもりだったのだろう。

 本当に腹立たしい。

 舌を引き摺り出して、噛み切らない程度に噛んでやる。

 血の味が口いっぱいに広がった、悲鳴か呻き声か、言葉にならない声が彼女の喉から漏れてきて、なんだか気分がいい。

 さて、どうしてやろうか?

 元々は適当に拷問がまいのことをしてから殺すつもりだった。

 爪を剥がすとか、腹を何度も殴るとか、目玉をゆっくり取り出すとか、大量の水を無理矢理飲ませるとか、身体中の骨を丁寧に一本ずつ折っていくとか、そんな感じ。

 そもそもなんでただ殺すだけで済ますつもりがなかったのかというと、自分がいなくなった後に自分が知らない誰かと呑気に生きているこいつのことを想像したら、それに無性に腹が立ったので、その八つ当たりも兼ねて酷い目に合わせてやろうと思っていた。

 殺そうと思いついた時は何故そこまで腹が立ったのかその意味がわからなかったけど、単純にこの女が自分以外の誰かのものになるのが嫌で、つまり単純にこいつのことが好きだったからそういう仮想の相手に嫉妬していたわけで。

 好きだとか愛だというには随分穢らわしい感情な気もするが、とにかく自分はこの女のことを愛しているらしい。

 そう思うと、最初に予定していたこととは全く別のことをしたくなってくる。

 この場には誰も訪れず、目の前の小さな身体に何をしても誰に止められることも咎められることもない。

 女の身体は脆くて弱い、何をしても抵抗なんてまともにできないだろう。

 何をしてもいい、なんでもできる。

 それなら、殺す前に犯してしまおうか。

 どちらにせよ殺さなければいけないのだ、それならもう何をしてもいい。

 きっと泣くだろう、もがき苦しんで、泣き叫んで、する必要のない許しを乞うて、それでも全身をくまなく蹂躙され、最後には殺される。

 残された時間はごくわずか、それならやりたいことはできるだけ。

 ふと、自分が厄災にならなかったらどうなっていたのだろうかと思った。

 自分が目の前のこれに対してどんな感情を抱いていたのか、気付けたのは暴力を振るって泣かせた時の快感によるものだ。

 ならあのままの日常が続いていたら自分は一生こんなものに気付かなかったのだろうか、それともどこかで気付いて今やろうとしているように無理矢理これを犯そうと思ったのだろうか。

 考えても仕方がない、考えたところで何も変わらない。

 口を離す、赤い糸が少しの間彼女と自分の口を繋いで、切れた。

 先ほどよりも短かったからか彼女の息はさっきよりも静かだった。

 その顔が俺の顔を見て、恐怖に歪む、色も青を通り越して白くなる。

 どうやら俺は、こいつにとってとてつもなく恐ろしい顔をしているらしかった。

 可愛くて可哀想、それでもこうなるきっかけを最初に作ったのはそちらで、こんなどう考えても放置すべきではない男を放置してそのまま自分の傍にいることを許したのもお前、自業自得だ間抜け女。

 女の視線がこちらから逸れる、逃げ道でも探そうとしているのか、助けでも求めようとしているのか。

 今更のようにそんな行動を起こそうとしているのがなんとも滑稽で、ひどく愛おしい。

 「桜」

 初めて名前を呼ぶと、彼女はびくりと怯えた。

 泣きそうな目で見つめられて、全身があつくなる。

 

 どうせ殺すのでどれだけ散らかしても構わないし、どうせ殺すのでどれだけ怖がられようが嫌われようが憎まれようがどうでもいい。

 それでも抵抗されるのは面倒臭かった、どうせ何もできやしないだろうけど、それでも無駄にもがかれれば煩わしい。

 だからまず、抵抗しようとする気力を叩き潰す。

 手始めに、腹を殴った。

 短い悲鳴が上がる、吐くかと思ったけど意外なことに吐かなかった。

 これ以上はやめておこう、吐かれると口の中が不味くなる。

 次に足首、右の足首を片手で掴む、本当は両手でポキッと折ってやるつもりだったけど、出来そうなので力を込めたら簡単に握り潰せた。

 「い……ぎゃあああああああああああああああああああああああああああぁぁああ!!」

 骨は折るというよりも砕いたといった方が正しいのだろう、戦う必要のない場所で呑気に生き続けたこいつには余りある痛みだったのか、聞いたことがないような大声で悲鳴をあげる。

 「そんなに痛かった?」

 こくこくと何度も頷かれる、痛い痛いと小さくつぶやくその声が、やけに甘美なものに聞こえた。

 「そう……じゃあ次、左ね?」

 こちらを見上げてこちらの正気を疑うようにまんまるに見開いた目が、ひどく愛らしい。

 「やっ……やめ」

 「やめない」

 左の足首も容赦なく砕いてやる、くぐもった悲鳴を聞いて口元が歪んだ、大声で笑いたくなったけど、もっともっと楽しいことをするのが先だ。

 小さな手を両方とも捕まえて上に持ち上げる、まとめて握り潰されるとでも思ったのかその顔が一気に怯えに染まる。

 「潰さないよ? 俺、これ好きなんだよね。ちっさくて柔らかくて……だから、これは最後まで形を残しておこうかなって、思ってる」

 そう言ってやると、彼女は安堵でもしたのか、少しだけ顔を緩めた。

 「ああ、お前……本当になんというか、馬鹿で能天気でクソ馬鹿ど間抜けだよね」

 なんでこいつこんなに頭が悪いんだろうか、なんだってこんな馬鹿相手にこんなにも感情を乱されなければならないんだろうか。

 もういい、理性なんか今は全部捨ててやる、余計なことは考えてももう無駄だ。

 セーラー服のスカーフを抜き取って、手首を縛っておく、何かごちゃごちゃと小さく言ってきたけど、どうでもいい。

 指でも切り落とそうかと思って持ってきたナイフを手に取ると、彼女は刺し殺されるとでも思ったのか、身体を硬直させる。

 刃物なんかで殺すくらいだったらもうとっくに殺しているのになと思いながら、セーラー服のを襟から裾まで一気に切った。


 女はひどく痛がった、痛みで気がおかしくなったのか正気を失ったのか、言葉らしい言葉を発することはなくなった。

 最終的に殺すつもりだったので、気遣いも何もせずにただ自分がしたいように俺は彼女の身体を貪った。

 何度も殴って、何度も犯して、戯れのように眼球をついばんだ。

 何度も何度も痛めつけたせいで女はもう意識を失いかけていた。

 目玉を抉った時点でショック死していてもおかしくなかったのに、まだ生きているのだから運がない。

 そのまま放置しても死にそうだったが、こいつは、こいつだけは自分の意志で殺したい。

 だから両手で首を掴む、終わりを悟ったのか女は全てを諦めたような、全てどうでも良さそうな無表情になった。

 両手に思い切り力を込める、女はあっさりと、その息の根を止めた。

 それなのに、どうして。

 「お前……なに、笑ってんの……?」

 こちらが首を絞めたその瞬間、お前は何故かその顔を花のように綻ばせた。


 手から力を抜くと、女の身体は支えを失い崩れた。

 全身傷だらけだった、腹部も顔も何度も殴ったから青紫色に変色していて、骨を砕いた足首は腫れ上がっていて、右の眼窩は空っぽ。

 胸元に触れると、心臓はもうとっくに動いていなかった。

 死んだ。

 殺した。

 俺が、この女を、この天才を殺した。

 言葉にならない絶叫をあげていた、望んで殺したのに、自分がそうしたかったからこんなふうに甚振り尽くして殺したのに、あんなに気持ちよくて楽しかったくせに、罪悪感なんてかけらも抱かずあんなふうに凌辱して、最後まで徹底的に痛めつけたのに、なんで。

 もう動かなくなった、なんの音も聞こえない少女の身体を掻き抱く。

 動かない、だってもう死んでいる、俺が殺した、殺してしまった。

 俺には、お前だけだったのに。

 そうだだから殺した、俺だけのお前でなくなるのが嫌で嫌で仕方なくて、それで殺した。

 わかっていたはずだった、殺せばお前が永遠にいなくなることも、もう二度とあの安らかな時を過ごせなくなることも、最初から。

 いいや、わかっていなかったんだ、こんな喪失感、こんな絶望を感じると初めからわかっていたら、理解していたら最初からこんなことなんて。

 後悔しても仕方がない、自業自得でしかないのに、どうしてこんな事をしてしまったのかと、どうして殺したのだという自責が止まらない。

 彼女はもういない、死んでしまった、俺が殺した、俺はこの手で、一番大事なものを壊してしまったんだ。

 それを本当の意味で理解して、厄災になると決めた時に殺したつもりだった心が、今度こそ本当に死んでいく。

 「もう、どうでもいい」

 そんな言葉が口から漏れていた。

 抱きしめた身体はもう、何も言ってはくれなかった。


 徐々に温もりを失っていく身体を抱きしめて、縋り付くように彼女の生前の記憶を思い出す。

 あれだけの目に合わせておいて、自分の手で殺しておいて鮮やかに思い浮かぶのは締めた首の脆さでも犯した時の快楽でもなく、あの公園でろくに会話もせずに菓子を食ったり、図書館で本を読んでいた時のことばかり。

 何もないけど穏やかで、ただそれだけの日常。

 アレを続けられるのであれば、どれだけ良かっただろうか?

 「ああ……そっか、俺……ちゃんとしあわせだったんだ……アレだけで、十分だったんだ」

 アレはちゃんと自分のものだった、希薄な関係でしかなかったけど、それでもあの日常は自分だけのものだった。

 だから、誰にも盗られたくなかった、盗られるくらいなら自分で壊したほうがまだマシだった。

 そう思って、壊した結果がこのザマだ。

 滑稽どころの話じゃ済まされない。

 「笑ってよ」

 答えなんて返ってこないのはわかっていたのに、思わずそんな事を言っていた。

 お前だったらきっと笑わないだろう、ただきっと一言、馬鹿だなと言って、それだけなんだ。

 これからどうしようかと思った。

 本来なら、この後自分は厄災として多くの人を殺しにいく予定だった。

 そんなことしたくなかったけど、弟妹がそれで死なずに済むならそれでいいと思っていたはずだった。

 それなのに、殺したくもない人々を大勢殺してまで生かそうと思っていた弟や妹のことすら、もうどうにでもなれと思った。

 もう、一瞬たりとも生きていたくない。

 この女がいない世界に、いたくない。

 もう厄災とか勇者とかどうでもいい、死のう。

 だってもう、あいつはいないのだから。

 きっと国の連中は俺が役目を放棄するために死んだと思うのだろう、この女は道連れに選ばれたかわいそうな被害者扱いされるはずだ。

 道連れどころか八つ当たり、暴力だけでは飽き足らず手酷く犯してそのまま殺した。

 最優の勇者候補さまがなんの罪もない無辜の女を強姦して無理心中……国の奴らはどう思うだろうか、余計なことをと怒るだろうか、それともこれすら面白がって娯楽として消費するのだろうか。

 「結局アイツらを死なせることになるんだったら、駆け落ちでもすりゃよかったな……」

 きっとそれはとてつもない苦痛を伴う選択だったし、彼女だってきっと自発的についてくることはなかっただろうけど、それでも。

 どこか遠くで、自分達のことなんて誰一人知らないようなところで二人で穏やかに生きられたら。

 なんて、馬鹿な妄想だ。

 考えることすらおこがましい、自分で殺しておいていつまでもこんなことを考えてしまう自分の愚かさに頭が痛くなってきた。

 本当にどうしようもない。

 そんなあり得ない事を考えても仕方がないので、この先どうするのかを考える。

 今すぐにでも死にたい、事を始める前にその辺に放ったナイフがあるから、それで首でもつけばすぐにでも。

 死ぬのは容易かった、それでもその先のことを考える、自分達の死体が発見されたそのあとのことを。

 きっと無理心中か、もしくは二人まとめて何者かに殺害されたとでも思われるだろう。

 発見した誰かは当然通報するだろうから、死体はまず警察の元に。

 そうなった時にきっと、ばらばらに運び込まれるのだろう、よほどきつく抱きしめていればすぐには引き剥がされないだろうが、どうせ後々引き剥がされる。

 それで、検死でもされて、死因を特定されて、何もかもが暴かれた後で、死体はきっとそれぞれの血族の元に。

 結婚していたわけではない、そもそも俺とこいつに接点があった事を知っている人間は誰もいない。

 だから当然のようにバラバラに弔われ、別の墓に入れられる。

 その頃には世間では優秀な勇者候補が無辜の女を惨たらしく殺して自殺したことが、多分そこそこ大体的に報道されて大きな話題になっているのだろう。

 俺が何を思ってこの女をこんなふうに惨殺したのか、惨殺された女は何者なのかとああでもないこうでもないといくつも憶測が立てられて、ある程度の盛り上がりを見せるのだろう。

 それできっと、俺を厄災に仕立て上げようとした連中は余計な事をしやがってとか思いつつも、俺みたいな優秀で従順な操り人形がただの一般人の少女を道連れにして死んだ事を、死ぬ前に少女の身体を滅茶苦茶に弄んだことも含めて、娯楽として消費するのだろう。

 死んだ後、無象無象にどう思われても構わない。

 けど、こいつと引き離されるのはごめんだった。

 だけど普通に引き剥がされるだろう。

 こいつの両親からすれば俺は自分達の娘を穢した上で殺した怨敵だし、俺の両親はきっとこいつのことを俺を誑かしてこうする事を俺に強要した女だとでも決めつけるのだろう。

 あいつらは勇者候補である俺を信じきっているから、俺が自分の意志でこいつを穢して殺しただなんて誰が見てもわかる当然のことを信じられずに、それは違うと拒絶して怒り狂うんだろう。

 だからきっと、あいつらは穢らわしいもののように俺からこいつの身体を引き剥がすのだろう。

 というか普通にこいつとは赤の他人同士なので、どう足掻いても引き剥がされる。

 それは、嫌だった。

 ならどうするか、いっそ今自分ごと彼女を燃やし尽くすなりなんなりしてしまおうかと思った。

 そうすれば一緒に灰になれる、それどころか多分、誰も自分達の死に気付かないだろう。

 そうすれば、死んだ後に無象無象になんやかんや余計なことを言われることも余計なことをされる心配もなくなる、国の連中に娯楽として消費されることもないだろう。

 なら本当に全部全部焼き消してしまおうか。

 そう思ったが、やはりやめておくことにした。

 この女が意外と両親から愛されていることと、意外と両親のことを大事にしているのを知っていたから。

 例えば今自分とこの女をまとめて焼き消したら、この女はただの行方不明者扱いされるのだろう。

 そうなったらこの女の親は自分達の娘がどこかで呑気に生きているかもしれないという希望に縋りながら生きていくことになる。

 こんな死に方をしたと知るよりもそちらの方が幾分マシなのかもしれないが、それでもそんな叶わない希望を抱きながら生き続けるのは辛いだろう。

 少なくとも自分だったらきっと発狂する。

 だから、死体は残しておこうと思う。

 ならどうする、どうすれば離されずに済む?

 呪いか何かで固着してしまおうか、ついでに無理に引き剥がそうとしたら二人いっぺんに燃やしてしまうような、そういう呪いもかけてしまえばそれでいい。

 それだけでは心許ないのでその他にもいろいろと、何重にも呪いを重ねて触れることすら危ういと思わせれば、不必要にベタベタと触られることもないだろう。

 しかしそれでも心許ない、呪術はそれほど得意ではない、普通に解呪される可能性もあった。

 なら、いっそ喰ってしまおうか。

 全部は無理だけど一部だけなら、それならたとえ引き離されたとしても、部分的には離れない。

 ならどこを喰う、手放したくない部位を優先的に喰う必要がある。

 残った目玉と手は確定、あとは……あとは臓器をいくつかと、舌もほしい。

 本気で?

 ほんの一瞬だけ正気に戻りかけたが、それ以上何も思いつかなかったので、喰ってしまうことにした。

 そういえば昔読んだ殺人事件にこの状況と似たような事件があった。

 愛した男の死体を丸呑みにした女の殺人鬼、いつもは殺したの者の手足を引きちぎって遊ぶのに、事故死してしまった愛する男だけは傷を付けずに丸呑みにした。

 丸呑みは無理だし、傷付けないことも不可能だ。

 それでも、愛する者の死体を喰わずにはいられなかったその狂人の気が、今ならわかる気がする。

 目玉は啄むように抉って喰った、舌は口付けのついでのように噛みちぎって飲み込んだ、スカーフを解いた手は食いちぎり、胸元から下腹部までナイフで裂いて、心臓を取り出し、喰らいつく。

 どれもこれも酷い味だった、それでも無我夢中で喰らい尽くした。

 臓器を喰いきったところで腹がパンパンになった、これ以上はもう無理だ。

 さらに酷い有様になってしまった女の遺体をもう一度抱きしめると、残った中身が溢れそうになった。

 露出した肌を誰にも見せたくなかったので脱がした服を着せ直す、切ってしまったセーラー服は魔術で適当に貼り付けて補修した。

 何も言わない身体を抱きしめ、自分ごと彼女に呪いをかける、いくつもいくつも、何重に。

 十分どころか過剰なほどの呪いでガチガチに固めて、彼女を切り裂いたナイフで自分の首を貫き、抜いた。

 痛みはあったが自分が彼女に与えた苦痛とは比べるのも馬鹿らしくなるくらい軽いだろう。

 血が勢いよく抜けていく、同時に意識も薄れていく。

 もう一度、彼女の身体をきつく抱き竦める、もう二度と離してなんかやらない。

 おまえのぜんぶ、からだもこころもなにもかも、ぜんぶおれの――

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