閑話 父親

 いつ頃だったかはわからない、だけど本当に小さい頃。

 私はきっと一人きりで生きて、一人きりで死ぬのだろうと思った。

 兄や家族みたいに普通の感性を私は持っていなかった。

 目の前で誰かが死んでも「ああ、死んだ」と思うだけ、きっとそれが家族であっても変わらない。

 他人のことを嫌いだとも不快だとも思わない代わりに、私は誰のことも好きだと思えず、人間や自分を含めた生物が尊いものだなんて思えなかった。

 人間なんて全部等しく大した価値なんてないと思っていたので、誰かによくしてもらっても反対に悪くされても、特に何とも思わなかった。

 美味しいものを食べれば嬉しい、温かい毛布にくるまると気持ちがいい、雪が降ると指先が痛くてつらくて、美味しくないものを食べると、とてもつらい。

 そういった生物的な、あるいは原始的な感情はあったけど、それ以外はなんにもなかった。

 私はきっと人間性というものが欠乏しているのだろう、だから人間がどうして人間のことを好きになったり嫌いになったりするのか、よくわからなかった。

 人間は、何故他の人間相手に何故こんなにも強い感情を向けるのだろうか?

 それは呪いを学んだきっかけの一つでもあった、とはいっても単純に面白そうだからという理由の方が大きかったのだけど。

 学んでみると案外とっつきやすくて、楽しかった。

 特に面白かったのは他人が本気で作った呪いの品の、その解析。

 普通の人なら吐き気を催すような殺意と悪意は、人間相手になんにも思えない私にとっては新鮮で、物珍しくて、そして何よりそれを解析するたびに普通のヒトのことを、理解できた気になれたからだった。

 そうやっていろんな呪いをかき集めて、誰の忠告も聞かずに好き勝手やっていた私が、破滅しないわけがなかった。

 ある日私は呪いの解析に失敗、いいえ、大失敗して、死にかけた。

 痛くて苦しかった、けれどそれだけだった。

 いつかはきっとこうなるだろうとは少し思っていたし、自分の生死にはあまり関心がなかった。

 完全に自業自得だったから、別に死んでもいいと思っていた。

 その日の前日に小遣いで買った焼き菓子を食べそびれたことくらいしか、後悔はなかった。

 そんなどうしようもない私に手を差し伸べたニンゲンが、二人もいました。

 問題ないと拒絶したのに、それでも無理矢理こちらの手を引っ掴んで生に引き上げてくれたヒトが、二人も。

 私はそれでようやく、人間が人間に何故感情を向けるのか、少しだけ理解できるようになりました。

 そして同時に、自分から何故人間性が欠乏していたのか、その理由も。

 きっと私は、生まれた時から自分に何の価値も感じていなかったのでしょう、だから他人に何をされても何とも思わなかった、だってどうでもいいものに何をされたってただの余計なことで、大事でも何でもないものがどんな目にあっていても、別にどうでもいいのです。

 結局私は、自分のことがとてつもなくどうでも良かったから、それに関わる人間のことも全部どうでもよかっただけだったようなのです。

 それはきっと今もあんまり変わらないのです、実際、私は私が死んだところできっと後悔せずにそれを受け入れるのでしょう。

 それで怒ってくれそうな人がいることは理解できたけど、それでも私はやっぱり、自分のことをそんなに大切には思えないのです。

 けれど、あの日、あのお人よし二人に助けられたあの日から、ほんの少し、本当に少しだけ、自分のことがどうでもよくないと思うようになりました。

 だって、赤の他人だったのにあそこまでのことをしてもらって、あんなふうに苦痛を背負ってまで私を助けようとしてくれた人が二人もいたのに、その人達が救ってくれたこの身を私自身が心底どうでもいいと思うのは、とても失礼なことだと思うのです。

 そういうふうに思えたから、私は少しだけ自分のことを大事にできるようになって、その副産物で人が他人のことを好いたり嫌ったり、そういう感情をどうして抱くのかを理解できるようになっていったのです。

 それでも、先人達が呪術にのせてきた、のせざるを得なかった強すぎる感情を感じることはありませんでした。

 それでもいつか私も先人達と同じように感情のままに呪いを掛ける日がいつかくるのかもしれません。

 漠然とそう思いながら、生きていました。

 多分そうはならないだろうなとも思っていました、なんせ自分は外道なので。

 外道のくせに大した不自由もなく、家族に恵まれ友人に恵まれ、そんな幸福すぎる人生を歩み続けている真っ最中だったので。

 けれど、あまりにも唐突に、あまりにもあっけなく。

「……ああ、そですか、これが」

 目の前にはたった今絶命した男の死体がひとつ。

 私の呪いでたった今命を潰された哀れな肉の塊は、死してもまだ人間の形を失っていく。

「これが、憎悪ですか。そですか、あはは……やっと偉大なる先人達の気持ちが、あんな物を残して死んでしまったヒト達の気持ちが、わかりましたよ」

 一生分かりたくなかったなんていう泣き言は飲み込みました。

 これが憎悪、多くの呪いの大元、呪いの起源たる感情。

 腕は真っ先に潰しました、私の二人のお友達を殺した時に使用したであろうその部位は、一番念入りに、一番痛くて苦しくなるように。

 同時に動かれると面倒臭いので、足も潰しました。

 あとは、じっくり、念入りに、そう思っていたのに、重すぎる呪いか、痛みによるショックか、あっさりと死んでしまいました。

 まだ目も鼻も舌も耳も無事なのに、心臓も肺も胃も肝臓も腸も形を保っていたのに、脳も無事なのに、まだまだこの程度じゃ足りないのに。

 ふざけないでください。

 やっても仕方がないとわかっているのに、もうすでに苦しむことのない死体に呪いを叩きつけました。

 霊魂というものがあるのならそれをとっ捕まえて、地獄の底に堕ちるよりも苦しく痛い目に合わせてやるのに、そんなものはないから残ったものにこの感情を叩きつけるしかないのです。

 赤黒く変色した目玉が呪いの負荷に耐えきれずに潰れてしまいました、あまりにも呆気ない。

 どろりと溶けた歯が血と一緒に口から溢れてきました、汚いけどまだ足りません。

 周囲がうるさいです、悲鳴がいっぱい聞こえてきます。

 うるさいから黙ってほしいです、いっそ全員呪って殺してしまいましょうか。

 なんだかそれがとてつもなく良いアイディアのように感じたので、そうしようと壊れかけの死体から目を逸らしました。

 たくさんの子供達と少ない大人達は一瞬だけ静かに成りましたが、すぐに蜘蛛の子を散らすように大きな悲鳴をあげて走り去ってしまいました。

 なら、それでいいでしょう。

 まだ足りない、まだ足りない、まだまだこんなものでは済まさない。

 よくも、よくもよくもよくもよくも、私の二人しかいない大事なお友達を殺してくれやがりましたね。

 まだ足りない、なんで人間はこうもあっさりと死んでしまうのでしょうか、こんなものではまだ足りない、もっと苦しめもっと苦しめもっともっともっと。

「やめろ!! もうやめろ汐!!」

「…………にいさん」

 いつの間にか真後ろに兄さんがいました。

 誰かから連絡を受けて駆けつけてきたのでしょう、『お前の妹が学校の校門近くで人を呪い殺した』とかそんな感じのを。

「何やってんだよお前!! なんでこんなことを……!?」

「兄さん、そいつ、私の大事なおともだちを殺しました」

 死体を指差しながらそう言いました、兄さんは絶句して、私の顔と死体を交互に見ました。

「それで突然私に襲いかかってきたのです。意味がわかりませんでした、私ってほら、敵意とか殺意にたいして自動的に反応するカウンター呪術仕込んでるじゃないですか、それで呪われてるくせにそれでも私を殺そうとしたんです。意味わかんなくてカウンターあるからやめてくださいって言おうとしたら、お前があいつらに余計なことを吹き込んだんだろうって、そのせいで勢い余って殺したって、あの二人を殺したって、そいつが。だから兄さん、だから私殺しました、呪い殺しました、カウンターだけでも死にそうでしたけど、ちゃんと私が自分の意志で殺しました、殺してやりました、けどこれではまだまだ足りないんです、もっと苦しめなきゃ足りない、全然足りない、よくも、私の、なんで、どうして、私の、助けてくれたのに、二人しかいないのに二人とも、なにも、どうして、ああああああああ、あの時無理矢理にでもおしつけてれば、みがわり、かうんたー、やりようはいくらでも、なんでもいい、ぜったいになにかがなんとかなったのに、どうして、あああ、あああああああああ、そっか…………私が、余計なことを、話したのがそもそもの発端、なんでしたっけ?」

 なら、この死体をぐちゃぐちゃに、ぐちゃぐちゃにし終わったら、次は私の番ですね。

 いつの間にか自分にむけていたらしい呪いのせいで、どこかの血管が千切れたのか、鼻から血が。

「っ!? やめろ馬鹿!!」

 私が何をしでかしているのか理解してしまったらしい兄さんが手を伸ばしました、そこまでは確認できたけど、もう遅かったようです。

 まだまだ足りなかったのに、実際は私のせいだと気付いた直後に、私は私を無意識に呪ってしまったようでした。

 視界が真っ赤に塗りつぶされ、身体中が真っ黒な呪いで満ちていきます。

 あの二人に助けてもらった時に比べると全然苦しくはないけれど、それでもきっともう、何もかもが手遅れなのでしょう。

 どうでもいいです、私のことなんて。

 こんな外道、最初からいなければよかったんです。

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