某日・第七研究室

 何かががしゃんと落ちる音が聞こえてきた。

 音が聞こえてきた方を見ると、室長が棒立ちのまま突っ立っていた。

 その近くに、電話の受話器が落ちている。

 きっと手が滑ってうっかり落としたのだろう、何やってんだろうなあと思いながら声をかける。

「ちょっと室長、受話器落とし……ましたよ?」

 言葉が途中で止まったのは、その顔があんまりにも酷かったからだった。

 顔色が悪いなんてどころではない。

「し、室長? ちょっと室長!? どっ、どうしたんですか!? なにが……」

 異常事態に気付いた同僚達がなんだなんだと近寄ってくる。

 室長は呆然と自分の顔を見て、ハッとしたような顔をしてから慌てて受話器を床から拾い上げた。

 そして電話相手に謝ってから、二、三ほどごちゃごちゃと何かを言ってから、受話器を戻した。

「なにがあったんですか?」

 どう考えても異常事態、基本的になにがあっても「まったく仕方ないな」と穏やかに強かに笑ってるうちの室長らしからぬ異様な雰囲気に、そう問い詰めた。

 室長は、言うかどうかを悩むような仕草を見せた後、何かを諦めるような顔で口を開いた。

「この前の、心中事件……例のあの子の……」

「あ……あの室長が何年か前からうちにお誘いしてた例の……ひょっとして、事件に何か進展が? 犯人の殺害動機がわかったとか?」

 そのくらいしか心当たりがなかったけど、室長はゆっくりと首を横に振った。

「いや……例のあの子のご両親が……殺されたと、連絡が」

「はい? ……なんで、です?」

「犯人はあの子を殺した犯人の……勇者候補の熱狂的なファンだったらしい……それでいわゆる……逆恨み、だろうなあ……」

 思わず絶句した、室長は顔に手を当てて大きく溜息をつく。

「さ、逆恨みって……だって勇者候補の方が無理心中したんでしょう? その子の方は被害者だって……」

「そうだとしても、勇者候補にそうさせる何かがあの子にあったんだろう……ってことみたいだな……」

「だからって、その子のご両親を殺す……なんて、どうかしてますよ」

「おれだってそう思うよ……だが、そう思わない奴がいて、そいつが……あの子の両親を殺したのは、もう変えられない事実なんだ」

 室長はもう一度深く溜息をついて、黙り込んでしまった。


 三時になったので休憩がてら今日の朝買ってきて冷蔵庫にしまっていた炭酸飲料を飲むことにした。

 ちょうど同じようなことを思ったのか、冷蔵庫からアイスコーヒーを取り出した室長と、バッチリ目があってしまった。

「あ……その室長……大丈夫ですか……」

「ああ、ひとまず落ち着いた。悪いな、心配かけて」

「い、いえ……」

「場所を譲ってもらって冷蔵庫から炭酸飲料を取り出す。

「あ、あの……その……十塚ちゃんって、どういう感じの子だったんですか?」

 間が持たなくてなんとなく気まずくて、気がついたらそんな質問をしていた。

 なんでこんなことを聞いてしまったんだろう、なんかもっと別の話題があっただろうに。

 だけど撤回するとさらに気まずくなる気がして、言葉を続ける。

「何回か会ったことあるけど、お話ししたことはあんまりなくて、なんかちっちゃくて可愛い子でしたよね。……その割に雰囲気が老人っぽいような、逆にめちゃくちゃ子供っぽいような……なんかよくわかんない子だっていう印象は、一応あるんですけど」

「……だいたいそんな感じの子だったよ。それでもって天才だった……うちに来てたら多くの功績と……それ以上の問題を作っていただろうな、そういうタイプの子供だ」

「あー……そういうタイプの天才かー……高校の同級にそんな感じのが一人二人いましたよ、そのうち一人のせいでうちの高校、更地になりかけたことがあるんですよね」

 あれは本当にひっでぇ事件だった、あいつ今なにやってるんだろうね。

「更地って……まあおれの時もあったなあ……そういう感じの大事件。まあ一番笑ったのはその問題児のせいで学内に存在する全てのカツラが焼失した事件だったが……」

「どんな事件ですそれ?」

「なんだったかな……学内に存在する『カツラ』を対象に指定して、その指定したものを強制的に学校の焼却炉に転移する……みたいな術を使った奴がいてな……元々はポイ捨てされたゴミを指定するって言ってたんだが…………イタズラが、めっちゃ好きな奴だったんだよ」

「ああ〜……十塚ちゃんもそういう系統ってことです?」

「いや……そういう遊び心があるタイプっていうよりも……やりたいことやってたら世界滅ぼす研究に手を出してたけど、楽しいからそのまま続けまーす、あららお隣の国無くなっちゃった、まあいっか、いえーいピースピース(真顔)カッコまがおって感じの奴」

「あー……マッドサイエンティストタイプ……意外なことにうちにはあんまりいないタイプのやべえやつ……」

 言われてみるとなんかすっごいわかる、確かにそういう雰囲気のある子だった。

 好きなこと突き詰めてそうだし、それ以外はどうでも良さそうというか。

「そうだな、うちには案外そのタイプはあまりいないから……来てくれたらいい刺激になっただろうな……まあ、それ以上に振り回されて大変だったかもだが」

「ですねえ……けどきっと、楽しかったでしょうね……ってか、中卒でうち来る可能性もあったっていうのは本当だったんです?」

「ああ、本人はそのつもりだったし、うちとしてもそれでいいってことになってたんだが……ご両親がせめて高校は卒業してほしい……って」

 そこまで言ってから、室長は急に深々と溜息をついて、片手で顔を覆った。

「どうしたんです?」

「いや……ありもしないことを考えただけだ……もし無理矢理にでもこの研究室に引き込んでたら、ああはならなかったんじゃなかったと思ってな……あの二人がどういう関係だったのかも、なにがあったのかも知らないが……それでももしあの子がここに来ていたら、あの子が殺される理由がなくなったんじゃないかと、そんなことを……」

「そ、それは……」

「わかってる。ちゃんとわかってる。そんな『もしも』をいくら考えても無駄だってことはな……だが、あまりにも惜しい。あまりにも惜しい才能が、失われてしまった……」

 そう言ったあと、室長は懐かしむように、惜しむようにあの子の事を話し出した。

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