つなぎ役

増田朋美

つなぎ役

ある日、杉ちゃんがいつもどおり、製鉄所と呼ばれている福祉施設の中で、着物をぬう作業をしていたところ、いきなり玄関の引き戸を引く音がして、

「杉ちゃん居る?ちょっと相談があるのよ。お願いできないかしら?」

という女性の声がした。杉ちゃんも、布団に横になっていた水穂さんも、すぐにこの女性が誰なのか気がついて、お互い顔を見合わせた。

「ああ、浜島さんだ。」

杉ちゃんがそういう通り確かに浜島咲である事は間違いなかった。

「そうですね。最近彼女が相談を持ちかけてくることが多いけど、一体何なんだろう。」

水穂さんは、ちょっと不思議な感じで言った。

「杉ちゃん居るんでしょう?ちょっとお話をきいてほしいのよ。この人のお話、聞いてあげてちょうだいよ。」

咲がそういうということは、また別の誰かを連れてきたということだろう。

「ああ、いいよ。はいれ。」

と、杉ちゃんが言うと、

「じゃあ入らせてもらうわね。」

と、言いながら、二人の女性が杉ちゃんと、水穂さんがいる四畳半にやってきた。四畳半に四人も座ったら、ぎゅうぎゅうになってしまいそうになるので、みんなで食堂に行って、テーブルに座って話すことにした。全員、食堂に行ってテーブルに座ると、杉ちゃんがお茶を出してくれた。

「それで、相談って何なんですか?」

と、水穂さんがそう言うと、

「はい。彼女のことなんだけど。」

咲は、一緒に連れてきた、一人の女性に、名前を名乗るように言った。

「初めまして、私の名前は、富樫明子です。」

どうもその自己紹介は、変なところがあった。

「お前さんは何者だ?」

杉ちゃんが、お茶を出しながら、そう言うと、

「富樫明子さん。職業は、二胡奏者。それ以外なんでも無いわよ。」

と、咲が彼女を紹介した。

「本当にそうか?僕、どっかで見たことあるような顔してるなと思うんだけど。二胡奏者ということも気になるな。どっかで演奏してなかったか?どうなんだ?」

「杉ちゃん、あんまり詰問すると可哀想だよ。聞きたいことは、ゆっくり聞いてあげたほうがいい。少なくとも、富樫明子というのは、本名ではありませんよね?」

と、水穂さんができるだけ優しくそう言うと、富樫明子さんと呼ばれた女性は、申し訳無さそうな顔をして頷いた。確かにきれいな感じの人だ。どこかの女優さんのような感じの雰囲気もある。

「それなら、お前さんの本名はなんと言うのかな?」

と、杉ちゃんがそうきくと、

「富明と名乗っていました。帰化したとき、どうしても日本式の名前が必要だったから、富樫明子と名乗りました。」

明子さんという女性は言った。

「そういうことか。ということは、かいつまんで話すと、お隣の国から来たんだね。」

杉ちゃんがそう言うと、

「杉ちゃん、そこのところばっかり気にしないで、彼女の話を聞いてあげてよ。」

咲が、杉ちゃんの話しに口を合わせた。

「そうかそうか、じゃあ、お前さんの話をちゃんと聞かせてもらうぞ。はじめから、終わりまでしっかりと、わかりやすく話してね。よろしく頼むぜ。」

杉ちゃんがそう言うと、咲も、

「何も怖がらなくていいわ。この人達は絶対に、あなたのことをバカにしたり怒ったりする人じゃないから、話してあげてよ。」

と彼女に話すように促した。

「はい。ありがとうございます。私は、日本に帰化してから一年になるんです。今は、お話のろうそくという本を読み聞かせする仕事をしています。それで、今度のお話会で、演奏をしてほしいと頼まれまして。それで私は、中国の民謡とか、そういうものを演奏しようと言ったんですが、ことごとくだめで。」

と、明子さんはそう話し始めた。

「民謡ってどんな?」

杉ちゃんがそうきくと、

「ええ、例えば茉莉花とか、そういうものであればやってもいいかなと思ったんですけど、それも、断られてしまいました。」

と、明子さんは答えた。

「茉莉花ですか。あれは、長崎の明清楽としても、有名になった曲ですね。」

水穂さんが、急いでそう言うと、

「だからいいかなと思ったんですが、主宰の先生ときたら、音色はきれいだけど中国的なものはやらないでくれって言うんですよ。だから私、すごく混乱してしまって、もうどうしたらいいのかわからなくなってしまって。それで、咲さんに話したら、右城水穂さんという人が、編曲が得意だから、その人に、なにかピアノで伴奏してもらって、二胡とピアノに編曲をやってもらったらどうかというものですから。」

と、明子さんは言った。

「はあ、随分、変なことを言ってくれたな。悪いけど、水穂さんは、最近容態が良くないので、しばらく動けないよ。そうだよねえ。」

杉ちゃんがそう言うと、

「呆れたあ。右城くん、せめて治ろうという意思を持ってよ。右城くんのことを、必要としている人は、いっぱいいるんだから。」

と、咲が呆れていった。

「そういうわけなので、もっと健康で動けるやつを探すんだな。水穂さんには、できないや。ごめんね。」

杉ちゃんがそう言うと、水穂さんも頭を下げて

「ごめんなさい。」

と言った。

「でも、そんな作曲とか編曲ができる人なんて、そこいらに落ちているものじゃ無いでしょ。それならどうやって、曲探しできる人見つけられるか教えてよ。」

咲が言う通り、音楽に詳しい人はなかなか見つかるものではなかった。特に、人づてで見つけるのは、本当に難しいものである。

「クラウドソーシングとか、そういうもので見つけたらどうでしょう?」

と、水穂さんが言うと、

「ダメダメ。そういうものに登録してあるやつは、おおよそろくなもんじゃないよ。ただの素人に毛が生えた程度くらいの実力しか無いことが多いって、人から聞いたことがあるよ。それに、顔を合わさないで作業なんて絶対できるもんじゃないぜ。人間という漢字を見ればわかりそうなもんだ。それに、長期に渡ってお付き合いをするとなれば、絶対顔を合わせなくちゃいけなくなるからな。」

と、杉ちゃんが言った。確かに杉ちゃんの言うことも一利あった。どうしても文字だけのやり取りでは、長く続けていくとなると、トラブルが発生して、仕事ができなくなってしまうことがあると思う。それを解決するには、やっぱり顔を見て、声を聞くと言うことが何よりの解決法であることが多い。

「まあ、根気よく作曲家として活動している人のところを回ってさ、その、曲を作ってくれたり、ピアノアレンジしてくれる人を探すんだな。すぐには見つからないと思うけど、それは、しょうがないことだから、もう根気よく探すんだぞ。」

「そうねえ。結局答えはそうなっちゃうのかあ。右城くんなら、何でも解決してくれると思ったんだけどなあ。せめて、茉莉花を中国的ではないアレンジにしてくれることくらいはしてくれると思ったけど、残念だわ。」

杉ちゃんにそう言われて、咲はガックリと落ち込んだ。一緒に居る明子さんも、がっかりしてしまったようだ。

一方。

蘭は、今日は、杉ちゃんが、製鉄所を手伝いに行ってしまっているので、一人でスーパーマーケットに行き、食事の材料を買って、一人で車椅子を動かして自宅に帰ってきた。妻のアリスは、また女性の相談事に応じているため、家を留守にしていた。そういうわけだから、蘭の家は、玄関の鍵が閉まっているはずなのに、蘭が戻ってきたら、何故か開いていた。あれ、鍵を閉めたはずなのに、と蘭は思ったが、玄関には女性物の草履と男性物の草履が、二足置かれていた。この草履を見て蘭は誰がはいってきたのかわかってしまった。妻のアリスではない。

「お母さん、来るんだったら、電話くらいしてくれよ。いくら合鍵を持っているからって、勝手に、人の家に入らないで貰えないかな。」

蘭がそう予想した通り、やってきたのは、母の晴だった。晴は、蘭の家の食堂でお茶を飲んでいた。多分勝手に沸かしてしまったのだろう。

「どうもすみません。」

一緒にやってきた人物を見て、蘭はびっくりする。

「あれ、植松さんじゃないですか。」

蘭が言う通り、一緒に来たのは植松淳さんだった。左腕を肩から全て失ったため、左の着物の袖が宙ぶらりんになっているからすぐわかる。

「電話ならしたわよ。それにしても、あんたが出ないから、ここにこさせてもらったのよ。」

晴は母親らしくそういうことを言った。

「それにしても、一体何のようなんだ。まさかお金でもせびろうとかそういうことでは無いだろうね?」

と、蘭が言うと、

「何を言ってるの。そんなことじゃないわよ。それよりこの植松さんのバイオリンソナタを出版した事はまだ報告してなかったかしらね。」

晴は、そんな事を言い始めた。

「あんたの結婚資金として随分お金をためてたけど、使わずじまいだったから、この植松さんの楽譜の出版を手伝って上げることにしたのは、あんたも知ってると思うけど。」

「まあそうだね。」

蘭は苦々しく言った。後で、運転手の沼袋さんから聞いた話だが、晴は蘭がどこかの有力な娘と結婚することを考えていて、盛大に結婚式をあげることを考えていたらしいのだ。そのためにかなりお金をためていたらしい。しかし蘭が選んだのは、外国人女性であり、日本古来の結婚の方法を駆使する必要はなくなってしまったため、その資金は使い道がなくなってしまい、晴は鬱のようになってしまったという。それを立ち直らせたのは、沼袋さんだったそうだ。せめて沼袋さんに感謝すればいいのにと蘭は思うのだが、そういうところには気が付かないのが母だ。

「それにしても、植松さんは、精力的に活動していらっしゃいますな。ピアノ・ソナタを出版したと思ったら、バイオリンソナタを今度は出版するんですか。」

「ええ、まだ構想の段階ですが、晴さんが、一生懸命後押ししてくれるので、なんとか書きたいなと思っているんです。ですが、バイオリンソナタを書くに当たって、どうしても初演してくれる人材がほしいのですが、それがどうしても見つからないんですよ。片腕ですと、どうしても、信憑性が得られないと言われてしまうことが多くて。」

植松は、申し訳無さそうに話を続けた。

「それでね。あんたのところに来ているお客さんの中で誰かバイオリニストはいないか、聞きに来たってわけよ。どう、蘭。誰かいたら紹介してちょうだいよ。」

晴がそう強引に話を持っていくので、蘭は呆れてしまって、

「お母さん。そんな事で、こっちに来たのか。そういうことなら、インターネットで呼び出せばいいじゃないか。」

というと、

「何を言っているの。あんたのしごとだってインターネットでは通用しないでしょ。世の中にはね、インターネットで何でも通用するかと言ったら大間違いよ。それに、彼のようにインターネットが使えない人だって居るのよ。そんな簡単にネットでなんとかしようなんて甘い考えは持つものじゃないわよ。」

と、晴は、得意そうに言った。

「じゃあ、申し訳ないけど、構想の段階でいいですから、楽譜を見せてもらえませんか?」

蘭がそう言うと、植松は風呂敷包みを解いて、A4サイズの五線譜を取り出した。もうほとんどの作曲家は、五線譜なんてパソコンで書いていることが多いけど、たしかに晴の言う通り、彼は手書きで書いていた。

「バイオリンソナタ茉莉花、ですか。ピアノとバイオリンの二重奏になってるわけですね。第1楽章は、変ホ長調。ああ、あの明清楽で有名になった民謡が書いてありますね。」

蘭は、なんとかそこだけ読み取った。音楽の楽語には詳しくない蘭だけど、第1楽章はモデラートで、第2楽章はラルゴ、そして終楽章は、プレストになっている。調性は、第1楽章と終楽章が変ホ長調で、第2楽章はハ短調という、単純でわかりやすい調性になっていた。なんとなく、ラベルのソナチネにも似たような寂しい感じのする曲でもある。

「どう蘭。なんとかして、初演してくれそうなバイオリニストを探してちょうだいよ。あんたのお客さんでそういう人が入ればぜひ、紹介してもらいたいわよ。」

晴はまだそんなことを言っているのだった。

「あいにくね。今の所僕のお客さんの中では、バイオリニストをやっているお客さんはいないので。」

蘭は同じことを答えるしかなかったが、

「そうですよね。なかなか片腕の人間が作曲したと言っても、信じて貰えないですよね。やっぱり諦めるしか無いのかな。」

と植松がそういったため、蘭は彼がちょっとかわいそうになった。ベートーベンだって、耳が遠くなってからは、本当にこの人が書いたのかと疑われたこともあったかもしれない。そういうふうに障害のある人間が音楽をすると、なかなか承認されづらいのが、音楽の世界である。

「何を言っているの。諦める必要は無いわよ。あたしが、才能を見込んだんだから、それは、絶対大丈夫。」

そういう母に、蘭は、母はいつもそういう姿勢で世の中に打ち込んで来たんだなと思った。なんでも大丈夫だ大丈夫だと口にして、なんでもできる方へ持っていってしまうのが彼女のやり方だ。

「それじゃあ、蘭のところに音楽やっているお客でも来たら、すぐに私のところに知らせてちょうだいね。お願いね。約束したわよ。」

「そうだねえ、今の所、そういうお客さんはいないかな。」

ずっと平行線が続いてしまっても、親子だから、それに気が付かないのだった。

それと同時に、玄関のインターフォンがピンポーンと音を立てて五回なった。この鳴らし方は杉ちゃん特有の鳴らし方である。蘭も晴もすぐに分かった。

「よう蘭!遅くなって悪かったね。帰ってきたよ。それじゃあ買い物に行こう。」

この明るい声は、杉ちゃん特有のものだ。それに合わせて晴が、

「杉ちゃんこんにちは。今日は植松さんの事でこさせてもらっているの。蘭のお客さんの中にバイオリンをやっている人がいないか、聞きたくてね。この植松さんが、新しくバイオリンソナタを書いたというから初演してくれる人を、探しているのよ。」

と、事情を説明した。

「はあなるほどね。で、スコアはだいたい書き終わっているんだろうか?」

杉ちゃんは、蘭たちが居る部屋にやってきた。植松が、杉ちゃんに、これなんですけどねと言って、楽譜を見せると、

「はあ。なるほど。結構イケてる曲じゃないか。ピアノ・ソナタの次は、バイオリンソナタか。作曲家として、お前さんも充実しているみたいだね。」

と、杉ちゃんは即答した。文字は読めないのに、なんで楽譜は読めてしまうのかと蘭は、首を捻った。

「それで、誰かいい弾き手は見つかったの?」

杉ちゃんは植松に楽譜をかえして言った。

「それが、蘭のところに刺青のために背中を預けてくれる人の中には、いないんですって。残念だったわ。」

晴が杉ちゃんにそういった。全くこの二人、僕じゃなくて、杉ちゃんが息子であればいいのにと蘭は思った。

「そういうことなら。」

と、杉ちゃんはいった。

「それなら、バイオリンのところを、二胡に書き直して貰えないだろうか?それなら、いいやつが居るんだよ。その女性なら、きっとうまくやってくれるはずだ。」

「そんな事。」

と蘭は言った。

「できるもんじゃないよ。音域も違うし、音色も違ってしまって、曲本来の響きというかそういうものがなくなってしまうような気がするんだけど。」

「でもやってみなきゃわからないぜ。」

杉ちゃんの答えは単純素朴なものであった。

「それに、その女性だって、曲がほしいと言っているんだし、もし、こいつがそのとおりにしてくれれば、一石二鳥じゃないか。」

「そうだけど。」

蘭は楽器を変えてしまうというのが、ちょっと抵抗感があり、杉ちゃんの言うとおりにはできないと思ってしまったのであるが、

「いえ、大丈夫です。蘭さん。頑張ってやってみますよ。二胡という楽器について詳しくないけど、五線譜でかけるのであれば、書き直せると思います。」

植松が蘭の心配を他所に、そう言ったので蘭は驚いてしまった。

「本当に書けるものなのかな?」

「ええ、杉ちゃんさんの言う通り、やってみなければわからないですし。僕は、色んなジャンルの曲にトライしてみたいと思っているので、抵抗はありませんよ。」

「そうそう。何をするにもやってみるのが肝心だぜ。じゃあ、ちょっと彼女に僕が連絡して見るから、スマートフォンの番号押すの手伝ってくれ。」

杉ちゃんに言われて、晴が、わかりましたと言って、杉ちゃんのスマートフォンを操作するのを手伝い始めた。杉ちゃんという人は、時々こういうふうにとんでもないことを思いついてしまうのである。そして、実行に移してしまう。そのためには、どんな手立ても使ってしまうし、人を使うことも厭わない。あるいみ杉ちゃんと晴は、どこか共通点があるのかもしれないと蘭は思ってしまった。

「もしもし、ああ、はまじさんかい。あのさ、曲を書いてくれるやつが見つかったよ。そいつを、明日製鉄所につれていくから、お前さんも一緒に来てくれるか。ああ、頼むぜ。宜しくな。」

電話の奥で、咲が、ああ杉ちゃん見つけてくれてありがとうと言っている声も蘭には聞こえてきた。そうなると、咲さんもよほど困っていたのかなと蘭は思った。そういう作曲者と、演奏者を結びつける媒体は今は、インターネットがほとんど占めてしまっているが、杉ちゃんや、母の晴がしているように、誰かのためになにかしてやりたいという気持ちがあるのも、もしかして人間というものなのかもしれなかった。そういう人間も居るんだと蘭は思った。

「それでは、よろしく頼むぜ。じゃあ、製鉄所で、明日頼む。何、そんな大したことじゃないよ。ただ僕らは演奏したいやつと、作りたいやつを合わせてやるだけのことだ。まあ、昔はよくあったんじゃないの。こういう事は。」

確かにそうだ。ベートーベンが生きている頃は電話も何もなかったんだから。杉ちゃんと咲が世間話を盛り上げながら、そう話しているのを、蘭は、感慨深いというか不思議な気持ちで聞いていた。そして、音楽の世界には、こういう人がまだ要るのかもしれないと思った。



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