波乱万丈な北方先生の経歴②

『 明るい街へ 』で期待の若手作家候補、と

もてはやされたのとは、裏腹に現実は甘くなかった。



出版社に原稿を持ち込んでも

「 駄目だ 」の一言だけで突き返される。

書き直して、持って行っても、また突き返される。

それを10回も繰り返されると、

うなだれて諦め、次の作品を書く。


その繰り返しだった。

アルバイトをしながら、ひたすら書き続けた。



そんな日々が数年続くと、自分には才能がないのではないかという思いに、さい悩まされてくる。

ダイヤの原石だと思ってた自分の才能は

ただの石ころではないのかと。



10年で100作以上書き、原稿用紙を積み上げれば

ゆうに自分の背丈を超える程だった。

にも関わらず、文芸誌に掲載されたのですら、

たったの3作しかなかった。


人生を棒に振ってるのではないか。

そんな不安が常に付きまとっていた。



何故、あんな事を続けられたのか。

純粋で一途な青春のエネルギー、

若さが持つ熱量としか言いようがない。

アルバイトをしながらバンド活動を続ける若者と同じだ。



純文学というのは

自分の心の中の闇を見つめ

弱さや、愚かさ、醜さを掘り起こすようなところがある。

後に気付いたのだが、純文学というのは、

それを書くために生まれてきた者の文学だという事だった。



同期の作家仲間に中上健次がいた。

彼の書いた『 枯木灘 』という作品に衝撃を受けた。

私の方が文章表現は上手いと思っていた。

だが核となる、表現すべく題材である

彼にしかない自分の血を呪う、魂の叫びに圧倒された。


私の心のどこを見つめても、そんなものはなかった。

純文学作家の、最後通告を受けたようなものだった。



ある時、編集者とヘミングウェイの短編の話題で盛り上がった。

そして気付いた。


心の闇を見つめ、それを芸術に変換する純文学は、もう続けられない。


ただの石ころでも10年間、磨き続けた輝きには強い自負心があった。

その光を世間に見せつけて、

自分の落とし前を付けなければ、肚が収まらなかった。



純文学をやっていた10年間、押さえつけられていた何かが、

芸術という縛りから解き放たれ

暴力的なほどアドレナリンが沸き上がってきた。


自分には磨き続けた腕がある。面白い物語が書ける。

これが最後と肚をくくり

一気に、1000枚の長編小説を書き上げた。


それが『 ふたりだけの冬 』であった。

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