噂のマスター

 都内某所にある芸能人限定会員制バーは、カウンター席に座ってマスターに悩みを打ち明けると的確なアドバイスをくれ、しかも、不憫に思ったマスターがその日の会計を無料にしてくれるという噂があった。

 その噂を聞いた若手芸人の山﨑は、お金も無く様々な悩みを抱えていたので、俳優の小林の紹介でバーに訪れた。

「いらっしゃいませ」

 山﨑が店の扉を開けると、噂のマスターが微笑みながら言った。

 その顔を見て癒された山﨑は、カウンター席に座った。

「山﨑様ですね?小林様から聞いております。悩みを抱えているそうですね。私でよければいくらでも話を聞きますよ。それで山﨑様が少しでも楽になることができれば嬉しいですから」

 山﨑はマスターの優しい言葉に、この人になら全てを話すことができると思い、悩みを打ち明けることにした。

「実は僕、ドラマやCMに引っ張りだこの女優『吉野ローサ』と付き合っているんです。彼女は売れっ子女優なのに、僕はたまにテレビに出るぐらいの売れない若手芸人。経済格差というのもありますが、ビジュアルやオーラをとっても全然釣り合ってないんです。このまま付き合っていても絶対に彼女に多くの迷惑をかけると思うんです。いっそ別れた方が彼女のためになるんじゃないかと…」

「なるほど…。山﨑様にそんなことを思われていると吉野様が知れば、さぞ悲しむでしょうね」

「どうしてですか?僕は彼女のことを思って…」

「恋愛に格差なんて関係ありますか?釣り合いなんて関係ありますか?そんなことで終わってしまうようなら、その恋はそれまでです。それに、吉野様もそんなことを思っているとしたら、すでに山﨑様に別れを告げているでしょう。お互い好きという気持ちがあれば助け合っていけばいいのです。どうしても山﨑様が気にしてしまうのであれば、もうこれ以上は出来ないという限界がくるまで、精一杯最高と呼べる仕事をして、格差を埋められるように努力をすればいいのです」

 マスターの言葉を聞いた山﨑は、溢れ出す涙を止めることが出来なかった。

「ありがとうございます…。僕…間違ってました…」

「申し訳ございません。つい熱くなってしまいました。こんな言葉でも山﨑様のお役に立てていれば私も嬉しいです」

「本当に助かりました。これからは今まで以上に愛情を注いでいきたいと思います。また何かあった時は話を聞いてもらってもいいですか?」

「ええ。いつでもお待ちしております」

「ありがとうございます。じゃあ明日も朝早いのでそろそろ帰ります。お勘定お願いします」

「お代は結構ですよ。今夜は私のおごりです」

「そ…そんなの悪いですよ。長々と話を聞いてもらった上に、ありがたいお言葉まで頂いてるのに。商売成り立ちませんよ」

 山﨑はバーに入る前は無料で酒が飲めると喜んでいたが、親身になって相談に乗ってくれたマスターに申し訳なくなって言った。

「何も心配なさらなくて大丈夫ですよ。私はお客様の笑顔が見れればそれでいいのです」

「そうですか。分かりました。ではお言葉に甘えさせてもらいます。本当に今日はありがとうございました」

「またお越しくださいませ」

 山﨑は店を後にした。


 山﨑がいなくなったのを確認したマスターは、店の奥に向かい、電話を取り出す。

「…あ、松風出版さん?…今回は吉野ローサの恋人の情報を入手したんですけど、いくらで買います?」

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シュール宅急便(2日目) まぼたん @mabotan

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