おふくろの味

「癌です」

 その言葉を聞いた瞬間、松本博士は青ざめた。

「…どのくらい進行しているんですか…?」

「胃や肺など、どんどん転移しています。このスピードは凄まじく、今の医学ではもう手のつけられない状態です。1ヶ月後には体中に転移するでしょう」

「…それはつまり…」

「余命1ヶ月ということです」

 松本博士は目の前が真っ暗になった。確かに最近は体中が痛くなったり、嘔吐などをすることが多かった。しかし、それは単に年をとったせいや風邪だと思っていた。

 元々病院は好きではなく、薬などにも頼らず自分の力で体を強くしていこうと今まで暮らしてきたが、まさかそれが原因でこんなことになろうとは思いもしなかった。

「…」

「お気持ちはわかります。あなたのような人を何百人と見てきましたから。後1ヶ月あります。この世に悔いの残らないよう、やりたいことを全てやり楽しんで下さい。私が言えるのはそれだけです」

「…はい…」

 松本博士の足取りは非常に重く、家に帰るまで普段であれば10分で着くところを1時間もかかった。

 着いた後も、ソファーに座ったかと思うと、天井を只々見つめ、長い時間放心状態になっていた。


 その後、いつしか眠りに落ちた松本博士は少年時代の夢を見た。

 そこには今は亡き母の姿があり、ちょうどご飯を作ってくれているところだった。

 松本博士の目の前には次々と美味しそうな料理が運ばれ、最後に湯気を立てていい香りのただよう味噌汁が運ばれた。

 その香りに耐えられなくなった松本博士が、味噌汁を食べようとした瞬間、パチリと目が覚めた。

「…夢か…。俺が小さい頃にこの世を去ってしまったおふくろ…懐かしかったな…。あの味噌汁なんて絶品だったんだよな…。死ぬ前にもう一度食べたかっ………あっ!」

 松本博士は以前からタイムマシンの実現に全力をあげていたのを思い出した。

「タイムマシンさえ出来上がれば、あの頃に戻っておふくろにも会えるし、あの味噌汁だって味わうことができる。残り1ヶ月しか無いがなんとかなるだろう。よし、やるぞ」

 そう言うと松本博士はほとんど眠ることなく、体中の痛みに耐えながら、タイムマシンの製作に没頭した。


 そして、1ヶ月後。タイムマシンの完成にこぎつけた。

「ふぅ…。なんとか完成したぞ。これがちゃんと動いてくれるかは分からない。もしかしたら、時空の狭間を彷徨うことになるかもしれない。どっちにしても今日でこの世とはおさらばだ。成功することを祈るしかないな」

 松本博士がタイムマシンに乗り込み、少年時代の年号と場所を打ち込むと、タイムマシンは空中に浮かび上がり、けたたましい音と閃光を放ち姿を消した。


「お母さん!ご飯まだ~?」

 子供の声と、茶碗を箸でカンカン叩く音に、松本博士は目を覚ました。

「うぅ…頭が痛い…。…ここはどこだろう…。…無事着いたのだろうか…」

 松本博士がキョロキョロと辺りを見渡すと、そこには紛れもなく、少年時代のご飯を待ちわびる自分の姿と、料理をしている母の姿があった。

「おふくろ…。まさかまた会えるなんて思わなかったよ…」

 松本博士の目から涙がこぼれ落ちた。

「後はあの味噌汁さえ食べることができれば、この世に悔いは無い。台所に誰もいなくなったらこっそり食べに行くことにしよう」

 すると、松本博士の母は味噌汁の準備に取り掛かり始めた。

 袋を開け、中身をお椀にうつし、お湯を注ぐ。

「…あの味…インスタントだったのか…」

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