3 サリナの仮病

「こんにちは」

  満面の笑みで、玄関の扉を開けたところに立っていたのは、サリナ。

「え―……」

 しぶい顔で、玄関で出むかえたのは、マキエ。

 その顔を見て、サリナが唇をとがらせる。

「ちょっと、ちょっと、マキエさん? それはないのではなくて? お客様を見てその顔はないでしょう? ひどいなあ」

「だって、ここんとこ毎日じゃないか。お客様って感じじゃないだろ、もう」

「あら、もう家族みたいなものってこと? じゃあ、ただいま?」

「よしてくれ」

 とぼけたことをうそぶくサリナを、マキエはしぶしぶながらむかえ入れる。しかめつらなのは、口にしたように連日の訪問だからというだけではない。サリナの意図が見え見えだからだ。

 まあサリナにも、別にかくす気がない。リィムがお目当てなのだ。

「サリナさん、こんにちは」

 そのリィムがひょこっと顔を出す。

「リィム君、こんにちは! おじゃましますー」

 サリナがぱっと顔をかがやかせた。涼やかでいつもは落ち着いて聞こえる声が、トーンが上がってちょっと華やぐ。

 マキエは深いため息をつく。

 サリナはリィムのユニークスキル『魅魔誘引』にやられている。モンスターに自分を魅力的に見せる力。相手の知能が低いと餌として魅力的に見られてしまうが、知能の高い相手にはカリスマ性を発揮して、かしずかせることができる。そしてそれは人の姿に近い亜人種にも有効で、ダークエルフのマキエ、ハイエルフのサリナは現在、その支配下にある。

 いや、「支配下」という言葉には語弊があるかもしれない。支配、すなわち思いのままという意味では、リィムが望んでいるとは思えない、変な副作用が出てしまっているからだ。リィムに尽くしたい、この身を犠牲にしてもいい、という強い献身の感情と同時に、食べちゃいたいとか、おそっちゃいたいという、あらがいがたい性衝動もめばえているのだ。

 マキエは必死にそれを押し留め、かろうじてセクハラエロオヤジレベルでがまんしている。ちょっとはみ出してしまっている感もあるが、とにかくがまんはしている。

 けれどサリナには、その衝動に抵抗できずに、リィムをおそった前科がある。リィムの魅力にやられてしまい、マキエの自由を薬でうばってじゃまを防いで、リィムを押し倒したのだ。

 それだけ聞けば危険人物。それでもマキエがその訪問をこばんでいないのには、いくつか事情がある。

 一つはサリナがそれほどリィムにとって危険ではないこと。押し倒したまではいいけれど、サリナは事におよぶことはできなかった。あまりに男性経験が少なくて、そういうことに耐性がなく、押し倒した先へは進めなかったのだ。馬乗りになったまではいいが、結局気絶してしまった。

 本人もそれ以降、目標を定め直したようだ。

 応接間に案内され、ソファーに腰を下ろしたサリナ。そこにリィムがワゴンを押してやってきた。ティーセットとチーズケーキが乗っている。

「どうぞ」

「ありがとう。わあ、おいしそう! リィム君が焼いたの?」

「ええ」

「すごいね! 本当においしそうだよ」

 ほめられてリィムはうれしそうにはにかんだ。その後ろ姿を見送って、サリナはポツリとつぶやく。

「至福……!」

 そんなサリナを、マキエはじっとりとした目つきで見つめていた。

 それに気づいたサリナ。

「何?」

 マキエはまた、ため息をついた。

「こんな邪な女、本来なら家に上げたくないのに……」

「何、いきなり。ひどいなあ。私が何したっていうのよ」

「ケーキの皿を受け取るふりして、手を重ねて心持ちなでてた」

「……ばれたか」

 サリナがペロリと舌を出す。

「でも、あなたに比べたらかわいいものでしょ。すきあらば抱きついて、なで回して、ちゅっちゅ、ちゅっちゅしてるくせに。苛烈で勇猛な戦士として名高いマキエ・マリスタ・マストラダが、かわいい男の子相手に、こんなにデレデレになってるなんて思わなかったわ」

「うっ」

「リィム君、困ってるわよ?」

「そ、それはお前にもだろ」

 マキエの反撃に、はあ、とサリナもため息をついた。

「そうなのよねえ。やっぱり最初がよくなかったわよね。飛びかかって押し倒したりしたから……。でも、でも、だんだん打ち解けてきているのよ? お話ししてくれるようにもなったし、ちょっとさわるぐらいならおびえられなくなったし。私もちょっとずつスキンシップに慣れていけば、リィム君がお年頃になるころには『いい関係』になれると思うのよね」

「『いい関係』ってなんだ」

「そりゃ、リィム君だって男の子だし、大きくなれば……ねえ? やだ、何を言わせるの。マキエちゃんのエッチ」

「くっ」

 『いい関係』が暗示するところを想像して、マキエは歯ぎしりした。

 こんな放言を許しているのは、何日か続いたサリナの訪問に、マキエが苦言を呈した時のこと。サリナが反論してきたのだ。

「だって想像してみてよ。あなたはいっしょに暮らしているから、いくらでもリィム君に会えるけど、私はこの家に来ないと会えないのよ。対抗魔法で少しはマシになったけど、それでもリィム君のことを夢に見ちゃうぐらいなんだから。それで会いに来るなと言われたら、おかしくなっちゃうわよ、もう」

 これを聞いたら家に上げるしかなかった。これがもう一つの理由だ。『魅魔誘引』の威力は身をもって知っている。リィム成分が不足すると、本当に禁断症状が出るのだ。

 身を焦がすような焦燥感。何かが欠けてしまっているような喪失感。それは心だけではなくて、やがて身体もむしばんでいく。そういうつらいものだと知っている。

 それを知っていて、サリナの身に起きるのを放置するのは心苦しい。さらには、サリナはリィムに危害を加えられないとわかっている。そうなるともう、来訪を断れない。

 しかし、こんなに変わるとは思わなかったなあ。

 マキエは口元をへの字に結んで、サリナを見つめた。

 真面目で清楚な淑女として評判だったサリナは、体の方は慣れていないので、スキンシップはまず手を取るところからという純情乙女だが、ゴールとして考えている内容は痴女そのものだ。なんならマキエも交えて三人いっしょでもいいよ、とか言っちゃうのだ。

 ただこれは、自分もそうだが、もともとの性格というより『魅魔誘引』のせいであるのは明らかだ。それだけ恐ろしい影響力がこのスキルにはあるということなのだ。そんな影響が、しかも常駐型のデバフとして存在し続けている。

 これを無碍にあつかえば、今は落ち着いているサリナの身に何が起きるかわからない。「おかしくなっちゃった」ら、どんな無茶をしでかすか。

 はあ、と大きなため息が出る。

「どうしたの、マキエ。そんなにため息ばっかりついちゃって」

「まるで他人ごとのように……」

 じろりとにらむ。

「私が原因って言いたいの? 指摘させていただきますけど、私、どっちかというと被害者ですからね。私が望んでこの状態になったんじゃないんだから」

「わかってるよ。だからため息出るんだよ」

「お相手がリィム君だから全然OKだけど!」

「くそ……。でも『魅魔誘引』にかかったのがサリナだったのは、不幸中の幸いかもな。下手に変なやつに知られるよりは……」

「そうでしょう。リィム君の秘密を知ったら悪用しようとする連中もいるでしょうからね。私だったら身も心もリィム君にささげちゃってるから、リィム君に危害のおよぶようなことはしないわよ」

 サリナは胸を張る。そう、そこがマキエが気にしているところ。エルフやドラゴンのような高い知能と力を持った種族を従わせることができる力を、言いなりにさせやすそうな無力な子供が持っている。人間には効かないスキルなので、ヒトの悪人には要注意だ。

 それに……。

「……」

 マキエにはまだ気になることがあった。思い出して、つい無言になる。それをサリナが気にした。眉根を寄せて、問いかける。

「何? 信用できない?」

「……いや、サリナはその点は信用してる。ただ最近サリナがスキルに引っかかって、ちょっと考えちゃったことがあって……」

「どんな?」

「サリナじゃなくて、男のエルフだったらどうなってたのかなって……」

「あっ……!」

 マキエが気まずそうに視線をそらす。サリナもその意味に気づいた。

 サリナがこの事態になってマキエから聞いたところによれば、マキエは自分がリィムのスキルにかかってしまって以来、一体何が起きているのかといろいろ調べたのだそうだ。

 だが、『魅魔誘引』などというスキルは誰も知らず、文献の中にも見つからなかった。ようやくたどり着いたのは、誰も読まないような忘れ去られた古文書の中。高い知能を持つモンスターに対してカリスマ性を発揮し心酔させることができると、そこにはあった。

 ただ実際に自分の身で効果を知ると、ちょっと記述とちがうところがある。それがマキエとサリナをむしばんでいる性的衝動である。

 問題は、これがたまたま二人だけに起きたことなのか、それとも記述に書きもれていたのか、もしくはくわしく書かなかっただけで「心酔」のうちに入っているのか。

 さらにはここが今重要なのだが、これは同性でも同様の効果があるのかということである。

「そうか……。男の人にも効く可能性があるんだね……」

 サリナはごくりと唾を飲み込む。

 かわいらしい少年リィム。みずみずしいその柔肌。そこに忍び寄る、大きくたくましい男性の魔の手。エルフは皆、男女問わず端正な顔つきをしている。ということは愛くるしい少年と、美しい青年が……。

「……あれ? これはもしかして需要があるのでは?」

 サリナはちょっと頬を染め、ぽろりとつぶやく。そこにマキエがかみついた。

「何言ってるんだ、この痴女エルフ! そんなの絶対許さないぞ!」

「何よ! マキエが先に言い出したんじゃないの! 自分だって想像しちゃったくせに!」

 すったもんだのくだらない責任のなすり合いが始まったが、しばらくすると二人ともこれは不毛な争いだと気づく。

「や、やめよう。起きなかったことを今気にしても仕方ない」

「そ、そうね。大丈夫、これはちゃんと秘密にするから。話が広まらなければ、そんなこと起きないんだから」

 二人とも息を整え、リィムの淹れてくれた紅茶を口にふくむ。ほう、とため息をつく。今度は、いい方のため息だ。

「あいかわらず、おいしい。淹れ方もばっちりだし、なによりいい茶葉選んでるよね。リィム君が買いに行ってるんでしょ?」

「うん。買い出しもふくめて家事は全部リィムがやってる。そんなにがんばらなくていいって言ってるんだけど、何でかそれはゆずらないんだ。自分の仕事だからちゃんと自分でやるって。最近ますます嫁力上がってるんだよなあ」

「確かにかわいいお嫁さんだよね、リィム君」

「……あげないぞ」

「そんなこと言わないでよ、マキエお義父さん」

「誰が義父さんか!」

 だんだん日常となりつつあるやり取りをしながら、二人はリィムの焼いたチーズケーキも味わった。こちらもどんどん腕を上げている。

 そこでふと、マキエは思い出して話題を振った。

「そういえばそっちは今度、大規模遠征があるんだよな。準備進んでるの?」

「さあ?」

 サリナが小首をかしげる。とぼけている雰囲気ではなく、本当に知らないようだ。

「さあって……。それこそ他人ごとじゃないだろ」

「だって行かないもの」

「行かない? 中止になったのか?」

「ううん。私は行かないことにしたの」

「何で?」

「あなたと同じよ。そんな長期遠征に行ったら、禁断症状出ちゃうもの。行けるわけないじゃない」

「あ……。で、でも、大丈夫なのか? なんて言って断った?」

「大丈夫、わかってる。本当のことは話してないわ。『魅魔誘引』のことが広まって、リィム君にかかるリスクが大きくなるような事態にはしない。ちゃんとごまかしてる」

「そうか……。本当に気をつけてくれよ。例えアリステラのような一見信頼できる人物でも、どう伝わるか、わからないんだから」

 サリナは任せてとまた胸を張った。

 しかしマキエには一抹の不安が残ったのだった。


 そしてマキエのその不安は、まちがいではなかった。

「サリナさん、遠征に行かないって本当ですか」

 サリナが自分のパーティの屋敷にもどると、話を聞いたパーティメンバー、後輩のアリステラがかけつけてきた。

 さあ、ここが勝負どころだ。リィムとの間に起きていることは、絶対に秘密にしないといけない。ここできちんとごまかさないと。サリナは気を引きしめる。

 マキエは、アリステラでさえも気をつけてほしいと言っていた。実際マキエは、アリステラの訪問時に、本当のことを告げずにごまかしている。

 アリステラ自身は信頼できる人物だ。リィムのスキルを知っても、それを使ってドラゴンやエルフを支配してやろうなどとは考えないだろうし、リィムを危険人物として対処しようとも思わないだろう。

 だが、立場がちがえば考え方も変わる。例えば、マキエとサリナはとにかくリィムが第一になっていて、そのため多少稼げなくなっても気にしない。実際マキエは半引退状態で、サリナも今回、遠征をすっぽかすことに躊躇がない。

 けれどアリステラなら、なんとか両立すべくいろいろ考えるだろう。それがサリナたちに望ましいこととは限らない。そこでなんだかんだともめたりしていれば、たまたま別の人にも知られるリスクが生まれる。

 とにかく知っている人は、少なければ少ないほどいいのだ。

 サリナはそう気負って、口を開いた。

「あら、アリス。え、ええ、本当よ。ええと、ちょっと体を痛めてしまって」

「え、大丈夫ですか? どこを痛めたんです?」

「ええっとね、腰……、いえ、腰はちゃんと歩けてるから……、肩……、いや、肘ね。肘を痛めたのよ。剣が振れなくて」

「……それはけっこう重症ですね。……でも、サリナさんのポジションは基本、後衛の魔法使いだから、剣は……。ああ、でも自衛で使うこともあるし、肘を痛めていたら荷物を持つのもつらいですよね」

「そ、 そう、そうなの」

 ……残念な人となってしまった。

 もう明らかに挙動不審。

 元々真面目なサリナは、嘘をつくことにも、あまり慣れていなかったのだ。

 返事を聞いたアリステラも、当然不審には感じていた。

 ただサリナは嘘をつく人ではないし、その理由も思いつかない。当然『魅魔誘引』などというレアスキルのことは知らない。それにサリナがやられているなんて、想像すらしない。

 何か変だなと思いながら、急に根拠もなく疑うのは失礼だという思いもあり、そこで突っ込むことはできなかった。どこかぎくしゃくした会話をしばらくしたのち、サリナと別れた。

 サリナの遠征回避の理由も言い訳みたいで何かおかしかったけれど、その行動も最近おかしい。とにかく屋敷を空けてばかりなのだ。ここ十日ほど、日中はずっとどこかに出かけている。

 かといってこちらも、ずけずけとプライベートにふみこむのは失礼で、たずねづらい。

 一体どうしたんだろうと、アリステラは首をひねるばかりだった。

 それにしても、サリナが遠征に来れないのは大きな誤算だ。パーティの屋台骨とも言える存在。精緻にして多彩、そして強力な力を持つ魔法師なのだ。

 今回はよそのパーティと合同の遠征で、まだ戦力の補充ができるからいいけれど、サリナの不調は遠征後のパーティの行動予定に関わるので、その意味でも心配だ。何か問題があるなら、手助けできないだろうか。

 ただそれも、サリナの事情がわからないと先に進めない。おおごとでなければいいがとアリステラは思った。


「あれ、リィム君」

「あ、サリナさん。こんにちは」

 今日もウキウキとマキエの家に向かっていたサリナは、その道中で大きな荷物を持ったリィムと出会った。うれしい出会いである。

 ただ、偶然の出会いではない。サリナはリィムの居場所を知っていた。運命の赤い糸でつながっているのだ。

 ……というのはサリナが言っているだけで、正確には「所在がわかる魔法」を使っているのだが。

 敵の攻撃を探るための逆探知魔法。万能というわけではなく、使える条件がややこしいマイナーな不人気魔法だが、特に、特定のデバフをかけられた時には使える。

 そう『魅魔誘引』に使えたのである。

 それにより、リィムの気配がわかるので、リィムの買い出しに合わせて、サリナも屋敷を出たのだ。

 ちなみに逆探知魔法を知ったのは、マキエのぼやきが気になって、もう一度確認した時のこと。そんなに家事をがんばらなくてもいいと言っても聞いてくれない、というやつだ。

「ねえ、でも買い出しはまずいんじゃない? 確かにこの街のこの辺りには、私たち以外のエルフは住んでいないし、他の亜人種も見かけないけど。どこかですれちがっただけで、相手にデバフをかけちゃうわけでしょ?」

「うん、そうなんだけどさ……」

 マキエは頭を抱えて机に突っ伏した。

「考えてみてくれ。リィムがどうしても自分でやりたいと言い張って、最後は、だめなの? って聞いてくるんだぞ。上目使いで悲しそうな顔して」

「あ、あー……」

 サリナも想像してしまった。こちらを見上げるリィムの顔。ちょっと涙ぐんでいる。

 心臓をきゅうっとにぎりしめられるような切なさ。想像しただけなのに、感じてしまう。

「それはだめだね……」

「だめだろ?」

 おたがいにうなずきあう。二人とも『魅魔誘引』にやられてしまって、リィムに激甘になっている。そんなお願いをされたら、抵抗するすべはない。

「でもさ、せめていっしょについて行った方がいいんじゃない?」

「それもいやがるんだよ。自分一人でちゃんとできるって、聞かないんだ。仕方ないから、リィムの居場所だけ魔法でわかるようにした。心配なのは誘拐されることで、路上で危害は加えられないから……」

「ちょっと待って。何それ? そんな魔法あるの?」

「ああ。『因影探索』って言って対抗魔法の一種でさ、こちらに術をかけてきている相手の気配がわかるんだよ。使える相手の術の種類が限られていて使い勝手が悪いから、人気がないマイナー魔法なんだけど、うまい具合に『魅魔誘引』は探知できて……」

「それ欲しい! 教えて、教えて!」

「えー……」

「教えてー!」

 マキエはややこしいことになったとしぶい顔をしたが、サリナはもう体面も考えず、子供のように駄々をこねて教えてもらった。

 使えるようになってよかったと、サリナは思った。

 屋敷にもどっても、心のうちに集中すると、ぼんやりと灯火がともるようにリィムの存在を感じられる。遠くにいるのにそばにいるような、不思議な感覚。寄りそわれている心地よさ。

 『魅魔誘引』の影響でそわそわと落ち着かず、最近よく寝れなかったりしていたのだが、メンタルが安定した昨日は、すんなり眠りに落ちた。それに夢にもリィムが出てきて、思う存分ベタベタできた。もう大満足でスッキリと目覚めた。すばらしい効果だった。

 それにこうして、現実で会いたい時にも、すぐ会える。

 マキエの家で会うと、リィムは家事にはげんでいて、あまりいっしょにいられないのだが、これなら帰り道、ずっといっしょだ。

 リィムの顔を見ただけで、ふわあっと幸福感が湧き上がり、サリナの心のうちどころか体の中までも満たしていく。

 あでやかな花が満開に咲くように顔をほころばせて、サリナはリィムと並んで歩きだした。

「お買い物?」

「はい」

 自分の体がかくれるような大きな袋を抱え、背中にもリュックを背負っている。自分の仕事はちゃんとしたいと口で言うだけでなく、本当にこんな大荷物を運んでいるのだ。

 えらいなあ。

 ちょっとよろよろしながら荷物を運ぶ、けなげな姿。愛おしくて胸がキュンキュンしてしまう。

 私がリィム君にひかれるのは『魅魔誘引』のせいだけれど、もしそれがなくて知り合ったとしても、好感度はかなり高かっただろうな。サリナはふと思う。

「どれ、それじゃその袋はお姉さんが持ってあげるよ」

「大丈夫ですよ、自分で持てます」

「いいから、いいから。いつもリィム君にはおいしいお茶とケーキをごちそうになっているから、お礼だよ」

 そう言って、サリナは荷物を受け取った。

「ありがとうございます」

「本当にいいって。あれ、りんごがたくさん入ってるね?」

「ええ、アップルパイを作ろうと思って」

「わあ、いいね! それ、頂いてもいいのかな?」

「ぜひ食べてください」

「ありがとうー! 楽しみだなあ」

 リィムとサリナは、おしゃべりをしながら家へと向かう。

 リィムはだんだんと、サリナがいい人だと感じ始めていた。

 最初は急に体調不良になってすぐに帰ってしまったし、二度目に会った時にはいきなり倒され馬乗りになられ、その上やっぱり急に体調不良になったのかリィムの上でぐったり寝込んでしまった。そんな謎の人だったので、ちょっと怖いと思っていたのだが。

 その後毎日来るようになって話してみると、印象がだいぶちがってきた。

 サリナはとても優しいお姉さんだった。

 いつもにこにことほがらかに笑いかけてくれるし、話し方もやわらかい感じ。さっぱりとして男らしいマキエとは、全然ちがうタイプ。ちょっとお母さんを思い出す。

 よくこっちをじっと見つめているのはなぜだろう、とは思うのだけれど。

 リィムのサリナに対する好感度が上がると、当然それは態度に現れてくる。

 警戒心が薄れて、心を許したあどけない笑顔。並んで歩いても距離を取るようなことはなく、何なら向こうから近寄ってきてくれる。

 サリナにとって、それはまさに至福の時。

 本来であれば、相手のスキルによってデバフを食らい遠征に行けなくなるなど行動にも支障が出ているのだから、もっと憂慮すべき事態。

 でも、真面目一辺倒で今まであまり誰かに好意を抱く経験のなかったサリナには、この感情はとても得がたいものだった。

 こんな幸福な気持ちになれるものなのか。

 これは『魅魔誘引』の効果のせい? それとも誰かを好きになれば、あまねく皆、この幸せを味わっている?

 確かに食べちゃいたいとか押し倒してしまいたいとか、おかしな衝動も感じているのだけれど。

 こんな世界を彩り、鮮やかにする気持ちを感じられるのなら、『魅魔誘引』を悪い影響を与えるという意味のデバフとは呼ばなくてもいいんじゃないかなと思うのだ。


 その様子をたまたま見かけていた者がいる。

 アリステラだ。

 遠征に必要な物を買い足しに来ていた。ふとサリナを見かけて声をかけようとして、いっしょにいるのはマキエの家で見かけた男の子だと気づいた。名前は確かリィムと言った。働き者の少年だ。

 二人とも知った顔なのだから声をかければいいのだが、ためらわせたのはサリナの表情だった。

 まだ幼いリィムは人生経験が足りず、ただじっと見つめられているとしか感じなかった、その顔。大人の女性であるアリステラなら、その異常性がわかる。

 ほんのりと上気した頬。

 とろけた表情。

 うるんだ瞳。

 それは知り合いの子供に向ける顔とはとても思えない。恋する乙女の顔だ。

 しかも、あのサリナが、である。今までそういう浮いた話は一切聞いたことがないのだ。

 普段の凛とした様子を知っているアリステラにとって、サリナがそんな表情で、しかも幼い男の子を見つめているのは、異常事態だった。

 え、そういう色恋話を聞かなかったのは、そういうこと? 大人の男性にはひかれないからということ?

 いけない秘密を、知ってはいけない秘密を、見てしまった。そう感じた。

 しかも気づいたことがある。

 サリナは遠征に行かないのは肘を痛めたからだと言っていた。今、リィムから荷物を受け取ったサリナは、その肘を痛めたはずの利き腕で、大きな袋を抱えている。

 完全に仮病だ。

 これも、あのサリナがと思えば、考えられないことだった。

 一体何が起きているのか。

 アリステラは、こっそり後をつけることにした。

 マキエとサリナが恐れていた事態が、起きようとしていた。

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ダークエルフのお姉さんといちゃこらダンジョン生活 かわせひろし @kawasehiroshi

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