第3話:第八百三十次宇宙侵略

 トコゲゲ島の夏は、終わらない──


 *


 彩陶甜花さいとうてんかは本日、八月三十日分の日記を書きおえ、午後十時の健全な眠りにつこうとしていた。「ニワトリよりも規則正しい」とかつて明楽が評したほどの彼女だが、実家のハンバーガーショップのために、翌朝早朝の仕込みのために、高校生最後の夏休みにもかかわらずさっさと眠ってしまわないといけないことに何の不満もない訳ではなく。この夏休みに幾度となく去来したそんな思いに対しては、普段学校がある時の朝早く、じょう叔父さんの腕が三本くらい足りないといった様子で『彩SONG』を切り盛りしている光景をリフレインしては自らを納得させているのだが、ベッドに横たわって今日の出来事なんかを振り返ってみると、夏休みらしくハメを外した同級生たちの顔が思い浮かんでは、申し訳ばかりの眠気さえも吹っ飛んでしまうのだ。


 そういう次第でスマートフォンをだらだらと眺めてみる。所属する(というか部長を務めている)バスケットボール部のグループLINEは不躾にも活発に動いていた。


『やっぱり焼きそば屋がいいでしょ!! クレープは原材料が高いし、なんか焼いたほうがそれっぽいって』


 つまり、彼ら彼女らは夏休み明けの『ゲゲ祭』の出店について盛り上がっていた。所謂文化祭ではあるが、島唯一の高校が催すイベントということもあり、学生最後の花形として島民からも認められ位置づけられている。明後日からの新学期では真っ先に話題を席巻することになるだろう。彩陶自身もゲゲ祭を、高校最後の思い出の場として当座最大の楽しみにしていた──個人的にはクレープに一票を投じたいところだけどな、と思いつつ適当にゆるキャラのスタンプだけを飛ばして、いい加減眠ってみようかとまぶたを閉


『~~限界を超えようぜ! 新しい世界へ 魔法の扉を拓け~~♪』


 この時間帯には似つかわしくない着信音(彩陶が小学生の頃の戦隊もののオープニングだが、選曲に触れるのは彼女の望むところではない)。


 途端に跳ねあがる鼓動を抑え込みながら、


「もしもし、彩陶です」


『甜花さん!? 聞いてお兄が帰ってこないの!!!!』


 相手は明楽頼知あきららいちちゃんだった。トコゲゲ島は狭い世界で、同級生の妹くらいは当然タメ語で電話するくらいの関係にあるのだ。しかし今は深夜に差し掛かろうという時間帯、まだ中学二年生の頼知ちゃんがコールしてくるのは明らかに普通ではない。頼知ちゃんは兄がああであるにも関わらず、少なくとも彩陶の知るかぎりではごく普通の感性と常識を備えた女の子なのだ。


『ねえ聞いてる!? お兄どこいったかあたし全然知らないし連絡もつかな』


「ちょっ落ち着いて! その、お兄ちゃんって」


『そうです明楽栄純ですー甜花さんが前に告っ』


「電話切るよ」


『ごめんごめん! その、要するにお兄どこいるか知らない? 甜花さんなら知ってるかなって』


「うーんごめん、分からないなあ……」別に彩陶は槐島げじまでもあるまい、明楽の一挙手一投足を把握しているわけもないし、把握できるとも思いあがっていない。「でもなんか、海岸で宇宙人がどうとかいつもみたいに言ってたし、外でなんかやってるんじゃない?」


『でもお兄がこんな夜遅くまで帰ってこないのはおかしいんだよ! お兄はああいうキャラのくせに門限はなぜかちゃんと守るから』


 なるほど。明楽のふだんの言動からそのような殊勝な倫理が残っているとは到底信じがたいが、他でもない妹さんが言うのならそうなのだろう。彩陶は夏休み前の期末テスト返却日のときの明楽を思い出していた。本来ただ答案を受け取るだけで午前授業で終わる予定だったのだが、現代文で三点減点され全科目満点を逃したあの電波男が採点基準に異を訴え始め、教諭との激論が午後五時まで続いてクラスの面々から顰蹙を買ったあの日である。そんな明楽がきょうは夜になっても行方をくらましているのだという。心配がる頼知ちゃんに対し何も情報を与えてあげられないまま、通話は何の成果もなくフェードアウトしたのだが、終了間際の彼女の言葉──『お兄、宇宙人にさらわれちゃったのかなあ!?』というひとことが、スマホをベッド脇に放って再び眠ろうとする彩陶の頭で反響を繰り返していた。


 妹さんまで明楽の電波に毒されちゃったのかという心配ではない。あの明楽栄純が、宇宙人というのはあり得ないにせよ何らかの不慮の事態によってトチるという絵面が、どうしても頭に描けないという違和感だった。頼知ちゃんの憂慮を俟つまでもなく、ますます目が冴えて、胸が早鐘を打ってしまって。


 そして、自室の窓の向こうから



 うおわああああーーーっはっはっはぁァァァ!!!!



 というバケモノのような轟音が聞こえてきた時にはすでに、それ以上横たわっていることができなくなっていた。身体が勝手にスマホを持って、起きて、あの轟音を追いかけていた。間違いなくあの男の声だった。




「おい、おい……!」


 深夜のめぶく海岸に柄でもなく見惚れていたのもつかの間、ついさっきまで居た根尾木山を息切らしながら駆け上がる自分を、我ながら殊勝なことだとぼくは思った。だって、急ぐ必要なんて少しもないんだぜ。あんな夢まがいの事が起きた山の様子をもう一度だけこの目で確かめて、腑に落とそうという自己満足、ただそれだけでぼくは自宅を引き返してきたはずだ。読んでいたマンガが残り十数ページだったらそりゃあ、多少押してでも読み切りたくなるのが万人の性だろう。ましてやこの槐島、山のあの休憩所で逢った女性が「数十分後に」云々と抜かしていたところで、それをゆうにオーバーしている現在時とて、なんらの罪悪感など沸かすつもりはないし現に今だってそうだ。ハイキング気分で山道を進んで然るべきなのだ──


 でも、海岸からも見渡せる根尾木山の中腹から。


 急に紫色の光が、炎が、発せられたとくればね。流石のぼくでもマンガのページをめくる指が震えてしまってならない。


「おい、さっきのお前……」


 名前も知らない、翼の生えたアイツを小声で呼びながら。


 急に走った反動でふくらはぎが固まる感覚に襲われながら、辺りの深緑をあてもなく眺めわたしながら、


 休憩所に着けば、小屋の前で倒れている人影があった。



 うわー、こいつは。


 ぼくの手には負えないぜ。

 

 人間の応急処置だってしたことないのに。思春期以降に女性の身体に触れたこともないのに。

 

 悪魔みたいな女の子が煙をくゆらせながら仰向けになって倒れているなんて状況、


「おいお前! これは……ッ!」


 膝をついて、なんの益体もない大声を出すくらいしか──できることがない。


 もしかして、そういう事か? 悪魔っ子(ととりあえず呼ぶことにした)──の藍色のビキニアーマーの所々が焦がしたように傷ついているのに気づく。何だよ、このぼくが悪魔っ子の言いつけを破って、数十分後に現れなかったのが悪いっていうのか? 流石に罪悪感を近所のコンビニで買ってきた方がいいのかよ? でも、彼女は何度も繰り返すその数十分後に「戦争が起こる」と確かに言った。その戦争は島民全員を巻き込むレベルの本物であることも示唆していた。しかしぼくが見たのは紫色の炎光のみであり、いま見ているのは倒れている君だけ。ツワモノ共が夢の跡などどこにもありゃしない。景色はいつもとまったく変わらない、ただの夜の沿岸と山であって


「遅れてしまいましたな」


 背後から怜悧な声がした。振り返りたくても首が動かない。ただ悪魔っ子の紅い髪を眺めることしかできなくて。


 休憩所を取り囲む木々は静止したように無風であり、ふもとに広がる海の轟音がやけに耳についた。──ほんの三千字前には呑気に、宿題の日記がどうたら等とほざいていたのが信じられないぜ。カチャリ、カチャリ、と近づいてくる物音は、悪魔っ子とぼくの居場所を確かめるように、暗がりで徐々に音圧を増す。こんなぼくでも思わず、横で倒れるソイツを身体で守るように、音に対して両手で立ちふさがろうとする。ソレはついにぼくの至近へと辿り着いて──


「ほら、さっさと帰りますよ」


 ぼくを少し通り越して、背後の悪魔っ子へと語り掛ける。公園で遊ぶ子どもに語り掛ける、優しい父親のように。


 あ?


「こんなに焼けてしまって……無理をして転移するから。あれ程忠告したというのに」


 ああ?


「──『対魔オルタナ』」


 いや、勝手に話を進めて詠唱までするなよと。


 これでもちゃんとストーリーテリングを放棄しないでいるのを誉めてほしいものだと、ようやく重い首を回して後ろを振り返ってみれば、暗闇でも映えるくらいバッチリと決まった黒の燕尾服の男性。シルクハットをまぶかに被っていて目元はよく見えなかった。しかしそれでも自ずと解ったのは──コイツはぼくがここに、自分の足元に立ち塞がっていることに気づいていない。無視しているとかじゃない、気づいていないんだ。気づいていないまま、ぼくの後ろの悪魔っ子を洗濯物のように軽々と拾い上げて、背中にかつぎ──踵を返そうとしている。さて読者諸兄にここで独白したい。ほんの三千字前には呑気にやらせていただいていたぼくであるが、しかし他方では自分なりに主人公気分を奮い立たせて、このどうしようもなかった夏休みの終わりに一色彩りを加えてやろうと働きかけたつもりだったのである。あるいは一万四千字ほど前に「厨二っぽい自分に都合の良い世界なんてあり得ない」と言い放ったりもしたが、そんなの、なんか悪魔っぽい女の子だの戦争だのといった面白すぎる概念が日々に降ってこない限りにおいての厭世観でしかない。


 まあ要するに、こんなぼくでも。明楽の隣に居るのにも堪えかねつつある平凡なぼくでも、据え膳を喰らおうとしたところに御盆を下げられたら。


「無視すんなよおい」


 話が違うぞと。燕尾服を追いかけて、脛にひと蹴りくらいかましたくなるって事だ。


 目の前のシルクハットが期待通りに体勢を崩す──「いだっ」と、フォーマルな見た目に似つかわしくない間抜けな声を聞き届けたところで、


 彼の背中におぶられていた彼女が、


「んなあああああ!!!!何するんじゃ貴様!!!」


 後方からすねを蹴られて背中側に倒れかけていた燕尾服を逆方向に突き飛ばす格好で、彼から勢いよく離脱した。地面にどかっと倒れ込んだのも無かったかのような、自信たっぷりな表情で居直った悪魔っ子は、


「残念じゃったな蒸次ジョージ!! 吾輩が倒れている隙にと思ったんじゃろうが、」


「勘弁ですよ」ジョージ、と呼ばれたその男はシルクハットに手をやって、「現にお嬢様、ここに転移してきただけでその有様じゃないですか。ここがどういう場所か解ってますよね?」


「聞き飽きたわ!! おいそこの! ぬしからも頼むぞ!!」


 ぬし、というのは状況がまったく呑み込めずに地面に尻をついているぼくのことか。まあ、勢いに任せて燕尾服さんに脚を出してしまったし今更傍観者面ともいかないか。とはいえ頼むぞ、と言われましても悪魔っ子が何を訴えようとしているのか皆目


「ぬし、って……何を言ってるんですか」


 燕尾服が怪訝を上塗った様子で。


 ああ、本当にぼくのことが見えていないんですな。あんたら宇宙人(かは知らないが)から我々は見えないってそういう設定ですか?


 え、じゃあどうして悪魔っ子には見えている。




 なんとなく、アイツの顔が頭に浮かんだ。



 おい明楽、ぼくはお前より一足先に人外っぽい奴らと邂逅することができたぜ。すごいだろう? お前は宇宙人に遭いたくて遭いたくて電波めいた儀式なんてぼくにも強いてきたけどな。今すぐこの悪魔っ子をとっ捕まえて、大物釣りあげた釣り師のごとくお前に自慢してやりたいとすら思うぜ。


 ひょっとするとこの状況、相当ぼくにとって役得かもしれないな。それに状況的有利でもある。どうやらこのジョージという燕尾服、ボケでも何でもなく、どういうメカニズムはは知らないがぼくの存在に気づいていないようで、そして喫緊なにか物理的な恐怖に見舞われることもなさそうな手合いであるから、ここはひとつ格好よく決まったセリフなんかを、


「よう燕尾服、お前は今の状況が詰みであることを理解していな」



「はえ」


「私に対してだけ『対魔の眼オルタナ・サイト』を開いていないという事ですね。この宇宙といえど自在に開眼できる訳じゃないというのが解っただけでも収穫──ですが」


 燕尾服は悪魔っ子に再び手を差し伸べて、


「でもこの宇宙は依然として圧倒的に危険なのです。お嬢様ひとりの力でどうこうできる場所ではない」


「イヤじゃっ!! 吾輩がこの宇宙を手中に収めるのじゃ!!! 吾輩の手柄にすれば、銀河イチの……」


「だから、転移だけでそのような外傷を負うような方が無謀なんですよ……改めてご享受しましょうか──おい、」



 この宇宙の住人。

 どこに居るかは残念ながら視えませんが、一緒に聞いておきなさい。これは宣戦布告でもあります。


 ──おいおい、どういう展開だ、これは。


「この銀河には八百三十一の宇宙がある。我々第三宇宙帝国は、そのうち既に八百二十九の宇宙を闇に陥れ済みです。解りますね? ということ」


 待ってくれよ。明楽が喋ってるのか?


「しかしこの宇宙だけは、常夏のこの世界だけは──何度攻めたところでどうしても効かない。しかし残る宇宙が此処だけになった事により、我々の総力をここに注ぎ込む用意ができました」


「違う!! いつもお前らが先取りするんじゃ!! ここの宇宙は吾輩が」


「いい加減にしなさい」


 もう何もかも訳がわからないまま、男はシルクハットの位置を直して依然表情を隠したまま、右腕の裾をまくって上方へかかげると、濃い紫色の雲のような物体がわらわらと空中に浮かびあがる。


「ひとまずここは隠滅して、第三宇宙へ還りましょう──『絨毯爆撃ワーケーション』」


 もはや眼の前で起きることを叙述するくらいしかできないぼくは、燕尾服が勢いよく右腕を振りさげ、紫のダークマターがここ一帯を覆おうとする様を見て、



 その時、確かに聞こえたのは。



 うおわああああーーーっはっはっはぁァァァ!!!!



 というバケモノのような轟音。なんて遠回しに形容せずとも、ここ根尾木山の向こう、めぶく海岸から飛んできたその音波の主は一発で察することができる。


 瞬間。さっきのダークマターよりも遥かに鮮やかな、紫陽花のような紫色が稲妻のように、空に現れ、空を裂き。




 明楽の言葉でんぱを借りるならば──『ゲート』が現れた。




「──ッ! クソっ、またかッ!!」


 気がつけば燕尾服が裾をたなびかせ、空に吸い込まれていた。


 あたりの木々が世界の終りのような爆音を鳴らす。あまりの強風に目を閉じたまま、再び開けることができない。吸い込まれているのはアイツだけではないのだ。そう、このぼく以外の世界のすべてが──


「なぜこの宇宙は、図ったかのように『ゲート』を……ッ! おい、どこかにいるこの宇宙の住人! 改めて宣戦布告です──ここの宇宙は必ず、我々第三宇宙が闇に落とす──ッ」


 その後も何か言いたげだったが、火山の岩の浮力で宇宙空間に押しやられた完全生命体のように、急速に空の裂け目に吸い込まれていく彼のつづく言葉を、ぼくはついに聞き届けることができなかった。


 代わりに意識を浸食していたのは。


「おい、ぬし!!」


 ぼくの首に両手を回して、強引に捕まるソイツに他ならない。目を閉じても解る、顔にまとわりつく肌の感触と──くすぐったいのは恐らく悪魔っ子の紅い髪。この期に及んでなんとか理解することには、悪魔っ子はぼくの身体にしがみつくことで、『ゲート』に吸い込まれるのをなんとか回避しようとしていた。


「お嬢様、何を──ッ!!」


……」


 それ以上の言葉は爆風により掻き消えて。

 ふと。ぼくの顔首肩を掴んでいた重荷が、すっと軽くなった。



 その時、ああしたのは本当に他意がないんだぜ。


 助けてやろうという勇気でも、そうしたほうが良いという道徳でもなく。

 そうした方が面白くなりそう、今日の日記のネタにできそう──というのは、ちょっとばかり思ったかもしれないが。


 吸い込まれようとする悪魔っ子に手を差し伸べ、ぎりぎりのところでとっ捕まえたのは、そうだな、後になって振り返れば。



 再び目を開け、空の裂け目が溶けてなくなっていくのをボヤけた視界で見届け、そしてソイツが隣に座っていることを、ソイツの手がぼくの手をがっちり掴んだままなのを確認したそのときから、ずっと考えていたことはただひとつ。


「……いったぁ……死ぬかと思ったぞ……」


 ここまでの出来事を経て、全部電波だ妄想だという一言で処して済ますには、あまりにもこの感触げんじつが鮮やかで。


 悪魔っ子の手のひらの温かさこそが、この場においては現実なのだろうと、このぼくでも受け容れるほか無かったという訳だ。



 静寂が取り戻された根尾木山中腹の休憩所で、ビキニアーマーのソイツがぼくのほうを向き、次に見せた表情は──夏休みの終わりに相応しくない、この先の希望に満ちた晴れだった。並んで座ってみると案外背が低い事にきづいたソイツの顔を、ぼくはどこか懐かしいと思った。







 ここまでに起きた事を頭の中で整理しつつ、とりあえず山を下りようとぼくは提案した。ほんの少し冷静になるだけで、ぼくを追って山道を歩く悪魔っ子の存在すら荒唐無稽なことに感づいて訳が分からなくなるが、こういうのは明楽の前に提出してやれば、電波と電波が対消滅して良い反応が起こるんじゃないかと思って、あの幼馴染と合流するのを急ごうという魂胆だった。


「おい、ぬし」


 しかし、流石に少しは警戒するべきだった。いくら荒唐無稽とはいえ、伏線は確かにあったのだから。


「よくものうのうと吾輩を助けてくれたな──礼を言うが、しかし既に話は違う」


 !!


 振り返ればすでにソイツは、紅い髪を逆立たせて、ぼくを目掛けて飛びかかっていた。



 ようトコゲゲ島うちゅう、御免だぜ。どうやらこのぼくが外患誘致してしまったみたいだ。


(続)

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