第2話:夏と宇宙人の山

 八月三十日も昼下がりのだらけた時間帯を抜けようとしている。目的地の「めぶく海岸」までは原付でもあと十分はかかるだろうから、それまでの間にここトコゲゲ島について語ってみようか。


 本州から数十キロの海に位置する直径十キロほどの大きいとも小さいともいえないような島。さて博識な皆さんは「トコゲゲ? カエルの鳴き声ですか?」と己の知識を訝しんでいることだろうが、ぼくの生まれ育ったこの島は距離的には本土からフェリーで二時間もあればいける程度にもかかわらず、そもそもの交通手段が一日一回の生活必需品等の海運を除いて皆無であり、観光や外来がいっさい途絶えていることから、情報がまるで知れ渡らない所謂絶海の孤島と化しているのだ。なのであなたが知らなくても無理はない。ぼくだって中学生になりインターネットに触れるまでは、東京というものが実在することを信じていなかったくらいなのだから状況は同じである。ちなみに偏見で判断しないでほしいがこの島にはインターネットだってスマートフォンだってデジタルな娯楽だって普通にある。東京ではタピオカっていう玩具が今流行っているらしいじゃないかぼくの情報収集能力を舐めないでほしいね。


 そんな訳でぼくは生まれてこのかたトコゲゲ島の外に出たことがない。旅行はおろかちょっとした外出すらない。若気にまかせて脱走したいと思ったことも、小学校の頃にはなくもなかったが当時は力量が足らず、今は気概が足らない。それはここの島民のほとんどに共通する悲しき現実で、ぼくにとっては明楽にかぎらず、同級生のほとんどが幼馴染であるという究極のムラ社会だ。しかしそんなアットホームな環境に置かれれば社交性が鍛えられるのかというと偽で、アリの三割が必ずサボるように、友人関係に乏しい僻んだ負け組というのは摂理として発生するようで。


「槐島君!!! 君は夏休みの宿題をきちんと放置してるか!?」


 つまりぼくに後ろ髪を浴びせながら原付爆走中のこの男とぼくが負け組側という訳だ。幼馴染ですと億面なく紹介できるのが明楽くらいという訳だ。こんな面倒な輩とも形上は体よく接してくれる彩陶甜花さんは女神様として崇めなければいけない。いや、ヒーローものなら真っ先に怪人に踏みつぶされて死ぬくらい凡庸なこのぼくはともかく、明楽がこっち側にいるのは悪い意味での奇跡なんだけどな。


「日記と英作文はまだ手がついてないね。数学のドリルは声優のラジオ流しながら適当にこなした」


「何!? 君、まさか宿題をちゃんとやろうという側の人間か!? そしてギリギリ終わってないさあどうしようという凡庸極まりないだけどちょっと甘くて楽しい八月三十一日を迎えようという腹づもりか!? 見損なったぞ我が助手!!!」


 こうも明楽が「青春」のラベルがつく万物に痰を吐きかけまくる理由というかバックボーン、たまに思い出してみようとしても徒労に終わるので今は考えることをやめている。


 とにもかくにも、ここトコゲゲ島はいたって何の変哲もない、面白みもない、のんべんだらりとした世界である。


 ああ、せめてあとひとつ補足するならば──


「着いたぞ!! ほら、あそこを見るのだ、紫色の『ゲート』だッッ!!」


 


 気温が二十八度を下回ることがなく、

 八月だろうが十二月だろうがお構いなしに、

 空の青色が曇ることがない。


 モノ好きなカミサマによって仕組まれた、永遠の常夏。


 東京ではこうじゃないとネットで聞いたことがあるぜ。



 海岸近くのガードレール脇に適当に原付を停めた。一足先を勇みゆく明楽に追いていかれぬよう、ガードレールの隙間から階段をステップで降り、木製の小屋──たむろすには狭すぎるけれど小綺麗に雑草などが刈り取られている小屋を抜ける。つぎに一気に開けた水平線も、遠くに見える山も、踏みしめる砂ののめり込む感触も、読者諸兄がいなかったら敢えて描写しようとも思わないくらい慣れた構成要素である。何を隠そうぼくの家もここ「めぶく海岸」から歩いて数十分のところにある。昔からこのへんの住民がちょっと暇だったら集まる場所で、いつもなら何人かの子供集団や家族連れがサンダルないし裸足で遊び回っているはずなのに今はバグったように無人なのは、少し前まで居ただろう明楽に本能で危機を感じて逃げ出されたってことだろうね。


 そして我が幼馴染は波打ち際に立ち、ぼくに背を向けコートの裾をたなびかせて諸手を腰にやっている。おい、『ゲート』とやらはどこにあるんだ?


「ああぁ?? 唐変木なコトを言うな聡明なる助手よ。……否、槐島君はまだ儀式を終えていなかったか、柄にもなく先走ってしまった」


 ああ、確かに柄ではないね。


「私に続いて動くのだ! まずは両手を、こうッ!」


 言いつつ両手をワイエムシーエーのワイみたいに振り上げる明楽を見ながら、ぼくにだって年相応に羞恥心が残存しているんだ、と内心毒づいておそるおそる真似をする。こういう時変に拒むのが一番ダサいし面倒な結果を招くと知っているのだ。何も言わずついていくぜ明楽。


「次にこうっ!」


 膝を少し曲げ、一気にジャンプ。


「そしてこうッ!」


 手首をパタパタさせながら無造作に腕を四方八方に振り飛ばす。


「最後にこうだッ!!」


 海原のほうへ向き直り、雲一つない空を大仰に指さす。


「さて、これで『対魔の眼』がアクティブになったであろう。この状態であの山のほうを視てみるのだ──ほら、あれはまさしく第三世界とわれわれの島とをつなぐッ……」


 ひとり鼻息を荒くする明楽をよそに、ぼくは友情というものの限界を感じていた。


 だって、紫色のゲート? なんてもの、どこにも見えないのだ。ちゃんと明楽のいう通りに儀式を行ったというのに、なんでかな。聡明で感受性豊かな読者の皆さんは既に明楽の言う通りの挙動を真似し、今頃は窓の向こうに宇宙人が現れて物語が始まっていることだろうがぼくには無理みたいなのである。ジャンプの勢いが足らなかったのだろうか。


 隣の明楽は電波妄想まっしぐらタイムかと思いきや、陽が陰ってきた空を眺めながら怪訝な様子である。


「……『ゲート』は確かに開いているようだが、宇宙人は現れんな」


 助手よ、しばらくここで待ち伏せといこう。そう言って静かな砂浜に躊躇なく腰を下ろす幼馴染──本当はさっさと明楽との用事を済ませて、夕方には家に帰って宿題を片付ける予定だったのだが、これは覚悟しないといけないな。八月の頭頃、同じように「宇宙人待ち伏せ」名義で明楽とともに砂浜で一夜を過ごした苦い思い出が頭をよぎる。彩陶が呆れ果てた顔でハンバーガーを差し入れに来てくれたのが未だ記憶に新しいぜ。これで日記の一ページ分のネタは埋まった。


 埋まったが。


 明楽の隣に座ってみたはいいのだが。




 あれだけ元気だった陽の光も己が用済みと察したのか、空は灰色の本性を露わにし始め、明楽とぼくの会話とも言えない何かすらしぼんでいくにつれて寂しげな波音ばかりが目立つようになっていた。向こう岸の本土には灯台や小さな住宅街のライトが微かに見える。花火やバーベキューでも添えられれば八月三十日、夏休みの終わりにふさわしい青春が仕立て上がったことだろうが、それは我ら『絶対正義防衛部』の望むところではない──なんて臆面なく宣言できるのは、よっぽどの覚悟が決まった変人だけなのだ。


 つまりこのぼくは、上映終了後の映画館みたいに居た堪れないがらんどうのこの世界で、宇宙人なんて現れるはずもない現実の世界で、しょうもない日記しか書けないこの夏休みを今更ながら悔いていた。自業自得でしかないのに勝手な事だけどな。


 なあ、このまま下らない妄想に浸るだけで、高三の夏休みが終わってしまって、お前は本当に満足なのかよ明楽?


「はっはっは! 焦るでないぞ我が助手! 宇宙人共はきっと夜行性なのだ! きっとこのまま待ち続けれ」


 隣のぼくと明楽の目が合い、音が凪いだ。次に聞こえたのははるか遠くの船のうめくような汽笛だった。本土へと向かう海運。本日の終船だ。


「槐島君」明楽はぼくから目を離して向こうの本土のさらに遠くを見つめていた。「小学生だったかな、輸送船にこっそり忍び込んで島からの脱走を図ろうとしたのを憶えているか」


 ああ、あの時は親から先生から一週間は叱られ続けて流石のお前も表情が曇っていた。今から思えば当たり前なんだけどな。

 ところで今はそうしようとは思わないのか? 数日の家出に耐えうる資金も体力も高三の今だったら備わっているだろう。島の奴らへの反逆って意味でも悪くない。それとも、脱走もお前にとってはただの「青春」か?


「いや、きっといずれは否応なしに本土へ赴かざるを得ないのだろう。大の男どもをいつまでもかくまっておけるほど耐久性のある箱庭でもあるまいしな。だからこそ私は早急に、少なくとも高校生のうちに「使命」を果たしたいと思っている」


 急にどうした。お前が正義のヒーローに見えてきたぜ。


「助手よ。この島には夏しかない」


 何をいまさら。


「夏は人々を馬鹿な青春にしてしまう。夏が続くせいで私は馬鹿な奴らを一生目の当たりにしないといけない。こんなバグった世界すら何の疑問もなく受け入れて謳歌してしまっている奴らが、私には宇宙人に視えている!

 そして夏がいつまでも続くバグったこの島は、きぃぃっと宇宙人共の策略に違いないッ! こんな馬鹿げた闇の世界に陥れた悪共を私は赦せない、奴らをとっ捕まえて成敗するまではおめおめと島を出る訳にはいかんな!! そうだろう槐島君よ!!」


 ……あーあ、結局それかい。


 船に乗って家出しようとした十年前から何も精神的に成長していないのは、必ずしも悪いこととは思わないけどな。でもぼくは悔しいことにその辺の青春を上手くやっている奴らと同じように心の奥底にあったはずの厨二心が削げ落ちてしまったみたいなんだ──八月のまたある日、ここの海でビーチバレーをしていた同級生にお前が作った装置で爆風吹かせて台無しにしてやったことがあったな。そんな事よりも、もっと有意義な過ごし方があったんじゃないかと助平心で悔いてしまうのを、今のぼくには悪だと思い切れないのだ。


 なあ明楽、もしいまここでぼくが砂浜を立ち上がって帰宅し、馬鹿真面目に宿題に取り掛かろうものなら、ぼくまでも君の目には悪の怪人に映ってしまうのか? ──今更何を迷いだしているんだろうな。


「よし、作戦変更だ槐島君!! 『ゲート』はとうに開いている、あとは島に四散したはずの宇宙人共を直接捜しにゆくぞ!!」


 かくして海岸の向かって西側にある小さい山、根尾木山ねおぎやまへの出向をぼくに命じ、自らは反対方向の防波堤へと駆けていく明楽。元気に遠くなっていく幼馴染の背中をよそに、別に歩いて家に帰ってしまっても良かったのだが、結局山のふもとまで暗がりを辿り着いた自分がようやく厭になってきた。


 道も森も見分けがつかない程の重い闇が立ち込める。どうせ無人だがそれでも音をなるだけ立てないようにと、スマートフォンを電灯代わりにして、落ち葉を踏むのにも躊躇しながら爬虫が這うように山道を進む。休憩所の公園が見えたところで湿ったベンチに腰を下ろし、昼間はある程度の絶景となる黒い海原を展望しつつ。まあこんなもんで良いだろう。根尾木山はこれっぽっちも人気も宇宙人気もないし、これ以上この闇の中先へ進むのは動物としてまっぴら御免だ。眼下にひろがる海岸見渡しても、絵画写真を見ているように何の変化もないし、後ろを振り返っても寂しそうにポツンと立つ小屋の目の前に両翼の生えた物影がこちらに近づいてきているだけだ。


 あ?


「そこにおるのは──!! まだ生き残りがいたんじゃな!」


 あ?


「おお、若い男性じゃな。頼む……吾輩に力を貸してほしい」


 おい何近づいてきている。そのテカテカと濡れた黒い翼のコスプレを今すぐやめろ。

 ベンチで釘付けになっているぼくの灯りのない眼前で、ようやく全貌が見えるようになった。


 その女は紅い長髪を無造作に垂らし、メタリックなビキニアーマーに全身を包み、伸びる白い四肢は頼りなげだけれども、それぞれ胴体ほどの長さがあろうコウモリのような翼が訳わからんくらいの威厳を湛えている。


 そして数百の積年をどこかに置いてきたような古風な口調で、


「この島で数十分後に第三宇宙との戦争が起こる──吾輩と一緒に戦うか、あるいは罪のない島民を全員避難させるんじゃ」


 スマホを見る。七時四十分。


「もし今が丸腰というのなら、まだ装備を整える時間的猶予はある──どうか吾輩に力を貸してくれ、第一宇宙の人間──名は何と云う?」


 七時四十分。あっ四十一分になった。四十一分というと、


 良い子はもう家に帰る時間だ。


 だからぼくは全部無視して今、山道を駆け下りてる。


「おい待てッ!! ──必ず、必ず戻ってきてくるんじゃぞ! この島の命運が懸かっとるんじゃ!!」


 なあ、

 これが正しい反応だよな? 賢明な読者の皆さん。


 山のふもとを抜けて、さっきまで明楽といた砂浜をザクザクと踏み抜けて、抜けて、走って、気づけば慣れた一軒家の玄関にいて。


 これで良いんだよな? だって宇宙人なんていないんだから。まったく八月三十日も日記に書けるネタが降りてこないまま終わりそうで困ったものだぜ。とりあえずは連絡もせずに帰りが遅くなったことを家族に謝ろう。そして夕飯食べて、自室にこもって、溜まっている宿題に夜通し取り組むのだ。



 ──夏がいつまでも続くバグったこの島は、きぃぃっと宇宙人共の策略に違いないッ!



 ……後ろ髪をひかれる覚えなどない。罪悪感を覚える必要などない。だというのに、なぜかこのままでは明日の八月三十一日を、あるいは明後日の新学期を、どうしても迎えられないような予感がした。玄関の前で、ドアノブを捻ろうとする手が震えている。きっとアイツが言った「数十分」はそこで逡巡していただろう。走ってきたからというだけでは説明がつかない鼓動の早鐘を感じながら──いや、これは厨二心じゃないぜ。このままじゃ集中して宿題に取り組めないってだけだ。ただちょっと忘れ物を取りに行こうってだけなのだ。


 『ちょっと帰り遅くなる』とだけ母親にLINEし、ぼくはドアノブから手を離した。さて、ちょっくらさっきの出来事が何かの間違いだったことを確かめに行こうかね。この世界がそんなに都合よくできちゃいないことを証明しに行こう。


 そうして再び、めぶく海岸へと舞い戻ってきた。沖から吹いてくる風が笛のように鳴り、ぼくのTシャツを扇ぐ──あれほど寂しげでがらんどうだったはずの海が、なぜか水と月の光とで輝かしく踊っているように見えた。


(続)

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