第三話『そこにアイはあるか』 その⑤なんにもいえない


「で、アリ先は惨敗して羞恥を晒しておめおめ帰ったと」


 昨晩からこの口は何一つ単語を発していないのに、噂は半日もせず広まりきっていた。


 鷹木が自ら噂を広める小者とも思えないので、取り巻きが話しまくっているのだろう。


 目と顔が赤くパンパンに腫れたオレは教室に着くなり、後輩に屋上に連れ出されたのだ。


「めぐめぐ! 事実だったとしてもその言い方はダメ! ほら、アリサ先輩よしよしー」


 後輩に抱かれ、よしよしされるオレ。惨めだ。もう抵抗する気力も無いけど。



「あーダセー、アリ先ダッセーー。大して強くもないくせに23区女に喧嘩売るからだよ」


 23区女? 東京23区のことを言ってるのか?? オレは無言のまま小野田を見る。


「非公式ではあるんッスけどね。実力の有る撫子さんが世間的にはそう呼ばれるんッス。撫子新聞にもたまに取り上げられまスけど。あれ? コンビニにもありますよね撫子新聞」


 そういえばそんな新聞が確か隔週で入ってきてたな。読んだことも売った覚えもないが。


「要するに甲本は世田谷区で一番つえー撫子に喧嘩を売っちまったってことか? そりゃ運が無かったな。だってあの白石でさえその23区女ってのにはなれなかったんだろ?」


 佐久間のフォローがいちいちムカつく。男は黙ってろ。


「なんでもいいけど、その白い鷹ってのにうちの部活の備品3つを奪われたってことね。で、どう落とし前つける気なのかしら甲本アリサは? まさか泣き寝入りはしないわよね」


 マリがオレを攻め立てる口調で言ってくる。わざわざありがとよ畜生。


 その通り。オレは敗北するどころか、マリから借りたスマホガン三台、鷹木の言うことを聞く交換材料として奪われたのだ。返してもらうには向こうに出向かなければならない。



(ここにいるみんなが、オレの発言を待ってくれている…………)


 そんなことは分かってるのに、オレには発言する度胸も、何もかもが、全て欠けていた。


 優妃と鷹木の話も、少なからず入っているだろうに。この四人は誰も触れやしないのだ。


 何より黙っているオレを、許してくれているこの時間が、たまらなく心苦しくて。

 ひたすらに不甲斐ない。すまない。すまない。オレは、そんなに強くはないんだよ。



「もう、ほっといてくれよ」


 喉からやっと搾り出した声は、自分でも情けなくて呆れるくらいにダサくて。


 誰のことも見れそうになんてなかった。腹の傷がイタいんだ。



 そのまま皆、一言ずつ何かを言って去って行ったけど、その言葉は右から左へと流れた。



 しばらくして授業が始まるチャイムが鳴ったけど、オレは怖くて教室には戻れなかった。


 優妃にどんな顔をして会えばいいのか。


 あいつの耳にまで昨晩のことが入っていたとしたら、いよいよオレは耐えられない。


 昨日の深夜に家に帰り、早朝に逃げるように家を出たのだ。


 だからまだ優妃にも、レオン君にもこの顔を見せていない。この情けない顔を。

 せめてこの顔が元に戻るまでは、二人には見せないべきだろう。


 このまま屋上にいても、優妃が迎えに来るかもしれない。それはダメだ。帰らなくちゃ。


 もしかしたら、今日も弁当を作ってきてくれてるのかもな。


 オレが撫子として成功するように、あいつは誰よりも応援してくれていて。



 目の腫れを治さなくちゃいけないのにな。オレはまた一人で悪化させてしまうのだった。


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