第一話『右十字のアリサ』 その⑪撫子戦


 本鈴が鳴った。


 誰も授業を受ける気などない。教師ですらこのサークルの内部に注目している。


 もう始まりの合図は過ぎた。

 のに、白石は気を張る様子が微塵も無かった。


 最低限の構えと、例の顔付きのまま、しれっとその場に立っている。


 白石にしてみれば佐久間との連戦なので逆に落ち着いているのか、疲れて集中力が切れているのか、はたまたハイになっているのか……その真意はオレには分からない。


 ただ、なんだろう。まるでこれが消化試合のような、そう言われているような気がした。



「チィ!」


 オレは堪らずに― 撃った。


 、といった表現のほうが正しいか。


 右腕を振り上げるのと同時、6m先の胸元に電磁弾を流すように撃ち込んだのだ。


「ふふ―」


 白石は微笑し、構えていた薙刀をクイッとやや上方に傾かせ、身を左半身だけ反らす。



『―ゥピュン』



「おお!」

「流石は白石さんだぜ!」

「弾捌きなんて初めて見た!!」

「実際にできるもんなのかよ!?」

「かっけえ!!」



 何それまいったな……ああ、まいったともっ!!


 オレの放った電磁弾は電磁薙刀の刃先により、綺麗に右後方に弾かれたのだ。


 例えるならそうだな。夏祭りの夜に公園で、ノリで友達に向けて撃った小さいロケット花火を、その手に持つ団扇で横にパシッと弾かれた感じかな。

 ごめん、オレも動揺してるみたい。弾かれた電磁弾はそのまま後方80センチの空中で、僅かに音を立てて散った。


「案外アリサはん早漏なんどすなぁ」

「挨拶代わりの一発だっての」


 プレッシャーに耐えられなかったのも正直ある。が、それ以上に再装填の関係上、白石の近くで弾を撃つわけにもいかないのだ。電磁弾が撃てない5秒の間、薙刀が届く距離にいることは避けなくてはならない。ので、この距離が充分の状態で一番当てやすい胸元に先制で撃ってはみたのだが……まあ、結果は最悪だったって話。


 まさかあんな芸当をいとも容易くやってのけられるとは。電磁薙刀歴十二年は伊達じゃない。オレはスマホガン歴……甘く見積もっても四年くらい? はは、三倍だぞ三倍。



 いや、ダメだダメだ! こういう時こそ頭をあっちに持ってかないと死ぬっ!!


「どうしたんアリサはん? 顔色悪いで??」

「―ぬひっ!」


 ああまた! また撃ってしまった!! オレのバカ野郎!!!


 動こうとした白石の右足に― 狙いは悪くないが――っ!??



『―ゥヌピュ』



「ははは、なんやなんや。えろう臆病やなぁ」

「ぐっ!」


 右脛の辺りに撃ち込んだ電磁弾は、半円にクルッと回した電磁薙刀の刃先により真下に叩き落とされてしまった。そしてまた再装填5秒。残り充電60%、弾数にして残り3。


 不味い。

 着実に、ジワジワと、喉に綿を詰められていくみたいな息苦しさを与えられている。


「そないに怯えんでもええのに。怖いんやったら近付かんであげてもええんよ?」


 白石はこっちの残り弾数や、再装填について知っているのだろうか?


 オレの昔のことはよく知られているみたいだし、知識がないとは考え難い。


 なら何故近付いて来ないのか? 弄ばれている?? いや、それだけじゃないはず……。



「そうか」


 割と簡単なことじゃないか。


 遠くから弾を撃たれる方が捌き易いから、この距離で撃たせようとしているだけなんだ。


 残り三発。それも確実に向こうの頭に入れてるはず。

 ならその三発はもっと捌き辛い距離で撃つ必要がある。


 それにもう一つ、気付いたこともある。……勝てる。この条件なら充分に勝てるぜオレ。


 無駄撃ちしたと思われたニ発だったが、決して無駄にはしねえ。


「でも現役だったら一発目で気付いてたのかもな!」


 オレはもう一度白石の右足に照準を合わせた。


「だから無駄じゃて。しつこいんなぁアリサは――ん?」


「もう遅い!」


 白石の反射神経は確かに目を見張るものがある。が、その反射神経をもってして最速で動き、反応してやっと捌けるのがこの距離でのスマホガンだ。


 もう右下に動いてしまった薙刀の刃先を、急に上、腹の中心に戻すことは容易くない。


 だが逆にオレは、一瞬で手首の最小限のスナップだけで狙いを変えることが可能。


 オレはがら空きになった白石の腹、袴の上着とスカートの栄え目に電磁弾を撃ち込んだ。



『ババヂィッ!』


「あわぁ!?」


 当たった! 衣服の上からだろうと威力はそう優しくないはずだ!!


「いけるッ!」


 いくら白石の武道歴が長かろうが、路上の経験、小細工はオレの方が上ッ!!


 このまま走り、白石が立て直す前に薙刀を掴み、こっちの再装填が終わり次第至近距離から頭部に弾を撃ち込んでやる! それでオレの勝ち――っ???


「ぬァくそぉっ!」


 間に合え― 急ブレーキッ! 足が泥にめり込み、転びそうになりながらもギリ耐えた。



 目。目だ。


 腹を押さえる白石の目がギョロっと動き、オレの動きを正確に捉えていたのだ。



 ―――演技だ。



 くらっている振り。擬態。まるで本物の蟷螂みてーに獲物が近付くのを待ってやがった!


「なんや来うへんか。もう一歩先まで来てくれはったらそれで仕舞いやったのに」


「なんで……効いてねぇんだ…………」


 ゼロワンの電磁弾は威力だけで言えば現行機にも劣らず、むしろ優るくらいには強力なのだ。いくらあの袴の下に重ね着していようと数秒はまともに動けない、あるいはパニックになってもおかしくない衝撃が起こるはずなのに………。


「その顔やわぁ!! わてはそのなっさけない顔が見たかったんどすぇ!!!」


「……その袴、ただの袴じゃないな」


 よく見れば桜の花びら一枚にすら焦げ痕が残っていない。そうとなれば考えられることは単純で、あの袴がが施されているということだ。


「あっっったりまえやろうがぁ!! こちとら電子薙刀試合用の超超超特注品やぞ! そんなガラクタの屁みたいな電圧が通ってたまるかいやっ!!」


 なんてこった。白石はわざわざ超上等な代物を着込んでこの場に出て来ていたらしい。相手が男だろうと、いつ他の誰に襲われても対応できるよう、鉄壁の袴を装備して、、


(臆病者め! 効果覿面だよクソがッ!!)


 これでオレが白石に対し、狙える部位が肌の露出している顔と両手ぐらいに絞られてしまった。白石にとってはそこだけを警戒すればあとは当たってもいいってことで、、、


「じきに桜も終わりますぅ。今度の袴は紫陽花の柄のもんを拵えようと思ってはるんよ」


 どおりで最初から余裕綽々だった訳だ。元の装備が違い過ぎたのだ。いや、装備もだが、人も違い過ぎた。常日頃からこういう場を想定しながら生活している人間に対し、オレは思い上がった老害風情なのだから。日頃の積み重ねた備えと覚悟が格段に違う。


 案外そう考えると、白石の性格は撫子に合っているのかもしれない。


 誰よりも備える臆病者。そして備えた分だけ他を抑制する器量のデカさ。


 堅く、堅く、そつなく立ち回る。


 まるで外堀が深くなり続ける城。進化が止まらぬ穴熊戦術。


 そんなもんに歩兵一枚でどうしろってんだ。まぁ将棋なんてやったことねーけどな。



(オレではとても届かんな…………。)


 弾は残りニ発。それに白石は一度だって攻撃を仕掛けてきてはいないのだ。



「なんや止めるんか? 小便垂れ流して謝もうたら考えてはるわ」


 いくら周りに笑われようがあの白面に弾を撃ち込む勇気はもう無い。距離は1と75。こっちが少し手を動かせば突きやら何やら、容赦ない攻撃が絶え間なく襲ってくるだろう。


 距離を取るのが得策か。いや、一か八かこの距離、あるいはもう数歩飛び込むのが正解なのか。どこまで時間を使っていいのか。それさえも分からない。足が竦んでいる、、


「あー、あー、ま~ただんまりやわ。貴さんら雑魚共はそうやって黙りこくりながらわてにすがるような目を向けてくるだけ。雑魚は雑魚なりに行動せいっちゅうになぁ?」


 白石はオレの表情から戦意の喪失を読み取ったのか、呆れたように腹から深い溜め息をついた。もう構えてもいない。向こうからすれば狙われる箇所が分かっているのだからな。


「それを考えたらまだ佐久間はんと昨日の野球坊主はマシだったで。二人とも泥まみれで汚い雄野郎には違いないけどなぁ!!」


 もうオレのことなど見ていなかった。白石はゲラゲラゲラゲラ周りを煽るように笑っている。周りもそれに応えるように手を叩いて笑った……格付けは終了したのだ。



 でもな。オレにはこれが始まりだった。


 白石は今、明らかな失言をした。



……ね」


「ッ!? そこやぁ!!」


 薙ぎ払いを真後ろに飛び込んで躱すッ! 反転しながら地面の砂利を左手で抉るッ!!


「その袴! わざわざ買い換えなくていいようにしてやるよ!!」

「のわぁ!? 何してくれんねんボケカスがぁ!!」


 オレは左手いっぱいの泥を白石の桜目掛けてぶん投げた。流石に自慢の桜柄を直接泥で汚されると頭にくるらしい。だがそれは丁度今の季節にぴったりな模様で、


「ああ、散った桜が土に埋もれてんのね。最近よく見るよく見る」


 柔道部の山崎が感心したように言った。直後白石に睨まれるが。アホめっ!


「よそ見してんじゃねぇ!」

「くっ……ぶぁ!」


 こんだけ大量に投げれば顔でも当たる。空中で分散された泥砂利を避けるのは不可能だ。


「白石さん、顔……ぶはははは!!」

「うるせぇいてもうたるぞ山崎ィ!!」


 山崎を一度ぶん殴ると白石は恐ろしい形相でオレに向かってきた! 距離は2と50!


 オレは逃げるように走り! 転がりながら泥を拾い! 次々に投げていく!!


「やめんか! このばいっぐぶぅ!!」

「口に入ったなバカが! それにその袴と草履じゃまともに走れねえと見た!!」


 上手くいけば数十秒はこうして一方的に泥を投げられる! そして白石が泥にまみれたならば、あの袴のどこにでも電磁弾を撃ち込んでやればいい!! そうすれば色んな処に感電して面白いことになるに違いないっ!!


 オレに足りなかったもの。それはオレ自身が泥まみれになるような泥臭い覚悟だったのかもしれない。右へ左に転がりながら左手で泥をすくい、それを白石に投げつけていく、、


 今更でも! どんなに醜くて笑われても足掻けっ!! あいつらのように!!!



「…………もう仕舞いじゃボケが」



 白石はオレを追うのを諦めたのか、円の中心辺りで足を止めた。オレはそれに構わずに泥を投げる。背中、スカート、首元、もう何処を狙っても全てが泥で繋がる頃合いだ。


「勝負有りだな白石」


 背面に立ち、スマホガンを白石に向けた。距離は4。いきなり振り向いて襲ってこようがこちらの方が速い。オレは丁寧に何処を狙うのが一番効率が良く感電するのか見定めた。


「……なんだ?」


 電磁薙刀の刃先が強く青白く発光していた。何故この距離、このタイミングで蓄電しているのだろうか……まさか届くのかそこから――ッ!!?



飛燕ひえん!」



 白石はこちらに振り返る勢いのまま電磁薙刀を振った―――。


 刃先はここまでは到底届かない。


 はずなのに、不気味な青白い光はオレの目には大きさを増していく一方で―。


 斬撃だ。のだ。


 それが白石の飛燕。今まで使ってこなかったのは、誰にも見せたくなかったからか。


 必殺。一撃で相手を仕留めるようなとっておき。


 頭の中でその整理がついた頃には、青の光はもう1。0.6まで胸の前まできていて、、



 オレは電磁弾を撃っていた。



 思考よりも早く、そう判断していたらしい。


 避けるのにはもう数瞬遅いから、無謀過ぎる最善手を右十字のアリサは選んだのだ――。



『ドッッパンッィ!!』



 目を閉じてもその閃光はオレの眼球を襲い、その衝撃はオレの華奢な体を吹き飛ばした。


 飛燕に電磁弾をぶち当てて相殺したのだ。

 丁度同じくらいの力だったのか、オレの方がやや弱いか。


 二つのパワーで起きたスパークは爆音と衝撃と共に空中で相殺し合った。


 重要なのはそんなことじゃなくて、オレはまだ生きている、戦えるということだ。


 背中に誰かの骨の硬さと胸の膨らみを感じる。ギャラリーの壁まで飛ばされたらしい。これは何部の人だろうか。それよりも目を開きたい。まだ眩しい。だが開かなければ、、



「終わりじゃ売女あぁ!!」


 来た―! 予想よりも早  突き―ッ! 腹ッ!!


「ぬらあ!」


 薙刀を蹴り上げる! 軌道がズレて刃先が顔面に飛んできた、がっ右に避け―るっ!!


『ッチ』

「あぎゃあ!!」


 左首が焦げ、オレを受け止めてくれた人が犠牲になったが、オレは振り向かずに前へ!!


「ぐうぅ!」


 白石の胴に組み付いた! 再装填まであと―


「小賢しいわ!!」

「がぁっ!」


 肘打ち。いいのを、、顎にもらった。


 体格が、やはり、以下同文! ステゴロでやってもオレは勝てない、だろう。血の味。


「いねや!」


 腹を膝で蹴り上げられた。袴のスカートだからそこまで膝は上がらなかったようだが、、

 オレは、それでも膝をついてしま―やべっ!



「死ィ―」


 薙刀を引き上げ、下に突き刺す気のようだ。


 避けれなくは、ない。


 だが避けたところで、また逃げ回るだけ。飛燕だってあるのだ。


 再装填は終わっている。弾は残り一。


 この一を至近距離で撃つか、遠距離で撃つか。その差はこの喧嘩の中で最も大きい。


 だが、至近距離で撃つということは、避けないということ。

 この薙刀を。避けずに撃つということ。


 そんなのは現実じゃな……いが、薙刀の刃先が発光していない? なぜだ??



 !!



 そうだ、お互いに泥まみれだから、この密着した状態でバチバチするのは間違いなのだ。


 だが、もし、可能性があるなら。やっぱりこの距離だ。


 電圧を通していないのなら、薙刀も一度は防げるかもしれない。


 肋骨あたりが折れるかもしれないが、いや、折れない! 折らせてたまるかよ!!


「オレには、オレだけの右腕があるっ!!」

「―ねぇええ!!!」



 ガキッッ!



「馬鹿が!おのれの右腕砕いてやったわ!! …………ぬっ?」


「手応えにご不満かよ? まるで鉄みてーだったろ」

「おのれの右腕は、、そうか! しまっ」

「ご名答!」


 鉄レールが制服の内部で折れ曲がったせいでかなり痛ってぇけど! なんなら肉に突き刺さっちまってるかもしんねぇけど!! そんなのは関係ねぇ!!!


「見つけたぞ! お前の泥にまみれてねぇ部分をなぁ!!」


 オレは白石の左腕、袴、そのにスマホガンを突っ込んだ!!


 ムォン と熱気が凄い。


 そりゃそうだ! そんな何キロもありそうな袴を着てあんだけ動き回れば汗も掻く!!


「大介ぇ! お前の蹴られた分は無駄にはしねぇ!!」



『ババヂィッ!』



「あぎィっ!!? が、がぁ……」


 全身に電流が走り、白石の体がピンと伸びた。



 だが立っている! 薙刀も握っている!!


 そう。強い奴はいつだって一発じゃ決まらなかった。


 残り弾数0。なら、することは一つだ。


「ふんぬあぁ!!」


 精一杯。オレの小さな体でぶち当たって抱き付いた!!


 白石の長いスカートとオレの両足が絡みつき、踏み、ばしゃっと泥水が鳴り、、



 二人して倒れた。


 オレが上。白石が下だ。



「ぬ…がぁ! どけっ」


「ふんぐ!」

「おぶっ!?」


 殴った。シンプルに真上から真下に。


「どけよ!!」

「ああぁ!」


 ガスンッ! と鼻を真上から叩く。右ストレートってやつだ。



「――あぁ痛えなぁ! ざけん―がぁっっ!!」


 股の下で暴れようとする白石の力強さに怯えながらもまた殴る。拳が右も左ももう痛い。


 でも少しでもここで手を緩めたのなら。そんな怖いことはオレにはできない。



 勝つということは、相手からもぎ取るということだ。


 自分の足りなさも含めて、それでも相手の全てを奪い取るということだ。



 だからオレは殴るのをやめない。

 白石が力むのをやめてくれるまで殴るしかない。


 白石はさぞ悔しいのだろう。体重も力も軽いオレに殴られ続けて、袴が泥水を吸い鉛のように重くて立ち上がれそうもなくて、さぞ悔しいのだろう。


 その涙ぐんだ目は、殴られている痛みからくるものだけではないはずだ。


 だけど同情なんてしない。しちゃいけない。



「うわあああぁ!!!」



 結局二十発は殴ったんだと思う。


 白石はようやく力むのをやめ、薙刀もとっくに手から離れていた。



 誰も止めに来なかったのは、きっとオレよりも白石が喧嘩が強いって知っていたからで。


 どこかオレを含めて、今だ信じられずにいて。


 そんなオレと白石の悲痛な思いが届いていたからに違いなくて。


 ここでオレがたまたま勝ったとして、それを受け入れることなど誰もできないのだ。



「そないな、やすけない人間が撫子になんて成れるはずがないやろが」



 そう白石には言われた。オレもそう思う。オレは負け犬の売女なのだから。


 でも、だからこそだ。届かなくとも伝えてみたい気持ちもあって。


 オレは白石を見た。白石はぼーっとどこか涼しい顔でオレを眺めていた。


 申し訳なさがないかと言えば嘘になる。だけど、そんなことを口に出してはいけないのだと、オレは何よりも強く理解していた。



 喧嘩に勝てば即撫子じゃない。そんなことはオレだって分かってんだ。


 オレは白石に跨ったまま、薙刀を拾い上げた。


「おいおいあいつなにを……きゃっ!」


 ギャラリーが何か言うより先にそれを突き刺した。



 白石の髪。顔面よりも遥か右、その黒髪を刺すように薙刀を泥に突き立てたのだ。


「白石。お前に選ばせてやる」


「……何をじゃわれ」


 下から強く向けられた眼は、先輩の眼だった。ちゃんとそんな眼もできるなんてな。


 安心しろよ先輩。それが意味することくらい理解できてるから。


「お前の髪をこいつでジリジリに焼くか、撫子の座をオレに引き渡すのか、選べ」


「…………。」


 動揺した様子は無い。ギャラリーのざわめきも二人にとっては些細な事でしかない。


「オレも髪には命掛けてんだ。お前にとってこの黒髪がどんなに大切なもんかは分かる」

「その糞前髪でもか?」


「そうだよ。オレの前髪は世界一カッコいい」


 誰も何も言わない時間がやや長く続いた。


 色んな意味があっての間だろうが、いちいち気にしない。


「わての髪を焼くにしろ、撫子をきさんにやるにしろ、後でただで済むと思ってはるん?」

「ただで済むはずはねえだろうが、これだけは言っておいてやるよ」


 オレは唾で喉を潤してから言った。


「オレみたいな惨めな奴には何言ったってかまわねえさ。実際やる気もねぇし、消化するだけの毎日を生きてるだけだからな。けどな、地べたに這いつくばって、笑われて、指差されて、それでも足掻くのをやめてねぇ連中をてめぇのその汚ねぇ口で侮辱すんのだけは許さねぇ。これから先、ずっとだ。むしろ次があればオレがお前をただじゃ済まさねえ」


 嘘偽りも無い。ビビッても無い。

 オレのただの鬱憤を白石にぶつけただけかもしれない。



 だけど、白石は急に、「ぶふっ」っと吹き出したのだった。


 それはなんだか、普通の女子高生みたいな笑い方で、、



「ええわじゃあ。おのれに三葉の撫子くれてやる」



 何がええのかはさっぱりだったけれど、でも、つられてオレも少しだけ笑えてきて。


「お前はジャージからやり直せ白石」

「やかましいわ小童が」



 こうしてオレは撫子になったのだった。


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