第一話『右十字のアリサ』 その⑩三葉の蟷螂
下駄箱で大急ぎにローファーに履き替えてから、やっぱり体育の運動靴に履き替えて、校庭の奥まで走る。あの糞コンテナ茶室め! やけに遠いから三分は掛かるっ!!
やがて女子柔道部のデカい背中に到達し、割り込むようにして前へ、行かせてもらえん。
「なんだチビ助。部外者は失せな」
デカい。それにモジャモジャヘアだ。三年の主将かな? 柔道着には山崎と金の刺繍が入っていた。下手なことを言うと首根っこ掴まれて野良猫みたいに追い出されそうだな。
「ただの見学だよ。男の土下座を間近で見たくてね」
「ぶはは! もの好きなチビ助だなぁおい!!」
あ、なんかいけそう。なんならよだれも垂らしとくか。
「うべ、やべえ興奮してきた。早く通せよっ!」
「いいぜ気に入った! 通れ通れ変態野郎が!!」
バカっぽくて助かった。こんなのにスマホガン撃っても何発いるか分かったもんじゃない。ボディーガードとしては申し分ないだろうが、いや、バカじゃどのみちダメか。
グイグイ割り込んで何とか前には来たが、すれ違う度に他の薙刀部、剣道部、対男子用マーシャルアーツ部の奴らにまでいちいち睨まれる。雑魚っぽい奴の視線は気にならないけれど、部活の主将、副将クラスにもなると目付きからして正直おっかない。
(こんな奴らを束ねてるって、やっぱり白石って大した奴なのでは……?)
なんて思いながら改めて白石を見ると、どの部活の主将よりも三段階は上を行く凄味を全身から放出する様な女だった。不意に目を向けられ、オレも思わず固唾を呑んでしまう。
これが三葉の蟷螂ってやつか。
間近で見ると白い肌が美しく、怖く、やっぱり目がポスターよりは小さかった。
「あら、佐久間はんの御連れの子やろか? なんやちっこくてかいらしい子やなぁ」
慣れた様に京都弁で話すが、それが正しい言い回しやイントネーションなのかは誰にも判断できない。本人もそれらしい言葉を選んで雰囲気で話しているだけなんだろう。出身が何処にせよ、この現代で方言を日常的に話している奴なんてほとんどいないのだから。
撫子にとってその土地の古い方言を取り入れることは、地元や県民に好かれ易いキャラクターを作る手段とはよく聞くけど、こいつ、白石に関しては狙いが過ぎると思う。
テーマは大正ロマンってやつ? この都内で京都弁がどれ程必要なのかはオレには判断しかねるけど、それが禁句なのは皆も重々承知だった。
「甲本!? お前何しに来やがった!!」
「勘違いするな。お前のとは別件だよ」
土下座をやめてこっちに詰め寄ろうとする大介を制し、オレは冷めた口調で指を向けた。
「オレはただ、そこの三葉の撫子に言いたいことがあって来ただけだ」
オレが指差すと白石は状況を飲み込んできたのか、より作ったような笑顔になった。
多分白い化粧とかもしてるに違いない。唐突に雪見だいふくが食べたい。
そして振り向かずとも、後ろの女子共が身構えたのが背中越しに伝わってきやがった。
土下座していた男子達もそれを止めて、オレに同情の目を向けてきている。
自分の処の撫子に文句があるっていうのはこういうことだ。
それを取り巻く学校の連中、その全体を敵に回すということ。
何も生徒だけではなく、大人達もそれに含まれる訳で。
負ければ居場所は無くなる。
だから本来、周りが敵だらけの場所では宣言することではない。
だが、今回はそれだけじゃない。校庭には味方になるだろう男子。校舎からは中立的な目が多数ある。昨日の今日だ。あれだけ惨い事をした白石にとっても、数の暴力でオレを畳む訳にもいかないだろう。……という、淡いオレの算段だ。実際には分からん。
白石はこのオレの挑発的な台詞に、一度大袈裟に肩の力を抜いてから答えてきた。
「そうなん? いったい何やろなぁ? でも今は佐久間はんと取り込み中やし、ちょいとだけ待っててな? それが終わりはったらまた改めてお話聞くわぁ」
面倒臭い奴は後回しってか? それよりまずは男子を片付ける気か。そうはさせるか!
「順番なんて関係ねえよ。オレがてめえを―」
「甲本やめろ! これは俺ら男の問題なんだよ!!」
女のオレを拒絶するように大介は叫んだ。怒っているのに、まるで怒れていない顔だ。
どこまでも優しい奴。だからこそ、その想いを押し通させはしない。
悪いな、大介。オレは一歩前に出た。
のに、大介はそんなオレを遠慮なく無視して、真っ赤になった拳を突き上げた。
「もういい! 立て男ども!! そして俺を見ろっ!!!」
上着を脱ぎ捨て、半袖Tシャツからゴリゴリの大樹のように出来上がった腕を晒して、大介は白石桜花の真正面まで歩む。
そしてその迫力のまま大きく息を吸って白石を睨んだ。一部の女子が沸いた。
「俺が佐久間大介だ! 男だからってナメさせねえ!! そっちが要求を呑まねえのなら例え退学になろうともあんたらをぶっ飛ばすっ!!!」
身長で勝る大介から距離3センチで唾を飛ばされ、ぶっ飛ばす宣言までされた白石。
ようやく笑顔を止めた。きっとあれが本来の顔だ。
一言で表すなら 『冷淡』 な顔だった。
「ええよ。あんたら下種な雄どもの哀れな要求、ぜ~んぶ呑んで差し上げまひょう」
張り詰めた空気が一瞬でも和らぐことを許さぬよう、白石は「ただ」っと続けた。
「わてにこれだけいきり散らしはった雄は始めてでなぁ。あんたに興味が沸いてしもたわ」
「俺に興味? どういう意味だよ……ぬわぁ!」
白く細い人差し指を下から、腹筋の辺りを逆撫でするように白石は指を滑らせていて、、
「身体鍛えてはるんやろ? スポーツ、それに武術の何かやってますぅって感じよなぁ?」
「うっ……総合、総合格闘技を数年やってるよ! だからどうした!?」
居心地が悪そうな大介。白石は結構な美人の部類だろうし分からんでもない。面白いから写メでも撮っておきたくなったが、睨まれたしやめてあげよう。
「それは凄いどすなぁ。んで、本気を出せば女なんて目じゃないって思ってはるんや?」
あ、脇腹つねられてやがる。すっっっごい絶妙な顔してんなぁ。
「そ、そんなんじゃねえよ! ただ友達と……ダチと並んでいたかったからやってんだ!いい加減触んの止めやがれ!!」
大介は顔を真っ赤にして白石の指先を振り払った。気にせず続けてもらえばいいのに。
でも、そういやオレも大介が総合格闘技やってる理由なんて知らなかったな。
ダチと並ぶため? あいつには友達も多いからなんかそれなりの事情があるんだろうか。
「うふふ、そうなんやぁ。そないにお友達想いで佐久間はんは偉いお人やなぁ」
なんだよ。白石は何故か意味有り気にオレの方を覗いてから、例のはんなり顔に戻る。
「それ、試させてもろうけどもええ?」
「試させてもらう……だと?」
「わては雄の限界が知りたいんどすえ。その臭い口から出た友情だの対等だのって言葉がどれくらいの覚悟があってほざいてはるのか、今日から
皆の理解が間に合わないまでも、何か恐ろしいことを言っているのだけは伝わった。
「今日から、毎日? 悪いけど俺にはあんたが何を言っ―」
「毎昼休み。佐久間はんにはここにおる各部活動の模擬試合相手になってもらうんどすぅ」
……………………。
…………は?
何言ってんだこいつ!!?
大介やオレ意外にも戦慄が走るっ!!!
「え~っと四つの部活やから薙刀部が週ニでええなぁ? 土曜、日曜は休みでええよ? でも途中で逃げたりする度に、そうや! 野球部員を一日に一人ずつ退部にさせるってのはどうや? 名案やろ? 佐久間はんが毎日来ればだ~れも傷つかずに済むんやしなぁ」
あまりの狂った提案に大介、男子は全員で顔を青くした。どん引きだ。
が、野蛮な女どもは酷く興奮したらしく奇声を上げ始める。
「白石さん流石ぁ!」
「えっほんとにやっていいの!?」
「逃げんなよ佐久間ぁ!!」
週ニの薙刀部に早速文句が飛ぶ程で。なんてテンションの上がりようだよこいつら……。
高校の女子部活動生にとって、男子、それも鍛え上げている男子と模擬試合ができるというのは比喩ではなく、『よだれ』が出るくらいに羨ましいことなのは間違いない。
自分達の持ってる技術で再び男子を合法的にボコボコにできるのだから。小学生時代に変な感覚を植え付けられている女子共が多いのだろうよ実際。
しかもそれが大介のような健気で、今時珍しい男気のある青年一人が相手なのなら萌える者のほうが圧倒的に多いのだろう。残念だが、そういう世の中なのだ。
顔もまぁ悪くはないしなぁ……ってそんな呑気なこと考えてる場合じゃなかった!!
オレはスマホガンを右腕の鉄レールから滑らせ! 白石の眉間に照準を合わせる!!!
「あんまふざけたことぬかしてんなよこの腐れ撫子がっ!!」
トリガーに指を掛けた時―――大介が白石を庇うように間に入りやがるっ!??
「甲本よせッ! お前が背負うことじゃねえ!!」
「邪魔だッ! どきやがれこのアホ野郎!!」
オレら二人にとって何とも言えぬ状況になった。
少しでも隙を見せれば後ろから襲われるだろうし、最悪の状況とは言えるか。
オレが撃てば、本当に大介は退かない。
だからってここまできて、こっちも引き下がる訳にもいかないのだ。
「オレが白石をぶっ殺して撫子になってやる! そうすりゃ全員そんなおかめ納豆の言うことなんて何一つ聞かなくていいだろうが!!」
「甲本が………撫子に?」
後ろからドッと笑いが起きた。殺すぞ貴様ら。
「右十字のアリサはん。知ってはるよ?」
白石が口元を隠しながら言ってきた。だから殺すぞ貴様は。
「わても撫子やし、それに春やろ? 時期も時期やし、めぼしい人間は警戒しはりおすぅ」
「そうかよ。撫子戦挑んできそうな奴はチェック済みって訳か。蟷螂も案外臆病なんだな」
嬉しさはない。というか、知られてるとなると当然やり難くなる。
「去年入ってきた時から知ってはいたんどすえ? なんやえろう腕が立つって噂やったし。でもとんだスカタンやたなぁ。もう薄汚い〝
売女。抱かれ屋のことか。
「女が花を売るなんて時代錯誤もええとこ。正直よその学校行って欲しいわぁ。三葉の株が下がりかねへんからなぁ。皆もそう思うのやろぉ?」
同姓の後輩に文字通り抱かれて(嗅がれて)いるだけということは知っているだろうに、わざわざ大袈裟に言いやがって。勿論誉められたことではないことくらい自覚してるけど。
いちいち気にはしないが、男からは哀れみの目、女からは軽蔑の目で見られる。
「それがどうした。オレは誰に迷惑を掛けた覚えはない」
「だからなぁ。そないな、やすけない人間が撫子になんて成れるはずがないやろが」
やすけないって言葉の意味は分からないけど、白石が言いたいことは分かった。
女として終わってるオレには、誰もついてこないってことだ。
「黙れよ似非京都弁女」
…………えっ? 言ったのオレじゃないぞ!?
いつの間にか大介が白石の胸ぐらを掴み、ガッツリと上から睨み込んでいた!??
「あん? あんまいちびるなやカス雄風情が」
「なぁそれよかやろうぜ模擬試合。それとも今日はお休みにすっかぁ?」
何故かあいつ今日一番キレてんだけど!? オレですらビビるレベルで男って怖っ!!
「お、おい大介!」
「俺をダチと思うなら止めるなよ甲本。それにこっちはお前より先にご指名が入ってんだ」
白石が爪先立ちになるくらいに衿が乱れ握り込まれている。
だが、白石はもう冷静さを取り戻していた。
「そやね。もう取り消せへんで」
白石は手を、後ろ帯に回した。
「大介離れろ!!」
「――ぬおッ!?」
間一髪。胸元に伸びる突きを避けた。
携帯型の電磁薙刀。その伸縮力を活かした突き。
昨日の光景を見ていない大介がこれを避けられたのは、バックステップがこちらも素人のそれではないからだった。もう薙刀の長い攻撃範囲内から一歩半分は出てしまっている。
「これは模擬試合だぜ甲本! 誰も手出しはできねえ。お前も、その後ろの連中も!!」
「そ、そりゃそうかもだけど! 今回ばかりは無理があるんじゃないか!!?」
電磁薙刀 VS 素手の総合格闘技。
例え相手がただの木製薙刀であったとしても勝つビジョンがあまりに想像できない。
それが護身具の電磁薙刀ともなると……単なる虐殺ではないか?
武器のリーチ、電流。その二つの差がどれ程に影響するのか、大介も分かっているはず。
「よう避けはったなぁ凄い凄い! まだ地面もグシャグシャやのに綺麗に跳ねよるわ」
「これでも免許持ちだからな。今日女の面殴って失効すっかもしんねえけどよ!」
それくらいの覚悟はあんぞ、と、大介は脱ぎ捨ててあった上着を素早く拾った。それを距離を保ちながら左腕に巻き、急造の電流対策をとる。
確かにあれくらい分厚く巻けば、電磁薙刀の刃先を数回捌くことは可能かもしれない。
「あはは、ほんに関心すんで。ほんならわても本気になりますぇ」
白石は薙刀部員に目をやり、「おい」と一言。
すると後ろ列の奥から二人掛かりで、漆黒のど長い棒を持ってきた。
「おいおいマジかよ白石さん」
「あれって電磁薙刀の本試合用のやつじゃ……」
携帯型ではない電磁薙刀。その長さも太さも刃の大きさも五割り増しな代物だった。
「おい、恥ずかしくないのかよ白石。そんなに素手のそいつが怖いのか」
「売女は黙っとれ。おのれも後でこの
のじゃわれって。もしかしたら本当の出身地は京の都よりもうちょい南側かもしれんな。
「心配すんなよ甲本。やることはそう変わらねえから」
額には既に汗。緊張、プレッシャー、そういう類の汗だ。
「本当に勝つ気なんだな大介」
「俺を誰だと思ってんだよ。これでもお前の……っ!」
白石が一歩、一歩と前に出始めた。
ゆっくりと、着実に、まだ沈む砂利に漆塗りの草履跡を付けていく。
大介も後ろの人壁でこれ以上は下がることも出来ないので、左腕を前に、顎を引いた。
前方中段に重く構えられた電磁薙刀。
その鉄でできたやや反る四角い刃先が不気味に青白く発光して、互いの顔を照らす。
長くはならない。試合の張り詰めた空気がそう物語っていた。
刃先が大介の胸の中心から空間にして70センチ。二人の距離は2m以上も離れている。
だがこれ以上どちらかが近付けば、双方が動く。
そんなベストな距離がこの刃先70センチだった。
「ほな、ぼちぼち―」
「服が汚れても文句言うんじゃねえぞ!」
疾い―ッ!
突きだ。
70センチ先から斜め上に、喉を狙うような鋭い突き―!!
大介はそれに、反応していた。
腰、右膝を連動させるように沈め、薙刀と自分の首の間に左腕を潜り込ませる。
ここから見るよりも、きっと二人の中の時間は鮮明に刻まれているのだろう。
オレの中でドクッと、何かが蠢いた。
「もらっ―」
タックル。低い位置から白石の左足を目掛け、大介が思い切りに地面を踏み込んでいた。
が、距離2m。地面も万全ではない。
のに充分だった。その鍛え抜いた男の脚力は、女のオレ達の想像を遥かに超えたもので。
――届く!
そう思った矢先、白石は後ろに飛んでいた。並みの反射神経ではない。
「戯けがッ!」
腕に弾かれた薙刀を勢いそのまま半円を描くように、グルっと刃を下にして着地しようとしていた。受けの形。薙刀の試合でもそうするのか、左脛の前に刃を持ってきている。
「チィッ!」
タックルに入ろうが、薙刀の刃が自分の身体と相手の足の間に入ってしまっている状況。
大介はそれにも構わず、倒れこみそうになりながらも更にもう一歩前に踏み込む――。
「がはぁ!」
だが、左足には届かなかった。踏み込んだ泥の地面が酷く抉られている。
右手を伸ばしたまま、正面にうつ伏せに倒れこんでしまった大介。
それを着地した白石は、ここぞとばかりに上から突き抜い――っ。
「もろたわぁ!!……あん?」
「はぁ…はぁ……届いたぜ。ギリのギリギリだけどなぁ!」
「なんや卑しいなぁ」
右手は届いていた。左足にではなく。
薙刀の四角い刃先の僅か奥。その柄の部分に。
青白く発光する銀のその先。黒の部分に届いていたのだ。
「「オォおおぉ!!!」」
男はその光景に叫び、女も目を丸くした。
引き離そうと白石が必死に両腕で引っ張っても、大介の右腕には敵わないようだった。
鍛えた男の肉体は、女の数倍強い。
それが目の前で証明されていた。
「だからどないしたん!?」
「がっ!」
白石が真上から大介の後頭部を踏んだ。地面が地面だからあまり重みはなさそうだが、片腕が封じられているので、体制的にはかなりキツそうで、、
怒りの感情を露にしながら白石は上から何度も踏みつける。
そして、何かを思いついた。
「さぁ、地獄の始まりどすえ♪」
「大介立てぇ!!」
あの顔は何かヤバい! オレは堪らず叫んだが、大介はまだ立ち上がれそうもなかった。
「ふぬっ! ぐっが!!」
左腕の腕力で起き上がろうとする度、白石は真上から後頭部、首、背中を踏み抜く。
ぬかるんだ地面。利き腕には相手の武器。真上から硬い草履での踏みつけ。大介が自身の膝をなんとか腹の下に潜り込ませても、立たせる前に顎や胸を蹴り飛ばされてやり直し、、
「もういい佐久間ぁ!」
「白石さんもお願いだから止めてくれえ!!」
誰が泣き叫んでも白石はまだ止める気配も専ら無い。
当の大介の顔は血まみれになり、目にも泥が入って上手く開けないでいるらしい。
諦めれば楽になるのに。まだ律儀に起き上がろうとしている。
「なぁ佐久間はん。『男は女に敵いません』ってまた土下座すれば止めてはってもええよ?」
「ざけんな……そんな蹴り、何発もらおうが効いてねえんだよ…ごはっ!」
「ふふふったまらんわぁ。なぁ、佐久間はんは蟷螂の生態って知ってはるかなぁ?」
白石は踏みつけを緩めることなく質問した。華やかな袴が返り飛ぶ泥で汚れようとも、少しも気にはしてはいない。どうせ何着も持っているって振る舞い方で滅茶苦茶に蹴る。
「蟷螂ってなぁ、雌が用済みになった雄を食べはるんよ」
柔道部の山崎が「でたよ! 白石さんの蟷螂理論!!」と手を叩いて笑った。どうやらお馴染みの理論みたいだ。その理論とデカい薙刀とが三葉の蟷螂の由来らしく。
「生物っていうのは基本的に雌の方が強くて偉いんどすぅ。女王蜂に女王蟻。あと像とかシャチとか鼠とかなぁ。ライオンだって実際に狩りに行きはるのは雌やろ? 子を産んで育てなあかんし、そりゃ雄より強くて当たり前やんなぁ??」
「それが…どうしたぁ!!」
雑な蹴り足を見極め、その草履ごと左脇に抱えた大介! ずっと狙っていたのだ!!
そして膝を立てて一気に立ち上がろうとする! 押し倒してしまえば勝てる――ッ!!
「そこを勘違いしてはる男が、わては一番許せんのじゃ!!」
「なッ―」
右足を取られた白石は関係ないように、
つまり、白石はその両手に握った薙刀に全体重を掛け、刃先を地面に突き刺したのだ。
何度も転げ回った地面には当然水溜りができている。
靴、靴下、脛、裾、膝、ズボン、腹、Tシャツ、胸、肩、腕、肘、手、首、顔面、髪。
身体のあらゆる処が泥水まみれ。その数センチ先の水溜りに放電。
されたらどうなるのか――。
オレが何一つ言葉を発する間も無く、その答えはやってきていた。
青白い光で目がかすむ。
「――――――。」
それは、強いて言うなら、濁点音だけのような声で。
一瞬なれど、鮮明に脳裏に焼き付く、そんな惨い光景で。
大介は掴んでいたものを離すと、静かに倒れた。
「ほらな? 雄は雌には敵わへんのやわぁ」
目の前で起こったことを飲み込むのに、皆、もう少しだけ時間が掛かりそうで。
ふと、予鈴が鳴った。
そして急に、分かり始める。
「「佐久間あぁ!!」」
男は全員、大介に駆け寄った。が、綺麗に白石の周りは避けていて、、
白石はそれを満足そうに眺め、次に部活の女どもに笑顔を向け、最後にオレを見た。
「止めに来はると思ったんやけど、来んかったねぇ。いつ撃たれるかと身構えとったのに」
「……ダチだから」
「逆やったら止めに来はったと思うで?」
「そうかもな」
ただ。間違っちゃいない。オレなりに大介との友情ってやつを通しただけだ。
並びたいっていうあいつの想い。
決して、無駄にはしない。
まだオレにも並ぶ権利があるのなら、今からでも追いつくよ。
「白石。本鈴、鳴ったらでいいか?」
「おおきに。このまま始められるのもしんどいからなぁ」
そう言うと白石は薙刀を手放すことなく、下級生に茶を運ばせた。
オレは、目を開けない大介を横目に見ながら距離を取る。
オレがスマホガンを使うのはもう周知のことなので、自然と円は狭いものとなった。
それでも精一杯に距離を取って6mと30。
「殺されるぞお前」
「謝って許してもらいな」
「そんなおもちゃが敵う相手じゃないって」
後ろからの声は気にしない。でも、案外優しい言葉にも感じた。
スマホガン。充電は100。中指にリングを通してしっかりと握る。
「頼むぜ相棒」
数分後に始まるだろう地獄。でもこれまでだって幾度も地獄を潜って来たつもりだ。
けれども。こんなにも相棒を小さく思い。手の震えが止まらないのは初めてだった。
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