第一話『右十字のアリサ』 その⑧やかましい


「帰りは電車に乗んないの?」


「雨も止んでんだし、気分じゃねえんだ」


 松原駅から歩いて帰れば小一時間は掛かる。だけど今日はバイトもないし、150円も安くないので歩くのだ。優妃も別についてこなくていいんだからな。



「白石さんのこと?」

「あん!?」


 そんなつもりはなかったのに、つい強く反応してしまった。


「今日の昼休み、あそこの窓からでも見えたでしょ?」

「あそこの窓ってどこのこったよ」

「三階の奥よ。あんたが後輩の子に抱かれてるのなんて皆知ってるんだから」

「人聞きの悪い。金がないんだからしょうがねえだろ」


 どうもイライラしている。線路沿いを歩くとカンカンカンカンやかましいから今日は住宅街の道を抜けていくことにする。ああでもあっちの道は総菜屋の匂いがしてダメなんだ。


 オレが早足で駅から離れていくと、優妃は構わずに追ってきた。


「優妃は電車乗って帰ればいいだろ!」

「だって今日アリサ、バイトないんでしょ? なら一緒に帰ろうかなって思って」

「一時間歩いてもか!」

「買い食いしたりしながら歩けばすぐだって。そのくらいなら奢ってあげるし」


「なめんなっ!!」

「なに怒ってるのよ。それに半分普段から奢ってるみたいなもんじゃないのよバカらしい」


 グウの音も出ない。悔しいので早足で引き離そうとするも、逆にピッタリと付いてきた

 歩幅の違いを感じる、、このモデル体型めがっ!


「だからそんなにムカついてるの白石さんのせいなんでしょ? 確かにアタシもあれはどうかと思ったよ。だって野球部今年は頑張ってたし、それに撫子って皆の目標になるべき人が成るものだと思うから……。女男差別じょだんさべつとかやっぱりよくないよね」


 オレは何も答えずに歩いた。途中の惣菜屋でコロッケとハムカツを買ってもらい、ようやくちょっとだけ落ち着く。ここは特製のソースがやけに美味い。



「ねえアリサ。あんた撫子になる気はないの?」

「…………」


「冗談ってわけじゃなくて、真面目な話ね。白石さんがどうかと思うのもあるけれど撫子になれば色々特典も付いてくるじゃない?」


 それは、まるで子供に言い聞かせる様な優しい口調で。


「学費が免除になったり、大学とか就職だって簡単になるだろうし。もっと上手くいけばそういうお仕事とかグッズとかの話も出てきて、お金にだってなるんだからさ。アリサ、アタシはなにも大和撫子になれって言ってるんじゃないわよ?」


 随分と、随分と簡単に言うのだった。


「ねえ聞いてるのアリサ? まだ二年になったばっかなんだし、今からでも間に合うって」



 しばらくの沈黙を置いてから、オレは立ち止まって訊いた。



「オレの何を見てそう思うんだ?」

「……どういうこと?」


「どういうことじゃなくて、優妃はオレの何を見て撫子を目指すべきだって、そう思ったのかって。それを訊いてるだけなんだけど」


「…………それは。色々よ」


 数本先の道の踏切の音にも掻き消されるくらいに、優妃の声は小さかった。


「喧嘩はその辺の奴よりかは強いかもな。でも、他にはなんもねえよ。勉強も今の今まで一度も真面目にやったことないしさ。やったとしても皆の目標になれるレベルの頭なんて生憎持ち合わせてなし、特技なんてのも自分自身でも知らないんだ。それにこの外見だぞ?こんなちっこい奴に誰がなりてえんだ。今から飯をたらふく食っても伸びっこねえよ」

「そんなつもりじゃ!」


「必死だったんだよ! 生きるのに、ただ生活していくのに必死だっただけなんだ!!」


 オレの叫びも、数秒後の電車の音に上書きされた。

 だからこの街は嫌いだ。


「優妃には感謝してる! ご飯も、バイトもいつもありがとう!!」

「やめてよ!」

「けど、だからってオレのことにまで踏み込んでくんなよっ!!」


 オレだってそれなりには考えてるんだから。こんなことだって言いたくなかったのに。


 電車の音が完全に聞こえなくなった頃、優妃から口を開いた。


「ねえ、アリサ」

「あんだよ」


「あんた、今は必死に生きてる?」

「…………」


 生きてるよという言葉が、なかなか喉の奥から出てこなかった。



「それにね、アリサにだって良いとこいっぱいあるんだよ」



 優妃はそれを捨て台詞のように残し、髪をしなやかになびかせて駅の方へ踵を返した。どこから乗っても150円なのが世田谷線だ。やかましいわボケが。



「泣かれるどころか、逆に説教されちまったよ」


 強い女が生きる時代。あいつこそ大和撫子にでもなれるんじゃないかと思った。


 でも逆に、そんな奴がオレに良いところがいっぱいあるって言うのならば、、


 本当にオレには何かあるのかもしれない。


「良い匂いがするところとか?」


 袖の匂いを嗅いだが、薄すぎて洗剤の匂いすらしなかった。






「お姉ちゃんお帰り! 今日はバイトないんだよね。だったらマッサージでもどうかな?」



 ああ、これだけでもうどうでもよくなる。

 マジで蟷螂とか、匂い嗅ぎ回されたこととか、説教されたこととかどうでもよくなる。


「レオン君も学校で疲れてるだろうからそんなことしなくっていいんだよ。マキ中だって宿題とか出すんだろ? 姉ちゃんはやったことないけどさ」

「いつも休み時間に終わらせちゃうし大丈夫だよ! あ、お弁当箱忘れずに出してね」


 いつからか大体の家事はレオン君がやることになっていた。バイトやその他の方法でお金が稼げない分、そういうことは率先してやりたいらしい。もう将来はオレの主夫として家にいてくれないかな? うん、それがいいそれがいい。ああでも美容師になりたいのか。


「レオン君。今日もしかしたら優妃が夕飯持ってこないかもなんだけど、何か食べたい?」

「お姉ちゃんまた優妃さんと喧嘩したの? ダメだよ明日謝らなきゃ」

「今回は喧嘩ってんじゃないんだけど……。で、何食べたい?」


「う~~ん。納豆かけご飯かなぁ」

「…………そっか」


 いつかはまたハンバーグって言ってくれるのかな? というか悲しくなるからせめておかずの名称を言って欲しいなお姉ちゃん。オレは不甲斐なくなってトイレに逃げ込んだ。



 結局、数分後には優妃が家に来て、今日も三食しっかりと廃棄飯をいただいたのでした。


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