第一話『右十字のアリサ』 その⑦後輩
「そりゃあ嫉妬ッスね」
「嫉妬? 誰が誰にだよ」
「松島先輩が白石さんにッスよ。いや、アリサ先輩と白石さんを比べて嫉妬っていうか」
「小野田、お前の説明は相変わらずよく分からん」
「好きな人が、周りから凄いって言われてる人に劣らないって思ってるから悔しいんス」
オレは返事の代わりに頭を下げてから引いて後輩の鼻頭にぶつけた。
後輩はふぎゃっ!と悲鳴を出してから、腰に巻きつけてきている両腕を更に強くキュッと締めてくる。
「鼻血出て匂い嗅げなくなったらどうするんスかぁ!? お金半分しか出しませんよ!」
「もう充分に嗅いだろうが。そろそろ解放してれよ。昼休みが終わっちまう」
「ダメッス! ペナルティであと五分は放さないッスから。……すんすんすん」
「ぬわぁ! そんなに旋毛に密着させて吸うなぁ!!」
抱かれ屋。オレがやっているもう一つのバイトみたいなもんだ。
屋といっても利用客はこいつ一人で、しかも抱かれることより嗅がれることが圧倒的に多い。
週に一か二回、こうして昼休みに人気の無い校舎の三階隅で座り込みながら後輩にいいようにされるのだ。
もう雨は止んだが、大介が雨の日は学校サボるのでギターもできないからしかたない。料金は一回千円である。コンビニの時給からすれば十分に高い。
「やっぱりアリサ先輩の匂いは格別ッスねぇ。雨の湿気で程よく蒸れてるし、今時珍しい牛乳石鹸青箱の微かなジャスミンの香りと、アリサ先輩の肌と古い畳のスメルが混ざって」
「うるせえ! 本人の耳元で解説すんなっ!!」
「えへへ……すんすんすんすんすんすん!!」
「更に嗅ぐなあ!!!」
大切な顧客ではあるが如何せん気色が悪い。
一年生の
わざわざ女子って表記する具合には憎めないむちっとした脂肪がついてる後輩。案の定身長は負けているから後ろから抱かれると、高級ソファーに座っている気分になる。ちなみにバンドのキーボード担当だが、本当に弾けるのかは知らない。
出身中学は違えどマキ中時代のオレのことを知っており、尊敬してなくもないらしい。が、最近はお気に入りのテディベアくらいに思われている気もする。オレがお金を貰っているのだし、好きに匂いも嗅がれるわで威厳なんてないか。どれくらいの変態かというと、小野田からは全く匂いがしないってくらいに、小野田はガチな嗅ぎ専の匂いフェチだ。
「ハァ~~落ち着く。高校生にもなると香水とか皆付け始めちゃってそれはそれで好きなんスけど、それじゃあ女子高生って意味が無いっていうか、もちろん男子の匂いも好きなんスけど、なかなか恥ずかしがって嗅がせてくれないし、すぐ意識されるというか」
「オレだってそれなりに恥ずかしいんだからな!?」
「でも欲しいでしょ? お金」
「ろくな大人にならんぞお前……」
小野田は「にひひ」と笑うと、やっと腕の力を緩めた。これで弁当が食える。
廊下脇に置いてあった巾着袋に手をぐいっと伸ばし、再び高級ソファーに着席した。
「また松島先輩に作って貰ったんスか?」
「作ったって程の手間じゃねえよ。廃棄のコンビニ弁当を弁当箱に移して詰めただけだ」
「アリサ先輩はツンデレだからな~。でもたまにはちゃんとお礼言わなきゃダメッスよ?」
「うるせえな。分かってるからいちいち言うなよな」
弁当箱を開けてプラスチックの箸で硬くなったごはんをほぐし、真っ赤なウインナーを口に運ぶ。冷たいが味はいつも通りコンビニ弁当だ。
「アリサ先輩そこそこもの好きにはモテるんスから、もっと美味しいお弁当作ってくれる子を彼女にすればいいのに。例えば~チヨみたいな♪」
「お前が好きなのはオレの匂いだけだろうが。それに優妃は彼女じゃねえし、募集もしてねえよ。なんかもの好きな女どもにモテてんのは薄々知ってるけど」
女男再平等政策の影響で力強い女が増えた結果、同性愛者、特にレズビアンが世間的に増えたのは割と有名な話だ。
オレも中学の例の時期から急に同姓にモテ、支えてあげたいだの言われて逆に弱っちそうな子に色々貰ったりしたことがある。昔はどうだったか知らないが今や同姓のカップルなんて珍しいもんじゃないし、同姓結婚だって十年以上前から法律で認められているのだ。たまに芸能人同士がくっついて朝のニュースにだってなる時代。
だからオレも偏見はないし、むしろモテる分には助かることも多いからあんまり気にはしていない。でも思い返してみると、まぁ変な奴らばっかにモテてたのは事実だし、異性からはまるっきしモテたことがないのでなんとも言い難い問題だな……。
「なら彼氏だったら募集してるんスか? ほら、誰だっけ? いつも一緒にいる」
「佐久間のことか? ないない。あいつとは長いけどお互いにずっと遊び仲間ってだけだ。あいつが格闘技始めるまでは一緒に喧嘩しに行ったこともあんだぞ? 負けたけど」
「じゃあ男と女だったらどっちが恋愛対象?」
自分が作れる一番可愛い顔と角度で訊いてくるのだった。……なかなかやるなこいつ。
「オレは弟君が好きかなぁ」
「キモいッスねアリサ先輩」
「小野田にだけは言われたくねえわ」
そんな会話を遮るように、窓の外から金属バットの軽快な打球音が聞こえた。
「野球部、今年の春はあと一歩で地区予選超えれたらしいッスよ」
「つってもわざわざ昼休みにぬかるんだグラウンドで練習するほど気合が入るもんなのかねえ。今までこれといった実績もないようなチームだったんだろ?」
「だからこそじゃないッスか! 青春の汗ッスよ! 良い匂いッスよ!!」
「いや絶対臭せぇだろ」
弁当も食べ終わったので立ち上がり、暇潰し程度に窓から校庭を見てやった。
野球部の男子どもがユニフォームを黒くするほど汚しながらボールに飛び込んでいる。声を荒げ、構えて、残り十分も無い昼休みを最大限に過ごそうとしていた。
「……でもオレよかずっとマシかもな」
「そんなことないんじゃないッスか? アリサ先輩臭くはないですし」
「そういう話じゃねえよ! ってなんだ臭く〝は〟ないって! ……ってお?」
校庭に目を戻すと蟷螂。白石桜花が水色の着物姿で校庭奥にある茶室から出てきていた。
「あれは華道着ッスね多分。白石さん最近昼休みには華道の練習してるんだとか」
「あんなコンテナ茶室まで建てやがって。なんか白石ってどころか顔真っ赤じゃねえか」
「野球部がうるさくて怒ってるんじゃないッスか? ほら、華道って神経使うっていうし」
酷いとばっちりだなそれ。でも見るからにそういうことらしくて、野球部のキャプテンが大急ぎで白石の前まで走り、集合の号令を掛けると横一列に並んだ坊主頭達が揃った礼をした。そのすみませんでしたの声がまた凄まじく、校舎にいる連中も窓から顔を出す。
「あーあ、絶対逆効果ッスよあれ。白石さんああいう男臭いの毛嫌いしてる人だから」
「そもそもあいつは男を下等生物かなんかだと思ってるタイプだろ」
「そうッスね。もう今年度に入って男子を三人は退学させてるッスから。土下座をさせたのは五十人くらい? っあ、また十人ほど増えた」
「うわぁ………」
悲惨。悲惨悲惨。泥の地面で横一列の土下座はまさに今の世の中を表す風刺画のようで、、
女のオレでも胸が痛い。男にしてみたら直視なんてできないだろう。
それに対して白石桜花は貼り付けたような笑顔のまま、ここまで通る声で言った。
「廃部どすぅ」
数秒の沈黙後、阿鼻叫喚。校庭からだけではなく、校舎からも無数のどよめきが起こる。
「あれもセーフなのかよ。撫子ってやつは」
「期待の星ッスからね。野球の地区予選突破よりも、三葉ごときがもしかしたら東京撫子に選ばれる可能性のほうが今年は大きいッスから。校長も完全に白石さんの味方ッスよ」
どよめきが納まらない中、予鈴が鳴り響きそれに便乗するように教師たちが大きい声を上げて場を沈めようとしていた。野球部員はまだ這い蹲りながら泥を掻いていて……。
「ふざけんなああぁあ!!」
一人の部員が手元の金属バットを握り立ち上がった――ッ!!
「ダメッス!!」
振り上げられた金属バットは白石の脳天に届く、、、ことは無く。
白石が瞬時に背の帯から引き抜いた、伸ばした棒により、
逆に野球部員の胸が深々と 『ゴリッッ』 と突かれていた。
伸縮式の護身具だ。
「あれが電磁薙刀……」
「正当防衛にしてもエグいッスね……」
金属バットは虚しく地に落ちた。胸を突かれた部員は膝が崩れ、そのまま頭から倒れる。
「完璧なカウンター。棒の伸びる伸縮力を利用して胸を突いて、おまけに電圧まで流せばタダじゃすまないだろうな。素人相手に使っていい技じゃねえ」
白石は薙刀の先で倒れる野球部員の後頭部をコツンと小突いて言った。
「あんたは退学どすえ」
もう誰も声を上げなかった。そして他の野球部員達も倒れて動かなくなった仲間を丁寧に担ぎ上げて校舎の中へと消えていく……。保健室に着いてから泣き喚くのだろうか。
やがて本鈴が鳴り、何事も無かったかのように午後の授業が始まろうとしていた。
「アリサ先輩。そろそろ教室に戻ったほうがよさそうッスよ」
小野田はあえて明るい声を出しているようだった。
「なあ見たかよ、あいつの顔」
「白石さんッスか?」
「口元押さえて笑ってやがった」
「あはは、アリサ先輩は目が良いんスね~。チヨなんて全然見えなかったッス!」
そうやって生きていくのが正しいんッスと、小野田はスキップで廊下を跳ねて消えていった。
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