第一話『右十字のアリサ』 その⑥憂鬱な朝
翌朝。薄い掛け布団の中で震える柔い体。
それはオレの華奢い体ではない。触れればぷにっと湯たんぽのように暖かい体。
そんな妬ましすらある優妃の体、その震えのせいでいつもより早く目が覚めた。
「今日は雨か」
木造のボロアパートだから雨が降るだけでかなり室温が下がる。むしろ外の方が暖かい。
「……なにぃ、もう朝ぁ?」
優妃がうざったそうに目を擦り、長い黒髪をばさつかせながら上体を起こした。
「自分のベッドで寝ねぇからスッキリしねえんだろうが。家近いんだから泊まってくなよ」
「嫌よ。わざわざ帰るの面倒くさいし」
この嘘つきめ。
あんまりにも女の匂いを発する優妃と寝るのは大変疲れるし、何よりも同じ部屋のすぐ隣の布団で眠るレオン君に悪影響が過ぎるのだ。多分レオン君、一番複雑な時期だろうし。
だが、関係が関係だからやめろと言えないのが辛い。
いや、オレも嘘をついた。
この関係を無情に利用しているのがオレだ。そうやって今日も明日も生き延びていく。
「なあ優妃、美人は寝起きも綺麗なんだな」
そっと髪に手を伸ばす。朝からこうやって機嫌を取ってやるのが大事だ。
「髪に触るなっ!!」
優妃は力強くオレの手を叩くと、さっさと立ち上がって家を出て行った。
なんかめっちゃキレてた、、、
「よく分からん」
「……お姉ちゃんお早う」
「うん。お早う」
レオン君は目を覚ましてから何分かはしないと起き上がってこれないので、オレは先に顔を洗う。洗面台はないのでキッチンでだ。ちゃんと鏡くらいはあるからな。
身支度を済ませて、十数分後に不機嫌面をしながら戻ってきた優妃から朝の廃棄で出たおにぎりやパンを貰い、それを姉弟で食べる。
優妃は家の方針で廃棄の物はほぼ食べないみたいなので、普通に家族で朝食を食べるらしい。だから朝は廃棄物の詰ったビニール袋をオレに渡すとまたすぐに帰るのだった。
「『廃棄物ばかり食べていたら心が貧しくなる』ねぇ。立派な方針だこと」
「お姉ちゃん。そのおかげでボクたちが助かってるんだから悪く言ったらいけないよ」
「感謝はしてるとも。でも心が貧しくなってんのかなってちょっとだけ考えちまってさ」
「うちは心どころか金銭的に貧しいから大丈夫だよ。心が貧しくなる余裕もないって」
「……ふふ。うっぷくくく、あははははわ!!」
レオン君がもっともなことを言うのが妙に面白くて、久しぶりに笑ってしまうのだった。
オレの通う
つまり雨の日だけは特別に電車通学なのだ。
最寄り駅の三軒茶屋駅まで歩き、そこから世田谷線という二両編成のなんともチープな単色の路面電車に乗って八駅。松原という駅で下車してから六分程歩いてようやくの登校。それでも所要時間は二十五分と、自転車よりもむしろ時間は掛かってしまうのであった。
この辺りは高校も多く、他にも自宅からもっと近いところは何校かあるのだが、悲しいかな。公立高校でこの頭ともなると選択肢はそう多くはなかったのだ。
無駄にブルーになりながらも歩いて、ようやく三軒茶屋駅に到着。サラリーウーマン達が忙しそうに靴音を鳴らしている。乗り換えもある駅なので朝はそこそこに人通りが多い。
傘を振りながら閉じると、ちょうどオレの顔を優妃がやや嬉しそうに覗いていた。
「でも久々よね、アリサとこうして一緒に登校するのなんて」
「まあ、このところ雨が降らなかったしな」
優妃は普段から電車通学なので、こうして雨の日だけは一緒に登校することになっていた。誰が決めたわけではないが、自然の成り行きというやつだ。でも優妃のペースで歩いていれば、電車を待つことなくスムーズに乗車できるのでオレも楽なのだった。
「えっと150円だよな……往復で300円かぁ」
「定期にすれば安いのに。通学割で半額くらいになるんだから」
「オレにはその半額すら惜しいんだよ」
「はいはいそうですかっと」
優妃は電車の扉が開くと同時に乗車すると、慣れた様に乗車口すぐにある端末にピピ♪っとICカードをタッチした。続いて乗り込んだオレは小銭を硬貨入れにジャララとぶち込む。支払いはバスに近いな。ちなみにどこまで行っても一律150円で、駅の数は十駅しかない。そしていつも踏切のテンテンテン♪という音に合わせてゆったりと発車する。
「っておいおい、電車の中までポスターでぎっしりかよ。だから電車は乗りたくねぇんだ」
「白石さん? あんた嫌いだもんねぇ」
「むしろ好きな奴なんているのかよ」
「いるわよそりゃあ。
「ケッ! そもそも写真加工し過ぎなんだよ! あいつの目はこんなにデカくねえ!!」
唾を吐きたくなったが車内なので自重した。それでも数人に睨まれる。
現三年生で、去年の春に三葉高校の撫子になっているので、撫子歴はもう二年目。
その間にこの世田谷線全ての駅撫子となっており、今じゃどの駅にもお目々パッチリな
この世田谷線は小さな無人駅がほとんどながら、周りには高校が多いので撫子にとってはそこそこの激戦区と言っていいだろう。にも関わらず、これほど堂々と宣伝していられるのは、白石がそれ程の女ということだ。
三葉高校の連中のみならず、周りの高校、地域の人々からも認められた撫子。その繊細な黒髪と白い肌。色鮮やかな袴を着た姿は確かにアイドルらしくもあり、他を寄せ付けない力強さを感じさせる。たとえ目を加工していようともだ。
三葉の蟷螂恐るべしってとこかいな。なんちゃって。
「しかし、
「いつかの学校新聞に載ってたけど、薙刀はもう十ニ年はやってるんだって。それにあの人は勉強もできるし、お花活けるやつとか、確かお琴とかもできたはずよ?」
「なんだよその取って付けたような正に『
「その辺にしときなさい。この電車に乗る以上あんまり悪く言わないほうが身の為なんだから。鉄道の人達もようやく顔らしい顔ができたって猛プッシュしてるみたいだしね」
現金な奴らだ。大人達もそうだが、三葉の生徒にはこの電車に乗り易くする為に白石を推してる奴も少なく無いだろう。逆に他の高校の奴らからしたら乗りにくさが勿論あって。
「やっぱり白石は運賃もタダなんかね」
「じゃないの? 少なくとも
周りから悪気の無い笑い声が聞こえてきた。
悪かったなチビのツルペタの変な髪形で。
「オレに清楚キャラは似合わねーよ。わざわざ勉強もしたくねーしさ。確か髪とかも女らしく気をつけなきゃいけないんだろ? そんな必死になって撫子なんかに―」
「ふーん? アリサの前髪、アタシは可愛いと思うけどな」
何かを言い返そうとしたところで松原駅に着いてしまい、優妃は先に降りていった。
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