第一話『右十字のアリサ』 その④レジ人間


「あーしたーまっさっせーー」


 コンビニのバイト。オレはレジに立ち、行く人来る人に気持ちの良い挨拶を送る。


 せっかく午後の授業をサボったのに数時間後にはこれだものな。


「ぁしゃーせー」


 まったくやりきれないぜい。しかもオレの嫌いな工事現場のおっさんが来やがった。


「コスモスソフト6ミリにフレチキね」

「すみませんタバコは番号でおn」

「48ぃ! 嬢ちゃんもう覚えてもいいんじゃない? いっつもいるのにさぁ」


「しゃあーせんしたー。焼き鳥常温ですが温めはいk」

「フレチキだって言ってんの! フ! レ! チ! キ!!」


「しゃあーせんしたー。ポイントカードはお持ちでs」

「持ってねえよ! あ、お手拭き入れてね!! タバコはそのままでいいからぁ!!!」


 ああ、オレはいったい何をやっているのだろう。


 さっきまでの輝いてい右十字ライトクロスさんはどこへいったのか。

 なんてね。こんなもんですよ所詮は。



「所詮は~こんなもん~~♪」


「やめろよ気持ち悪いな」


 オレの即興鼻歌は、先月入ったばかりの新入りに遮られた。


 高校一年生の男子。確か名前はせき。オレに対して嫌悪丸出しな可愛い後輩である。

 この子が入って三日目に言われた「こいつはダメだな」がまだ耳にこびり付いているよ。


 実際、今ではオレよりずっと仕事ができるので先輩としても何も言うことはない。 


 まぁそれはそれとしてだ。そろそろコンビニが忙しくなる帰宅ラッシュが始まるので、オレは頭をレジ人間モードに切り替えることに専念した。


 レジ人間モードとは、両手でレジ打ちをしながら頭の中ではてきとうに世の中のことを考えたり、己の人生を考えたり、哲学的なことを無駄に考える時間のことなのだ。


 だってオレだって生きてんだ。レジ打ってりゃ他のことくらい考えるよ。


「なんつってね…………あっさっせー、ありゃじゃしたーー」

 




 2042年。令和二十四年。戌年。それが今年だ。


 日本人初の女性総理大臣である田中苗子たなかなえこが世間に登場してからもう二十年にもなる。


 今では信じられない話だが、田中苗子が総理大臣に就任した翌年に打ち出した政策、『女男じょだん再平等さいびょうどう政策せいさく』が始まるまでオレたち女は、男よりも何かと蔑まれていたらしい。


 男より女の方が仕事や給料が少なかったり、発言する場や力が弱かったり。家庭に入れだの子供を産めだのと、まるで男の下に女がいる、社会全体がそんな価値観だったそうだ。


 もちろんそんな価値観の社会だったので、この政策も出始めの当初は嘲笑の的になるような酷い扱いだったらしい。新聞やらニュースやら、総理大臣の不信を煽るものばかりで。


「女性をより強く、より逞しく、より美しく、男性にも勝るとも劣らない立場にしよう」だなんて、実現するはずがない。無駄な政策。女の戯言だと男たちは冗談みたいによく笑っていたらしい。



 しかし数年後。政策の過程で育てられた若く強い女性が世に輩出され始めてから、その不信に見る世間の目、男たちの目はぐるりと変わった。なんなら今では歴代で最も優れた総理大臣として田中苗子の名が男からも女からもよく挙げられる程にだ。


 この政策で一番に評価されていること、それは出生率の大幅な向上だったりする。日本の出生率は令和に入り、グラフが永遠と右肩下がりで社会問題になっていた平成と比べ、二十年で丸々『1』近くも数値が上がったのだ。これは平成後期から増え続けていた草食系男子を、令和になって多く現れ始めた肉食系女子が狩り始めたからだと言われている。


 女が精神的にも肉体的にも強くなり、また社会でも男と同等かそれ以上の立場と発言力を持ち始め、働き易くなったおかげで収入も増えて結婚の自由度が増したのだ。


 今から数年後には専業主婦の数と専業主夫の数が並ぶらしい。正直オレらの世代からしたら女にとって専業主婦という選択肢はかなり魅力が薄い。誰が男の飯炊きなんかに好き好んでなりたがるんだろうって感じだ。



 さて、もう気付いているかもなんだが、この女男再平等政策は実のところ失敗している。


 はっきり言おう。

 女は強く、男は弱く、そうなり過ぎてしまったのだ。


 それも当たり前なのかもしれない。


 政策の元、以下の三つのルールが2025年からスタートしたからだ。



 一つ。女子は小学校生活六年間で『対男子用マーシャルアーツ』を週にニ時間履修する。



 対男子用マーシャルアーツとは、オレがつい数時間前にガリ男相手に使ったやつだな。主に男子の急所を攻撃することに特化した護身術だ。


 小学校高学年にもなれば何十という技をマスターしているし、その年頃では比較的女子の方が男子より発育が良かったりするので、女子が男子に殴り合いの喧嘩をしたとしても負けることはほとんど起こりえないのだ。


 しかもこの六年間で、男子は一人あたり数十回はマーシャルアーツ授業の実験台当番が回ってくるので、女子に対してかなりの恐怖意識を抱くことになる。しかもだ、その授業中以外で股間部を防具で守ることが校則や法律で厳しく禁止されてしまうときているのだ。


 周囲の女子は全員自分の急所を潰せる。

 オレが逆の立場だったら怖すぎて小便ちびっちまうよ。


 やられた向こうは実際どんなもんだったのだろう。防具の上からでもよく授業中に泣き喚いていたけれど、想像もつかないな。



 二つ。女子は中学生以降の社会生活において、常時『護身具』の携帯が許可される。



 護身具。オレでいえばスマホガンってことになる。他にも色々あってスマホガンはその内のほんの一つでしかないが、基本的には電圧とかそういう充電式の武器が多い。


 中学生にもなると、どうしても男子のほうが体格で勝ってしまう。それを女子が埋めるのに必要になってくるのが護身具ってことだ。


 無論それらを男が持つことは法律で許されていない。

 細かく言うと、男は空手、柔道、ボクシング、剣道、弓道、その他もろもろを免許がなければ続けてはならないことにもなっている。その技術を使って女と喧嘩をしようものなら、余程の正当防衛が立証できなければ一発で免許停止。この影響で武道や格闘技をやる男子は年々減少。オリンピックでもメダルがほとんど取れなくなり、それが今一つの社会問題になりつつある。が、その代わりに女が倍メダルを取ってくるようになったので、大きな問題にはなっていないようだ。


 ちなみに当たり前ではあるのだが、ダチの大介も総合格闘技をやるための免許を持っていて、半年に一回は更新試験に行かなくてはいけないのが大変だとかなんだとか。



 三つ。各高校、各駅、各県に模範となるような女子高校生として『撫子』を定める。



 撫子。女子高校生にのみ、そうなる権利がある称号みたいなものだ。


 高校の代表はただの『撫子』。駅の代表ならその駅の停まる電車によって『各駅撫子』、『準急撫子』、『急行撫子』、『快速撫子』、『特急撫子』なんてクラス分けがある。


 そしてその県内で一番多くの駅の撫子に選ばれている奴が『○○撫子』。つまり東京都なら『東京撫子』、北海道なら『北海道撫子』になるわけだ。


 最終的にはそいつらが毎年冬の二月頃に集まって、全国の代表的撫子『大和撫子』を決める全国大和撫子大会が開催される。もう十五年以上続く歴史ある大会だ。


 そして大和撫子に選ばれれば、何処へでも好きな大学に入学できる特権を得られる他、三年生ならば更にもう一年間高校生活を送る権利も与えられ、就職活動も怖いものなし。なんならメディアには引っ張りだこ。だからこそ盛り上がる大会なのだ。


 夏は男が甲子園、冬は女が大和撫子という感じ。勿論NHKで全国生中継である。


 そもそも撫子とは何なのか。模範的な女子高校生、それが世間のイメージではあるが、実際にはかなり違う。その高校で一番の人気者、あるいは支配者がそうなるだけだ。


 駅にまで進出すれば駅にポスターを張り、他の駅の撫子とぶつかり合い、どっちが喧嘩が強いだの頭が良いだの可愛いだのってそれらしい勝敗を決めて、負けた方の駅と配下からの支持を奪って自分の領土を広めていく。撫子というよりやることは戦国武将に近いな。


 そんなもの傍から見れば面白いに決まっていて、しかも代表になるだけあってそれ相当の女が毎年のように出てくるものだから、撫子という存在はアイドル化するのだ。


 男が自分の高校、最寄り駅、県の撫子を憧れとして推すようになるのは最早当然の現象。テレビや雑誌、ネットやSNSでも日頃から取り上げられているし、その地域の老若男女に持ち上げられ愛されるのが撫子なのだ。そしてそんな撫子達を日々追うがあまり、ひ弱な撫子オタクと化す男が後を絶たないのである。



 とまぁこんな感じで三つ。


 このルール三つが女男再平等政策によって誕生し、『男社会』を『女男平等社会』にするどころか、軽く通り越して『女社会』にまでしてしまったのだ。


 冷静に考えて政策の漢字の並び順からしてこの結果は分かりきっていたようにも思える。それでも今の世を見渡しても不満をあげる男はもうほとんどいないのだ。せいぜい四五十を越えたおっさんが稀に文句を垂らすだけ。それすらも女と若い男の声で掻き消され、、



 だからオレはつくづくこう思うのだ。

 この時代の女に産まれてよかったなぁと。





「ま、うちの高校の撫子は気に入らねえがな」


「あん? さっさと弁当温めてくれよ。あとピザまんもって言ったよなぁ??」


「…………しゃあーせんしたー」


 眼鏡のおっさんに舌打ちされたので、レジ人間モードを中断し、弁当を後ろのレンジに放り込んだ。ピッピとボタンを押してついでに壁時計を見上げる。ってまだ二十分しか、、


「おいピザまん! もう誰か店員代われやぁ!? だからガキの女は嫌いなんだよ!!」


 金玉を蹴られ育っていない奴らはすぐ怒鳴りやがるから嫌いだ。なにがラストサムライ世代だこの野郎とか思いながらオレがトングに力を込めてピザまんを挟んでいるとバイトの後輩にげんこつされた。しかもこれ五割くらいのパワーじゃん? 痛てえじゃん??


「もうレジいいから品出しでもしてこいよ、マジで」

「…………はい、すみませんでした」


 新世代にも強い男がいるものだな、と。オレは痛む側頭部を押さえて裏へと引っ込んだ。


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