第16話「月下の復讐」

 耳に車輪が動く音が飛び込む。その音が、ラスティ・レイクアッドの不安を煽る。

 爵位剥奪目前とも言われている男の表情は神妙だった。

 理由は、自分が依頼を頼んだ傭兵からの言葉だった。


『あんたの娘、どこぞの家で暴れるみたいだぞ。なんだっけ? ソムナスの令嬢がいる別邸だったかな?』


 何をしでかすつもりなのか、考えたくもなかった。ただ最悪の状況になりそうなら命を懸ける思いだった。 

 別邸が見えて来た。


「ここまででいい!」


 キャビンから飛び出し正門へ。中に入って庭にたたずむ面々を見て、ラスティは息を呑んだ。


「ぎ、ギルフォード王子?」


 背を向けていたギルフォードが肩越しにラスティを捉える。


「レイクアッド卿……」

「な、なぜあなたがここに、護衛もつけずに?」


 ギルフォードは唇を閉ざした。ここに来たのは偶然ではない。パーティーの後、二人きりで会う約束を交わしていた。


「レイクアッド卿こそ。なぜここに。この状況はいったいどういうことですか? あなたの指示ですか」


 ラスティは状況を理解しようと眼前の光景を見据える。


 獣人のように変わり果ててしまった娘とその隣には半獣。そして腰を抜かして怯えているシルフィーの姿があった。数秒後に彼女が殺されてもおかしくない状況にラスティは大口を開けアンジェを見据える。


「あ、アンジェなのか?」

「……お久しぶりです、お父様」

「な、なにをしているんだ? その姿はいったい?」

「ご理解いただけるかと。復讐を果たそうとしているのです」

「「復讐……?」」


 ギルフォードとラスティの声が重なる。

 獣と化したアンジェが何に対して復讐するのか。二人の視線は自然と、狂気の爪が向けられているシルフィーに向けられる。


「復讐……? あなたが、私に?」

「他に誰もいないでしょう」


 シルフィーは目を見開いた後、大笑いした。ここまで甲高い笑い声を、アンジェは聞いたことがなかった。


「私が何をしたと!? 私が王子と結婚したことに関して逆恨みしてるだけでしょうが!」


 追い詰められていることを忘れたようにシルフィーは怒号を飛ばした。


「学園で生徒をイジメてた時から何も成長してないわあなた! 当然か。元から獣だったんだから。頭も獣そのままね! こんなことをして気分が晴れた!? 言っておくけど私を恨んだところで何も変わりはしないのよ! あなたも、あなたの家ももう終わりなんだから!」


 怒りの眼はギルフォードに向けられる。


「ギル! ギルフォード!! 私を助けてください!! 学園の品位を落とし、あなたを傷つけた憎き獣が目の前にいます! どうか腰に差した正義の剣で、獣の首を落としてくださいまし!」


 ギルフォードは柄に手をかけるが、刃は出さなかった。困惑顔を浮かべ慎重に判断しようとしている。


「言葉遣いに対して物騒なこと言うなぁ。この女」


 ゼクスの呟きにアンジェは微笑むと、膝を折った。


「ねぇ、シルフィー。私を呪った理由はなに?」

「……はぁ?」


 シルフィーは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


「呪い? 何のことだかわからないわ」

「正直に喋るならこれ以上手荒なこともしないし、見逃してあげてもいいわ」

「だから何を言っているかわらな────」


 変形を解きポケットからある物を取り出すと、突き出す。それを見て、シルフィーの目が皿になる。


「……え?」

「覚えてるでしょう。これ。あの日。私が獣になった日。あなたがくれたシトラスの香水」

「なん、で。嘘よ。だって、それは学園ですぐに捨て────」


 ハッとしてシルフィーは口を閉ざした。


「私の協力者の中にね、ゴミ漁りが得意な子がいて。かき集めてくれたの」

「そ、そんな早い段階で協力者なんて」

「金で傭兵は雇えるからね。私がいつまでも泣いてるだけだと思った?」


 アンジェは香水の蓋を取る。


「……ハッタリよ。もう中身はない」

「あら? 私が秀才ってことを忘れたのかしら、シルフィー。ちゃんと同じ呪いを作ったに決まってるでしょう」


 シルフィーの顔が赤から青に変色する。荒唐無稽なことに聞こえないのは、彼女がアンジェの実力をよく理解していたからだ。

 さきほどまでの怒りも余裕もなくなったように唇を戦慄かせる。

 

「ぎ、ギル……助けて」


 掠れた声で助けを求める。

 ギルフォードは、信じられない、というような、絶句した表情でシルフィーを見つめている。


「助けてよ!! さっさとコイツを殺して!!」


 ギルフォードは顔を伏せ、剣の柄を握っていた手をゆっくりと離した。

 短い悲鳴を上げラスティを見る。相手も動く気はない。ずっと眉を寄せて両者を見比べているだけ。


「ま、待って。アンジェ。謝るから。アンジェ様」

「謝る? 何を?」

「あ、あなたに呪いをかけたことも、全部謝るから」

「なんで私を呪ったの? それを話したら止めてあげる」


 シルフィーはゆっくりと喋り始めた。


「……生まれで全てが決まる。その言葉が、頭から離れなかったんです。私の家は貴族とはいえ平民と変わらないほど貧乏でした。だから、何としてでも家を守るために、あなたに取り入ろうとして……それは成功しました」


 ですが、といって、アンジェを睨む。


「あなたは散々、私のことを馬鹿にし続けました。母から貰ったアクセサリーを足蹴にし、父に貰ったドレスを公衆の面前で貶し……それでも私は笑ってました。上の存在に、しがみついていれば、チャンスがあると」


 シルフィーの目から徐々に恐怖が消え始めた。


「だけど! だけど、王子との結婚だけは許せなかった! それを聞いた瞬間、私は頭が爆発しそうになった! あなたの様な人間が王子と結婚すればこの国は破滅する! あなたのような、人の痛みに寄り添えない悪女が!! あなたはギルフォード王子に相応しくない!」

「だから私を呪ったと。なるほどね、シルフィー」


 アンジェはふわりと笑みを浮かべる。


「間違ってないわ、あなた。そして立派よ。チャンスをちゃんと掴んだじゃない」

「え?」

「ただ唯一の失敗は……あの場で私を殺さなかったことね」


 脳裏に兵士を止めるシルフィーの姿が過ぎる。


「両手で幸せを掴み取ったつもりだったんでしょうね。けれど力尽くで手に入れるなら邪魔物は排除しないといけなかった。そうじゃないと、砂のように、指の隙間から零れ落ちていくわ」


 シルフィーの前に香水を突き出す。


「こうやって。無慈悲に。排除しないとね」


 アンジェは白い歯を見せると香水を吹きかけた。

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