第15話「成果」
シルフィーは目を見開く。
「あなた、顔が」
「あなた? 随分気安く呼ぶようになったわね」
アンジェは鼻で笑った。シルフィーは素早く瞬きをする。見間違いでなければ今のアンジェの顔は、あの憎たらしい美貌を持った人間の顔になっている。
「どうして人の顔に」
「そこまで驚くことじゃないでしょう。魔法で顔を変えただけよ」
「ありえません。確かにあなたの魔法技術は突出していたましたが、幻術魔法くらい私だって看破できます」
「だから言ってるでしょ。変えた、って」
「……変形魔法、ですか?」
「そ。優秀な弟子から教えてもらったの。互いに必要な物を交換し合える関係っていいわよね。まぁ、私の場合は知識も実力も、かけ離れていたから大変だったけど」
アンジェは黒いドレスを身に纏っていた。家から逃げ出した時に着ていた物だ。汚れは全部サームと協力して綺麗に取っている。
新品のような輝きを放つ黒を見て、シルフィーは歯を見せた。怒りではなく余裕だというように。
「家の中が一番危険……。そうですね。その通りです。今日に限っては使用人もほとんどいませんし。ですが……身も心も獣になったんですね。汚らわしい獣人そっくりですよ、アンジェ様」
侮蔑を込めた様付けだった。アンジェが嘆息し一歩足を前に出すと、シルフィーが右手を前に出した。
魔力が一瞬で集まり凝縮する。高密度の魔力はその姿を火球に変えた。アンジェの胴体ほどの大きさになったそれを放つ。
轟音と熱波が空気を裂く中、アンジェは涼しい顔で手の甲を当てる。
直後火球が消し飛んだ。
虫を払うような動作で魔法を消すと、シルフィーが手を鳴らした。
アンジェの耳に届くのは甲冑が擦れる音だった。
「私が何も準備してこなかったと? 無人の場所で油断するわけないでしょう」
ドアが蹴破られる。甲冑を着てロングソードを携えた騎士が姿を見せる。
全部で三人。全員が同じ装備をしていた。アンジェは違和感を覚える。
「その騎士」
「驚きましたか? 私の造形魔法で作った魔法剣士です。あなたに勝るとも劣らない得意魔法を極めて、とうとう人型を作るまで成功したんですよ。この子たちの戦闘能力は、酒場で遊び惚ける傭兵程度じゃ話になりません」
アンジェはクスリと笑った。
「……なに笑ってるの」
「おかしいと思って。あなた、妃になるんでしょう? なのに護衛の騎士すらいないの? 警戒していたならギルフォードに相談でもして腕の立つ騎士を置いておけばよかったのに。それすらないなんて」
口角がさらに上がる。
「私を自分の力で倒すため? 違うでしょ。どうせ「こんな相談してもいいだろうか」とか考えて遠慮しただけでしょう。昔っから小心者よね、あなた」
「……黙れ」
「それとも愛されてないのかしら? 失恋に付け込むような卑しい貧乏貴族の小娘を、あの人が愛するとは思わないもの。本当に愛しているなら何も言わずに護衛をつけるわ」
アンジェが喉を鳴らした。
「夢から覚めたほうがいいんじゃない? あなた」
「黙れぇっ!!!」
怒号と共に騎士が動き出した。
一体が突出している。アンジェは右腕を巨大な獣の腕に変形させる。
剣を掲げるのが見えた。下半身に組みつき内腿を取るとそのまま軽く仰向けに転がす。
流れるように跨ると右拳を作り振り下ろした。巨岩の一撃は騎士の首から上を潰した。
拉げた兜の中から土が飛び散った。
「土人形。ゴーレムの類ね」
立ち上がると残った二体が剣を突き出した。
両腕を変形し軽く振る。鋭い爪は剣を払い、鎧に食い込み、そのまま裂いた。上半身が弾け飛び土が散らばる。残った下半身も金属音と共に床に倒れた。
「なっ……」
「耐久度も泥並か。まぁ人間と同じ動作させているだけ凄いけど」
「な、なんでそんな力を」
「私も学んでたのよ。汚らわしい獣人と、酒場で遊び惚ける傭兵からね」
ギロリと睨む。シルフィーが息を呑んだ。
「お嬢様!!」
両者視線を向ける。そこにいたのはシルフィーを出迎えた老執事だった。
「こ、これはいったい……?」
「逃げて! 逃げて助けを────」
アンジェが駆け出した。一瞬で間合いを詰めると執事の腹に膝を入れる。
執事の頭部が下がった。その後頭部に向かって肘を振り下ろす。悲鳴も上げず執事は床に突っ伏した。
「ヒッ……」
容赦なく人を傷つけるアンジェに恐怖した。シルフィーはベッドに腰を下ろし、シーツを握りしめた。
目の前にいるのは令嬢のアンジェではなかった。アンジェの皮を被った別人だ。
アンジェの冷たい視線が向けられた。脳を射抜かれた気分だった。
「いやぁああ!!」
悲鳴を上げたシルフィーは身を翻し、開いている窓から飛び降りた。
魔法すら使っていないため悲鳴とともに落下する。そのまま花壇に落下した。
二階という高さ。窓近くの木の枝に引っかかったこと、花壇の土が柔らかかったことが幸いし、シルフィーは体を強打しただけで済んだ。
安堵もせずうつ伏せになると、腕だけ動かし体を引きずる。
「だ、誰か……誰か助けてっ!!」
「無駄だよ」
庭に入ってくる影が見えた。
獣耳を生やした半獣の少年だった。肩を出した変わった服に身を包んでいる。
美少年という顔立ちをしていたが、今はそれに感心している場合ではない。唇を震わせるシルフィーに少年は微笑む。
「風の魔法ってすごいな。空気振動調整して特定範囲の音を遮断できるなんて」
少年が両手を広げた。
辺りを見回す。広場を囲むように魔法の膜が張られていた。
「大丈夫か? アンジェ先生ってめっちゃ怖いよな。俺も何度逃げようと思ったか」
「あら、ゼクス。それは本当?」
ふわりと地面に降り立ったアンジェがゼクスの隣に立つ。
「だったら逃げてもよかったのに」
「やだよ。アンジェ先生の授業楽しいもん」
「……ふーん」
アンジェはゼクスの眉間を小突いた。
「いって! 何すんだよ!」
「お礼」
「はぁ?」
「抱きしめようと思ったけどやめといたわ」
「ゾッとするわ。勘弁してくれよ」
二人が笑い合う。獣同士が声を交わし合うのを、シルフィーは怯えながら沈黙して見守っていた。
「さて。どうすんの? コイツでしょ? アンジェを獣人にしたの」
「ええ。ここまで作戦通りよ。あとは彼が来れば。タイミング的にはもうすぐ」
アンジェが正門に視線を映したと同時だった。
「な、なんだこれは!? どうなってる!?」
シルフィーはさらに顔を青くした。
軽装のギルフォードが、広場に足を踏み入れたからだ。
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