第14話「最も油断する場所」

 婚礼の儀を大々的に発表する一週間前。

 予定通り王室で行われる予定だったのだが、ギルフォードの言葉で場所が変更された。


 魔術学園のオベリスク上層。かつて人狼に襲われた、ギルフォードにとっては忌むべき場所である。

 シルフィー含む各関係者は考えを改めるよう進言したが彼の意見は変わらなかった。


「私にとっては因縁の場所なのだ。トラウマ……というのかな。愛する者と歩むためにも心に巣食うこの恐怖を排除しなければならない。私は愛という感情を恐れている。それでは妃に申し訳ない。この場所で行うことが、そのまま私の思いの強さだと思って欲しい」


 力強い王子の発言に誰も異を唱えることはできなかった。


 シルフィーはひとり、奥歯を噛み締めていた。表情は慈愛に満ちた微笑みと優しい瞳をギルフォードに向けながら。


 ふざけるなと叫びたかった。




ααααα─────────ααααα




「覚えておいでですかな? 三月ほど前の」


 爵位を持つ者同士の会話が聞こえた。


「ああ。公爵令嬢に扮していた人狼だろう。この場所に王子に噛みついたじゃないか。忘れるわけがない」

「ええ。この会場で、です」


 男が爪先で床をとんとんと叩く。


「ギルフォード様にとっては忌まわしい場所でしょう。にも関わらず再び訪れるとは」

「それも婚礼の儀ですぞ。以前の人狼事件も確か、婚約を発表しようとした矢先に起こった出来事ではありませぬか」

「……ソムナス家の令嬢も人狼になったら、いよいよ疑わなければ。王家が呪われているのではと」

「言葉が過ぎます」


 話しているのは二人だけではない。訪れた者たち全員が神妙な面持ちだった。


 儀式は滞りなく進んでいた。問題なく入場し、誓いの言葉を交わし合い口づけも終わり、今は挨拶してくる者たちを捌いているところだ。


 華やかなドレスに身を包んだシルフィーに向けられる、心の籠ってない生暖かい言葉の数々。貼り付けられた笑顔を見るのも飽きて来た。


 溜息を吐きたかった。王女になれたのだ。なのに心はモヤモヤとしていた。

 だがそれも今日だけだろう。これから王子を支える良妻になれば印象も変わる。


「大丈夫かい?」


 隣のギルフォードが心配そうに顔を覗き込んできた。

 いけない。ここで不満顔を見せたら。隙を見せたら。あらゆる人間が割り込んでくる。


「何でもないですよ! ちょっと緊張しているといいますか……こんなに幸せでいいのかなって」

「そうか。なにも固くなることはない。……すまなかった。私の我儘に付き合わせてしまって」

「構いません。夫婦じゃないですか。我儘を言い合う者だと、母が言ってました」

「なら次はシルフィーの我儘を聞こう」


 ギルフォードが微笑む。

 相変わらずいい顔だった。そして眩しい。太陽のようだ、と言われるのも納得できる。


「ありがとうございます。ギル」

「それより、目的の人は来たのかい?」


 一瞬、心臓が激しい音を鳴らした。


「さきほどからしきりに誰かを探しているようだったから」

「……えっと、祖父を探しているのです。今日は腰の調子がいいようで。私の姿を見に来ているかなと」


 嘘だ。祖父などどうでもいい。


「なるほど。確かにまだ来ていないようだ」


 ギルフォードは近くの使用人に、シルフィーの祖父が来てないか調べるよう指示を出した。

 見つかろうが見つからなかろうがどうでもいい。

 待っているのは友人だ。


 期待半分、恐怖半分。

 賢いなら自分が犯人だと気付いているだろう。そしてまだ死体などは見つかっていない。

 どこかで野垂れ死んでいるとは思わない。あいつはそう簡単に死なないと、シルフィーは睨んでいた。


 だからこそ王都中、さらには国外にも大々的にこの話をばら撒いたのだ。

 襲ってくるならこの儀式の最中しかない。


「来ないの、アンジェ」


 小さく呟く。

 復讐を成し遂げる絶好の機会は今しかない。

 最初はギルフォードの発言を恨みもしたが、今となっては好都合だ。


 シルフィーは期待していた。

 アンジェが襲ってくるのを。

 そして襲ってきたのなら返り討ちにして、その首を取り、無様に晒してやろうと思っていた。


 だが数刻経っても。

 儀式が終わっても。

 会場から人々が撤収しても。


 終ぞ、アンジェは現れなかった。




ααααα─────────ααααα




 別邸の門前で止まった。今日でここも最後だ。

 馬車を降りると溜息を吐いた。


「腰抜け。なんで来ないのよ」


 どうやら復讐よりも逃げることを彼女は選んだらしい。それならそれで構わなかった。

 心に微かに合った憂いは、これで晴れた。


 月明かりが庭を歩く彼女を照らす。

 明日は朝からギルフォードが迎えに来てくれる。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 老齢の執事に軽く挨拶をする。

 屋敷内には、ほとんど人がいない。皆、新居の方に向かっている。これからは王族直属の使用人になるのだ。皆が希望に満ちた顔をしていた。


 中に入り上機嫌で風呂を浴びる。いつもは使用人がいるためさっさと出ていたが今日はひとりだ。心ゆくまで湯につかる。


 嬉しかった。何もできない貧乏貴族だったシルフィーは自分が役に立っていることに心を弾ませた。


 風呂から出て私室へと向かい鼻歌を歌いながら扉を開ける。


「人が最も油断する場所ってどこだと思う?」


 部屋には月光が差し込んでいた。

 窓が開いており、冷たい夜風がカーテンを揺らしている。


「大事な行事を行う前日の夜? 向かう途中? それとも会場? 帰りの道中? 全部違うわ」


 椅子に座っていた人物が立ち上がる。


「全てが終わって寝支度を整え、「ようやく安心して眠れる」と思ったその瞬間。つまり、自室という聖域。そこが一番油断する場所よ」


 月明かりが白銀の髪を照らした。


「……アンジェ」

「久しぶりね、シルフィー」

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