第9話「月下に誓う」

 覚悟を決めたアンジェは首を傾げる。


「どういうこと?」

「そのまんまの意味。一応確認だ。あんたがアンジェ・レイクアッドだな」


 頷く。


「俺はビルってもんだ。一流でもなければ三流でもない、真面目に普通に依頼をこなす最高の仕事人さ」

「ようは二流ってことだろ」

「鋭いツッコミありがとう、少年! お前に裂かれた頬がいてぇよ」


 言いながらも男の頬には傷痕ひとつ残ってなかった。

 そこでゼクスが気付く。


「あんた武器は? それと仲間は?」


 ビルという傭兵は身の丈ほどのグレートソードを持っていたはずだ。なのに今は黒鉄の甲冑だけ。


「どっかで息をひそめて────」

「警戒しているところ悪いが俺ひとりだ。で、武器もない。これは俺なりの誠意だと受け取って欲しい。ただ話を聞きに来ただけ、っていうな」


 ビルは、パンと手を叩いた。


「さて。話をしてくれるかい、アンジェ・レイクアッド。それとも下賤な傭兵とは喋る気もないか?」

「……いいえ。あなたの覚悟に答えましょう。生きる意志は、あります。生きなければならない理由ができました」

「それは怒りか?」


 アンジェはギロリと相手を睨む。


「狼の面だがよくわかる。あんた、目も口も言葉も全部が真っ赤に染まってんだよ。死地に向かう連中と同じだ。あんた一時的な物事を決めてるだけじゃないか?」


 問いかけに答えられない。沈黙が流れしばらくして、ビルは肩を竦めた。


「まぁでも? 生きたいって思いがあるならそれでいいんだ。俺の仕事は終わりだ」


 そういうと、ビルは懐から何か取り出しアンジェに差し出す。

 麻布あさぬのの切れ端だった。


「ほら。危ないもんじゃないから」


 警戒しながら手に取る。裏面を見ると、文字が書かれていた。読めはしないがわかる。これは魔法の術式だった。


「こっちはもう襲う気がない。他の傭兵やら王都の騎士やらにお前らのことを喋ったりもしない。なんなら兵士が来ないようにしてもいいぜ? ただ……もし死ぬ気になったらその魔法を発動しろ。どんなに離れていても俺と会話ができる」


 一気にまくしたてるように言うと「じゃあな」と、ビルは背を向けた。


「待て!! どういうことだ!? あんたらアンジェを殺しに来たんじゃないのか!?」


 声を荒げるゼクスに対しビルは何も言い返さず、片手を振って去っていった。


「……なんだってんだ?」


 困惑する様子の彼に対し、アンジェは貰った布を握りしめた。




ααααα─────────ααααα




 とても静かな夜だった。どんなに時間が経っても木々が揺れる音と微かな虫の羽根音、動物の鳴き声や足音以外聞こえない。

 

 アンジェはアリメル湖に浮かぶ月面を虚ろな目で見つめていた。

 耳がピクリと動く。足音が近づいている。


「今日もデカい月だなぁ」


 ゼクスが隣に座った。持って来た釣り道具を弄る。


「ちょっとは落ち着いた?」


 釣り針に餌を通しながら聞いた。


「……考えれば考えるほど腸が煮えくり返るわ」

「前から思ってたけどあんたすげぇ言葉遣い荒いよな」

「別にいいでしょ。人によって態度変える必要がないんだから」

「まぁ素で接してくれる方が俺もありがたいけど。で? 怒りがおさまらないアンジェはどうするの? 復讐でもするの?」


 復讐というが頭の中を飛び交う。


「そう、思ってたんだけどね」


 夜空を見上げる。ゼクスは釣り糸を放った。


「復讐する前に、今までの私の行いを洗い出してみたの」

「うん」

「どれもこれも、人を傷つけるものばかりだったわ」

「うん」

「いわゆる……虐めって奴? そんな自覚はなかったけど、私はそれをしてたんだと思う」

「うん」

「人を傷つけ続けた私が、急に自分が不幸になったからって復讐をしようとする……それが正しいのかなって」


 ゼクスは答えなかった。


「この姿になったのは当然のことじゃないのか。この姿になったのは罪を償うためじゃないか。そう考えると」


 両膝を抱えた。


「私はこの姿のまま、静かに、ひとりで生きることが正しいんじゃないかなって思って」

「あーあ。見事に術中にはまってんじゃん」


 釣り竿を揺らす少年が小馬鹿にするように言った。


「シルフィーはあんたの性格を知ってたんだな。だから呪術を使ったんだ。あえてバレるように。で、友人に裏切られたあんたが、そうやって自分の行いに後悔して復讐されないようにする」

「わかってるわよ、そんなこと」


 アンジェは視線を切った。


「……わかってる」

「まぁ好きにしろって感じ。復讐するならどうぞご勝手に。だけど言っておくぜ。半端な気持ちで復讐なんてやるな。絶対に後悔するし上手く行かない」


 その言葉は今まで聞いたどの言葉よりも力強かった。確信めいていたとでも言えばいいか。

 アンジェは丸い月に目を向ける。愚か者たちを見下ろす大きな存在に瞳を向け続け。


「……決めた」

「ん?」

「復讐。するわ。これは半端な気持ちじゃない」


 ゼクスを見る。相手もアンジェを見ていた。


「私は、私なりの復讐を遂げる。必ず」

「……そっか。なんか言葉も雰囲気もいい感じになったんじゃない?」

「もちろん協力してもらうわよ、ゼクス」

「え?」

「授業料よ。これからずっと教えてあげる。見返りは私の手伝い。賃金要求されるよりマシでしょ?」

「えぇ!? 俺の気持ちは無視かよ!?」

「じゃあ早速なんだけど」

「聞けよちょっとは!!」


 アンジェはニッと笑った。


「お風呂。あるかしら?」

「……は?」


 釣り竿がクイと揺れた。

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