第8話「略奪」

 シルフィー・ソムナスが現在住んでいるのは、王都近くにある家だった。

 赤いレンガ作りが特徴的な邸宅。レイクアッド低よりは随分と小さいが充分立派だ。


 広い庭があり、少しだけ自然が残っていた。

 アンジェと少年は庭が一望できる木の上で待機していた。


「楽勝だったな」


 ゼクスが拍子抜けだ、と言って肩を竦めた。


 警備兵はいたが正門だけ。これは昔、彼女と遊んだ時から変わってなかった。ゆえに壁の塀を昇って木の上に行くことも造作もなかった。


 子供の頃、アンジェはこういった方法で中に侵入するのが得意だった。


「バレなきゃいいけど」

「木々がカモフラージュしてくれてるから平気よ」

「あんた意外とアグレッシブだよな」


 ゼクスがニッと笑う。


「けど王都が近いぞ。近くに巡回騎士が来て警戒目ハイセンスとか使われたら」

「もう魔法遮断壁を作ってる。私とあなたの輪郭に沿って展開しているから、この木をピンポイントでずっと見られない限り気付きようがない。安心しなさい」

「アンジェ先生すげぇ~」


 獣人に褒められたことは初めてだが、存外悪くない。

 得意げに鼻を鳴らすと、正門が開かれた。豪華な装いの馬車が太陽に照らされながら庭に侵入してくる。

 続いて家の名から使用人が虫のように出てきて整列した。


「はは。すげぇ。お出迎えってやつ?」

「静かにしててよ。派手に動いたらバレるから」

「そりゃこっちの台詞だよ」


 馬車が止まった。おかえりなさいませ、の同音と共にキャビンの扉が開く。


 中からシルフィーが出て来た。夕暮れにも似た橙色の髪の毛が靡いている。


「うわ、可愛い子」


 アンジェは目を凝らす。獣人の力のせいか強化された視力は、シルフィーの表情も容易に読み取れた。

 随分と、幸せそうに微笑みながらキャビンを見ている。


「ようこそ、私の屋敷へ」


 少し声が弾んでいた。その理由はすぐにわかった。

 続いて出て来た人物を見て。


「な……んっ……!?」

 

 ギリッ、と。アンジェは歯噛みした。

 出て来たのは美しい金髪の王子。


「ああ、立派な家だね」


 ギルフォード・ユービックだった。


「え、あれって、王子様じゃん」


 俗世と切り離され生活していたゼクスでさえ王子の顔と名前だけは知っていた。


 シルフィーがクスリと笑う。


「ここは別邸です。私の領土にある家は、伯爵の爵位に対して結構広いんですよ。ギルフォード様からしたら、小さいかもですが」

「まさか。キミが住んでいる場所を酷く言う私だとでも?」

「ふふ。ごめんなさい。言われたら泣いちゃうかもです」

「それは困るな。キミの泣き顔は見たくない」


 ギルフォードはシルフィーの手を取った。頬を染めた彼女は面食らったが、すぐに表情を柔らかくし、指を絡めた。


 仲睦まじい姿で家の中に入る。その様子を、使用人たちは見守っていた。


「よかった……シルフィー様。大出世です」


 人狼の聴力が、庭にいる執事たちの言葉を捉える。


「失恋から失意の中にいたギルフォード王子を救い出すとは。本当に優しいお方に育った」

「レイクアッドの娘と並ぶより、絵になっております」

「正直あのアンジェという女はいけ好かなかった。王子も、薄々感じていたのだろう。自分の顔と地位しかあの女は見ていない、と」

「本当に愛していれば、レイクアッド嬢を守ろうとしたでしょうね」


 年配の執事が鼻を鳴らした。


「美麗な容姿が嘘か。まさに化けの皮が剝がれたというやつだ。ギルフォード様が殺されなかったのは奇跡だったな」

「真面目に生きて来たお嬢様が奇跡を運んだのかもしれませんね」

「そうに違いない。そういえば、レイクアッド当主の話。聞いたか。人狼に逃げられたせいか、爵位が取り上げられる寸前らしい」


 執事がクツクツと笑った。


「関係者に土下座してるらしいぞ。己の地位と家を守るために」

「卑しいですね。獣のようだ」

「レイクアッドの連中は全員人狼かもしれん。はやく火で炙ってしまえばいいのに」

「口が過ぎますよ」

「これは失敬」


 執事たちが再び笑った。


「……」


 当然その話はゼクスも聞こえていた。

 口を閉ざし、恐る恐るアンジェを見つめる。


 フードを被っているため表情までは見えない。だが、歯を剥き出しにして、力強く食いしばっているのは、歯軋りから伝わった。


「うっぐっ……」


 歯茎から血が出て来た。アンジェは血が零れ落ちる前に口許を拭う。


「……行こうぜ」


 アンジェは何も言わずゼクスの言葉に従った。




ααααα─────────ααααα




「ああああああああああああああ!!!!!」


 森に入るなり、アンジェは絶叫した。頭を抱えて地団太を踏む。


「お、おいっ!!」

「クソッ!! クソッ!! クソッ!! あのクソ女ぁ!!!」


 両の爪を顔に突き立てる。ガリガリと動かすたびに銀の毛が揺れる。


「ふざけやがって! あいつ、あいつが私をこんな姿にしたんだ! あの香水が触媒だったんだっ……!!」


 自分の間抜けさに苛立つ。友だと信じていた者の裏に気づかなかった愚かさに憤怒する。


「落ち着けよ、アンジェ」

「落ち着けですって!? 落ち着けるわけないでしょ!!」

「気持ちはわかるっていうか……」

「適当なこと言わないでよ!!」

「いやあんなもん聞いてたら気分悪くなるし何があったのかは察せるよ! でも合ってるかわかんないんだ。だからいったん整理させてよ。な?」


 アンジェは歯軋りしながら気に背を預けた。ゼクスは頭を振って口を開く。


「さっきの女が、そうなの?」

「……多分ね。さっきギルフォードがいたでしょう。彼と私は……婚約者同士だったの」

「うわぁ」

「魔術学園の創立記念日パーティーでそれを公開しようとしたところで、この姿になった」

「なるほど。じゃあ、シルフィーはタイミングを見計らっていたわけだ。一番ダメージを受けるタイミングを」

「そうよ。シルフィーは着替えの時に私に香水をかけた。恐らくあれが触媒」

「シルフィーとはどんな関係なの? 学園のライバルとか?」

「……いいえ。私の、一番の、友人だったわ」


 吐きそうだった。眉を寄せ拳を握る。

 対照的に、ゼクスは冷静な面持ちだった。


「ん~。となると、なんであんたを獣人にしたんだろう。思いつくのは略奪愛? シルフィーは王子様が好きだったのかも」

「……まさか」

「婚約者であることは話したの?」


 アンジェは渋面になり、ゆっくり首を縦に動かした。


「それが気に食わなかったとか。それともアンジェの日々の行動に嫌気が差してたとか。それとも誰かから依頼されたのか」


 ゼクスは首を軽く傾げた。


「どちらにせよ、ただ殺すだけじゃない手段であんたを痛めつけたんだ。とんでもない恨みを持ってるかもしれないね」


 アンジェは何も言い返せない。どうして裏切ったのか。それは一番気になることだった。

 だが今は、「どうして」はどうでもいい。


 シルフィーが裏切った。自分からすべてを奪った張本人。だが決定的な証拠がないため、確実とは言い切れない。


「……ゼクス。私は情報を集めてみたい」

「まだここに留まるつもりか?」

「今度の拠点は? 王都から離れている?」

「すっげぇ山の中。だから。うん」

「ねぇ。あんなものを目の当たりにして、こんな……こんな気持ちを持ったまま、黙ってろなんて。あなたできる?」

「無理。だけどさ、ヘタに動いたらそれこそ向こうの思う壺じゃない? ちょっと頭冷やして」


「おーい!」


 二人が言葉を止めて、声のする方を見た。

 そこにいたのは、


「よぉ。獣人くんと……アンジェちゃんかな? 俺のこと覚えてるか?」


 以前森の中に来た、大剣を持っていた傭兵だった。


「ちょっと話さない?」


 ゼクスがアンジェの方を見る。


「どうするよ」

「……」


 ここまで、か。

 アンジェは諦めたように拳を開いた。


「こんな、人生、ね」


 力無く言った。

 手の平に血が滲んでいた。無念だと、物語るように。


「……話って?」


 傭兵、ビルは両手を挙げた。


「あんたに生きる意志があるかどうか、確かめに来た」

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