第7話「二種」

 目を覚ますきっかけになったのは、あのスープの香りだった。


「……あれ、私」


 見覚えのない天井を見ながら昨夜のことを思い出す。


 アンジェは目をかっぴらいた。上体を勢いよく起こし階段を降りる。窓からは太陽の光が差し込んでいた。

 足音が聞こえたのか、キッチンにいた少年が顔を向けていた。


「おはよー。腹減ったでしょ。なんか食う?」


 アンジェは頭を振った。


「き、昨日! あの後どうなったの!? 私が魔法を撃ったあと!」

「あ~」


 少年は後頭部を掻く。


「気ぃ使って話した方がいい?」


 首を横に振ると少年は歯を見せ話し始めた。

 言葉を聞くにつれて、アンジェは顔を絶望に染め、遂には両膝を折った。


「暴走……? 獣みたいに……叫んだ? い、いやそれよりもあなた、傷は!? 私が噛んだんでしょ!?」

「大丈夫だよ」


 少年は肩を竦めた。昨日と同じ肩出しの服を着ているが、傷は見当たらない。


「あんたの噛む力が弱すぎて、俺の肌を貫けなかったの」

「へ?」

「ちょっと噛みついただけで満足して寝ちゃうんだもん。笑っちゃったよね」

「そ、そう、だったの」


 まだ私は、人間でいられる。アンジェは安堵の息を吐いて、顔をしかめた。

 血を求めて他人に噛みついている時点で人間じゃないだろう。


「わ、私、ここを出て行くわ」


 アンジェはフラフラと立ち上がった。


「え?」

「だって、いられないでしょ。傭兵が来てる時点であなたの身が危ないし、私みたいな性悪女、嫌いでしょ」

「ん~俺もそう思ってたんだけどさ」


 少年はキッチンの火を止めた。


「昨日の魔法を見て気が変わった」

「え?」

「なぁ、俺に魔法を教えてよ」

「ま、魔法を、あなたに?」

「そう。俺、半獣ミックスだし魔法の知識もないし使えないしで、同族に嫌われててよ。せめて魔法だけでも強くなって見返してやりたいんだ」

「……だからあそこに魔導書が積んであるのね」


 暖炉の前のテーブルに積み重ねられていた本を指すと、少年は頷いた。


「どうかな。俺は住むところのないあんたに寝床を提供する。あんたは俺に魔法を教える。悪くないんじゃない?」


 アンジェは眉間に皺を寄せた。


「待った。先に言っておく。確かに、ここにとどまってたら危険だ。だから移動したいのは山々なんだけど動かない」

「どうして」

んだよ。あんたが」


 少年が自身の目を指す。


「あんたの魔力。枯渇しかけてるぞ」


 この世に生きる者たちは、目に魔力を流すことで、他人の魔力所持量を見ることができる。

 見え方は様々で、数字だったり文字、あるいはゲージで見えたりする。

 そして当人もそれを確認できる。


 アンジェは数字だった。頭に浮かんできた赤い数字を見て顔を引きつらせる。


「残量……100……!? ウソでしょっ!?」


 アンジェの魔力量は10000を軽く凌駕している。この数値は魔物討伐を生業とする、一流の魔術師と同等かそれ以上の値だった。

 故に、現在の数値を見て驚愕するのは当然だった。


「魔力量がゼロになったら死んじまう。その量で動くのは無理だから、明後日くらいに移動しようぜ」

「で、でもその間に傭兵とかが来たら」

「そんときゃ俺があんた担いで逃げるよ」


 少年が胸を張った。


「任せとけ。隠れ家はたくさんあるし、あんた一人抱えるくらい楽勝だ。軽そうだし」


 尻尾が得意げにピンと立つのを見て、アンジェはクスリと微笑む。


「……わかったわ。私でよければ」


 アンジェはまだ身に纏っていたドレスの裾をつまみ、頭を下げる。


「アンジェ・レイクアッド。私の名前です」

「お、おう! 俺はゼクス。ゼクス・ヴァン・ザックハード。よろしくな、アンジェ」

「いきなり呼び捨てだなんて。なってないわ」

「いいだろ別に。じゃあ、アンジェ先生とでも呼べばいいか?」


 アンジェは瞳を斜め上に動かし、


「悪くない響きね」


 目を閉じ、頬を綻ばせた。




ααααα─────────ααααα




「魔法はエリストマ大陸に存在する摩訶不思議な現象である。そして多種ある国の中で、最も秀でた魔法技術を保持するのはナルガンディア王国だろう」


 ゼクスの視線が下に動く。


「初代国王である、フェンドール・ナルガンディアは、卓越した魔法で武勲を上げ国を築いた魔術師だった。の王が持つ魔法は他の国々が束になっても敵わぬ代物であったと言われている」


 次のページに目を向ける。


「その技術を後世に残すため王都ランドルクには、巨大な魔術学園「セラフィム」を設立。その巨大な敷地と施設の数々は最早ひとつの都市のようであり……」


 ゼクスは勢いよく本を閉じた。


「なぁ、アンジェせんせー。これ読まなきゃダメ?」

「読みなさい。音読は魔法を学ぶ上でとても重要なの。これから嫌というほど魔導書見ながら詠唱するんだから」

「うへぇ……マジか」


 アンジェは「頑張んなさいよ」といって読書に戻った。


 思った通り、ゼクスには学が無かった。音読を強要しているのは詠唱もそうだが、勉学に慣れさせるためだ。

 これまでは途中で飽きて投げだしたのだろうが講師となった以上それは許さない。


「はいはい、わかりましたよ」


 唇を尖らせながらも音読を続けるゼクスをチラと見る。

 美少年が頑張っている姿は、正直可愛らしいと思ってしまう。おまけによく似合う獣耳がついているのだ。口角が上がりかける。


 アンジェは頭を振って、己の作業に戻る。

 寝て休んでいる場合ではない。本当は部屋の掃除もしたかったが捨てる拠点だ。どうでもいい。


 今は自分にかけられたこの魔法を解かなければならない。アンジェはゼクスの家にあった魔導書と自身の知識を頼りに、解除の魔法詠唱並びに魔法陣を用意していた。


 だが。夜になったころ、アンジェは焦りの色を浮かべていた。


「嘘でしょ……!」


 怒号と共に勢いよく本を閉じた。ゼクスが驚きで肩を当て尻尾の毛を逆立てた。


「なんだよ。どうしたよ」

「まさか、そんな、いや、でも……」

「うまく、いかねぇの? 魔法の解除」


 アンジェはゆっくり首肯しゅこうした。


 解除自体は魔力をそこまで消費しない。おまけに消費速度より回復速度の方が上回っているため枯渇する心配はない。アンジェは持てる知識を頼りに、色々と試してみた。


 テーブルの上に置いていた紙が青い炎に包まれて焼失する。紙には魔法陣が書かれてあり、発動と同時に消えるよう設定していた。


 つまり、ちゃんと魔法は発動している、ということだ。

 なのに相も変わらず狼の顔。


 アンジェは頭を抱えた。


「あのさ」

「なによ」

「本読んでて気になったことがあるんだ。魔術と、呪術に関して」


 アンジェは顔を上げると、ゼクスが対面に座った。


「これ何が違うの? 魔法の中にも呪いがあるのに、何で別枠?」

「息抜きがてら教えてあげる。似て非なるものよ。魔法は己の魔力を媒介として発動する。そして魔法の呪いを受けても、必ず解呪はできる」


 けれど。アンジェは言葉を紡ぐ。


「呪術は発動する際、必ず触媒が必要になるの。生贄とも言うわね。物でも人でもいい。何か別の物を中間に咬ませないといけない」

「自分の力だけじゃ発動できないってことか」


 ゼクスは腕を組む。


「解呪するには?」

「できるものと、できないものがある。というのも呪術はあまりにも負の効果が強すぎて禁術なの。王都はおろかエリストマ大陸内で使う者なんて……辺境に暮らす異教徒くらいね。ただ」

「ただ?」

「……術者なら、解呪できる」


 そう。それが悩みの種なのだ。

 自分で言えば言うほど


「ならさ、アンジェ。あんたのその狼面おおかみづらって呪術なんじゃね? 上手くいってないみたいだし」


 核心を突かれたような気分だった。アンジェは額に手を当てる。


「……その通りよ」


 アンジェは魔術学園で1、2を争う成績優秀者だ。それで解除できないとなると、これは呪術である可能性が非常に高い。


 そうなると。


「じゃあさ、呪いをかけた奴がわかるんじゃない? ほら、触媒が必要なんだろ? なんか怪しげなもの飲まされたとか、変な奴に襲われたとかないの?」

「……あるわよ」


 確かめなければならない。


「ゼクス。この家に外套がいとうはあるかしら。顔を隠せると嬉しいのだけれど」

「え? あるけど」

「明日は拠点移動日だったけど予定変更。犯人かもしれない奴の所に行く」

「……どこ?」

「……ソムナス伯爵邸」


 できれば、犯人じゃないといい。


「……あなたじゃないわよね、シルフィー」


 アンジェは心に小さな希望の欠片を抱きながら口に出した。




 そんなアンジェの希望が砕けたのは。

 最低最悪な光景と共に、徹底的に。

 欠片も残らないほどに砕かれたのは、翌日の昼のことだった。

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